村村

雑文置き場

ワンエグを援護するための20の方法

――誰かがふと思った。

『ワンエグを守護らなければ……』

 

※これはワンダーエッグ・プライオリティを特別編までみた上で援護してみようという趣旨で書いたので、当然の如く、隅から隅までネタバレです。

 

ネタバレ該当作品

野島伸司関係作品:

ワンダーエッグ・プライオリティ』『高校教師』『未成年』『リップスティック』『フードファイト

野島伸司と関係のない作品:

魔法少女まどか☆マギカ』『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』『さらざんまい』

 

 

 

 

 

 

方法1:結論として

野島伸司って、何も責任取る気がないのである。

  ――ナンシー関『何もそこまで』(角川文庫)

 

 ワンエグを批判する際に使われている言葉は、20年前にナンシー関が言っていたことと非常に似ている。 曰く、「最後に全部セリフにしちゃうのはねえ。確実だけどさ。バカみたい。」「野島伸司、保険男。過激だ、問題作だって言われて、それに乗っかって食ってるなら、責任取る覚悟くらいしろ。」である。

 これは1995年のTBSドラマ『未成年』に対する酷評であるが、ワンエグに対する批判と重なる部分があるように見える。つまり、過激な描写や謎によって視聴者の興味を引きながらも明確な答えを出さずに逃げたという評価だ。しかし、その評価は妥当だろうか。私は妥当ではないと思う。

 ワンエグが作品全体として取り組んでいるテーマは、少年少女を搾取し殺してしまうような社会の仕組みに対してどう対峙するかということであり、1990年代以降のアニメ作品(例えば『少女革命ウテナ』『魔法少女まどか☆マギカ』など)が一貫して取り組んできたものである。そうした歴史的積み重ねのあるテーマに対して、野島伸司は「プライオリティ」という言葉を通して新しい態度を示したのだと考える。

 

 

 方法2:野島伸司

 野島伸司がワンエグを通して何を言いたいのか検討するためには、そもそも彼がどのような作家なのかを見ていくことにも意味があるだろう。

 野島伸司は、1982年に『時には母のない子のように』で第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞してデビューした。フジテレビヤングシナリオ大賞とは、当時のフジテレビがテレビドラマ業界で若手の脚本家を育てるために創設したものらしい。では、野島伸司に求められた若い感性とは何だったのだろうか。1980年代にドラマ業界で流行っていたのは『男女7人夏物語』に代表されるようなトレンディドラマであり、おしゃれな美男美女による恋愛ものが当時のメインストリームだったのだ。そうした状況の中で野島に求められたのは、美男美女による恋愛中心主義的な価値観に対するカウンターだろう。彼の初期の代表作である『101回目のプロポーズ』が分かりやすい。主役に美男からかけ離れた武田鉄矢を配置し、美女と野獣カップルなどと言われるほどだった。そして、ここから野島伸司の暴走は加速する。

 トレンディドラマに反旗を翻した野島が、『愛という名のもとに』を挟んで次に発表したのが、教師と生徒による禁断の恋愛、近親相姦、自殺などの社会的タブーを題材にした『高校教師』である。ここに至ると、かろうじて恋愛ものの体裁をとっていても主題は完全に社会的タブーの方へ移行をはじめている。その後も『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』『未成年』『聖者の行進』という「TBS野島伸司シリーズ」を通して、いじめやマスコミの偏向報道障碍者差別など、社会問題を描き続ける。それらの作品に共通していることは、当時の社会問題を反映していることだけではない。大人たちから搾取される社会的弱者(子供や障碍者など)が真に純粋無垢な存在であり救われるべきだというメッセージを共通して持っている。そのようなメッセージを盛り込むのは新しかったのだろうが、一方で社会的弱者を虐げる社会構造に対してどう対峙すればいいのかという結論が作品内で示されないことには不満の残るシリーズだ。

 1995年に放送された『未成年』を例にしてみてみようと思う。『未成年』は社会や家庭の中で孤立している少年少女が出会うところからはじまる。彼らは山奥の廃校で共同生活するようになり、その過程で様々な事件を起こして警察やマスコミから過激派テロリストのレッテル張りを受けることになる。その結果、少年少女のごっこ遊びのような共同生活は破綻して、あさま山荘事件オウム真理教を連想させるような悲劇へと転がり落ちていく……というようなあらすじなのだが、このドラマは最終回においてナンシー関が批判したような無責任さを見せつける。最終回、機動隊に囲まれた仲間たちが逮捕あるいは銃殺されていく中で唯一逃げ延びた主人公は、学校の屋上に登って演説をはじめるのである。その演説は「俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ。お前ら、自分が無力だとシラけるな。矛盾を感じて怒りを感じて言葉に出してNOって言いたい時、俺は、俺のダチは、みんな一緒に付き合うぜ!」といったものである。一見いいことを言っている風だが、どうにも具体性に欠けて、現実に起こっている事件に立ち向かうには頼りない言葉ではないだろうか。しかも、この演説を聞いた学生たちは実際に奮起し、主人公たちが正当な裁判を受けられるようにするために社会運動をはじめるのだから、かなりのご都合主義的展開である。最終回で演説や長々としたモノローグを使ってすべてを説明してしまう。言葉だけで世界を変えてしまおうとする空虚さ。これが野島伸司脚本作品の欠点に他ならない。

 くしくも、同年にはじまった『新世紀エヴァンゲリオン』が魅力的な謎やそれまでの展開を投げ出して私小説的な自分語りをはじめてしまったことに1990年代の宿痾を感じてしまうが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見る限り全く成長していない庵野秀明に比べると(成長したという意見もあるだろうが)、ワンエグにおける野島伸司はもう少し具体的な行動に移そうとする意識を感じる。言い換えると、自分語りとしての「未成年の主張」をやっているだけではなくて、世界に対してどういう態度をとるべきかを考えている。

 

 

方法3:第一話『子供の領分』より

14歳の少女・大戸アイは、深夜の散歩の途中で出会った謎の声に導かれ、不思議な「エッグ」を手に入れる。
「エッグ」を持て余していたアイが、翌日昨夜の場所に再び向かおうと玄関のドアを開けると、そこはなぜか、どこかの学校の校舎に繋がっていた。
不気味な雰囲気漂う校内の様子に戸惑い逃げ込んだトイレで、アイは謎の声に促され、ついに「エッグ」を割ってしまう……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ここからは各話を振り返りつつ、野島伸司がワンエグで描こうとした物語について迫っていきたい。

 

・「彼氏って別れちゃうけど、親友って永遠でしょ」「もう見て見ぬ振りはしない」

 第1話において、この物語のスタンスが説明されているセリフ。

・小糸ちゃん:

 特別編までみると周りから浮いていて友達のいなさそうなやつに声をかけているだけで自己保身の人だとわかる。しかし、その出会いがアイを救ったことは間違いないし、その価値が減るわけではない。 アイもそれがわからないほど鈍くはないと思う。

 

 

方法4:背景美術による

 ここまで野島伸司の作家性に絞った話をしてきたわけだが、おそらくは野島がコントロールしていない部分、アニメーションの分野でもワンエグは面白い試みをしている。それは背景美術がフォトリアルに作られていることである。メインキャラの造形は、かなり現代的なアニメの美少女キャラなのだが、背景は他作品と比べて図抜けてリアルである。写真と見まがうような背景の中で動くアニメキャラ、それがどのような効果を与えているか。野島も影響を認めている『魔法少女まどか☆マギカ』と比べてみると、その効果が見えてくる。『まどか☆マギカ』は学生生活パートから魔法少女バトルパートに場面が移り変わるところで背景の演出が変わる。いわゆる「イヌカレー空間」と呼ばれるシュールレアリスティックな背景美術が、現実と魔法の世界を区別しているのだ。一方で、ワンエグでは現実と夢に区別がない地続きの世界である。特に第一話の段階では、どこからが現実の話で、どこからが夢の世界なのかが一見してわからない。これによって視聴者の不意を突いて緊張感を保つことに成功している。背景のモデルが千葉ニュータウンということもあって、いつの間にか周りに人がいなくなってもすぐには気が付けないのだ。(ニュータウンに対する偏見、申し訳ない。)同じ形の家がずらりと並んでいるのもディストピア感があり、開けた場所なのに閉塞感がある。

 

 

方法5:第二話『友達の条件』より

アカと裏アカの声に導かれ訪れた地下の庭園で、エッグを大量に購入する少女・青沼ねいると出会ったアイ。
同じ境遇の相手に興味津々のアイだったが、ねいるからは関わりを避けられてしまう。
また独りエッグの世界に挑むアイ。次のエッグの中から現れたのは、レオタード姿の鈴原南という少女だった。
戦いに挑むアイに、アカと裏アカは「ワンダーキラーを倒せ」と告げる。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・「あなたは誰のために戦っているの? 本当は自分のためじゃない?」

  何のために戦うか、自分にとってのプライオリティについての話なんだよなあ。

 

 

方法6:第三話『裸のナイフ』より

いつものように地下の庭園でエッグを買い、帰路につこうとしたアイの前に突如現れた少女・川井リカ。
アイたちと同じくエッグの世界で戦うリカだが、初対面のアイにお金を貸してほしいと頼んできたり、勝手に家まで押しかけてきたりと、いきなりアイを振り回す。
誰にでも調子よく振る舞うリカに、ねいるは不信感をにじませるが、リカはアイの家に泊まるとまで言い始め……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

花折峠の伝承:

 峠を越えて花売りに出掛けた娘の一人が、他の娘につき落されて谷川で命を落としたという。しかし、里に帰り着いた娘が、死んだ筈の娘が先に帰っていることに驚き、峠に引き返してみると、あたり一面に花首の折れた花々が散り敷かれていた。

 少女の死と再生のモチーフ。

・「忘れたくても忘れられない」

 リカは自殺した友人を救うために戦っているのだが、リカはその友人に自殺を救われているのである。

 

 

方法7:第四話『カラフル・ガールズ』より

リカが戦線を離脱したことで、みことまこを守りながら独り戦うことになってしまったアイ。
押され気味の戦況に挫けそうになるアイに、みことまこは協力を申し出る。
一方、別のエッグの世界では、アイたちと同じように戦う沢木桃恵の姿があった。
桃恵の凛々しさにほのかな恋心を抱くエッグの中の少女たち。
しかし少女たちの感情は、桃恵にとある過去の出来事を思い出させ……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・エッグキャラに「肩幅広いですね」って言われて傷ついている百恵が印象的。

・桃恵の夢世界である電車、特別編までみると初めから電車を降りるために作られたキャラなんだと思う。

・電車のモチーフにした場合は、『銀河鉄道の夜』から『輪るピングドラム』に至る系譜があるけれども、桃恵の場合は登場シーン以降は電車の中ではなく外でしか話が進まない。

・「はあ、疲れたぁ」とつぶやく桃恵、後からみると意味が変わってくる。

・「死の誘惑」というワードが初登場

 

 

方法8:セルフパロディ

 有り体に言うと、ワンエグは野島伸司セルフパロディ的側面が強い。

 先生と生徒の恋愛は『高校教師』だし、いじめや自殺は『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』だし、少年少女の連帯を描くことは『未成年』だ。

 特に関連が強そうな作品は、1999年の『リップスティック』だ。少年鑑別所を舞台にして、絵描きである職員(三上博史)と収監された少女(広末涼子)の絶対に結ばれない恋愛、家庭などに問題を抱える同室の少女たちによる連帯を描いている。なんといっても主人公の少女の名は、藍(アイ)である。

 そもそも野島伸司セルフパロディを好む作家なのだ。『フードファイト 香港死闘篇』では『家なき子』のキャラが複数登場するはちゃめちゃな作品だ。(『フードファイト 香港死闘篇』はすごく薄っぺらい香港マフィアを演じる筒井康隆が見られるのでファンは見よう。)

 野島はどうしてセルフパロディを繰り返すのか。それは、そのような方法でしか救えないものがあったのだと想像する。野島自身が作品の中で搾取してきた少女たちを救いたかったのではないだろうか、と。

 

 

方法9:第五話『笛を吹く少女』より

エッグをきっかけに出会い、友情を深めていくアイ・ねいる・リカ・桃恵の4人。
日々戦いに臨む4人の中でも、ねいるは人一倍多くの戦いに身を投じ、様々な思いを抱えた少女たちと出会ってきた。
物事を冷静に、論理的にとらえてしまうため、彼女たちの思いをうまく理解できずにいたねいる。
ある日、ねいるはリカ・桃恵と共にアイの家に遊びに行くことになるのだが……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・ねいるの夢世界は橋。特別編をみた後だと、「この世」と「あの世」をつなぐ間の存在なんだろうと納得する。

・四人の意見が食い違う。これがプライオリティということなのか。

 

 

方法10:第六話『パンチドランク・デー』より

戦いに慣れつつある4人の前で、ミテミヌフリの一部が突然「アンチ」へと姿を変える。
アンチが狙いを定めたのはエッグの中の少女ではなく、アイたちだった。
新たな敵の出現に苦戦する4人に、アカと裏アカはとある「お助けアイテム」を渡す。
エッグの世界での戦いが徐々に変化する中、現実世界ではアイの母・多恵が持ち掛けたある提案が、アイの心を大きく揺り動かす。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・「私たちの最大の目的は、ワンダーエッグ・プライオリティ」

 ワンダーエッグって結局はどこの誰かもわからない自殺した少女なわけで、それをプライオリティの上位に置いてくるのだから、アイたちはプライオリティをエッグを割るたびに変えている。このプライオリティを変えていくこと自体が重要なのかもしれない。

・先生がいよいよ存在感を増してくる。この頃のアイは、夢の中では「見て見ぬ振りはしない」けど、現実では「目を合わせることもできない」のである。

・数珠を持って先生に会いに行くということは、見えないものを見に行った。目に見えないものとは、先生への恋心かな?

 

 

方法11:魔法少女ものとして

野島:見てますよ。『まどか☆マギカ』はバトルシーンがすごいね。サイケなアートアニメのようで、クオリティがすごく高いと思うよ。

[中略]

野島:僕もアニメの方に興味があるんです。世界に誇れる日本のエンタメはやはり実写ではなくアニメや漫画、ゲームカルチャーだし、ドラマに比べて制約も少ないし、異空間に飛んでみてもいいし。最近、アニメの若い監督たちと話す機会があったんだけど、すごく面白かったですよ。

  ――野島伸司×清水一幸P、話題作『百合だのかんだの』は時代の変化から生まれた

 

 野島伸司は『まどか☆マギカ』を見て本当のところは何を思ったのだろうか。おそらく「自身が携わってきたテレビドラマ」と「現在流行っているテレビアニメ」の親和性だろう。恋愛、家族、友人関係にトラウマを持つ少女たちの連帯と、彼女たちを搾取する社会システムに対する抵抗、作品が抱えているテーマには共通するところがある。まどマギにおいては、その少女たちの関係性が社会システムを打ち破る鍵になるのだが、野島伸司はその答えに満足しなかったのではないだろうか。まどマギを視聴済みのうえでワンエグを作ろうと思ったのだから。

 いったい野島はまどマギのどこに満足しなかったのだろうか。そのヒントはワンエグに「変身」が存在しないことにあるように思う。そもそもまどマギ魔法少女の「変身」の意味を変えてしまった作品である。既存の魔法少女ものでは成長の手段と描かれていた「変身」を、むしろ成長を止めてしまうゾンビへの「変身」として描いた。野島は、古典的な少女から女性への成長も、ましてやゾンビになって人間をやめてしまうことも良しとしなかったのだろう。少女は少女のまま、世界を変える方法を模索したのがワンエグなのだろう。

 

 

方法12:第七話『14才の放課後』より

リカの誕生日を祝うために集まったアイたち。
遅れてやってきたリカが「愚痴に付き合ってもらう」と取り出したのは、自分の父親と思われる5人の男性の写真だった。
母・千秋と交わした「中学にあがったらパパに会わせる」という約束が果たされず、父への思いと母への苛立ちを募らせ、悪態をつくリカ。
その態度をたしなめたねいると桃恵に、リカは怒りをぶつけてしまう。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・可愛いリカ。

・お助けキャラによって疑似的な母親になる。

・「こっちが命のハグだろ」富野節っぽい。

・「今会いたいんだ、今」「でも、今じゃない」

 

 

方法13:親と娘のオフィーリア

「親に対して、ジグソー・パズルを残すとは、あきれかえった娘だ。もうきれいさっぱり忘れてやる。小娘のくせになまいきだ」。私は、パズルの断片を組立てあぐねると、やたらと娘を病気にしたてたり、ヒステリーときめつけたり、我が身の不勉強を恥じて劣等感にさいなまれたりした。

  ――井亀千恵子『アルゴノオト』

 

 過去の野島作品と比較しても母親に対する同情的な視線はワンエグの特徴の一つだろう。アイとリカの母子家庭は言うに及ばずだが、寿とねいるの関係もよく考えると母娘だ。親の心子知らずではなく、子の心親知らず。母の知らないところで娘が思い悩んでいる姿が繰り返し描かれる。萩尾望都山岸凉子といった「花の二十四年組」の少女漫画では母親は娘を支配するものとして描かれがちだが、娘の気持ちがわからず右往左往するワンエグの母親たちもリアルに感じる。

 

「子供産んだんならなあ、女やめて母親になれよ!」

  ――野島伸司脚本『リップティック』第12話より

 

 上記は再婚した男が自分の娘をレイプしていたことを知りながら見過ごし、娘を自殺させた母親に対して浴びせられたセリフである。90年代野島伸司のどうしようもなく袋小路に行き詰った母娘関係と打って変わって、ワンエグではもちろんすれ違いはあるにしても、母娘がお互いを理解しあう前向きな物語になっている。個人的には、子供を産んだからと言って、いきなり女をやめて母親になれと怒鳴られてもツライのは理解できるので、これぐらいの距離感が見ていて気持ちいい。 

 

 

方法14:第九話『誰も知らない物語』より

ある日、会社に住んでいるというねいるの元に遊びに行くことになったアイたち。
ねいるはそこで、阿波野寿という少女を紹介する。
彼女はとある実験をきっかけに永遠に眠ったままになっていた。
そんな寿の状態を認められずにいるねいるだったが、そんな彼女を愕然とさせたのは、エッグから現れた寿の姿だった。
寿がねいるに託した最後の「願い」を巡り、4人はすれ違い……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・あどけない悲しみ?

・ 「二人ならファンタジー

 

 

方法15:第十話『告白』より

アカと裏アカがねいるの秘書と共にいる場面を目撃したリカは、3人の関係性について詰め寄る。
そこで明かされた彼らのとある秘密。さらにはそこへ、桃恵から「男子に告白され、デートをした」との連絡が入る。
突如舞い込んできた恋バナに興奮気味のアイたちだが、桃恵はなぜか浮かない様子だった。
そして日常の裏では、エッグの世界での戦いが激しさを増していき……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ・野島的にはよくある展開。

・嘔吐する桃恵。

 

 

方法16:第十一話『おとなのこども』より

桃恵の前に突然現れ生死を問い、パニックの命を奪った異形のモノ「ハイフン」。
エッグの世界の変化は、リカの元にも訪れ……。
一方、桃恵やリカに起きている事態を知らないまま、アイは地下の庭園に建つ屋敷に足を踏み入れていた。
膨大な資料があふれる部屋の中で裏アカと遭遇したアイ。
Jプラティの創始者で、かつて科学者だったという裏アカは、とある昔話を語る。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ・裏アカの主人公感がすごい。親友と好きな女性の間にできた娘に欲情する男、業が深すぎる。

・「見ないふりをしないで」

 

方法17:独身者機械による

これぞまさに独身者機械の核心をなす秘密、つまり愛のない快楽である。

  ――ミシェル・カルージュ『《新訳》独身者機械』 

 

 裏アカは90年代の野島ドラマによく出てくる身勝手な男性キャラの集大成だと思う。一連の事件をフリルの問題だと考えたいようだけれど、アカ夫婦に嫉妬していたのは裏アカだし、ヒマリに欲情していたのも裏アカだ。そのことに、気が付かない愚かしさが素晴らしい。

 

人造人間に嘔吐が禁じられているのは、ほかの女性に屈辱を味わわせたくないなどという、訳のわからない心遣いからではない。独身者機械において、少なくともデュシャンカフカの独身機械において嘔吐は、エロティックなプロセスの最後に起こることなのだから。実は、ハダリーはエワルドを拒んでいるのだ。

  ――ミシェル・カルージュ『《新訳》独身者機械』

 

 ワンエグはド直球で独身者機械なので特に付け加えることがないのだけれど、新島進によると『輪るピングドラム』も独身者機械であるそうだ。ん、ヒマリ……陽毬?

 

方法18:第十二話『負けざる戦士』より

パニックと万年に起こった悲劇を聞いたアイは、エッグの世界でのアンチとの戦いでも、レオンを出さずに応戦しようとしていた。
エッグを割ることもままならず劣勢に立つアイ。
その様子をモニターしていたアカは、アイに代わってレオンを喚び出し、ミッションの遂行が最優先だと指示する。
葛藤しながらもエッグを割るアイだが、エッグから現れた者、そしてワンダーキラーは……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・別の世界線の設定はいらなかったという意見もあるだろうけれど、この話を見ると必要な設定だったことがわかる。第一話で「親友って永遠でしょ」って言葉があるけれど、小糸ちゃんは明らかに打算で人間関係を組み立てている人なので永遠ではない。永遠じゃないから親友ではないかと言えばそんなこともない。別世界のアイが小糸ちゃんがいなかったことで自殺していることからもわかる通り、アイが小糸ちゃんに救われたことは事実だし、小糸ちゃんの本性が嫌な奴だったとしても過去に親友だったことの価値は変わらない。

・別世界のアイは、自分の命である瞳である片方を死にかけているアイに分け与えた。これってピンドラですよね。

 

 

方法19:特別編『私のプライオリティ』より

エッグの世界でのミッションをクリアし、現実世界へと戻ってきたアイ。
そんなアイにペットのアダムを託したねいるは、その日を境に連絡が取れなくなってしまう。
ねいるを心配したアイは、田辺のもとを訪れるが……。
沢木から明かされる小糸の自殺の真相、ミッションクリアを経て、少し変わってしまった世界に戸惑うアイ、リカ、桃恵。
様々な思いが交錯する中、アイは――。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ・アイにとってのプライオリティは時と場合によって変わる。小糸ちゃんだったり先生だったりエッグキャラだったりお母さんだったりする。それは寿やお母さんの言う「一度しかない人生を楽しんで」=カルぺ・ディエム(その日を摘め)につながる考え方だ。全力応援しまーす。

 

 

方法20:じゃあ教えてくれよ、この仕組みの深さを破壊する方法を

 

 エロスの戦士になることは何だったのか。それは、アイのように時々でプライオリティを変えつつ戦い続けることだと考える。リカや桃恵がフリルとその使徒たちに敗北したのはなぜか。それは彫像の女の子を生き返らせてプライオリティを失ったからだ。アイが小糸ちゃんというプライオリティを失っても、ねいるというプライオリティを追い続けて戦うことができる。これが負けざる戦士の真相だ。

 ところで、1997年『少女革命ウテナ』でトラウマを抱えた少女同士の連帯とそれを搾取する大人を描いた幾原邦彦とも比べてみたい。『少女革命ウテナ』の時点では、少女たちを搾取する社会システムからの逃走を訴えた。しかし、劇場版でのウテナとアンシーの逃避行は、先に待ち受ける荒野を見ると前途多難である。それから15年近く経った2011年『輪るピングドラム』では、社会システムの外側に逃避することは不可能になっている。環状線をぐるぐると回るだけで、どこか別の場所に行くことはできない。できることは路線変更をすることだけだが、そのためにはピングドラム=林檎を二つに分け合う必要がある。これは誰かの自己犠牲を必要としている点で少し無理がある。

 2019年『さらざんまい』は、ミサンガに代表される少年同士のつながりがテーマだ。「つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ。」つながりたいと欲望することが、逃避でも自己犠牲でもない社会システムへの抵抗になる。『さらざんまい』ではアニメが終わった後の主人公たちの人生が映し出される。アニメが放送終了した後も主人公たちは何度も何度もつながりを絶たれそうになる。それでも、つながりたいからつなぎなおす。だから、『さらざんまい』は一過性の解決を示したものではない。

 ワンエグも同様である。さらざんまいの「つながりたい」に相当するのが、ワンエグの「会いたい」で「プライオリティ」である。アイが「プライオリティ」を追い求める限りは負けざる戦士であるし、いつかフリルも救ってしまうだろう。めでたしめでたし

 

 

――おわり――

 

※参考図書、追加しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年にはじまった漫画35選

 今年は『鬼滅の刃』も『チェンソーマン』も『C.M.B.』も『砂ぼうず』も『BEASTARS』も終わっちゃったし、なんかさびしいなあ。

 私たちがそう思っていても関係なく新しい漫画は生まれてくる。ある漫画がその寿命を終えるのも運命だし、新しい漫画がこの世に生を受けるのも運命。人間にできることは記録を残していくことだけ。というわけで、2020年にはじまった漫画35選

 

※いくつかはすでに連載終了済み。かなしいなあ。

※2020年1月~12月の間に単行本の1巻が発行された漫画を対象とする。

 

 

発売日順リスト

  1. 2020/1/27 もちオーレ, 箕田海道『病月』
  2. 2020/1/27 小梅けいと『戦争は女の顔をしていない』
  3. 2020/2/21 松浦だるま『いまかこ』
  4. 2020/2/28 つくみず『シメジ シミュレーション』
  5. 2020/3/11 筒井いつき『この愛を終わらせてくれないか』
  6. 2020/3/23 カレー沢薫『ひとりでしにたい』
  7. 2020/3/31 岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』
  8. 2020/4/8 近藤信輔『忍者と極道』
  9. 2020/4/10 小林安曇『魔女のマリーは魔女じゃない
  10. 2020/5/22 都留泰作『竜女戦記』
  11. 2020/6/26 牡丹もちと『コーヒームーン』
  12. 2020/6/26 藏丸竜彦『数学ゴールデン』
  13. 2020/6/30 米代恭『往生際の意味を知れ!』
  14. 2020/7/8 和山やま『女の園の星』
  15. 2020/7/15 クロタロウ『おとぎぶっ殺シアム』
  16. 2020/7/17 峰浪りょう『少年のアビス』
  17. 2020/7/17 中山敦支『スーサイドガール』
  18. 2020/7/30 すぎむらしんいち『最後の遊覧船』
  19. 2020/8/12 日日ねるこ『のんちゃんとアカリ』
  20. 2020/8/17 うぐいす祥子『ときめきのいけにえ』
  21. 2020/8/17 ジェット草村,武井宏之『SHAMAN KING マルコス』
  22. 2020/8/18 山田鐘人『葬送のフリーレン』
  23. 2020/8/18 柳本光晴『龍と苺』
  24. 2020/8/19 NON『adabana 徒花』
  25. 2020/9/12 近藤ようこ『高丘親王航海記』
  26. 2020/9/23 つるまいかだ『メダリスト』
  27. 2020/10/15 渋谷圭一郎『瑠璃の宝石』
  28. 2020/10/20 浦部はいむ『あの人の血を求めてしまう
  29. 2020/10/23 ゆうち巳くみ『友達として大好き』
  30. 2020/11/12 横山旬『午後9時15分の演劇論
  31. 2020/11/18 田口囁一『ふたりエスケープ』
  32. 2020/11/20 宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』
  33. 2020/11/30 安藤ゆき『地図にない場所』
  34.  2020/12/11 魚豊『チ。―地球の運動について―』
  35. 2020/12/18 雨瀬シオリ『松かげに憩う

 

 

 2020/01/27 もちオーレ, 箕田海道『病月』

病月 1 (電撃コミックスNEXT)

病月 1 (電撃コミックスNEXT)

 

 めんどくさい女同士の関係性を扱った漫画自体に食傷気味なのだが、単にめんどくさい女に絡まれてる女主人公だった1巻から、2巻になると主人公の異常性を糾弾するキャラもでてきて物語のテーマに深みが出てくる。問題は面白くなってきた頃には連載が終了してしまったことである。

 

 

2020/1/27 小梅けいと『戦争は女の顔をしていない』

戦争は女の顔をしていない 1

戦争は女の顔をしていない 1

 

 もうこのコンセプトの時点で勝利が確定している。

 

 

2020/2/21 松浦だるま『いまかこ』

いまかこ(1) (イブニングコミックス)

いまかこ(1) (イブニングコミックス)

 

「場所の幽霊」が見える男と「音の幽霊」が聞こえる少女、その二人が美術予備校で出会いはじまる奇妙なゴーストストーリー。幽霊がでてくるが、世界への恐れよりも寂しさを感じさせる独特な雰囲気がある。

 

 

2020/2/28 つくみず『シメジ シミュレーション』

 シュールでな白昼夢的日常ほのぼの百合漫画。つくみず先生が幸せならなんでもいい。

 

 

2020/3/11 筒井いつき『この愛を終わらせてくれないか』

 前作同様に少女同士の支配関係を描いたドロドロ漫画。そこに人格転移のモチーフを持ち込むことでサスペンスの面白さも盛り込んだのか工夫していると感心したのだが、結局のところ巨大感情百合ドロドロ漫画のまま終わった。

 

 

2020/3/23 カレー沢薫『ひとりでしにたい』

バリバリのキャリアウーマンでかっこいい女性だったはずの叔母が孤独死したことで、主人公は死に向き合いはじめる。誰もが考えなければならないが目をそらしたくなる 孤独死というテーマに切り込んだ作品。コメディタッチで深刻になりすぎないのが絶妙。

 

 

2020/3/31 岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』

コーポ・ア・コーポ (1) (MeDu COMICS)

コーポ・ア・コーポ (1) (MeDu COMICS)

 

 大阪の安アパートで暮らす人々の群像劇。ファンタジーなんだけれども、どん底生活のリアル感は力強い。大阪の文化住宅が現在進行形で消えて行っている今だからこそ描ける話とも感じる。

 

 

2020/4/8 近藤信輔『忍者と極道』

忍者と極道(1) (モーニング KC)

忍者と極道(1) (モーニング KC)

  • 作者:近藤 信輔
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: コミック
 

 いつの時代も一つぐらいは忍者漫画が連載されていないと生きている張り合いがない。

 

 

2020/4/10 小林安曇『魔女のマリーは魔女じゃない

 魔女狩りをギャグにする発想がなかった。しかも、安定して間の取り方がうまい。

 

 

2020/5/22 都留泰作『竜女戦記』

竜女戦記 1

竜女戦記 1

 

 奔放な想像力の伝奇ロマン。

 

 

2020/6/26 牡丹もちと『コーヒームーン』

コーヒームーン 1

コーヒームーン 1

 

 ループものは面白いけれどやりつくされているので難しいですが、ループしている人間がそもそも異常なのではないかという部分にフォーカスしていくのは目の付け所がよい。今後の展開を見守りたい。

 

 

2020/6/26 藏丸竜彦『数学ゴールデン』

 そういえば『はじめアルゴリズム』終わっちゃったなあ。数学の小ネタを紹介するのではなく、数学を競技として取り組む高校生を主人公にしたのが新しい。数学を扱っているのにスポーツものの漫画のような読み味。

 

 

2020/6/30 米代恭『往生際の意味を知れ!』

 米代恭は言わずもがな天才なので黙って読めと思うが、こじらせた人間を描くのが相変わらずうまい。意図的に前作とは男女の立ち位置を反転させているように見える。

 

 

 2020/7/8 和山やま『女の園の星』

女子高で働いている男性教員の日常を描いたコメディ。特別なことは起こらないのにクスクスと笑えるのはキャラクターのやり取りが生き生きしているから。 

 

 

2020/7/15 クロタロウ『おとぎぶっ殺シアム』

おとぎぶっ殺シアム 1巻 (LINEコミックス)

おとぎぶっ殺シアム 1巻 (LINEコミックス)

 

 おとぎ話のキャラたちが最強を決するために殺しあうバトル漫画。強さの基準が作者の匙加減しかないバトルは好きじゃないが、本作は作者が自分の好きなキャラを好きなように動かしたい強い情熱だけで描いているので、そこに共感できるし肯定できる。

 

 

2020/7/17 峰浪りょう『少年のアビス』

 行き詰った田舎のくそ人間関係というだけなら食傷気味だが、あの手この手で行き詰らせてくるので油断せず読める。

 

 

 2020/7/17 中山敦支『スーサイドガール』

 個人的にトラウマイスタのファンなので、少女の負の感情をキャラクター化してバトルをやらせる本作は見たいものが出力された感がある。敵キャラがほどほどに禍禍しいデザインで、味方たちもキャラが立っており、続きが読みたくなる。

 

 

2020/7/30 すぎむらしんいち『最後の遊覧船』

 遊覧船を何周もする中で描かれる人間ドラマ。本当に遊覧船に乗っているだけで話を転がしているのがすごい。2巻で終わったのは妥当な気がする。

 

 

2020/8/12 日日ねるこ『のんちゃんとアカリ』

ホラーギャグ百合漫画。いやあ、キャッチーだね。 

 

 

2020/8/17 うぐいす祥子『ときめきのいけにえ』

 某カルトホラー映画と設定がかなり似ているけれど、そのことになかなか気が付かないぐらい調理の仕方がうまい。

 

 

2020/8/17 ジェット草村,武井宏之『SHAMAN KING マルコス』

 僕たちはみんなマンキンに育てられた。

 

 

2020/8/18 山田鐘人『葬送のフリーレン』

 2020年の覇権。時代はサンデーだ。

 

 

2020/8/18 柳本光晴『龍と苺』

龍と苺 (1) (少年サンデーコミックス)

龍と苺 (1) (少年サンデーコミックス)

  • 作者:柳本 光晴
  • 発売日: 2020/08/18
  • メディア: コミック
 

 文芸界よりも将棋界の嫌なところを描く方が楽しそうだからOK。

 

 2020/8/19 NON『adabana 徒花』

adabana 徒花 (上) (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
 

 雪の降る田舎町で猟奇的なバラバラ殺人事件が起きる。犯人と名乗り出たのは、意外にも女子高生で。ミステリアスな女子高生を中心にしたサスペンス作品。この手のものはオチによって評価が変わってしまうが、今のところキャラがかわいいのでよし。

 

 

2020/9/12 近藤ようこ『高丘親王航海記』

高丘親王航海記 I (ビームコミックス)

高丘親王航海記 I (ビームコミックス)

 

逆に近藤ようこにコミカライズ不可能な小説があるなら教えてほしい。 

 

 

2020/9/23 つるまいかだ『メダリスト』

 アフタヌーン新連載三銃士の中でも頭一つ抜けている。全話傑作。

 

 

2020/10/15 渋谷圭一郎『瑠璃の宝石』

瑠璃の宝石 1 (HARTA COMIX)

瑠璃の宝石 1 (HARTA COMIX)

 

 鉱石自体の持つ美しさや面白さをモノクロ漫画で表現するのは難しいが、鉱物を手に入れる過程や自然描写で見せている。

 

 

2020/10/20 浦部はいむ『あの人の血を求めてしまう

あの人は血を求めてしまう 1 (MeDu COMICS)

あの人は血を求めてしまう 1 (MeDu COMICS)

 

青年が人生をやり直すために選んだ場所は自殺事件が多発している町だった。全体的に重苦し気な雰囲気、独特にデフォルメされたキャラ、グロ気持ち悪い出来事の数々、これは令和の日野日出志か!?

 

 

2020/10/23 ゆうち巳くみ『友達として大好き』

  アフタヌーン新連載三銃士とは、『メダリスト』『友達として大好き』『スポットライト』のことである。

 

 

 2020/11/12 横山旬『午後9時15分の演劇論

午後9時15分の演劇論 1 (ビームコミックス)

午後9時15分の演劇論 1 (ビームコミックス)

 

 最近は芸大を舞台にした漫画に食傷気味ではあるが、演劇が題材なので多少物珍しい。1巻の段階では個性的なメンバーが集まって劇をつくっていく様子がコメディチックに描かれる。主人公が創作という行為に対して悩んでいる姿自体が読者からするとエンタメなんだと気づかされる。

 

 

2020/11/18 田口囁一『ふたりエスケープ』

 ダメ人間を、百合を、消費することから、いい加減卒業すべきなんじゃないかと考えるようになりました。

 

 

2020/11/20 宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』

 夏次系って、めっちゃ絵がうまいなと気が付かされた。

 

 

 2020/11/30 安藤ゆき『地図にない場所』

地図にない場所(1) (ビッグコミックス)

地図にない場所(1) (ビッグコミックス)

 

 「人生終わった」と感じている中学生が、自分よりも人生が終わっているやつを見たいと理由でケガで引退したバレリーナ接触する導入がまず引き込まれる。意外と読後感が前向きで明るい。

 

 

 2020/12/11 魚豊『チ。―地球の運動について―』

 地動説を題材にした漫画という点ですでに興味をひかれる。異常な人間を一目で異常だと読者にわからせる技術というのは漫画において非常に重要だと思い知らされる。

 

 

 

  2020/12/18 雨瀬シオリ『松かげに憩う

「男の色気を描くことに特化した作家」 × 「完全に狂った男である吉田松陰」 = 最高! という完璧な方程式。

 

 
 

 

 

 

乗っ取り系ホラーアンソロジー

 

最近、架空のアンソロジーを考えることが流行っていると聞いたので。

 

saitonaname.hatenablog.com

proxia.hateblo.jp


 ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』が大ヒットしてから、富裕層に対する貧困層の反逆というテーマを通して様々な映画が語られるようになりました。やはり(自分よりは)恵まれている人の家を乗っ取るということは、人間が抱く願望の一つの類型なのかもしれません。

 しかし、それは映画だけに限られた類型ではなく、ホラーやサスペンス小説でも脈々と受け継がれている水脈であることを忘れられがちでもあります。一番有名なのは、ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」でしょうか。ジャンルを狭く取り過ぎた感はありますが、自分が好きなテーマなのでこのまま行きます。


≪注意!≫
家を乗っ取る話だとわかった上で読んだとしても面白さが変わらない小説を選んだつもりですが、小説を読む際にあらゆる偏見を持ちたくないという人はここで引き返した方がいいでしょう。











 

 

 

ラインナップ 


各篇紹介

ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」

銀の仮面 (創元推理文庫)

銀の仮面 (創元推理文庫)

 

 


 この作品を除いて、乗っ取り系ホラーを語ることはできないでしょう。江戸川乱歩にして〈奇妙な味〉の傑作とされてしまったがゆえに、〈奇妙な味〉というジャンル自体の意味を決定づけてしまったような風格さえあります。古典でありながら最恐、まさに読んでいると呼吸するのを忘れてしまうような悪意に満ち満ちた作品です。

 

 

パトリック・クェンティン「少年の意志」

金庫と老婆 (ハヤカワ・ミステリ 774)
 


 このタイプの話で幅を持たせる方法は大きくわけて二つあると思います。乗っ取る方法、もしくは乗っ取る人物の属性、そのどちらかを独創的なものにするということです。P・クェンティンは後者を選びました。大人の男性ではなく、まだ幼さの残る少年を悪役として選んだことで、どこか少年愛的な雰囲気のある物語に仕上っています。

 

 

レイモンド・カーヴァー「隣人」

 
 平凡な夫婦であるビルとアイリーンが、隣に住むストーン夫婦から旅行で留守の間に観葉植物と猫の世話を任されます。二人はストーン夫婦の生活が自分たちよりも上等なものだと憧れていましたので、用事がなくても留守中の家に入り込んで長い時間を過ごすようになります。そして、ストーン夫婦は戻って来ないんじゃないかという期待を持つようになるのです。さて、二人の破局がどのようなものになるのか、それは皆さんご自身の目で確かめていただくしかありませんが、これは異色の乗っ取り系ホラーと言えるでしょう。なにしろ本当に恐怖に晒されるのは家を乗っ取ろうとする側なんですから。

 

 

吉田知子「水曜日」

箱の夫

箱の夫

 

 

「しっかりつかまえてうまいとこ飼い慣らしてやろうと思った」
これは乗っ取ろうとする側の言葉ではありません。主人公の老女が住み込みの家政婦を雇おうとする時に考えたことなのです。そこがこの短篇の最も優れたところだと言えるでしょう。家を乗っ取る側と乗っ取られる側の境界線が最初から揺らいでいるのです。乗っ取り系ホラーでは一線を越える瞬間が必ずあるものですが、吉田知子の手にかかるとそこがはっきりしません。いつの間にか主人公は一線を越えてしまって何もかも乗っ取られるのです。

 

 

ディーノ・ブッツァーティ「家の中の蛆虫」

 
 本作は一種の〈分身〉テーマの作品として読むこともできます。実は先に紹介した吉田知子「水曜日」も同じ趣向を持つので是非読み比べてほしいです。また、家の中の蛆虫=寄生虫から悪意や野心をあまり感じないところは他作品と違うところです。むしろ、人間同士の交換可能性に恐怖を感じる作品と言えるでしょう。

 

 

フィッツ=ジェイムズ・オブライエン「なくした部屋」

 

 こちらは今までに取り上げてきたものとは違って幻想文学になります。主人公が間借りしている部屋を乗っ取ってしまう人たちも人間ではない妖怪や悪霊の類いのように描かれ、どこか全体的にファンタジックな雰囲気です。では、あまり現実的ではなくて怖くない話なのかと言うとそんなことはありません。むしろ、自分の家を失ってしまったことの切実な怖さという点では突出している作品です。

 

 

ミルドレッド・クリンガーマン「赤い心臓と青い薔薇」

 
 この作品で標的とされるのは家族です。いつの間にか家族の中に入り込んでくる侵入者のことは薄気味悪いとしか言いようがないです。乗っ取るだけでは飽き足らずに、その家で暮らす人々の精神をめちゃくちゃに破壊してしまう陰湿な悪が描かれています。被害者側の精神的均衡が崩れいくニューロティックな恐怖が見所です。

 

 

クリスチアナ・ブランド「この家に祝福あれ」

 
 侵入者たちは得てして魅力的でありながらも不気味な存在であることが多いですが、この話においてはいっそ神聖さを感じるほどに純粋で美しい存在に見えます。だからこそ、恐ろしい落差に愕然とする作品です。

何かの漫画26選

 

 蔵書整理をしていたら懐かしい漫画が色々でてきたので、適当にカテゴライズして26選つくりました。本当は100選を作るつもりでしたが面倒でした。

 というわけで、オールタイムベストではないですがいってみましょう!

 

・異種共生の漫画4選

 

1.田中雄一田中雄一作品種 まちあわせ』(講談社
2.小川幸辰エンブリヲ』(講談社
3.久井諒子『竜の学校は山の上』収録「進学天使」(イースト・プレス
4.ねこぢるねこぢるせんべい』収録「ねこざる戦争」(集英社

 

1.異形の生物と人類の間に生じる闘争と共存を描いたSF短篇集。未知の生物と接した人間の恐怖を生々しく描くことに長けている作品であり、異生物から攻撃されることの身体的恐怖にとどまらず、理解できない存在に相対した時の心理的恐怖を読者に伝えることに成功している。


2.虫の子供を宿す少女が巻き起こすパニックホラー。パニックものの原理原則を押さえ、適度なエログロを盛り込みつつも、主人公の少女にどこか爽やかな感じを受けるのが独特の味である。虫の子供を出産するシーンはグロテスクでありながらどこか神話的で荘厳な雰囲気に満ちている。ちなみに作者は別名でロリエロ漫画を描いている。

 

3.久井諒子は同人作家時代から繰り返し亜人との共生をテーマにしているが、特に本作は、もし天使のような有翼人がいたらというIFだけで終わるのではなく、そこから生まれる切ない青春ドラマに昇華しているのが秀逸である。

 

4.共存していたネコとサルがどちらかの一族が根絶やしになるまでの戦争に発展する話。ねこぢるは一貫して主張している。他者と同じ世界で暮らす以上は、まともな人間ほど狂気に陥らざる得ないことを。私たちもにゃーこやにゃっ太のように生きられねば狂うのみかもしれない。

 

 

 

 

エンブリヲ 1

エンブリヲ 1

 

 

 

竜の学校は山の上

竜の学校は山の上

 

 

 

ねこぢるせんべい (愛蔵版コミックス)

ねこぢるせんべい (愛蔵版コミックス)

  • 作者:ねこぢる
  • 発売日: 1998/08/20
  • メディア: コミック
 

 

・実録の漫画2選


5.道草晴子『みちくさ日記』(リイド社
6.永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』(イースト・プレス

 

5.13歳で漫画デビューするも精神科病院に入院することになった著者の半生を描く圧倒的密度の実録漫画。マジックで書きなぐったかのような四コマ漫画であるが、本作にはその時々の著者の心情がはっきり伝わる確かな技術があり、重い話をそう感じさせず読ませることに成功している。


6.レズ風俗のレポと言いつつ、実態は生きづらさを抱えた女性のエッセイ漫画である。こういった手合いの漫画は困難的状況から脱した後に懐古的手法で描かれるものが多いが、著者が未だ困難の中でもがき続けていることが伝わるところに妙な迫力があり、回顧録がメインであった実録漫画に、独特なドライブ感を持ちこんだことは革命であるかもしれない。

 

みちくさ日記 (トーチコミックス)

みちくさ日記 (トーチコミックス)

 

 

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

・陰鬱になる漫画3選


7.小田ひで次『夢の空地』(飛鳥新社
8.円山みやこ『蟲笛』(青林工藝舎
9.吾妻ひでお『夜の魚』(大田出版)

 

7.本作はホッとするような作風だったファンタジー『クーの世界』に対する正統続編でありながら、前作の感動をひっくり返すような陰鬱さが驚きの作品。ク―という女子中学生が夢の中で死んだ兄と似た青年と旅をすることで心の喪失を埋めていくという前作にしても、思春期の恋愛やいじめといった不穏な要素も多分に含まれていたが、その続編として作られた本作はファンタジー要素をなくし、その不穏で陰鬱な部分をより発展させている。特に様々な問題を抱えてはいるが素直で透明感のあった少女が、大学生になって講師と不倫関係に至り爛れた生活を送っている様子や、夢世界での冒険が精神病から生じる妄想であったかのように扱われていることは衝撃的である。しかし、この陰鬱さはファンタジー要素を現実から逃避する手段ではなく、現実を直視するための武器だとする真摯な態度だと評価したい。


8.本作がなんと言っても目を引く部分は、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「新潟少女監禁事件」など時代を代表するような凶悪事件を題材にしていることだろう。こういったセンセーショナルな事件を扱う場合、恐ろしい犯人たちがどういう歪んだ人間だったかということに視点が置かれがちである。しかし、本作は徹底して被害者、もしくは事件を見過ごした凡庸な市民の視点を通して描かれるため、露悪的なエンタメでは絶対に成し得ない絶望感を余韻として残すことになる。本当の意味で被害者の立場から凶悪事件を描くことは、ここまで危険な表現なのだと私たちは気付かされる。


9.大田COMICS芸術漫画叢書という完全に大塚英志の趣味で作られた謎の叢書の第一回配本である。『失踪日記』では悲壮な現実を明るくポップにも見えるようにも描いていたが、そこに至るまでの自閉的精神状態を描いている。エッセイ漫画のようでもありながら、私小説的なアート漫画にも思える。どうにも煮え切らない生々しさが本作の味であり、どこか気味の悪さを感じさせる。

 

夢の空地

夢の空地

 

 

 

蟲笛

蟲笛

 

 

 

 

・姉、あるいは妹の漫画6選


10.富沢ひとし『プロペラ天国』(集英社
11.ルネッサンス吉田『あんたさぁ、』(小学館
12.宮崎夏次系『夕方までに帰るよ』(講談社
13.華倫変『カリクラ②』収録「テレフォンSEX」(講談社
14.西村ツチカ『かわいそうな真弓さん』(徳間書店
15.大田モアレ『鉄風』(講談社

 

10.「私の姉は出来が悪い」という印象的なモノローグではじまる本作は、「合成人間」と呼ばれる新人類的存在が共存する世界で、「恋愛探偵組」を結成した姉妹が合成人間絡みの事件を解決していくという物語である。少女漫画的とも萌え漫画的とも微妙に違う独特な愛らしさを持つ少女キャラクターや、最終的には何やらよくわからない観念的でSF的な解決を迎えるという点においては、『エイリアン9』以降の富沢ひとしの典型的な作風であると言えるだろう。しかし、本作が特に優れている理由は、「姉:妹」というミクロの関係性が、そのまま「合成人間:普通人間」という物語上のマクロな関係性に対照していることである。姉は妹よりも偉いのだから姉は妹に対して支配的な影響力を持つが、それは一面に過ぎず、妹も主体的に行動することで姉に影響を与え続けているのである。その姉妹の関係性が合成人間と普通人間の闘争を打ち破ると可能性を感じさせて物語は閉じる。


11.「われといふ時計は疾うに停止して」、ここでいう停止した時計とは姉のことである。時間が止まってしまった姉は漫画を描いたり売春をしたりして暮らしつつ、弟と過ごしたとりとめもない思い出を溢れださせる。これはそんな漫画である。姉弟は止まった時間の中で何を語るのか。時間は前に進むだけではない心地よい諦観の姉漫画である。止まった時間というのは、姉漫画において最も重要で頻出するテーマではあるが、それだけで一本の長編漫画に仕立てあげてしまうのは凄まじい。


12.新興宗教にハマってしまった両親のことを相談しようと、久しぶりに主人公は姉に会いに行くのだが、姉はひきこもりになっていて……。短編だけではなくて長編をやらせても夏次系はすごいと世間に認めさせたわけだが、姉漫画に対する理解度も常人をはるかに越えている。なぜといって、この漫画ではほとんど姉が出てこないのである。終盤になってやっと姿を現すことは現すが、彼女はダンボールを頭から被ったままなので、私たちは姉がどんな顔をしているのかすら知ることはない。それでも漫画の1コマ、1ページの隅々から姉の声が聞こえるし、姉の存在を感じるのである。こんな漫画はたぶん他にない。


13.華倫変は苦界、つまりは売春をテーマにした話を執拗に描く、タイトルを見れば明らかなように本作はテレクラを題材にしている。姉が夜になると頻繁に電話をしていることに疑問を抱いた弟は、姉の身辺を調査しはじめる。弟の立場から見た姉の清廉さが、かえって苦界の闇を想像させる。姉はどこか影があってミステリアスであればあるほどいい。


14.「今日から真弓おばさんは…真弓姉ちゃんに変わります」年をとる程に若返っていく真弓さんは、登場時は主人公よりお姉さんで、そのうちに同い年になり、年下の妹になっていくことになる。姉は時間が固定されていることこそが特徴であったはずなので、真弓さんの時間は私たちが追いつけないスピードで流れていく。これは姉漫画だと言えるのか、姉漫画の開いてはいけない扉を開いてしまったのかもしれない。


15.リアルな女子総合格闘技漫画という点において、本作はそれだけでも充分にオリジナルな作品(つまり「バキ」シリーズなどに見られるようなファンタジックな格闘描写は欠片もないというところがかえって魅力的)ではあるのだが、何を隠そう本作は妹漫画なのだ。今まで見てきた姉漫画の鏡像と言ってもいい。主人公は「妹」であり、彼女が総合格闘技に打ち込む動機は時間の止まってしまった「兄」の存在に支配されている。姉をよく知るためには、妹のこともよく知らなければならないだろう。

 

プロペラ天国

プロペラ天国

 

 

 

 

 

 

 

カリクラ 華倫変倶楽部 下

カリクラ 華倫変倶楽部 下

 

 

 

かわいそうな真弓さん

かわいそうな真弓さん

 

 

 

鉄風(1) (アフタヌーンコミックス)

鉄風(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

・夢の漫画3選


16.真柴真夢喰見聞』(スクウェア・エニックス
17.福島聡『DAY DREAM BELIEVER again』(KADOKAWA
18.原作:奥瀬サキ、漫画:目黒三吉低俗霊DAYDREAM』(KADOKAWA

 

16.「夢」を読み解くことをテーマにした漫画はよくあるものだが、本作がすごいのはその構成力とアイデアの発想力である。一話完結のスタイルで全九巻も続けたうえに毎回ちゃんと面白くて捨て回がないということは驚異的と言う他ない。


17.18.夢と言っても寝ている時に限るものではなく起きている時にみるものもある。デイドリーム(白昼夢)の名を冠する二つの漫画は間違いなく、起きている時にみる夢の恐ろしさを確実にとらえて、私たち読者を離さない。

 

 

 

DAY DREAM BELIEVER again 1 (HARTA COMIX)

DAY DREAM BELIEVER again 1 (HARTA COMIX)

 

 

 

 

・ミステリの漫画5選


19.早見純『性なる死想』収録「激痛100%」(久保書店
20.諸星大二郎『ぼくとフリオと校庭で』収録「黒石島殺人事件」(双葉社
21.藤田和日郎『夜の歌』収録「夜に散歩しないかね」(小学館
22.呪みちる『青色の悪魔円盤』収録「侏儒―リューゲル―」(ソフトマジック

 

19.ミステリ読みにはどんでん返しを何よりも好む傾向がある。そのどんでん返しがごく単純な仕掛けであり、その単純さゆえに誰もが騙され世界がひっくり返るようなものが至高だろう。早見純の成人向け漫画は、猥雑で猟奇的でありながらどこが詩情を備えている。それゆえ、何かが間違った時、突然変異的にミステリ短篇が発生するのだ。同書収録の「のど奥深く」もミステリなので読もう。


20.ミステリというジャンルは、たいてい物語の序盤に殺人事件が起こって、そこからは誰がどうやってなぜ殺したのか、トリックやロジックを駆使した喧々諤々の議論の末に解き明かしていくわけだが、その過程で事件の主役であるはずの死体(被害者)は背景になって脇に追いやられてしまうことが少なくない。この短篇はまさにその点を痛烈に皮肉っている。


21.ミステリに期待するものがすべて詰まっている。すべてとは、幽玄、猟奇性、薄幸の美少女、異常者の探偵、犯人の異常な心理、大掛かりな物理トリックなどのことだ。


22.昔、本格ミステリ作家の蘇部健一は「一目瞭然の本格ミステリ」を目指し、イラストレーションを多用した『動かぬ証拠』などの諸作品をつくった。その完成形とも言えるのが本作である。

 

純の魂

純の魂

 

 

 

 

 

 

 

 


・学校の漫画3選


23.奥田亜紀子『ぷらせぼくらぶ』収録「放課後の友達」(小学館
24.深山はな『一端の子』収録「あろえなあなた」(秋田書店
25.阿部共実『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々』収録「がんばれメガネ」(秋田書店
26.著者:背川昇、監修:般若/R-指定『キャッチャー・イン・ザ・ライム』(小学館

 

23.学校とは日本で生きている大多数の人が経験したことのある地獄なので、誰もが懐かしさを感じることができる。奥田亜紀子はそうした懐かしい地獄を、私たちとつなぎ止めておくことが圧倒的にうまい作家である。この話で登場する土屋くんは二頭身の明らかに漫画キャラなんだけれど、僕はなんかこいつとは昔の友達だった気がしてくるのだ。


24.何年間も同じ人間と同じ場所で顔をあわせていると段々とその人のことが当たり間にわかったつもりになっていくのだけれど、実のところ全然わかっていないし、その人は学校の外ではまた別の顔をしているという話。学校での出来事は人生の全てを支配していると感じることもあるけれど、あくまで人生の「一端」でしかないのだ。


25.と、言ったそばから、卒業してからもずーっと学校の思い出に支配されているメガネの話。またこれも人生の真実なので。


26.学校と言えば部活。部活漫画はリーダビリティーを高めるために大きな目標(大会優勝、ライバル校打倒……)を定めることが多い。しかし、本作にはこれといったものがない。登場人物たちの活動は、成功のための努力というよりも自己実現のための修行になっている。あと、日本のスラム街として団地が出て来るのがよい。いつか団地漫画10選をつくりたいと思う。

 

 

ぷらせぼくらぶ (IKKI COMIX)

ぷらせぼくらぶ (IKKI COMIX)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アクタージュ act-age』はなぜ本格ミステリなのか

 皆さまは現在『週刊少年ジャンプ』で絶賛連載中の役者バトル漫画であるところの『アクタージュ act-age』をご存じでしょうか。私は週刊少年ジャンプを愛読しておりまして、つい最近アクタージュの「scene115. 必勝」を読んで「アクタージュは本格ミステリである」という結論に達しました。しかし、その意見をツイッターでつぶやいたとたんに、知人からは「意味不」「世界中でアクタージュを本格ミステリだと思っているのはお前だけ」などと多数のお叱りを受けてしまいました。

 
 したがいまして、なぜ私が「アクタージュは本格ミステリである」と考えるようになったのかについて書き記しておこうと思います。
 ではさっそく本題に進みたいところですが、その前に以下の注意点をご確認いただいてから読み進めるようお願いします。

① ここから先はアクタージュのネタバレが多分に含まれおり、読んでいることを前提に書いています。単行本派の方は読まない方がいいでしょう。


⓶ ここはアクタージュが本格ミステリかどうかを検討する場であり、本格ミステリとは何かについて統一見解を出すことを目的にしていませんのでご理解ください。

 

 

 

 

 アクタージュは本格ミステリである、もっと正確に言えば「scene115. 必勝」が本格ミステリである、と私は確信していますが、賛同者が少ないことは想像がつきます。

 予想される反対意見としては、「そもそも事件も何も起こっていないので、物語上に解かれるべき謎が存在しない。つまり、謎が提示され論理的に解明されるという本格ミステリの基本的な様式を備えていない」ということになるでしょうか。たしかに、アクタージュの作中では殺人事件が起こっているわけでもないですし、名探偵がでてくるわけでもありません。大河ドラマのオーディションが行われているだけです。

 しかし、読者に対して謎が投げかけられている作品だと思います。本格ミステリとは、作者と読者間に生じる一種の知的遊戯であるという考え方を受け入れるのであれば、読者に対して謎が提示されていれば充分に本格ミステリだと言えるわけです。

 ここまでのところに納得していただいたとしても、「ちょっと待ってくれ。読者に対して投げかけられた謎なんてあったのか?」という反論がありそうです。「アクタージュでの謎とは何のことだ? フーダニットか、ハウダニットか、ホワイダニットか、何もないじゃないか」というわけです。

 実のところ、「scene115. 必勝」は、それらのどれでもなくホワットダニット作品だと私は考えています。ホワットダニットというのも使う人によって意味の違う言葉なので注意が必要ですが、私は島田荘司先生の考えを参考にして、19世紀半ばの人たちがはじめて「モルグ街の殺人」を読んだ時のような何を読まされているのかもわからないようなミステリ、フーダニット・ハウダニットホワイダニットが未分化のミステリだと捉えています。つまり、ミステリ小説というジャンルすら存在しなかった時代の人間が「モルグ街の殺人」を読んだ時と同じように、現代の私たちはアクタージュを読んで「これはどういう物語なんだろう」というふうに考えさせられるわけです。

 とはいえ、私たちは19世紀半ばの人間ではないのでミステリがどういうものなのか、多少は知っています。ホワットダニットが、フーダニット・ハウダニットホワイダニットの未分化の謎、あるいは不可分なほどに複合された謎であると考えるとしても、ある程度まで切り分けて考えることは可能でしょう。「モルグ街の殺人」にしても、誰が犯人なのか(フーダニット)、どうやって密室で殺人を犯したのか(ハウダニット)、そもそも動機はなんなのか(ホワイダニット)というふうに細分化して認識することは可能です。

 「scene115. 必勝」の場合は、オーディション会場に現れた無名の新人とは誰なのか(フーダニット)、無名の新人が夜凪景だとすれば、どうやって他の受験者に気付かれずに済んでいるのか、メソッド演技を使う夜凪は自分の過去の経験をもとに演技するか他人から感情を教えてもらわないと演技ができないはずなのに全く別人の演技をどうやって可能にしているのか(ハウダニット)、そもそもオーディションで別人を演じる理由はなんなのか(ホワイダニット)ということになります。ただ一つの作品に、フー・ハウ・ホワイが盛り込まれているというだけのことではありません。その三つの謎が不可分なほどに絡みあい、むしろ謎が別の謎を補強しあっている作品がアクタージュなのです。
 例えば、「オーディション会場に現れた無名の新人とは誰なのか(フーダニット)」という謎に対しては、無名の新人は主人公の夜凪であると予想がついていた人は多いでしょう。

 しかし、確信を持つことは困難なはずです。なぜならば、「どうやって他の受験者に気付かれずに済んでいるのか、メソッド演技を使う夜凪は自分の過去の経験をもとに演技するか他人から感情を教えてもらわないと演技ができないはずなのに全く別人の演技をどうやって可能にしているのか(ハウダニット)」という部分に説明がつかないからです。ついさっきまでオーディションの待合室で隣に座っていたのに、髪をくくって眼鏡をかけた変装だけで正体を見破れないのは不自然です。ではなぜ、他の受験者が夜凪の存在に気がつかなかったのかと言えば、それは変装ではなく演技だったからです。演技によって別人を完全にトレースしていたので気がつけなかった。

 さらに「そもそもオーディションで別人を演じる理由はなんなのか(ホワイダニット)」が真相に近づくことを邪魔します。これらの謎は一つ一つ解いていこうとすると、他の謎が邪魔になって解くことができないようになっています。

 ホワットダニットの目線で何が起こっているのかということを考えなければ完全解答に至ることはできないわけです。


 皆さまもアクタージュが本格ミステリであることにご納得いただけたでしょうか。ちなみに、「scene115. 必勝」はいわば問題編であり、「scene116. もっと」が解決編になっております。ぜひ解決編も読みこんでいただき、アクタージュが本格ミステリであると改めて確信していただければ幸いです。ご静聴ありがとうございました。

村映画7選

 「私も自然由来の成分を摂取してハッピーになりたい」

 「アットホームな村人たちと踊り狂ってストレス発散したい」

 そんな衝動に駆られることってよくありますよね。とはいえ、自然豊かな村が出身の友達が都合よくいるわけもないと思います。そういう時は、せめて映画で疑似体験をしようというわけで、独断と偏見による村映画7選をここに公開します。

 

 村映画とはいったい何なのか? 

 その疑問に答えるすべを私は持ちませんが、村映画に特有の要素をいくつかご紹介しましょう。


◆〈脱出不能の恐怖〉村は他の世界から完全ではないにしても隔離されており、

 主人公は村から逃げ出すことには大変な困難を伴います。

◆〈異常な村人、あるいは監視の恐怖〉村人は異常な習慣や常識にとらわれており、

 異物である主人公を監視しています。

◆〈超自然的な存在の介入〉村には独自の宗教や伝説があり、超自然的な存在が

 影響力を持っています。

◆〈理性と道徳の敗北〉村では理性と道徳は役に立ちません。

◆〈暴力の勝利〉村において暴力はあらゆる手段に優先します。

◆〈錯綜した親族関係〉狭いコミューンでは親族関係が大きな意味を持ちます。

 そして、時に近親相姦も行われます。

◆〈悲劇的な破壊〉村は最終的によく燃えます。

 

 


1.『ウィンターズ・ボーン』(2011年)デブラ・グラニック監督


 人間が生活するのに向いてなさそうな山奥の寒村、それはヒルビリーと呼ばれるスコットランドアメリカ人のコミューンで、独自の「おきて」がアメリカの法よりも重視されている世界です。

 主人公は、その村でぎりぎりの生活を強いられている17歳の少女リーです。父親は覚せい剤の密造で逮捕され、母親は精神を病んで介護が必要な状態に陥っています。親が保護者の役割を果たすことができないのならば、残された子供たちが助け合って生きていくことになりますが、弟妹はまだまだ幼く、実質的にリーが一人で生活を支えることになります。

 そして、さらに悪いことには保釈中の父親が失踪したせいで住む家さえも没収されそうになるのです。不幸の連続にもめげず、リーは自分たちの家を守るために父親の行方を捜すことにするのですが。

 

 そもそもこの村というのが農耕と狩りだけでは食っていけないので、覚せい剤の製造が地域の産業になっているらしく、治安も最悪、貧しすぎるがゆえに氏族制度が根強く残っているという救いのない状況が背景としてあります。

 日本人にはあまり馴染みのないアメリカの暗部が描かれた映画と言えるでしょう。

 

 というわけで、かなりハードな映画なのですが、驚くべきことに当時のマーケティングでは「少女の成長と希望の物語」なんて言われていたようです。本編にはこれといった成長も希望もありませんので、これからみる人はご注意ください。

 大人たちから謂れのない責任を負わされ、国からは何の助けも得られず、保護すべき弟と妹がいるせいで問題を投げ出すこともできないし、村の「おきて」に縛られて行動も起こせない、そんな状況でも最後まであがき続ける少女、この映画にはそうした絶望的状況しかありません。

 しかし、村映画にそれ以上のものは必要ないのです。村映画から「成長」とかいうメッセージを受け取ろうとするのはやめましょう。

 


2.『ウィッカーマン』(1973年)ロビン・ハーディ監督


 スコットランド警察の中年巡査部長ハウイーは、ヘブリディーズ諸島の孤島で行方不明になった少女ローワン・モリソンを探してほしいと依頼を受けます。

 厳格なキリスト教徒であるハウイーは、この島がキリスト教ではなくケルトペイガニズムに支配されていることを早々に見抜きます。

 そして、行方不明の少女は「五月祭」の生贄にされてしまうのではないかと考えたハウイーは単身で奇祭の中に潜入するのですが……。

 『ミッドサマー』の元ネタの一つになります。元ネタと言っても、そのままそっくりではなくて、むしろ逆様の構図に仕立ててあるところが多いです。見比べてみると面白いと思います。

 村映画、カルト映画、ペイガニズム映画の傑作として様々な作品にリスペクトされている本作ですが、独自の魅力としては捜査パートの面白さあげられると思います。

 捜査といっても刑事のアクションや推理があるわけではなく、わりと行き当たりばったりで村民から聞き取りをしているだけなのに面白いのです。つまり、変な村人の話を聞いているだけで面白いという村映画のプリミティブな魅力を伝えている映画と言えるでしょう。

 


3.『呪われたジェシカ』(1971年)ジョン・ハンコック監督


 精神病を患っていたジェシカは療養のため、田舎町へ夫とその友人の三人で引っ越すことにします。到着早々、屋敷の中に見知らぬ少女エミリーが無断で住みついていたというトラブルがありましたが、ジェシカたちは追い出さずに四人で奇妙な共同生活をはじめます。

 夫と友人は農業をはじめて田舎町での生活を軌道に乗せようとしますが、一方で彼女は様々な怪現象や村人たちの奇妙な行動に苦しめられるようになっていきます。

 ニューロティック村ホラー映画。

 幽霊も怪物も出てこないし血もほとんど流れないので一見すると地味ですが、村にただよう不気味な空気感の演出にはみるべきものがあります。正気と狂気のはざまを揺れ動く主人公の内面に迫った映像は、村という舞台が恐怖を増大させる巨大な装置であると私たちに改めて気付かせてくれます。

 


4.『柔らかい殻』(1992年)フィリップ・リドリー監督


 1950年代、アイダホの農村で暮らす少年セス。

 ある日、彼は同じ村に住む未亡人ドルフィンの家を訪れます。いつも黒づくめで生気を欠いた彼女のことを少年は不信に思い、何気ない冗談をきっかけとして彼女が吸血鬼であると思い込むようになります。

 一方で、子供が犠牲者になった連続殺人が起こるようになり、村人や保安官は小児性愛者として前科のある主人公の父親に疑惑の目を向けるようになります。

 この村の大人たちはどこか傷ついて過去に囚われた人間ばかりです。主人公セスは無垢であるが故にそれを理解できません。理解できないことに対して、彼は「吸血鬼」や「天使」という概念によって自分が理解できる世界観を作っていきます。

 本作は非常に暗示的な村映画です。

 原題は「THE REFLECTING SKIN」ですが、冒頭で主人公のセスがカエルの尻に空気を送り込んで膨らませるところがまさにタイトル通りです。このカエルのゴム毬のような反発する肌がまさに「THE REFLECTING SKIN」なのであり、このカエルが最後には爆発してしまうところが映画全体の展開を暗示しています。

 実際、セスはカエルを爆発させたように、自分を包み守っていた「村」という「柔らかい殻」を爆発してしまいます。少年が大人になるためには殻を割るしかありませんが、村が壊れた時、彼はどうなってしまうのでしょうか。そこがまさに本作の見所です。

 


5.『私はゾンビと歩いた!』(1943年)ジャック・ターナー監督


 看護師のベッツィは西インド諸島セント・セバスチャン島の農園に派遣されます。

 彼女の仕事は雇い主のポール・ホランドの病に臥せっている妻ジェシカの看病であり、ジェシカは熱病の後遺症で意志のない夢遊病者のようになっていたのです。

 ベッツィは、なんとかジェシカの治療をしたいと考え、現地人から聞いた病気を治すブードゥの司祭を訪ねることにしたのですが、寺院では異様な風貌のゾンビが番人をしていました。

 ゾンビ村映画。

 色ものにしか見えないタイトルですが、黒沢清監督も認めるホラー描写、複雑に入り組んだプロット、全編にわたって妙な緊張感と高揚感に溢れた作品です。

 一言で説明するのが難しい本作ですが、当時のアメリカでは大ヒットしたそうなので、アメリカという国はやっぱり変な国だと思わずにいられません。

 また、本作は村映画という評価軸においても独特な位置を占めています。それは舞台が農園であるということに起因します。

 つまり、一つの村のように見えて、農園の経営者である白人の村と奴隷である黒人の村、二つの全く違う仕組みによって動いている村が重なりあった世界なのです。そして、その二つの村をゾンビという存在がつないでしまったところにドラマが起きます。何を言っているのかわからないかもしれませんが、本当にそういう映画なんです。

 


6.『トールマン』(2012年)パスカル・ロジェ監督


 ある寂れた炭鉱町コールド・ロックでは幼児失踪事件が頻発しており、事件の背後にはトールマンと呼ばれる怪人の存在が噂されていました。

 そんな状況の中で看護婦として働きながら子供を育てるジェニーは、ある晩、何者かによって子供を連れ去られてしまいます。傷だらけになりながらも子供を取り返そうと誘拐犯を追跡するジェニーでしたが、町の住人たちの様子には不審な点があり、彼女の疑惑は深まっていくことになります。

 本作の見所は、世界から見捨てられたような炭鉱の村で起こった都市伝説的怪事件が、あるどんでん返しを境にして、世界中を揺るがしかねない大きな構図に発展していくところにあります。そして、その飛躍の根本にあるのが、一人の女性が持つ狂信ともいうべき信仰なのです。

 つまり、これはセカイ系村映画なのかもしれません。ある女性の信仰と村という小さな関係性が、中間に具体的な過程を挟むことなく、世界的な大問題に接続してしまうのです。どうしたらそんなことが可能になるのかは自分の目で確かめましょう。

 


7.『わらの犬』(1971年)サム・ペキンパー監督


 数学者デイヴィット・サムナーは、妻のエイミーを連れて都会の喧騒を逃れ、妻の地元であるイギリスの田舎に引っ越します。

 ここから長閑な田舎生活を再スタートと思っていたのもつかの間、村の若者たちはデイヴィットのことを完全に舐めきっていて馬鹿にするようになります。さらに、子供っぽくて無防備なところのある妻を性的な意味で狙っているのです。それからは嘲笑を浴び、陰湿な嫌がらせを受ける地獄の毎日、当然夫婦仲もぎくしゃくしはじめます。

 そんなある日、精神薄弱者のヘンリーを車でひいてしまったために家でかくまうことになります。一方で村の若者たちは徒党を組んでデイヴィットの家に乗り込んでヘンリーを連れ出す算段をしていたのです。

 最胸糞村映画。都会の暴力から逃げてきた若い夫婦を襲う嘲笑と暴力。

 具体的なことはネタバレになるので避けますが、陰湿で人を馬鹿にしきっている村人による荒々しい暴力をみることができます。
 村映画で最も恐ろしい瞬間とはなんでしょうか。

 怒り狂った村人に追い立てられて私刑にされることでしょうか。それとも、村の怪しげな宗教的儀式に担ぎあげられることですか。村にはびこるゾンビや吸血鬼、悪霊、連続殺人犯に命を狙われることでしょうか。いいえ、どれも違います。

 野蛮なことには関わらずに生きてきた私やあなたが暴力によって変わってしまう瞬間こそが本当の恐怖です。本作はまさにその瞬間をしっかりと私たちに見せてくれます。村映画にはそれくらいの魔力があるものなのです。

 


+α おしくも選外になったものたち


『ヴィレッジ』(2004年)M・ナイト・シャマラン監督
貴重な本格ミステリ村映画。しかし、致命的につまらない。

 

『哭声/コクソン』(2017年)ナ・ホンジン監督
仲間を集めて山狩りに行くのは村映画らしかったけど。

 

地獄の門』(1980年)ルチオ・フルチ監督
ゴア描写は凄いけど村である必然性が薄い。

 

ドッグヴィル』(2004年)ラース・フォン・トリアー監督
アリ・アスター監督もカタルシスへの持っていき方で参考にしたそうですね。
鑑賞に体力を使うので今回は見送り。

 

 

 

 

 

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逆様の悲劇――『ヘレディタリ―/継承』についての遅すぎる感想


これはまごうかたなく純粋無垢の地獄の心情を描いた作品だと考える。
(『地獄のメルヘン』笠原伸夫 編、現代思潮社、1986年)


 「現代ホラーの頂点」とかいう怪しげな触れ込みでやってきた『ヘレディタリ―/継承』ですが、実際のところ、鑑賞後には何か悪いものに取り憑かれたような感覚がしばらくまとわりつき、目をつぶればトニ・コレットの顔が浮かび上がってくる怪作でありました。といっても、そろそろ記憶も薄れはじめていたのですが、近頃の某ビデオレンタル店で頻繁に予告が流れているのでまたフラッシュバックに悩まされるようになりました。アリ・アスター監督の新作も控えているということなので、厄落としのつもりで感想をどこかに残しておこうと思ったしだいです。感想というよりも、どうして近年のホラー映画の中でこの作品が突出して印象に残ったのか、その理由についてちょっと考えをまとめてみたと言った方が正確かもしれません。
ここから先は、視聴していることが前提で話が進みますし、なぜか関係のない三島由紀夫「真夏の死」のネタバレも行っているのでご理解のうえ読み進むようお願いします。

 

 

 本作が面白い理由を家族劇であるとか伏線回収芸のようなもので説明しようとする試みは、すでにあちこちで繰り返されているので、その辺のことはうっちゃります。私が問題にしたいのは、オカルトホラーとしてみれば作中で起こる出来事は伝統にそっているのに、どうしてこんなに新鮮な感じを受けるのかということです。家族が不可解な理由で不幸な目にあったり、変な宗教団体が暗躍したりすること自体はオカルトホラーでは普通のことです。にもかかわらず鑑賞後の私には何か全く今までとは違うものに触れたという感覚がありました。それは不思議なことですが、この映画が普通の構成とは逆様に物語が進行していたからじゃないかというのが、今のところの私の結論です。
 逆様に物語が進行するとはどういう状態のことかと言いますと、それをわかりやすく体現しているのが、三島由紀夫の「真夏の死」だと思います。この短篇とよくわからないホラー映画を結びつけたのは、たぶん私の脳が起したバグなんですが、バグにも何か意味があると信じたい。
 とにかく、この短篇はたいへんよいものなので皆さんも読んでみてください。三島は自作解説でこの短篇の狙いを次のように説明しています。
「これがギリシア劇なら、最後の一行からはじまって、冒頭の破局を結末とすべきである」「即ち、普通の小説ならラストに来るべき悲劇がはじめに極限的な形で示され、〈中略〉癒えきったのちのおそるべき空虚から、いかにしてふたたび宿命の到来を要請するか、というのが一編の主題である」
 これは、伊豆今井浜で実際に起こった事件を題にとったお話だそうで、はじめに馬鹿馬鹿しいような事故が起こることで平凡な生活に亀裂が入り、そこからは地獄の心情としかいいようのないものがじわじわと描かれる構成になっています。最も決定的な悲劇が冒頭に起こってしまって、そこから先は何も出来事らしい出来事は起こらずに物語は進んでいく、それでも最後の一行に向けて物語の緊張感は否応なく高まっていくというわけです。そして、このお話はラストで運命としか言いようのない地点にたどりついてしまいます。
 『ヘレディタリー/継承』も破滅的な事故が起こってしまってからの地獄の日々が滋味に富んだ作品でありましたが、単にそういった類似点があるというだけのことが言いたいのではなくて、その類似性こそ、この映画が意外性と悲劇的運命を両立させるためにたくらんだ構造の正体なのではないかということです。油断してみていると、チャーリーの死を単なるサプライズとして評価してしまいがちですが、そこからが逆様のはじまりです。本来はクライマックスに持ってくるべき破局を序盤に配置することで、その後の展開を予想のできないものにして、なおかつ通常の物語を逆様に進行することで変えられない運命ということも同時に表現してみせたのです。本来、意外性を保ちつつ悲劇的運命に至ることは困難です。なぜなら、意外性を保つということは観客の予想を常に裏切り続けなければなりませんが、運命は定められた不可避のものであるため、予想外のことは起こらないのです。特に今回は死んだ祖母という明確に運命を操っている存在が示されているので、さらに困難になるはずです。しかし、運命が逆様に流れていくとすればどうでしょう。通常とは違う順番に事件が起こることに【意外性】が生まれ、逆様に同じ道を辿っているだけなので【悲劇的運命】から逃れられないのも自明なのです。
我々はすぐに気がつくべきでした。どうしてミステリアスで不思議パワーを秘めた少女が真っ先に死ぬんでしょうか。最初に死ぬべきは、将来の夢も希望もなくて女の尻を眺めるのが趣味の無気力人間の方であるべきです。つまり、普通のホラー映画であれば、ピーターが生贄にされることで悪魔が降臨し、母親は孤軍奮闘で家族を守ろうとするが、ミステリアスな少女が悲劇的な破滅を迎えるという流れを辿るべきではなかろうかということです。しかし、実際には逆様にことは起こりました。
 比較的記憶に新しい映画だと『キャビン』もホラー映画の定石から死ぬ順番をずらしていくことで意外性を演出していました。あれも【意外性】と【世界のルールに抗う】ということが同時に表現できていて素晴らしかったですね。
 ここまで書いて思ったのですが、「真夏の死」の話は要りましたかね?