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雑文置き場

『紙魚はまだ死なない』レビュー

紙魚はまだ死なない: リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌


 murashitさんの「点対」(ささのは文庫の同人誌『紙魚はまだ死なない』収録)が、伴名練による超大型アンソロジー『新しい世界を生きるための14のSF』に収録されたそうですね。いやあ、めでたい。めでたいついでにレビューしておこうと思いました。

 murashitさんと私は、同じ『文体の舵をとれ』合評会に参加していただけの仲でして、「それってただの他人じゃん」なわけですが、「一緒に文舵をやった仲」ってどれぐらいの親密度なんでしょうか。「同じ釜の飯を食った仲」よりは親しいですか? 「一つ屋根の下で暮らす仲」よりは親しくないですよね?


 本題に入りますが、まず同人誌のコンセプトがかっこいいんですよね。

リフロー型電子書籍にすることが絶対にできないオリジナル小説集。

 つまり、収録されている作品すべてに、リフロー型電子書籍では再現できない、固定されたレイアウトでないと成立しないような企みがある短編集となっているわけで、いったいどのような手練手管が見られるのか楽しみです。




※あらすじは考えるのが苦手なので公式のものを引用しております。


春霞エンタングルメント /cydonianbanana

衛星カリストの採掘オペレーター・トマはその日、二〇五〇年のβ地球へログインし、山奥の旅館で恋人のニナと落ちあう。地球−カリスト間の通信ラグで四〇分間ずれた時間を過ごす二人の前に現れたのは、世界の仕組みに精通する謎めいた湯守の老婆だった——可能世界と宇宙の距離を超えて絡み合う、湯けむりSF恋愛譚!


 ここで採用されている技法は、一頁を三段にわけて各段がそれぞれ別の視点の話になっているというものです。一つの頁に三つの視点の物語が同時にタイムラインのように流れていくわけです。

 この技法を使うことで、同じ時間軸を共有しつつ違う視点で書かれた物語を読者は並行して読むことができます。これ自体は参考文献にもあげられている『紙の民』で使われていた技法の引き写しですが、本作にはそれ以上の工夫があります。全く同じ時間軸で話が展開されるのではなく、各段落の時間軸が少しずれていること、そしてその時間のずれに物語上の必然性を持たせていることです。その時間のずれは、木星の衛星カリストにいるトマと、地球にいる恋人のニナの間に隔たる四十分間の通信ラグとして説明されます。それは例えば「ほしのこえ」のような時間軸もずれてしまうほどの遠距離恋愛を思わせ、非常にロマンチックです。しかし、そのロマンチックの陰には、どこかメランコリーな部分も感じます。男と女の間にある決定的な分かり合えなさを表現しています。しかし、本作の場合はSF的なアイデアを持ち込むことで決定的にすれ違っている男女もいつか出会うことがあるかもしれないという希望のある終りになっているのが読み味をよくしています。



しのはら荘にようこそ!/ソルト佐藤


『しのはら荘』は4つの部屋だけの小さなアパート。でもそこには、巨乳の美人管理人さんがいるのです。そんな管理人さんと住人のゆるふわライフが各部屋で同時進行! おねショタ、ハーレムラブコメ、ダメ人間の成長コメディ、愛憎あふれるミステリーと盛りだくさん。みなさんも『しのはら荘』の生活を覗いてみませんか?


 本作では見開き一頁を四分割して、分割されたコマが「しのはら荘」の部屋割りと一致しており、それぞれの部屋で起こっている話が関係しあったり関係なかったりして物語が進みます。

 この技法を使えば、前の「春霞エンタングルメント」と同じように複数の視点人物の話を同時進行で読ませることができます。しかし、読者に与える効果は多少違うことになります。前作では、段に書かれた文章は巻物のように左へと続いていき、絵巻物のように時間の連続性、意識の流れを保証します。しかし、本作の表現では視点の連続性は薄れていると言えるでしょう。一人の視点の物語は頁をめくるたびに細切れになってしまいます。その副作用かもしれませんが、作者は短い文章の中でフックになるオチを持ってくることを意識して書いています。そこが頁をめくる緊張感を最大限に高める工夫となっています。



中労委令36.10.16三光インテック事件(判レビ1357.82)/皆月蒼葉


パスティーシュSFの奇才待望の新作、その題材は判例雑誌。2050年を舞台にした物語は全てが命令文の中で語られる。虚実入り交じる法解釈、緻密な事実認定、膨大な証拠資料、徐々に明らかになる真実。これは作者からの挑戦状である。置き去りにされたリーダビリティの中で通読を終えたとき、命令文の裏に広がる真の物語を見いだすことができるか。


 判例雑誌のパロディである本作は、おもちゃ箱のような楽しみに満ちた作品です。本作にはパロディでできることはなんでもやってしまおうという気概に満ち溢れていて、「新聞記事」「手紙」「掲示板の抜粋」「文科省ガイドライン」「ビラ」など、合間合間に挟み込まれるパロディのバリエーションは多様です。これらの補助資料を読み込むことだけで読者は充分に楽しめるわけですが、しだいにミステリ的な快楽も感じるようになります。本格ミステリの中で手掛かりを集めるように資料を読み込んで、三光インテック事件の真相を読者は推測しなければなりません。本作では、作者が読者に対して物語の道筋を描いてはくれません。読者が文章から物語を組み上げていかねばならない、挑戦的な物語です。



点対/murashit

コレアンダー氏はパイプの柄で、向かいあわせにおいてあるもう一つの安楽いすをさした。バスチアンは腰をおろした。「さあ、それでは、はなしてくれ。いったいどういうことなんだい?」コレアンダー氏はいった。「だが、たのむから、ゆっくりと、順を追ってはなしてくれ、な。」


 この小説を一言で説明すると、一行ごとに別視点で書かれた、それも双子の兄弟の視点が一行ごとに入れ替わりつつ書かれている小説です。しかし、この単純な説明ではあまりに取りこぼされているものが多く、充分に魅力を伝えることができません。私には異文化で書かれた小説を読んだような感覚に打ちのめされて、あまりに考えが整理できないので作者のブログをだらだらと読んでいたのですが、ちょっとわかったところもあって、

murashit.hateblo.jp

この小説って読者に対して説明してないのかもしれません。実験的な手法を使った小説には、作者が読者に対して「この小説はこのようなコンセプトで書かれた小説ですよ」って説明している部分が多少入ってしまうものだと思うのですが、この小説はそれが極端に少ないのです。作者が「こんなことはあたりまえであり、なんでもないことなんだ」ってスタンスで書いてるんですよ。怖いね。

 


冷たくて乾いた/笹帽子

決して読むことをやめられない『悪魔の書』に囚われた妹と、どこまでも冷たくて乾いている私。万能読書機械に導かれバベルの図書館の無限遠の対角線に沈降する私が、読書以外すべてを拒絶する妹に与えられるものとはなにか。DEATHとMATHに満ちたスペキュレイティブ・フィクション。


 決して読むことをやめられない『悪魔の書』を紙上に再現しようという試みの魔術的な小説です。そこに、ある姉妹と万能読書機械の物語が展開されます。

 この小説集のコンセプトからして、小説を読む、あるいは書くという行為に自覚的にならざるを得ないわけですが、本作は特にその部分に意欲的に真正面から取り組んでいるのが好印象です。「冷たくて乾いた」というタイトルも読み終わってみるとしっくりきまして、これは小説を書くのに適した状態のことだそうですが、では「熱くて湿った」ものは何なのかというお話です。


ボーイミーツミーツ/鴻上怜

 これはあらすじを読まずに読んだ方が面白い気がしたので省略しました。

 はちゃめちゃなセンスで書かれたユーモアが楽しい小説です。読んでる途中で何度も価値観が揺らぐというか、世界が反転する瞬間があるので、これから読む人はそこを楽しんでほしいです。特に意味は分からなくても、世界が反転すること自体が読書の醍醐味であることは間違いないですから。



新しい世界を生きるための14のSF