本記事は、2026年1月に文学フリマ京都にて初頒布された『ストレンジ・フィクションズ vol.5 特集:アニメの中を語りたい』に収録された拙稿の再録です。
今年度中には電子版がでると思うので(たぶん、きっと、おそらく……)、その際はよろしくお願いします。
(特に、川西ノブヒロ先生、矢部嵩先生によるアニメエッセイは必読の面白さです。)
拙稿も2025年1月時点の情報をもとにした記事ですので、その点はご留意いただけますと幸いです。
一九八〇年代の「週間少年サンデー」とラブコメの誕生
マンガを読んでいると想像力がひとりでに働きはじめ、別のマンガ作品と結びつきながらある種の直感的な絵解きをもたらすことがある。こうしたひらめきを捨ておくのではなく、むしろ積極的に注意を向けることで、何か新事実が見えてくることもあるはずだ。
「ゲッサン」*1にて山本崇一朗の新連載『マネマネにちにち』がはじまり、二〇二五年三月には単行本一巻が発行された。
ある高校の硬式野球部を舞台とし、「モテそうだから」という不純な理由でマネージャーになった渚茜、ギャルっぽい見た目だが純粋に野球が好きな一ノ瀬かりな、彼氏が野球部員だったのでマネージャーになった姫宮ユキ、三者三様の日常を描いた作品である。前作『それでも歩は寄せてくる』などに比べると、ラブコメの「ラブ」よりも「コメディ」が前面に出た作風であり、日常モノのような手触りがある作品となっている。
さて、サンデー系列で「高校野球」と「ラブコメ」と言えば、まず思い浮かぶのは『タッチ』に代表されるあだち充作品だ。あだちも同誌上で最新作『MIX』を連載中であり、一つの誌上で新旧高校野球ラブコメが読めるわけだが、そこに便乗させてもらって、「あだち充から山本崇一朗まで」という視点で高校野球ラブコメの歴史を紐解いてみるという無謀な試みに挑戦しようと思う。
「週刊少年サンデー」の特徴として「ラブコメ路線」ということがよく言われる。サンデーの歴史で常にラブコメ作品が覇権を握っていたわけではないが*2、「サンデーと言えばラブコメ」という認識は世間一般に薄らぼんやりと共有されているはずだ。
そうした認識が生まれた理由には、一九八〇年代初頭に『タッチ』と『うる星やつら』の大ヒットでラブコメブームを巻き起こし、一九八三年には雑誌史上最大部数である二二八万部を記録した事実が大きい。まさに、サンデーの黄金期はラブコメによってもたらされたわけだ。
ラブコメマンガの歴史は、通説的な理解によると、少女マンガにおいて先行して発展したのちに、少年マンガに輸入されて一九八〇年代に爆発的な流行を起こしたとされている。七〇年代、『マーガレット』(集英社)では「ロマコメ」、『少女コミック』(小学館)では「ラブコメ」という用語がすでに一般化しており、少女と少年の間にはラブコメの普及に十年のタイムラグがあったことになる。
そこには、男子学生の間に根強くあった硬派的な価値観の影響が考えられる。六〇年代半ばになると、日本はそれまでの男女別学の教育制度を改め、男女共学の世界が生まれ、学校での恋愛が普遍的になっていった。少女マンガはそうした時代の変化にスムーズに対応したが、旧制高校文化としてのバンカラと教養主義が延命した世界に生きる男子学生たちはラブコメという形式をすぐに受け入れることはできなかったというわけだ。
まさに、ラブコメは少女マンガ誌から少年マンガ誌へと亡命することによってジャンルとして定着したことになる。そして、あだち充という漫画家の経歴そのものが、そうした動きをなぞっている。
あだち充は、一九七〇年にデラックス少年サンデーにて『消えた爆音』で漫画家デビューし、一部の編集者からはその実力を高く評価されるも、当初多く手掛けていた劇画漫画はいっこうに人気が伸びず、ついには当時のサンデー編集長から「サンデーにはいらない」と見放されることになってしまう。そこから、担当編集者のすすめもあり、少女マンガ誌に活躍の場を移し、原作者付き作品や読切を精力的に発表することで、徐々に人気を得ていくことになるのだ。一九七八年には『ナイン』で少年マンガ誌に復帰し、続く『みゆき』や『タッチ』によって大ヒットを連発する大作家となっていった。
あだち自身は当時をこう振り返る。
僕は出戻りのピッチャーですから。昔『サンデー』でストレート投げろと言われて投げれなくてですね、あっちゃこっちゃ回ってトレードに出されて。変化球覚えて『サンデー』にまた戻ってきたピッチャーですから。*3
あだちの言う「変化球」こそがラブコメという形式だった。マンガ家になりたての彼は、努力によって何かを勝ち取らねばならないという男らしさの価値観に従って、硬派な劇画マンガを描き続けた。しかし、少女マンガの世界に流れ着き、編集者たちによってラブコメの資質を見出されていくことになったのだ。
「週刊少女コミック」にて連載された『陽あたり良好‼』を担当した編集者・都築伸一郎は当時をこう振り返る。
まあ、今の知識や経験があったとしても、あだちさんと初めて会ったら、売れるとは思わないと思う。だって、当時のあだちさんには個性が感じられなかったというか、ほとんど自己主張しなかったから(中略)読切を何作も描き、描きたい物語の、描きたいキャラクターの輪郭が、徐々に色濃くなっていった。(中略)少女漫画でもあまり評価されず、読切を色々描いたことが、かえって持ち味を出していく、いい練習期間になった。*4
あだち充が少女マンガでの下積みを経ていなかったら、少年誌にラブコメが持ち込まれるのはもっと遅くなっていたかもしれない。例えでなく、もっと直接的な意味で、ラブコメは少女マンガから少年マンガへと亡命するマンガ家の手によって持ち込まれたと言えるのだ。
あだち充が描く「偽り」の高校野球
あだち充は、なぜラブコメの舞台に高校野球を選んだのだろうか。それはただの偶然ではなく、時代の要請があったのかもしれない。
まず、一九六〇年代、『巨人の星』の大ヒットによって一時代を築いた「週刊少年マガジン」の存在があった。その後塵を拝するサンデー編集部は、『巨人の星』に対抗できる野球マンガを求めていた。
あだちの初期担当の一人である武居俊樹は、当時を振り返ってこう証言する。
(あだち充を指して)こいつだよ。こいつが『サンデー』のエースになる!(中略)『巨人の星』に対抗させようと。だって、エースにしようと思ってるんだから。*5
『巨人の星』は、球界を追われた星一徹が、自身の息子・飛雄馬にスパルタ教育を課して”巨人の星”を目指す物語である。いわゆるスポ根マンガの走りともいえる作品であり、父の呪縛から逃れようとする主人公の成長を描くビルドゥングスロマンであった。
一方、あだち野球マンガの代表作である『タッチ』は、主人公・上杉達也の成長物語としての側面を残しつつも、本筋は三角関係の恋愛模様を描写することにあった。六〇年代の少年マンガの価値観から言えば、女に現を抜かすとは何事かと𠮟りつけられてもおかしくなかったはずだ。結局のところ、『タッチ』は『巨人の星』を真正面から受け止めて野球を描こうとはしなかったのだ。野球マンガというには、野球の試合がほとんど描かれず、むしろ強調されるのは普段のクラブ活動や学校生活の方であった。
ここに、あだちが自作を「変化球」とする感覚があるのではないか。
そもそも、あだち充が描く高校野球は現実から巧妙にずらされている。あだち作品における野球部は往々にして、おだやかでどこか頼りないおじさん監督に*6、軽口の絶えない練習風景が見られ、逆に坊主頭の部員はほとんど見られない。はっきり言って、これらの光景は非現実的だ。特に、八〇年代においては。
今現在においても、高校野球には軍隊式のスパルタ教育と殺伐とした部内の上下関係がつきものである。広陵高・硬式野球部にて部内の暴力事件が問題になったことは記憶に新しい。
こうした高校野球部内で頻発する暴力的指導や坊主頭の強制は、戦前の軍隊的な指導を引き継いだことが原因であると一般的には考えられてきた。しかし、中野 慧『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社、二〇二五年)によれば、事実はそう単純ではないことがわかる。中野は、むしろ戦前には学生が自主的に楽しむ環境があったことを指摘する。日本の野球史においては高校野球よりも前に大学野球があり、日本における野球とは当初、エリート大学生が中心になって楽しむためのオシャレカルチャーだった。しかしながら、学生が楽しむためにはじまったはずの野球が、いつの間にか大人が若者を指導するための道具に変わっていくことになる。象徴的なのが、甲子園野球が抱える不自然さである。毎年、夏に行われる全国高等学校野球選手権大会、通称「夏の甲子園野球」の主催者は朝日新聞社となっている。そもそも野球の当事者ではない朝日新聞が「当事者にはまかせられないので、我々朝日が善導する」という大義を掲げてはじめたメディアイベントであった。高校野球は、大人たちが若者を指導することでパターナリズムを実践するための場として整えられてしまったのだ。
あだち充は、意識してか無意識なのか、このパターナリズム(=父権主義)から逃れようとしていたように見える。
前橋商業は僕がいた頃、野球部だけじゃなくて男子全員が坊主でした。(中略)坊主には恨みがありますから、漫画の中の高校球児はなんの疑問も持たずに髪を伸ばして描いていました。もともとリアルさを求めない漫画家ですから。*7
『タッチ』においては、権力者たちが若者たちを指導するための場として作った甲子園を、若者たちが好きな女の子のために勝ち取るために目指す場にすり替えることすら、あだち充はしてみせたのだ。
女子マネージャーの誕生と誤読される『タッチ』
あだち充は高校球児たちをあえてリアルから遠い姿で描いたが、女子マネージャーはどうだったか。その姿も決してリアルとは言えなかったが、ある種の現実を反映したものとして描かれていた。
まずは、日本野球史において女子マネージャーがどういった存在であったかについて確認したい。高校野球部における女子マネージャーの歴史については、高井昌吏『女子マネージャーの誕生とメディア』(ミネルヴァ書房、二〇〇五年)が詳しい。
元来、男子野球部には戦前から男子マネージャーが存在し、そこは完全に女子禁制の世界であった。しかし、戦後には男女共学になり、一九六〇年代に入ると女子マネージャーが登場するようになった。
意外なことに野球部員は必ずしも女子マネージャーを歓迎していたわけではなかった。女子禁制の伝統から拒絶反応を示す者もいた。しかし一方で、女性の社会進出の一環として援護し歓迎した者もいたのだ。
あだち充の少女マンガ時代の作品には、この頃の社会状況が正確に反映されている。
例えば、あだち充・作画、やまさき十三・原作による『初恋甲子園』では、主人公・橘純子はその高校ではじめての女子マネージャーであり、「そんな大役」と言ってマネージャー就任を遠慮する。そんな純子のことを後押ししたのは、「甲子園は男子だけのもんやない」と言って説得する野球部監督の言葉だった。そして、「女だてらに」マネージャーを勤め上げる純子が野球部の精神的支柱となっていく姿が描かれていくのだ。ここでは明らかに女子マネージャーを女性の社会進出の一環として好意的に捉えて描いていた。
高度経済成長期を経て七〇年代にもなると、女子の高校進学率も男子に並ぶことになり、女子マネージャーの存在も珍しいものではなくなってくる。
少女マンガ誌においてラブコメという言葉が生まれたのがほぼ同時期であるのも偶然ではないだろう。高校に女子と男子がほぼ同数存在するという状況が整ったことで、ラブコメも女子マネージャーも生まれえたのだ。
しかしながら、女子マネージャーに対する世間の見方が六〇年代とは変わってしまったことも、髙井は指摘する。
六〇年代では、「女性であっても男子の領域へ進出したい(すべき)」という論調であったものが、七〇年代では「マネージャーは女性的な仕事だから、女性がやるべきだ」という論調へとシフトしているのである。*8
女性の活躍の場を広げるはずのマネージャー職が、むしろ女性の性役割を固定化し縛りつけるものに変わってしまったというのだ。
実際、七〇年代あだち作品における女子マネージャーは、その仕事に誇りとやりがいを持って務めているように見えた。しかし、一九八一年に連載のはじまった『タッチ』のヒロインである浅倉南は、それほど野球部マネージャーの仕事そのものにやりがいを感じているように見えないし、そのようには描かれていないのだ。
彼女は高校一年生から三年生のはじめまで野球部マネージャーを務めることになるのだが、マネージャーに就任した際にも「浅倉はほとんど上杉専門のマネージャー」と言われるほどであり、マネージャーとして野球部に所属しているというよりも上杉和也の幼なじみとしてそこにいることが強調されている。はじめから野球部に対する献身をそれほど期待されていないのだ。しかも、和也の死後、高校一年生の後半からは新体操部にも入部することになる。兼部しながら数か月の練習のみで新体操の競技会でいきなり三位入賞を果たし、新体操界の期待の新星として世間の注目を浴びることになるのだ。当然のことながら、活動の比重も野球部マネージャーよりも新体操部の方に移っていくことになり、三年生にもなると、監督の手によって半強制的ではあるにしても彼女は野球部マネージャーを退くことになるのだ。
つまり、浅倉南は献身的な女子マネージャーとして野球部員の活躍に自身の青春を仮託するのではなく、自身の才能を発揮して女子マネージャーという枠から飛び出していく人物として描写されている。
このような作品内における女子マネージャーの扱いの変化が、髙井が指摘するような世間一般の女子マネージャーのイメージの変化とリンクしていると考えてもそう突飛ではないはずだ。
あだち充がデビューした七〇年代初頭はまだ六〇年代の空気を引きずっていた。ゆえに、女子マネージャーは男子社会に女性が肩を並べて活躍できる存在であるから歓迎すべきことだと無邪気に言っていられた。それでも八〇年代にもなると、女性マネージャーは女性の性役割を固定することになっていないかという疑念を抱かざるを得なくなってきた。だから浅倉南は女子マネージャーであり続けることができなかったと考えることもできる。
一方で、『タッチ』が大ヒットした後、浅倉南は女子マネージャーを象徴する存在として世間一般に広く浸透していくことになる。高井も八〇年代後半以降の女子マネージャーを分析するにあたって、南が彼女たちの目指すモデルとなっていることを指摘する。現実の女子マネージャーたちは、『タッチ』に描かれているような青春ドラマの物語を内面化してしまっているのだと。
しかし、現実の女子マネージャーたちが内面化する物語は、『タッチ』の実際の物語とは乖離しているように見える。
そこで高井による『タッチ』のあらすじを見てみよう。
双子の弟である上杉和也は、幼なじみであり女子マネージャーでもある浅倉南を甲子園につれていくことを目標として野球に打ち込む。その夢は地区予選決勝を目前として和也が事故死することによっていったんは途絶えるのであるが、双子の兄である達也が南と亡き和也の夢をかなえるため、野球をはじめる。「南を甲子園につれていって!」。これが朝倉南の決め台詞である。「南ちゃん」はチームのマスコット的存在であり、男性集団から愛され、しかも恋愛ストーリーの中心となるキャラクターである。*9
『タッチ』のあらすじとしてみると、この文章には明確な間違いとは言わないまでも違和感を感じるところがある。*10
特に指摘しておきたいのが、原作の浅倉南は一度も「南を甲子園につれていって!」と言ったことはないという事実だ。もちろんそれに近い台詞は存在する。原作十四巻の「南を思ってくれるならの巻」にて、彼女は二回「甲子園つれてって」と達也に向かって声をかける。ほとんど同じ台詞じゃないか、鬼の首をとったように指摘することか、と思われる方もいるだろうが、ここで重要なのは髙井が原作の忠実な引用ではなく、自身の中にある浅倉南のイメージを語っているということだ。
髙井は、現実の女子マネージャーたちが誤読している『タッチ』の物語をそれこそ内面化してしまっているのだ。原作では一度も言ったことがない台詞を持ち出して「決め台詞」であるとまで言い切っているのは、その証拠に他ならない。
そもそも南が達也に「甲子園つれてって」と言ったのは、達也が甲子園を目指すようになった後のことである。達也から自分を力づけてほしいというリクエストに応える形ででてきた言葉なのだ。甲子園にいくことが本当に必要で求めていたのは、南ではなく達也だ。
髙井によるあらすじでは、浅倉南が女子マネージャーであること、そして何よりも、好意を抱く野球部員に対して「甲子園につれていって!」と何度もねだる女性であることが強調されている。『タッチ』を精読すれば、彼女がそんなヒロインではないことは明らかなはずだ。南は女子マネージャーだから青春できたわけではないのだ。しかし、彼女にあこがれる女子マネージャーはそうした誤読された物語の中に生きてしまっているのだ。
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サンデーラブコメ最新形としての山本崇一朗
ここからやっと本題に入ることができる。
一九八〇年代にあだち充と高橋留美子が作り上げたラブコメは紆余曲折ありながらも週刊少年サンデーの中で現在まで息づいているわけだが、特にあだち充的なラブコメがどのように継承されたかを明らかにし、その最新形としての山本崇一朗『マネマネにちにち』について語りたい。
ゼロ年代から二〇一〇年代にかけて、サンデーラブコメを支えた代表的作家である畑健二郎と若木民喜は、以下の通り高橋留美子の後継を自称している。
若木: じゃあ畑先生のラブコメ感ってどこから来てるの?
畑: どこから来てるんですかね? でも高橋留美子先生のイズムを勝手に引き継いだとは思っています。
若木: 留美子遺伝子を引き継いだ割には「好き好き」言いまくりじゃないですか、それを言わないのが留美子作品なんだから!
畑: 遺伝子を引き継いだ結果そうなったんです!(笑)
若木: まあ別にそのまま受け継ぐ必要はないんだけど(笑)
畑: 若木先生こそ「留美子作品に影響受けた」って公言してますよね。*11
高橋留美子イズムとは何か、ここでは明確に言及されているわけではないが、あだち充との比較で考えれば、「人間関係の前に世界設定がある」ことが高橋式ラブコメの特徴と言えるかもしれない。『うる星やつら』にしても『らんま1/2』にしても、「るーみっくわーるど」とでも呼ぶしかない特殊な世界の中で、多種多様なヒロインが入れ替わり立ち替わり登場することでラブコメが駆動する。そこでは人間関係の機微はあまり重要ではない。(あたるとラムとしのぶの三角関係はなんとなく解消されるし、東風先生の存在は急に消えることになる。)
畑健二郎『ハヤテのごとく!』におけるお嬢様学園と執事、若木民喜『神のみぞ知るセカイ』におけるギャルゲーと落とし神は、同じように人間関係の前に世界設定が優先して話を転がしていくラブコメの形をとっていた。そういう意味で、二人は確かに高橋式ラブコメの後継者であった。
それに比べると、あだち充の描く世界はどこまでも平凡に描かれる。その一方で、非常に狭い人間関係の機微をこれでもかと精緻に描くことが作品の特徴となっている。あだち式ラブコメは、「世界設定の前に人間関係がある」と言ってもいいのではないか。
では、世界設定よりも人間関係の機微を重視する、あだち式ラブコメの後継者と呼べるのは誰なのだろう。私はそれが山本崇一朗なのだと提唱したい。
もちろんあだち充と山本崇一朗の間に直接の関係はない。あだちが描こうとしたモノを最も忠実に継承しているのが山本なのだと言いたいだけだ。
若木民喜は自分たちの後の世代のラブコメの特徴を分析する際に、山本崇一朗『からかい上手の高木さん』にも言及している。
若木: 現代的なラブコメの特徴ってそこですよ。ストーリーを描いちゃダメなんです。まずは作者がキャラクターに心底ほれ込んで「このヒロインめっちゃくちゃカワイイでしょ!」って感情を読者と共有する。「共感」にステータス全振りすればよくて、ストーリーとかバックボーンは無くていい。グッとくる仕草とか、「これってエロいよね」ってフェチズムを共有することが重要だから、まずは絵描きじゃないとダメなんです。絵が弱いとその時点で苦戦してしまう。
(中略)
若木: 『高木さん』はモロにそうですよね。山本崇一朗先生の本質は絵描きで、あの一点突破がすごい。「何が何でもおでこしか描かないぞ!」という。『高木さん』は山本先生が描きたいものを一番いい形で見せる漫画で、新しい時代のラブコメを世間に示したと思います。
*12
しかし、若木の言うところの現代的ラブコメは、本当に現代にはじめて発明されたものだろうか。
あだち充による『タッチ』の前のヒット作『みゆき』は、主人公の若松真人とヒロインである2人の「みゆき」の三角関係を描いており、一本筋の通ったストーリーラインはあってないようなものである。まさに「ストーリーとかバックボーンは無くていい」「フェチズムを共有する」ことで読者をひきつけたラブコメではなかったか。あだちも『みゆき』連載時には、ストーリーなど考えず、「まずはエッチなシーンから決める」*13と証言している。
『タッチ』にしても和也の死という大きな仕掛けがあり、ストーリー展開の妙があるように思えるが、ラブストーリーとしては物語のはじまりと終わりで大きな変化があるわけではなかった。物語のはじまりから浅倉南と上杉達也は両想いであり、関係性はほぼできあがっていた。作品の中で起こる出来事はすべて(和也の死ですら)、この両想いの成就をただただ延期させるための仕掛けだったのだ。
山本崇一朗の代表作のひとつ『それでも歩は寄せてくる』は、まさにそういった同じシステムで駆動するラブコメだった。田中歩と八乙女うるしは同じ高校の将棋部部員で、物語のはじまりから両想いであった。しかし、田中歩は将棋の勝負で勝たなければ告白することは許されないと自分の心に誓いを立ててしまうのだ。甲子園への切符を勝ち取らなければ、南に告白できなかった達也のように。あるいは、『タッチ』から悲劇を抜けば『それでも歩は寄せてくる』になると言ってもいいのかもしれない。
あるいは、東浩紀はあだち充の特徴を次のように語った。
絵にしろ内容にしろ、ミニマリズムの極致。これはあまり指摘されていないと思うんだけど、どこにでもあるような背景のもと、極小の人間関係が緻密に描かれるあだちの世界は、現在の日常系アニメにそのままつながっているような気がします。*14
まさに、山本の得意とする作風は思春期の男女の「日常」を切り取ったラブコメであり、あだちの追求したミニマリズムをさらに押し進めたと言ってもいいだろう。
ゆえに、私は山本崇一朗をあだち式ラブコメを再発見したマンガ家として捉えている。
そんな山本が高校野球部を舞台に新作ラブコメを描いたというのだから、あだち充と比較しない方がおかしいというものではないか。
『マネマネにちにち』と、あだち充が描けなかったもの
山本崇一朗は、二〇〇八年に「月刊IKKI」の新人賞を受賞し、アシスタントを経験しながら数々の新人賞に応募を続け、二〇一三年から「ゲッサン」にて『からかい上手の高木さん』の連載をスタートさせる。初連載にして大ヒットをつかみ取った山本は、その後もヒット作を連発することで、現代的ラブコメの代表マンガ家になったのだが、意外にもはじめからラブコメを好んで描いていたわけではなかった。むしろ、二〇一二年に「ゲッサン」で発表した読み切り「恋文」までは、女性キャラがほとんど登場しない作品ばかりであった。
山本自身も絵の参考にしたのは、「ジョジョの奇妙な冒険」「バキ」「AKIRA」などということだ。*15実際、初期作品の絵柄には大友克洋の影響がほんのり感じられる。
山本にラブコメを描かせたのは、山本の特性を見抜いた「ゲッサン」の読者と編集者によるところが大きい。少女マンガ誌で読み切りを描くことで自身の作風を磨いていったあだちと同じように、山本は「月刊IKKI」や「ゲッサン」にて読み切りを発表することで少しづつ現在の作風を磨き上げていったのだ。
そして、二〇二四年に連載をはじめた最新作が『マネマネにちにち』である。とある高校野球部の三人のマネージャーの日常を切り取った作品だ。本作は、あだちが示した「世界設定の前に人間関係がある」ミニマリズムのラブコメを徹底的に追求した作品となっている。
どこにでもありそうな高校野球部の練習風景を背景にしながら、三人のマネージャーのたわいもない会話劇が展開され、野球部を舞台にしながら野球の試合は描かず、試合の結果のみが読者には知らされることになる。そうした中で、野球部員とマネージャーの間に生まれる人間関係の機微が描写されるのだ。
恋愛ストーリーの中心になるのは、女子マネージャーの渚茜と幼なじみで野球部員の烏丸太一である。夏の大会での活躍を目指す野球部員と、それを応援する幼なじみの女子マネージャー、あだち作品にたいするリファレンスと考えることもできるが、『マネマネにちにち』はあだちが描けない『タッチ』の先を描いてしまっているのだ。
まずは、あだちが『タッチ』以降描けなくなってしまったものの話をしよう。
『タッチ』以降のあだち充は、『H2』『クロスゲーム』『MIX』など、多くの傑作野球マンガを残したが、それらは『タッチ』に対するカウンター的な役割の作品であった。
野球の試合そのものをあまり描かなかった『タッチ』に対して、試合そのものを面白く描くことに注力し、ヒーローとヒロインを二人ずつ配置した四角関係を描いた『H2』、ヒロインを途中で死なせるという逆『タッチ』を狙った『クロスゲーム』、次の世代の明青学園を描くことで『タッチ』という神話の語り直しを描いている『MIX』といった具合である。
誰よりも『タッチ』という作品の偉大さに縛られているのが、あだち自身だ。時代の流れに即応して高校野球とラブコメの描き方を変えてきた、その自由奔放さを発揮することは困難になってしまっている。
さらにまずいことには、『タッチ』は現実の野球部と女子マネージャーのあり方も変えてしまった。現実の野球部は、浅倉南にあこがれた女子マネージャーであふれている。しかし、それをあだちが自作に反映することはできない。あまりに自家中毒的すぎるからだ。*16
しかし、山本崇一朗であれば、その縛りを気にすることなく、あだち充が描けなくなってしまったラブコメ野球マンガが描けるのだ。
『マネマネにちにち』の実質的主人公である渚茜は、「なんかモテそうだったから」という理由で幼なじみが所属する高校野球部の女子マネージャーに就任する。その姿はまさに、高井昌吏が『女子マネージャーの誕生とメディア』にて指摘していた、浅倉南の青春物語を内面化してしまった女子マネージャーそのものだ。ゆえに、『マネマネにちにち』は明らかに『タッチ』以後の野球マンガであると言えるのだ。
『タッチ』において両想いの二人(上杉達也と浅倉南)の仲を阻むのは、甲子園で優勝できなければ告白する資格がないという呪いだった。その呪いは、形を変えて現実にまで浸食してしまった。甲子園を目指す球児を女子マネージャーとして応援することが青春をひいては恋愛を成就させる道であるという逆転した認識を生み出したのだ。
そうしたさかしまの認識を、呪いとして受け継いでしまっているのが渚茜というキャラクターだ。
渚茜と烏丸太一は、はじめからお互いに好意を持っていることがそれとなく作中で示されている。しかし、渚は女子マネージャーでなければモテないという認識によって、自分がすでに烏丸からモテていたという事実に気が付かないのだ。
『マネマネにちにち』はおそらく、烏丸が渚に告白することで終わりを迎えるだろう。(違ったらごめん。この話は全部なしで。)それによって、渚にかかった呪いがとけるはずだ。
山本崇一朗は、あだち充が生み出したラブコメを正統に引き継ぎながら、その描けなかった先へ歩みだそうとしているのだ。

図1 山本崇一朗『マネマネにちにち』第一巻、二六頁