第9章 直接言わない語り――物事が物語る
問一 方向性や癖をつけて語る
「あなたはどんな暴力が得意なの?」
「いや、特に」
「ずいぶんと殴るのが上手いのね」
「鍛えてますから」
「ほんとに上手」
「僕ばっかりにやらせるのはやめてくださいよ」
「わたしは、これ」
「わあ、痛そうですね」
「わたしも蹴るのは慣れているの」
「でも、ひと思いに気絶させてやった方がいいんじゃないですか。どうせ殺すんですから」
「そういうわりに手加減しないのね」
「いやでも、かわいそうですよ」
「ほんとに上手。ほれぼれするぐらい」
「なんだか疲れてきました」
「交代しましょうか」
「顔はやめてくださいね。口の中を切ったらしゃべれなくなりますから」
「そろそろ彼もしゃべりたくなってきたかしら」
「そうですね。ガムテープをはがしてやりましょうか」
「うーん、やっぱりまだ汗をかき足りない。もう少しやらせてちょうだい」
「遊びじゃないんですから」
「わたしは、下手?」
「いや、上手いですよ」
「そう」
「死なない程度にしてくださいね」
「加減が難しいの」
「まだ夜は長いです。焦らずじっくりやりましょう。ダメです。もっと腰を据えてやらないと。さっきは僕も弱気なことを言ってしまいました。今では反省していますよ。徹底的にやって、こいつの口を割らせないと……」
「真面目ね」
「僕も早く一人でできるようになりたいですから」
問二 赤の他人になりきる
私たち割込師は、生き馬の目を抜く世界だ。
今朝も、私は五番車両の待機列からつかず離れず適切な距離をとっていた。朝の7時19分出発の淀屋橋行き特急列車、過去の経験によれば待機列の前から五人目までの位置に割りこまなければ席に座ることはできない。現在、列に並んでいるのは十五人以上、車両はあと四分で到着する。この時間が私たち割込師にとって最も重要だ。車両が到着してから慌ててポジションを確保しているようでは遅すぎる。まずは割り込むために待機列から適切な距離をとらなければならない。近すぎても遠すぎてもいけないのだ。近すぎれば、列に並ぶ人間は割込師を警戒し、列の間隔を詰めてしまうだろう。逆に遠すぎれば、割り込むタイミングを逸してしまう。割り込むのに適切なタイミングとは、車両が到着する時である。列に並ぶ人間たちは、車両到着の瞬間は乗り込むことしか考えられない。だから、虚を突くことができる。私たちが割り込んでも、彼らは咄嗟のことで反応できないのだ。もしも列車が到着する遥か前から割り込んでしまったら、後ろに並ぶ人間に怒られてしまうだろう。いい大人になって、他人から怒られるのは耐え難い屈辱だ。
到着まであと三分。私は今のところ、絶好のポジションをとれている。待機列から近すぎない場所で、しかも柱の陰に隠れている。誰も私に気付けない。次に考えることは、列の何人目に割り込むかということだ。私は柱の陰からチラチラと様子を窺う。列の三人目のおばさん、あいつはヤバい。割り込んできたら刺し違えてでもやってやるという気迫がみえる。あのおばさんの前に割り込むことはできない。ならば、四人目のサラリーマン風の男はどうだ。彼は隣の同僚らしき男と世間話をしている。絶好だ。世間話に気を取られて割込みへの意識が薄い。しかも、会社の同僚らしき人間と一緒にいる手前、割り込まれたとしても、世間体があるので暴力的な手段に訴えることはできないはずだ。
あと一分。しまった。考え過ぎてしまった。もう特急列車は、駅ホームから視認できる位置にまで近づいていた。ここからが本当の割込師の勝負だ。このホームには、私以外に二人の割込師が潜んでいた。私から見て反対側の柱に隠れている巨漢は、パワープレイの哲! 彼は自身の鍛え抜かれた絶対的なフィジカルを活かして割込みを行う。しかし、その肉体があだとなり、俊敏性では私が勝っていた。ポジショニングに差がなければ、私の勝ちは揺らがないだろう。そして今、ホームにあがる階段を思わせぶりな様子で登ってくるのが、死にかけのお菊! 見た目はいかにも活力の感じられない老婆であるが、割込みの腕はそうとうなものだ。何よりも割込みに対してなんの罪悪感も抱いていない。天性の割込師である。
さあ、運命の瞬間が来た。死にかけのお菊がぬるりとスピードを上げた。反対にパワープレイの哲は出遅れた。やはり、勝負は私と死にかけのお菊で決まりそうだ。車両のドアが開いて一斉に乗客が降りて来た。今だ。今、この瞬間に燃え尽きたっていい。
問三 ほのめかし
〈直接触れずに人物描写〉
赤い小さなポストの横には、百日紅がピンクの花をつけていた。
隣に植えられているのは木蓮だ。季節が違えば、卵ほどの大きさの白い花をつけるはずだった。庭の中央には木製のベンチが置かれていて、取り囲むように花壇がしつらえられていた。丸く紫の花は千日草、炎のように赤い花はサルビア、白い花の群生はペチュニアだった。それらにはつい先ほど水をまかれたようで、陽光の中でいっそう生き生きとしていた。花々の間には、所々で陶器製の七人の小人が顔をのぞかせていて、庭を訪れた客たちの目を楽しませた。
そのまま奥に進んで家の裏手に回り込むと、日当たりのよい表とは打って変わり、空気もひんやりと湿っていて地面にはドクダミが生えていた。そして、その一角には割れてしまって使われていない素焼き鉢が積まれていた。実は陶器片の中には肌色のものも混ざっているのであったが、それを見てはじめて七人の小人が六人しかいなかったことに思い当たる人もいるはずだ。さらに隣家との塀の間を通って進めば、少し開けた場所に出ることになった。その場所は、四角く雑草が引き抜かれていて、畝が三つほど並んでいる畑であった。しかし、そのつつましやかな畑には何も植えられていなかった。ただ隅の方に、人間の背丈ほどもある緑がひょろりと立っていた。お化けの草のようで、一見して正体をつかみかねる人が多かったが、近づいてよくよくみれば、それが成長しすぎたアスパラガスであると誰でも気がつくことができた。
〈語らずに出来事描写〉
虫の音が聞こえる。西の空は赤くなって、東の空から少しずつ夜が迫っていた。急に涼しくなった風が吹いて、池の水面が波立った。陸上で日向ぼっこをしていた亀たちも、いそいそと水の中に帰っていき、水面に浮かぶ水鳥の群れも身を寄せ合っていた。そういった見なれた光景の中にあって、一つだけ奇妙なものが池の真ん中に浮かんでいた。それは、ひっくり返った鯨が白いお腹を見せているようだった。しかし、それが風に吹かれて向きを変えると、黒いペンキで「14」と書かれているのが見えるようになって、白い手こぎボートがひっくり返っているのだとわかった。だとすれば、隣に浮かんでいる木の板のようなものはオールだろう。
水面にボコボコと空気の泡がたった。その後には、子供用の運動靴が浮かんできた。しかし、それ以外には何も浮かんでこなかった。いまや完全に陽は沈んで、虫の音に加えて蝙蝠の羽ばたきが聞こえるようになったが、それ以外は全くの無音と言ってよかった。池の桟橋には、懐中電灯を持った大人たちが集まってきていた。しかし、彼らは水面を照らすだけで何もできなかった。左右を行ったり来たりする懐中電灯の光は、人魂のようにも見えた。