村 村

雑文置き場

2月に読んで面白かった漫画

新作か旧作かにかかわらず、その月に読んだものの中から面白かった漫画を紹介していこうと思います。

 

 

 

牧瀬 初雲『スティアの魔女1』

霊峰が見下ろす大河のほとり、舟で人々を運ぶ「渡し守」として働く少女・ハル。彼女の瞳に映るのは、遠くたたずむ山々と静かにゆらめく水面と、そして身を焦がす悔恨の思いだった。

今は渡し舟の船頭として働いている少女・ハルの穏やかな日常を描きながら、彼女が過去に経験した魔族との戦争で負った心の傷で苦しむ様子を抒情的な美しさを表現している。渡し守という牧歌的な日常を送る一方で、じわじわと戦争の影が迫ってくる不穏さがいい。メランコリック・ファンタジー

 

 

 

つくみず『シメジ シミュレーション 04』 

世界が自由すぎて自分がどうしたいのかわからない。
日常4コマを飛躍して展開する夢みたいな現実。
しめじちゃん×まじめちゃん 同棲開始!?

前巻までの展開で、主人公たちは世界の謎を解き明かし世界の構造そのものを作り替えてしまった。しかし、それでも人間は順応する生き物なので日常は続く……な最新刊。一度世界を壊してしまったはずなのに、最新号でも特大のカタストロフィがやってくる。この漫画はどこに向かっていくのか予想がつかない。

 

 

 

 月水技研(つくみず)『文明の夜に焼く秋刀魚と電磁波測定器について』

2014年のコミティアで購入したつくみず先生の同人誌。今となっては入手自体が困難な作品なので、ここに感想を残しておく。

こんな話だ。学校の窓際で堂々と煙草を吸う女子高生・夜呼は、異常に背の高い同級生・長井菜穂から絡まれていた。菜穂が「ヨルコちゃんの子供をうみたい」と言って絡むと、夜呼は「わかった。子供つくろう。じゃあとりあえずサンマ買ってきて」と返す。菜穂は言われた通り、自分たち二人の子供としてサンマを二匹買ってきたのだが……。

つくみず先生は終末のただ中で穏やかに生活する女性の同性カップルを好んで描く。本作もそのパターンにもれないが、終末世界で少女の形をしたものが子作りの真似事をして遊んでいるという、ある種のグロテスクさが異色な作品である。

 

文明の夜に焼く秋刀魚と電磁波測定器について

 

原作:西尾維新 作画:岩崎優次『暗号学園のいろは』第十号・第十一号

なんてことない普通の主人公・いろはが入学したのは、暗号を解いて解いて解きまくるスパルタ学校――暗号学園!

暗号を使って覇を競う学園を舞台にしたバトル漫画という、西尾維新らしい奇天烈な設定でジャンプ連載中の作品である。特に、第十号・第十一号では「失言半減質疑応答」という暗号バトルが描かれているのだが、往年の西尾維新ファンであれば嬉しくなるような話になっているので紹介したい。

リポグラムという言葉遊びがある。簡単に言えば、使用する文字に制限をかけて文章を作る遊びだ。ジャンプ作品であれば『幽☆遊☆白書』の海藤優が有名だが、西尾維新は今までにも何度もこの言葉遊びに挑戦している。『りぽぐら!』というド直球な本も出しているほどだ。しかし、西尾維新+ジャンプ+リポグラムで連想するものと言えば、『めだかボックス』で掲載された「消去しりとり(デリートテールトゥノーズ)」に関するエピソードであろう。これは、リポグラムという言葉遊びを爽快感のあるバトル漫画に仕立てている傑作エピソードだった。

ひるがえって、「失言半減質疑応答」はどうだったかと言えば、これもリポグラムを使った傑作エピソードだ。特に、リポグラムについて半端な知識を振りかざす私のような人間ほど、「やられた!」と思うようなオチが用意されている。こじらせた西尾維新ファンはぜひ読んでほしい。

 

 

 

白倉由美『恋するスパークリングフラッシュ』

Amazonに商品ページすら存在しない漫画だけれども怪作としか言いようがなかったので紹介したい。

どのような話かと言えば、プロレスファンの高校生・前田日明と、そんな彼が好きな女子高生・川瀬結花、そんな素直になれない二人の甘酸っぱい恋愛漫画である。それだけをきけば普通の恋愛少女漫画じゃないかと思われるだろうが、「アントニオ猪木になりたい」が口癖のプロレスファンの高校生・前田日明くんって何か見たことがある名前ではないでしょうか。

 

↓ そうです、この御仁です。

ja.wikipedia.org

 

そもそも「スパークリングフラッシュ」は前田日明のニックネームなのだから、この漫画のタイトルは『恋する前田日明』も同然ということになる。つまり、この作品は”ナマモノ”、実在の人物を題材にした二次創作に限りなく近い作品であり、もし学生時代の前田日明がプロレスの道に進まずに少女漫画みたいな恋をしたらというIF作品として鑑賞することができる。実際に恋愛に関するトラブルも燃え上がりも、すべてはプロレス観戦をきっかけにして動いていくというすさまじく変なプロレス恋愛漫画なのだ。この作品が歴史の流れで忘れ去られていくのは仕方がないが、こんな変な漫画があっと言うことはどこかに記録として残しておきたいものだ。

 

恋するスパークリングフラッシュ

 

 

雉鳥ビュー『LOST AND WALK』

宇宙の果てに置き去りにされた少女と捨てられたロボットとの出会い、
死から蘇った少年が帰宅して対面する自分の代わりに暮らす自分、
不必要と判断された人間ばかりで構成された未知の星の探査隊、
AI婚活が生んだちょっと不思議なマッチング、
厳しい思い出しかない父が痴呆のすえに愛した妄想、
村のはずれに千年も暮らす正体不明の不死の魔女……。

ちょっとSFな漫画短編集。基本的には人間とロボットAIの間に生まれる複雑な感情の機微を描くことに優れた作品である。

例えば、巻頭に乗せられた「アルキメデスの孤独」は、岩と砂しかない無人惑星で、親から捨てられた少女と、1000年以上主人の帰りを待つロボット、が出会うところから物語が進行する。暗い過去を抱えた二人であるが、その掛け合いは軽妙で読んでいて純粋に楽しい。砂の惑星でたった二人きりの人間とロボットがお互いの孤独を癒しあうシーンには爽やかな感動がある。

 

 

 

村田 真哉(著), 隅田 かずあさ(著)『ほしがりすぎでしょ!?稲葉さん (3)』

稲葉さんが勤めるお店「さかりパーク」と気鋭のウマ獣人の新店「プリプリジョッキー」による、Hなお店のプライドを懸けた夜の「牙闘」が開幕!稲葉さんら選ばれし獣人嬢たちの四番勝負の行方は…!?

キリングバイツ』のスピンオフ漫画がひどいとある筋から聞いたので、読んでみたのだが、確かに激ヤバい漫画だった。簡単に内容を紹介すると、稲葉さんが勤めるお店「さかりパーク」と実在の競争馬を模したウマ獣人の新店「プリプリジョッキー」が、手コキで男をいかせる時間を競うという非常に低俗なものである。しかし、ヤバい理由は低俗だからではない。競馬業界を敵に回しかねない実在競走馬のパロディがやばいのだ。特に問題だと思うのが、サイレンススズカ(らしきキャラ)のエピソードで競馬ファンなら絶対に笑いのネタにできない、いや、しちゃいけない実話をネタにしているのだ。JRAに見つかったら訴えられてもおかしくないので今のうちに読んでおこう。

ちなみに、サイレンススズカ(らしきキャラ)の対戦対手がアライグマの獣人なのは、サイレンススズカの半弟であるラスカルスズカが元ネタではないかと思われる。

 

 

 

六道 神士 (著), 士郎 正宗 (その他) 『紅殻のパンドラ(24) 』

秘密結社アクロスを名乗り世界征服を宣言したウザルは、制作者命令を発動しクラリオンを連れ去ってしまった。そしてついに明かされるネネの壮絶な過去とは……? ――いよいよ最終章「ラストダンス」が始まる!!

六道 神士というフィルターを通すことではじめて、士郎 正宗が「攻殻機動隊」でやりたくてもできなかったことをやり直すことができているような気がしてくる本作であるが、最新刊ではいよいよその核心に迫っている。つまり、攻殻機動隊S.A.C.2ndGIGの「草迷宮」のように、主人公・ネネが全身義体の適合者になったいきさつが描かれているのだ。「草迷宮」では昔話のように語られるが、「紅殻のパンドラ」においては今ここに生きているネネの壮絶な人生がクローズアップで語り直されている。より生々しい全身義体物語を読みたい人にはおススメだ。

 

 

 

 山うた 『よみがえる子猫たち 2』

蘇生技術により生き返った人間・よみがえりの駆除を仕事にする朝井おんと影山ひなた。おんはひなたをよみがえりにしてしまった罪に苦しみながら仕事を続けている。二人の育ての親であり雇い主でもある曽我楓は、冷徹に残酷によみがえりを殺し続ける。何故に彼はそこまでよみがえりを憎むのか!?曽我と恋人あゆみとの過去とは!?

蘇生技術が発見されてしまった世界で、”よみがえり”の駆除を仕事にしている少年少女・「おん」と「ひなた」。蘇生技術は、姿かたちはもちろん、その人の性格や記憶までも元通りに生き返らせることが可能なのだが、彼らはまれに暴走して異形の姿になってしまうことが、この世界では問題視されていた。そのため、おんとひなたのようによみがえり退治を生業としている人間たちもいるわけだが、仕事中の事故でひなたが亡くなってしまった時、おんはとっさに蘇生技術を使ってひなたを蘇らせてしまうのであった。最愛の人間をよみがえりにしてしまった罪悪感と、よみがえりたちを殺し続ける仕事との間でおんは疲弊していく、彼は何処に向かうのか……。

この作品の面白さは、違う系譜の作品群をミックスしていることにある。具体的に言えば、死んだ人間が蘇ってしまう作品(梶尾真治黄泉がえり』など)と、知っている人間が人間以外のものに入れ替わってしまう作品(ロバート・A・ハインライン人形つかい』、ジャック・フィニイ『盗まれた街』など)のうまい中間をとっている。

つまり、『人形つかい』タイプの話であれば「人類VS侵略者」の戦いになってしまうところを、本作では「人類VSよみがえり」の対立にしたところがうまいと感じる。「人類VS侵略者」の構図であれば、登場人物は「侵略者は皆殺しだ」の精神で一致団結してしまうので、そこに葛藤は生まれない。ひるがえって「人類VSよみがえり」となれば、人類は「よみがえりは皆殺し」派と「愛した人と同じ心を持っているよみがえりは殺せない」派の二つの派閥に分かれてしまうのだ。そこに葛藤が生まれて作品は盛り上がっていくことになる。今後が楽しみな作品だ。

 

 

 

荒木俊明 (著), 和夏弘雨 (著) 『粛清新選組 1』

誠の旗印のもとで、幕末を駆け抜けた「新選組」!だが規律、武士道を尊ぶ傍ら、数多の内部粛清を行った闇も確かに存在した――。監察方の山崎丞と林信太郎の二人が、誠に背く士道不覚悟の隊士を粛清する!人間の深淵に触れる、業深き「闇」時代劇!!

新選組の中でも、内部粛清を専門にしていた監察方に目を付けたのがお見事。監察方の仕事はざっくり言えば、①隊員の中に粛清対象がいないか捜査、②粛清対象の悪事を暴いて粛清(たいがい無理矢理切腹させる)ということになっており、捜査から解決に至る構成がミステリと近く、エンタメ度が高い作品になっている。また、主人公の監察方・山崎丞と林信太郎のバディのキャラがたっていて生き生きしているのも面白く感じる。

しかし、この漫画にも致命的な欠点がある。それは京都人の語尾を「やす」「どす」にしたら京都弁だと思いこんでいることである。近年まれにみる酷い京都弁のオンパレードである。

 

 

 

三崎しずか『あの部屋の幽霊さんへ』

長き時間、同じ部屋に居続ける幽霊は、自身を見ることができる、ある少女に出会う。少女は様々な除霊方法を試し始めるのだが……!?

幽霊が見える少女と家に憑いた幽霊女が出会うお話。幽霊の視線で長い時間の流れを描く作品は先行作もあるが、この作品は何よりもオチが素晴らしい。この物語にはこのラストしかないと思えるような作品である。

 

shonenjumpplus.com

 

 

業務用餅 (著), 六志麻あさ (著), kisui (その他)『追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフ謳歌する。 ~俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに『強化ポイント』を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~(4)』

私は漫画内に出てくる「犬」が可愛かったら問答無用でその漫画が好きになるタイプの人間である。そういった人間の目線からみてみると、この漫画は原稿用紙にこぼれたインクの染みのようなものを「犬」と呼称している。「犬」の存在の冒涜している。しかし、この「犬」はかわいい。困ったものだ。

 

 

 

マポロ3号『PPPPPP』最終話

一部の読者から熱烈な支持があった本作が突然の打ち切り連載終了したことで、最終話がとんでもないバッドエンドだったとSNS等で話題になっていたが、個人的に思うところがあったので書き残しておこうと思う。思うところがあったと言っても、打ち切りの妥当性についてどうこう意見を言いたいわけではない。私が思うのは、この最終話はそもそもバッドエンドなのかということである。

この最終話を簡単にまとめるとこうだ。私たち読者が今まで主人公だと思ってみていた凡人ラッキーは、実は母親と一緒に暮らしたいという気持ちから生まれた後付けの人格で、傍若無人な天才ラッキーこそが本来の人格であった。母親の死をきっかけにして、本来の人格に戻ったラッキーは、自分を捨てた父親の顔面に拳をぶち込む! 完

確かに、バッドエンドだと言いたくなる気持ちもわかる。今まで連載を通して慣れ親しんできた主人公のキャラが偽物の人格に過ぎなくて、いきなり出てきたよくわからんのが本物の人格だと言われても読者はつらいだろう。しかし、私が言いたいのは、『PPPPPP』という作品はそもそも同じ裏切りを繰り返してきた作品じゃなかったか、ということである。レイジロウ編にしても、ミーミン編にしても、ファンタ編にしても、家や社会の目線によって作りあげられたペルソナを捨て去って、自分が本来持っていた特性や才能と向き合おうということがメッセージだったはずだ。その点において、ラッキーが母親のために作られた人格を捨て去って、本来の自分の才能と向き合うというのは、作品内のメッセージ性と合致しており、バッドエンドというよりハッピーエンドになるはずだ。

では、なぜ多くの人がこのラストをバッドエンドと感じてしまうのか。それは、読者が凡人ラッキーに馴染みがあって、天才ラッキーのことは何も知らないからである。よく見知ったキャラが、いきなり知らないキャラにすげ変わってしまったらバッドテイストを感じるのは自然な反応だからだ。この最終話はバッドテイストなハッピーエンドだと形容するのが正確だと思う。

ここからが最終話をグッドテイストなハッピーエンドに変えるために、マポロ3号先生に提案したいことだが、最終巻に天才ラッキーの追加エピソードを描いてください。天才ラッキーが凡才ラッキーより魅力的なキャラだと思わせてくれ。それが、いちジャンプファンの願いだ……。