村 村

雑文置き場

『青騎士』4号 新連載&読み切り感想

このご時世、気軽にコミティアなどのイベントに行くこともできないわけで、うんざりしちゃいますねえ。

でも、もしきみが幸運にも『青騎士』を読むことができたとすれば、その埋め合わせができるでしょう。

 



 

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本間保奈美「世界の終わりごっこ



 

姪の少女から学校に行きたくないと相談を受けた叔父は、「今日で世界が終わると思って過ごしてみる」ことを提案する。さて、少女はどのようにして世界が終わる日を過ごすのか。

ここで立ち上がってくるキャラクターは叔父だ。叔父は家の中で戦場の写真に囲まれて拳銃のメンテナンスをしているような人物で、片腕は義手になっている。つまり、「世界の終わりごっこ」ではなくて「世界の終わり」を体験し、なおかつそれを忘れられない人物なのだ。一方で、無邪気な少女はいつも通りの生活を繰り返す。でも、少女だって「世界の終わり」を知らないわけじゃない。これは、そんなお話。

 

器械「煉獄のドラコ」



 


肋から腹部にかけて肉が腐り落ちていた。肋骨には黒く変色した皮膚の残骸がこびりつき、その空洞を縁どる腰骨はゼラチンのように崩れかけている。洞の中に、ぼんやり輝いている背骨が見えた。

――パトリック・マグラア「天使」

 

強い絆で結ばれている姉妹、「ゆい」と「あみ」は、帰宅の途中で空から落ちてきた異形の化け物に襲われる。妹の「あみ」を守るために、「ゆい」は化け物と一緒に落ちてきた少女のような異形に決断を迫られる。

ページを開いてすぐに、器械先生は本気だと思った。ヌードデッサンのモデルをしている姉妹をみて。姉を守るために自己犠牲を選んだ妹をみて。妹を救うために堕天使と融合した姉をみて。器械先生は、本気だ、本気なんだ。

 

鈴ヶ森ちか「その想いは、ね…」



 

私の背中には急に翼が生えた。けど、空が飛べるわけじゃない。そのうえ、ずっと一緒だと思っていた女友達が転校することなった。その時、私は翼の本当の使い道を思いついた。

翼が生えてくるという身体的変化を通して、思春期の悩みや成長を描く作品には前例があるが、本作はその翼の活用方法に独創性がある。タイトルのダブルミーニングも鮮やか。

 

戸塚こだま「猿の手



 

怪談「猿の手」を使ったホラーコメディー。女の子はかわいいし、微グロもあるし、ブラックユーモアがさえている。漫画雑誌に載っていると少しほっとする。君は『青騎士』のあさりよしとおになってください。

 

Be-con「お姉さまと巨人」



 

「姉妹の契り」の制度を持つ女子学校の女学生がファンタジー異世界に転生してしまう。しかし、主人公は転生先で巨人の娘と出会い、二人はお互いの家族を探し出すために「姉妹の契り」を結び協力することになる。

異世界転生では、元世界の人間関係を振り切って自由になる作品の方がメジャーだと思うのだが(一種のリセット願望が反映されているように感じる)、本作では元世界で結んだ「姉妹の契り」が異世界でも重要なキーになっている。ありていに言えば、異世界に行っても元カノに執着している。それが独特で怖い。

 

鈴木りつ「全てが劣化する」



 


終った所から始めた旅に、終りはない。墓の中の誕生のことを語らねばならぬ。何故に人間はかく在らねばならぬのか?……。

――安部公房終りし道の標べに

 

中学生の時に出会った不思議なあの子、古墳のことをかわいいって言って、私を外に連れ出してくれる。でも、私の大好きなあの子はどんどん変わっていってしまう。だから、私は古墳に埋める。

表情の描き方が天才的。この漫画を読んでいると、自分の中の今まで知らなかった気持ちにでくわして驚かされる。死ぬまで――それも途方もない時間を感情は劣化していくだけなのか。

 

長谷川未来「9%の幸福」



 

主人公はマンションのベランダでパーテーション越しに隣人から声を掛けられ、以降は一緒に酒を飲むようになる。都会人の寂寥が胸に刺さる。

 

『Sonny Boy -サニーボーイ-』と『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』~あたまの漂流

この頭は年がら年じゅう漂流していて、よるべない木の葉ぶねのようなものだが、それだけに漂流譚や漂着譚が好きである。

――という書き出しではじまるのは、中野美代子『あたまの漂流』だが、私の頭もこの頃は漂流、いや難破を繰り返してばかりで考えがまとまらない。しかし、まとまらないなりに考えたことを記録に残しておくのもよいかもしれないと思ったのであった。

 

※『Sonny Boy -サニーボーイ-』と『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』についてバリバリのネタバレ有。

 

 

 

 

 

『Sonny Boy -サニーボーイ-』

2021年夏アニメの中でも、漂流を題材にしたあるアニメが話題になった。それが『Sonny Boy -サニーボーイ-』である。この作品は、監督である夏目真悟が手掛けた実験的なオリジナルアニメとして注目を集めた。36人のクラスメイトがまるまる異世界へ送り込まれたところからはじまる物語は、開始当初こそ楳図かずお漂流教室』の現代版をやろうとしているのかと思われていたが、そのような予想を超える展開の連続で、回を重ねるごとにエスカレートする実験的映像表現と観念的世界観が独特なアニメシリーズになっていった。

その難解とも言える作風から、考察自体を諦めている人も多いように感じるが、監督自身が公開しているコメンタリーを読めば、この作品の意図するところが腑に落ちる人もいるのではないだろうか。

 

febri.jp

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これを読めば、設定に対する考察は大きな意味を持たないことがわかると思う。「この漂流は何の意味があるのか」と問われれば、「漂流に意味はない」というのが答えなのだろう。

この作品で描かれていることは、結局のところ、それぞれのキャラクターが持つ特殊能力は個々人の特技や個性、そして、ハテノ島などの漂流世界に存在する奇妙なルールは少年少女が現実世界でさらされている社会ルールのメタファーであろうということだ。つまり、このアニメは現実世界の鏡像として作られたものであり、夏目真悟監督は現実世界をどうやって生きていくべきかというメッセージしか発していないのである。

 

そもそも最終回は何が言いたかったの?

では、夏目真悟監督が視聴者に伝えたかったメッセージとは何なのか。それは最終回に凝縮されているように思う。というわけで、最終回で起こったことを簡単にまとめた。

 

①長良は漂流から帰還し、二年間の年月が経っていたため高校二年生になっていた。帰還した世界を美しいと感じることができない長良は、中学の先生から瑞穂の進学先を聞き出して会いに行ったが、瑞穂は漂流のことを覚えていない様子だった。さらに長良は、駅で希と朝凪が親しそうに話しているのを見かけた。長良は声をかけようとしたが、長良のことを覚えていない様子だったので声をかけずにその場を去った。家に帰った長良は、『ロビンソン・クルーソー』と希のコンパスを見つめながら漂流から帰還した時のことを思い出していた。

②漂流から帰還するために時空間の狭間にたどり着いた長良と瑞穂は、お互いの身体をロープでつないで外の世界に一歩踏み出した。そこには朝凪が待ち構えていて「漂流世界と現実世界に違いなどない」「与えられたものに満足して生きていくべきだ」と二人を説得するが、長良は「僕らは自分で手に入れたいんだ」と応じた。問答の果てに、朝凪は長良へコンパスを託し、長良と瑞穂はコンパスを頼りに決して振り向かずに走り続けた。コンパスを頼りに希が望んでいた可能世界を見つけた長良たちは、瑞穂の状態を固定する能力で自分たちをその可能世界に固定させることにした。(監督はシュレディンガーの猫が入っている箱の蓋を閉じることだと例えている)長良は言う。「これは希がみた光だから」

③一方で、漂流から帰還した瑞穂は、二年の間に祖母や猫が死んでしまったことから現状を受け入れることができなかった。そのために、自分に会いに来た長良のことも知らないふりをして追い返した。その夜に中学校に忍び込んだ瑞穂は、校舎内に漂流世界の入口がないかを探して回った。また、校舎内であれば自分の能力が使えるのではないかと考えて、ガラスのコップを床に落としたが、普通に割れてしまったことで、瑞穂は自分の能力が失われていることを悟った。

④現実を受け止めた瑞穂は、長良に自分から会いに行き、お互いの現状を話し合った。長良は言う。「やっぱり世界は変えられない。だけどこれは、僕が選択した世界だ」瑞穂は言う。「まあ大丈夫だよ。あの島でのアンタが、まだ少しでも残っているなら、大丈夫だ」

⑤長良は、駅構内で鳴いていた燕の雛のことが気になって巣を覗いていた。すると、希が話しかけてきて雛を助けたことを教えてくれた。そこで、希は長良が中学の時に同級生だったことを思い出したが、当然漂流のことは知らないので、長良を放っておいて朝凪の方へ笑顔で駆け寄った。それを見た長良は、少しだけ晴れやかな顔になって歩き出し、「人生はまだこれからだ。先はまだ少しだけ長い」とつぶやいた。

 

できるだけ簡潔に最終回の内容をまとめたつもりだ。これを見てメリーバッドエンドだと思った人もいるようだが、個人的にはハッピーエンドだったと思っている。

長良が、友人である希のみていた光(=希望)に夢を託すが(②)、結局は劣悪な自分の生活環境を変えることはできずに一度は絶望する(①)。しかし、同じように漂流から帰還した瑞穂がまだ自分を信じてくれいることに心を動かされて(③~④)、自分がよりよく生きていくことこそが、この世界を希がみた光に変えていくことだと捉えなおして前に進みはじめる(⑤)。そういうお話だと、私は解釈した。

 

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あと、サニボについて語っておきたいのは「鳥」と「光」という二つの重要なモチーフについてだ。

「鳥」については、長良たち自身のことを表しているのだろう。漂流世界から脱出する長良と瑞穂に、空を飛ぶ鳥の影が重なるシーンは象徴的だ。特に漂流前の長良が死にかけの鳥を見捨てたことは、閉塞的な状況で(心が)死にかけている自分自身を見捨てたということであるし、最終話で燕を助けようとしたら実は希が先に助けていたエピソードは、長良が自身のことを諦めるのをやめたということ、はじめから希の前向きさで長良は救われていたことを表しているはずだ。

「光」については、希のみていた光(=希望)ということなのだが、光に関する超重要人物でありながら忘れられているキャラクターがいる。それは、明星である。彼はアニメの折り返し地点である第六話において主人公たちと別れてしまったので、重要人物とは見なされにくいキャラだろう。しかし、彼は希と対になっているキャラクターだと私は考えている。希は自分一人だけが光をみることができるが、周りの人間とそれを共有することができない能力【コンパス】を持っていて、明星は自分のイメージを他人に共有できる能力【Hope】を持っていた。

希はあくまで希望が存在することを示唆するだけで、最終話になっても希がどのような光を見ていたのか他の人間にはわからない。一方で、明星は希望を語り、それを共有する能力を持っているために箱舟を造ることに成功した。また結果的に、多くの漂流者たちは明星についていく決断をし、漂流世界における安寧を得ることができた。明星は希望を語ることで多くの人間を救ったと言えるだろう。逆に、希の光を探しに行くという決断をした長良たちは、漂流世界を抜け出すことに成功し、自分たちの未来に希望を抱くことができるようになった。希の光は、多くの人を救うのではなく、自分たちだけを救ったのだが、それはそれで、ただの安寧以上に素晴らしいものだと私には思える。

 

『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』

ところで漂流と言えば、ジェームズ・ガン監督作品『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』が思い出される。おいおい、新スースクは漂流と関係ないだろ、とツッコミが聞こえてきそうだが、この作品はざっくり言えば犯罪者集団が刑罰の代わりに孤島のミッションに送り込まれるという話である。サニボでも熱心に引用されていたダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー』のモデルになったのはアレクサンダー・セルカーク、史実の彼は難破して島に流れついたわけではなく、海賊船の船長ともめたせいで刑罰として孤島に置き去りにされたのだ。島への置き去りというのも漂流テーマの近縁だと言っても、そう的外れではないだろう。

そこで思い返してみると、サニボと新スースクは意外と共通点が多いではないか。例えば、牢獄(学校、刑務所)に入れられていたキャラクターが島(ハテノ島、コルト・マルテーゼ島)に送り込まれて脱出する物語構造。キャラクターの特殊能力が、そのキャラ自身が持つ欠点やトラウマと密接に結びついていること。そして、サニボでも重要なモチーフであった「鳥」と「光」である。

 

もしかして、この2作品って似てる!?

「鳥」については、サニボと同じように登場人物たち自身の状況の投影である。(ツイッターでやらかして映画界から干されそうになったジェームズ・ガン自身の投影であるという読みもあり得るが、、、)刑務所内でサバントに殺される小鳥が、仕返しのようにサバントの死体をついばむオープニングは、アメリカに使い捨てられるはずだったスーサイド・スクワッドが、アメリカの裏をかく展開を予見していたし、シルヴィオ・ルナ将軍が飼っていた鳥が檻に入れらたまま焼かれたのは、コルト・マルテーゼ島の住人がアメリカ政府とスターロの争いに巻き込まれて虐殺される状況を先取りしたものだろう。そして、もっとも特色ある鳥の使い方と言えば、ハーレイ・クインの妄想の中に登場するカートゥーン調の小鳥であるが、これはハーレイ・クインが自身のことをカートゥーンの登場人物のように考えている完全な狂人であることを表している。しかも、これがスターロとのラストバトルにおいて、ハーレイ・クインの周りを鳥のように飛び回るドブネズミに転換されるところが鮮やかだ。

「光」のモチーフについては、二つ登場する。サニボにおける希と明星のように、役割がわけられているのだ。つまり、明星がラットキャッチャー2で、希がハーレイ・クインである。ラットキャッチャー2は父親から譲り受けたネズミを操るライトを持っていた。そして、彼女は「民衆を導く自由の女神」ような姿で、明星と同じようにわかりやすい希望の光で多くの者を救った。それに比べると、ハーレイ・クインは誰かを救おうとしたわけではなく、自分が見ている光を追いかけただけの人であったが、それが逆に彼女の存在を特別で力強いものにしていた。ラストバトルにおいて、ハーレイ・クインは光の象徴である星型の化け物につっこんでいき、自身の妄想の中にしか存在しないような美しい光の世界に同化していくのであった。サニボの希が見ていた光って、スターロの身体の中みたいな感じだったら嫌だなというところで、私の頭の漂流は終了としたい。

 

 

 

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第1~4章まで

「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(ヨブ2:9)

 

ル=グウィン先生の教えを守って創作を続けるのは、本当に苦しくて楽しい。

 

 

 

第1章:自分の文のひびき 

ここからが今になってもよくわからない話なんだけど、僕じゃなくてHくんの方がすっかりおかしくなっちゃったんだよね。とにかく、ことあるごとに屋敷の中で僕に何があったのかを聞き出そうとしてきて、あんまりしつこいからうんざりしちゃった。それでねえ、逆に僕の方から、どうしてそんなに屋敷のことが気になるのかって聞き返してみたんだけど、Hくんは真面目な顔して、僕は呪われたかもしれないなんて言ってさ、あれから家の中にうじゃうじゃと蟻がわいてきて、どれだけ潰しても減らないんだって。馬鹿馬鹿しいだろ。でも、Hくんは真剣なんだよ。つい先日、買ってきた桃を割ってたら蟻がぞろぞろと這い出してきたと、僕に泣きつくんだ。中が空洞で蟻の巣になったんだと、完全にノイローゼなんだろうな。そこで僕はひらめいたわけ、今からスーパーで桃を買ってこないかと提案してやったのよ。つまり、何十個と店頭に並んだ桃からHくんが一つを選んで、それに蟻が巣食っていたらそれは異常だ、本当に呪われいるのかもしれない、逆に何もなければ気のせいだったと認めるべきだと言ってやったんだ。Hくんも納得したみたいだったからすぐに実行した。買った店の駐車場に二人で座り込んでさ、桃の中身を確かめた。もちろん刃物を持ち歩いているわけじゃないから、Hくんが自分の爪で桃の皮を剥いて噛みついたわけだ。まあ、結果は普通の桃だった。蟻なんか出てこなかった。Hくんもさっぱりした感じで笑ってたよ、でもさ、僕は見ちゃったんだよね、果汁でべとべとになっているHくんの頬の上をね、こうやって一匹の蟻がさ、とことこ歩いて耳の穴に入っていったの。だから、僕なりに機転をきかせてね、その辺にあった大きめの石でHくんの頭を叩き割ってみたんだけど、いやゾッとしたね、脳みそに迷路のような皺がついてんだよ、蟻の巣みたいなやつ? あれって何かの呪いなのかな? やっぱ変だよね。ねえ、怖いねえ。

 

第2章:句読点と文法

だがそのとき電車は突然停車してしまい次の駅に着く時間ではなかったので人身事故でもあったのだろうかと思っていたらゴトンと大きな音がして電車は少し動いてはすぐ止まりこれはいよいよ故障か事故だろうと思われてきたので乗客の何人かは不安そうにキョロキョロとして様子を伺いまた別の乗客たちは鞄からスマホや文庫本を取り出して長期戦を覚悟した様子だったのだがそれもまもなく救急車かまたは警察車両の発するサイレンの音が聞こえはじめたので乗客たちは窓の外を一斉に見ることになったのだけれど何の前触れもなく電車は急発進して立っていた乗客は多くの者が転んでしまい動き出したのであればたいしたことはなかったのであろうと私などは安心もしたのだがそれにしても車内放送が一度もかからないのは変だと思っていたところ今度は金属が軋むような音が足の下から響いてきたので血の気が引いてしまったのであったが続いて車内の明かりが点滅してから消えたときにはヒッと声がでて車内はほとんど完全な暗闇になってしまったのでむしろ外の様子の方がはっきりと見えるようになってちょうど窓の外は停車するはずだった駅のホームを通り過ぎるところだったがホームで待つ人々は私たちが乗る電車の方を見て驚いた顔をして悲鳴をあげているように見えたし中には腰を抜かして座り込んでいる人までもいてだがしかし一番印象に残ったのはこちらを指さしながら大口を開けて笑っている女性であまりに怖いものをみたとき人は笑ってしまうものであろうかと思った

 

第3章:分の長さと複雑な構文

問1
みどりのバナナには手をつけず。

出された茶はすぐに飲み干した。
友人の部屋は家具というものがなく。

一緒にみている映画は退屈だった。

隣の部屋からは壁を叩く音がしていた。

その音は一向に止む気配がなく。

友人は内装工事をしているのだという。

私はこんな夜中に工事かよと応じた。

茶の代わりに出された酒は臭かった。

映画の内容は全く頭に入ってこず。

それというのも音が止まないからだった。

友人はツマミを探しに台所へ引っ込んだ。

その時、友人などいないことを思い出した。

 

問2
足には二十六本の骨があり、後ろの部分は七本の足根骨で成り立っていて、特に大きい骨が二つあるのだが、その一つである踵骨(かかとの骨)にひびが入り、とても立っていられない痛みで、四つん這いであれば耐えられたが、といってそれでは名探偵として格好がつかなかった、落ちぶれたもんや、恥ずかしくないんかそんな様で、と助手は私を見下ろしていった、なにをぬかす、そっちかて探偵がおらんと何もできひんのやないか、じきに事件の関係者たちが私の推理を聞きに集まってくるはずだった、このいくじなし、死に腐らせ、役立たずが、助手の罵倒を背に受けながら、やっとの思いで立ち上がり、かかとに負担をかけないよう足の指先だけで私は全体重を支えたが、もちろんバレエダンサーでもなければこの姿勢が長くもたないことは百も承知、しかしあきらめることもできない、やり遂げるしかないだろう、他にどないして食っていけばいいんか、探偵の仕事は威張り散らかしてなんぼ、これから顔を合わせるどの容疑者よりも偉そうで傲慢なところをみせつけなあかんのや、助手に言われるまでもない、でもさっきから指先の感覚があらへんねん、これは弱音ではなく自分を励ますために言ったつもり、助手は腕を広げると私の腰を支えるように手をまわして、大丈夫や、いつも通りやればええて、と耳元でささやいた、二人はそこにいて抱き合っていたが、嵐に立ち向かうように固く身構えていた。

 

第4章:繰り返し表現

問1
『5分後に超ハッピーエンド』。『5分後に超ハッピーエンド』だって、おまえ、どうするよ。どうしよう。5分後だぜ、たった5分。時間がないな。もう5分じゃないか。まだ1分もたっていないよ。5分って、どれくらいだ。原稿用紙1枚で1分だと、聞いたことがあるな。それは、この本だと何ページ目だ。さあ。読みはじめてから5分後なのか、それとも作中時間で5分後なのか。どうだろう。そもそも超ハッピーエンドとは何事だ。ただのハッピーエンドとは一味違うということだろう。普通のハッピーエンドだって、経験したことないのに。終わるのか。ああ、最高に幸せな時間が来るぞ。『5分後に超ハッピーエンド』だ。ところで、今は何分だ。

 

問2

 ポツポツと、顔に何かが当たった。
 顔を手で拭ってみると濡れていたので、雨が降ってきたのだとわかった。
 家まではまだまだ距離があった。すっかり仕事でくたびれていたから、私はできるだけ走りたくはなかったが、その想いに反して徐々に雨脚は強まってきていた。結局のところ、私は全力疾走でマンションのエントランスに駆け込むはめになった。
 私は荒い息をさせながら白いハンカチを取り出すと、濡れた髪をかきあげて、顔の水滴を拭いた。背中にまで雨水が入り込んで気持ちが悪かった。ふと、ハンカチを見ると赤く染まっていた。
 私は指先をそっと自分の鼻の下に持って行った。指先にも赤いものがついた。
 どうやら急に走ったために、顔に血がのぼって鼻血がでたらしかった。血は止まっているらしかったので、残りの血をハンカチで拭きとって、エレベーターで自分の部屋に向かった。
 自分の部屋の中に入って、「ただいま」と私が言うと、誰もいないはずのリビングの方から、「おかえり」と返事があった。
 リビングでは、新井さんが座ってテレビを見ていた。
「もう来ないでって言ったよね」私は舌打ちをして、「なんなのもう、本当にあり得ない」と吐き捨てるように言った。
「だって、寂しかったんだよ」と言って、新井さんはテレビを消すと、こちらに向き直った。
「合鍵、まだ返してもらってなかったね。そこに置いといて」
 私がそう言うと、新井さんはへらへらしながら、「どこにいったかなぁ」なんて言いながらポケットの中をあさっていた。
 新井さんのやることなすことすべてが、私の興を冷めさせた。本当は傷つきながら軽薄を装う彼女の仕草が、私には気持ち悪いとしか感じられなかった。
 私は相手に背を向けて座ると、ぐしょぐしょになった自分の髪をバスタオルで拭きはじめた。
「こっちを見て話しをしようよ」と、新井さんが後ろで言った。
 私が答えないでいると、新井さんは何を考えたのか、後ろから抱きついて、私の頭を抱え込んだ。そうすると、彼女の方がずいぶん背は高いので、私が彼女の顔を真正面から見上げる形になった。
「どうして無視するの」新井さんがそう言っても、私が何も答えないでいると、「もう死んでやる」と言って、彼女は小型のナイフを取り出して自分の首筋にあてがった。
 本当に仕方のない、つまらないやつだと思った。見ていたくもなかった。
 私は、実際に目をつぶった。
 新井さんは、ちょっと尋常じゃない様子でしゃくりあげ嗚咽した。
 私の顔に、ポツポツと、たいへんな量の暖かい液体が降り注いだ。その液体は、私の頬をつたって、口の端から口内に入り込んだ。
 それは少ししょっぱかった。これは涙であろうか、血潮であろうか。私は目を開けられないでいた。

自分だけの「新世紀の名馬ベスト」を作って遊ぼう!

かつてあったことは、これからもあり

かつて起こったことは、これからも起こる。

太陽の下、新しいものは何ひとつない。

  ――コヘレトの言葉 1:9 新共同訳

 

 ウマ娘は原因と結果が逆転しているコンテンツである。

 馬は勝手に名馬になるのではなく、人がただの馬を名馬にする。つまり、人がその馬の成績や血筋、背景を知ること【原因】で、その馬は名馬として認識される【結果】。しかし、ウマ娘では、その馬が名馬であることを知って【結果】から、モデルになった馬の背景を調べる【原因】、ということになる。つまり、ウマ娘はその作品構造の特性上、新たな名馬を生み出すことのできない。だから、ウマ娘を5年、いや10年20年続くコンテンツにするためには、私たち一人一人が名馬を作り続けていくかなければいけないのだ。(それが言いたいがための前置きだったのか……)

 

 

 

 まず現在の競馬ファンが考える名馬とは何かを知る必要があるわけだが、『優駿』の創刊80周年を記念して実施された「新世紀の名馬ベスト100」が最も参考になるだろう。

 

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 このベスト100に選ばれた馬たちは、黙っていても(権利関係さえクリアすれば)ウマ娘に実装されるであろう名馬たちだ。だから、ベスト100に選ばれなかった名馬たちを見つけ出した方が意義があるはずだ。今回、私は8頭の名馬を探してきた。

 

 

 ナリタトップロード

 名馬の条件にも色々あるわけで、強さという点において1999年世代*1の競走馬の中では”世紀末覇王”テイエムオペラオーが抜けていた。しかし、世代の主人公は誰だったのかと言えば、ナリタトップロードだというのが私の考えだ。なぜなら彼は、同世代には3強のライバルとして、先輩たちには挑戦者として、後輩たちには超えられるべき壁として世代を超えて戦い続けた馬だからだ。

  血筋は、父サッカーボーイ、母フローラルマジック。父サッカーボーイは人気馬*2だったため、かなり期待された競走馬生活のスタートだった。そして、彼は期待通りにきさらぎ賞弥生賞と重賞を連勝をして、2番人気で第59回皐月賞に出走した。その時の1番人気は父サンデーサイレンス*3、母ベガ*4という日本競馬における超王道良血のアドマイヤベガ。さらに主戦騎手は武豊という完全に競馬界の主人公。前走の弥生賞でトプロの2着に入っているのも、よきライバルという感じでドラマ性を引き立てる。しかし、皐月賞を勝ったのは5番人気でいまいち地味なやつ、テイエムオペラオーだった。そして、第66回東京優駿アドマイヤベガ、第60回菊花賞をトプロが獲って、3頭はクラシックを分け合い、99年世代を引っ張っていく3強になったのだ。

 しかし、アドマイヤベガは早々に引退し、トプロとテイエムオペラオーは、第44回有馬記念に出走することになる。そして2頭の前に立ちふさがったのが、”黄金世代”グラスワンダースペシャルウィークである。この伝説的レースで古馬*5との力の差を見せつけられた99年世代であったが、この経験を糧にテイエムオペラオーは覚醒する。第41回宝塚記念、ここでテイエムオペラオーは”黄金世代”グラスワンダーを下し世代交代を実現。そしてメイショウドトウという新たなライバルとも出会った。一方、2000年のトプロは、年間全勝のレジェンド、グランドスラム*6を達成するライバルをいつも後ろで見ているだけで、いつの間にかライバルポジションもメイショウドトウに奪われる始末。雌伏の時というのでもない、毎回勝つつもりで正面から全力勝負を仕掛け、そのたびにテイエムオペラオーにボコボコにされていた。

 しかし、シンボリルドルフと並ぶGⅠレース7勝に並んだテイエムオペラオーにも壁は立ちふさがることになる。2000年(アグネスデジタル)・2001年(マンハッタンカフェジャングルポケット)世代の台頭である。結局、世代交代の波には逆らえず、ライバルのメイショウドトウとともにテイエムオペラオーは引退することになる。

 実を言えば、トプロが偉大な名馬である理由はここからなのだ。同期のライバルがいなくなっても彼は新生代抵抗勢力として走り続けた。周りが弱かったからテイエムオペラオーグランドスラムを達成できたという心無い言葉もあっただろう。だからこそ、トプロは走り続けた、挑戦者であり続けたのだ。そして、彼は最後まで泥臭く2000年、2001年世代はもちろん、2002年世代(シンボリクリスエスファインモーションヒシミラクル)とも戦い抜いて、世代の底力を証明し続けた。彼こそ不屈の名馬であろう。

 

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ダンツフレーム

 2001年世代、有力馬が軒並み故障して引退した悲劇の世代なのだけれど、常に第三勢力として2005年まで走りぬいたのがこのダンツフレームである。父ブライアンズタイム、母インターピレネー

 この世代の主役と言えば、みなさんご存じ「わずか四度の戦いで神話になった」”超高速の粒子”アグネスタキオンである。アグネスタキオンが伝説になった理由の一つは2歳時の第17回ラジオたんぱ杯で挑戦者のジャングルポケットクロフネを子ども扱いで完勝したことにあるだろう。その後、ジャングルポケット日本ダービー馬になりジャパンカップテイエムオペラオーに世代交代を告げた馬だし、クロフネは芝GⅠでも一流だったが、ダート路線に変更してから超一流になった馬で例題のダート最強とも言われる馬になった。というわけで勝った相手が歴史的名馬ばかりだったので、そいつらに完勝したタキオンはどれほど強かったんだという話になっているのだ。*7

 話を戻して3歳時、先の3頭に加えてアーリントンC(GⅢ)を勝ち上がって有力馬に名乗りをあげたのがダンツフレームである。第61回皐月賞では、1番人気アグネスタキオン、2番人気ジャングルポケット、3番人気ダンツフレームとなり、レースでも人気通りに最後の直線では3頭が抜け出して競り合いになった。結果はアグネスタキオンが勝ち切るのだが、ダンツフレームも見せ場のある2着であった。しかし、タキオン皐月賞後に故障引退となりリベンジの機会は永遠に失われる。気を取り直して、第68回東京優駿ではいい走りはするものの、タキオンなき後の最強をジャングルポケットにゆずることになる。さらに気を取り直して、第62回菊花賞では第四勢力であるエアエミネムマンハッタンカフェに、ジャングルポケットと一緒にボコボコにされた。

 古馬になってからは宝塚記念(G1)などを勝っているが、世代最強はマンハッタンカフェに完全に持っていかれてしまう。さらに、2002年には共にしのぎを削ったマンハッタンカフェジャングルポケットが故障で引退し、2003年にはエアエミネムも同じく故障引退。世代の最強たちを見送ったとの彼の晩年も穏やかなものではなかった。地方競馬で復帰するも一度も勝てないまま引退し、当然種牡馬になることもなく、最後は肺炎をこじらせて7歳で生涯を終えた。世代の最高峰のレースを常にそのちょっと後ろで走り続け、最強馬たちを引退まで見送ったダンツフレーム。彼はなんとも寂しい名馬だった。

 

 

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ファストタテヤマ

 画面の向こうの君は、GⅠ勝ってない馬を連れてきやがってと思ったかもしれない。でも、ファストタテヤマは「ファストタテヤマの馬券を買って家を建てやま」という名言で2002年度の2ちゃん競馬板流行語大賞(という何の名誉もない賞)にノミネートされるぐらいには記憶に残った馬なのだ。実力的に他の馬と比べて一枚落ちるのは間違いないが、2002年世代を語るには欠かせない馬……のはずである。

 

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 父ダンスインザダーク、母メインゲスト。人気しないときに限って好走する。馬券ファンにとっては間違いなく名馬である。とはいえ、ファストタテヤマは主役というよりも脇役としての名馬なのだから、2002年世代の主役たちに目を向けみるべきだろう。まず世代で頭角を現したのは、第53回朝日杯FS(GⅠ)の勝馬であるアドマイヤドン*8、未勝利戦を勝ち上がってから重賞3連勝のタニノギムレット*9。しかし、第62回皐月賞を制したのは、15番人気だったノーリーズン*10という大波乱となった。続く、第69回東京優駿では、前年から外国産馬も出走できるようになったため若葉賞の勝馬シンボリクリスエス*11がダービーを獲りに来るが、今度こそタニノギムレットが1番人気に応えてダービー馬となる。ちなみに、皐月賞ノーリーズンは2番人気に推されるも8着と微妙な結果。

 第63回菊花賞、ここからやっとファストタテヤマの出番になる。ダービー馬タニノギムレットは勝ち逃げ引退し、シンボリクリスエスも不在の菊花賞となってしまう。であれば、皐月賞馬が勝つはずだと誰もが考え、ノーリーズンは堂々の1番人気に推されるのだが、競馬の神様はなかなか意地悪でスタート直後にノーリーズンは落馬してしまう。100億円の馬券を数秒で紙くずに変えてしまったわけだ。そして、4番人気ローエングリン*12が逃げて、主役不在のカオスな菊花賞がはじまった。のちに様々なミラクルを連発するヒシミラクル*13がしわじわと位置をあげてくる。そして、外からすごい脚で突き刺さってきた馬こそがファストタテヤマだった。1着が10番人気ヒシミラクル、2着が16番人気のファストタテヤマ、その世代のカオス具合を象徴する、記憶に残る菊花賞だった。

 ファストタテヤマは、その後もスイープトウショウの2着やヘヴンリーロマンスの2着など、期待されていないときに驚異の追込みを見せて、競馬の醍醐味を私たちに教え続けてくれた。

 

 

バランスオブゲーム

 先の記述で2002年世代を振り返るにあたって、意図的に隠蔽された馬がいる。その馬の名は、バランスオブゲーム。非根幹距離*14王者、GⅡ6勝*15の名馬である。父フサイチコンコルド、母ホールオブフェーム。ダビスタ開発者が馬主であることも有名である。

 今となっては1800mや2200mでだけ強い馬という評価もできるが、彼にもクラシック路線で戦っていたころがあるのだ。彼はアドマイヤドンが勝った朝日杯FS(GⅠ)で敗れたとはいえ4着を確保していた。その後もクラシックのステップレースGⅡ(弥生賞セントライト記念)はきっちり勝っているのに、本番のGⅠではいつも6番人気以下で、結果も掲示板外だったのは彼らしいと苦笑するほかない。当時のファンからして彼の特性を見抜いていたのだろう。古馬になってからも7歳まで走りぬき、GⅠで勝つことはなかった。彼の戦歴をつまみにすると無限に酒が飲める。バラゲーは、勝ったメンツ(カンパニー、ダイワメジャーコスモバルク)もすごいが、負けたメンツをみるとさらにすごい。ヒシミラクルデュランダルタップダンスシチーツルマルボーイネオユニヴァースゼンノロブロイファインモーションヘヴンリーロマンスディープインパクト。歴戦の名馬たち、あの名勝負を見るとき、勝利馬の後ろ3~6番手を走っている馬に目を向けてみよう。きっとそこにバラゲーはいるよ。

 

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スマイルトゥモロー

 

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 引き続き2002年世代。牝馬にも名馬はいる。その名はスマイルトゥモロー。天才と狂気が紙一重の名馬、とにかく激しい気性で調教するのも一苦労だったらしい。

 2歳時は3戦1勝、まあまあである。しかし、3歳時のフラワーカップ、騎手は馬の行く気に任せた。スマイルトゥモローは3コーナーで先頭に立ち、そのまま後続を突き放して2着から2馬身半突き放して重賞初制覇。彼女は能力の高さと気性の難しさを示して、桜花賞へ駒を進めた。桜の舞台では出遅れてしまい追い込んだものの6着敗退。しかし、迎えた第63回優駿牝馬、あいかわらずパドックでもテンションは最高潮で、今回もダメかと競馬ファンは思っただろうが彼女は驚くべき競馬をする。道中は後方15番手を追走、最終コーナーに入ったところで馬群がばらけた。その一瞬の隙を彼女は見逃さなかった。スマイルトゥモローは開いたインを鋭く突いて、抜群の瞬発力でワープをしたかのように勝利をかっさらっていった。折り合いさえつけば、こんなに強いのかと度肝を抜かれたレースだった。

 ただし、その後は気性の激しさに拍車がかかり、第51回府中牝馬ステークスでの、目も覚めるような爆逃げからのターボエンジン逆噴射など、見所の多いレースを最後まで見せてくれたものの、古馬になっては活躍することなく引退してしまった。能力はGⅠ級、しかし自分自身を御すための戦いには勝ち切ることができなかった。「いつでも敵は己自身」、人生で大切なことはこの馬から学んだ。 

 

 

テイエムプリキュア

 今度は2006年世代牝馬のお話。先輩に2004年のスイープトウショウ*16、2005年のシーザリオ*17がいて、翌年の2007年世代にはウォッカダイワスカーレットがいるので、ちょうど牝馬の人気的にも狭間になっていた世代である。「新世紀の名馬ベスト100」にもこの世代の牝馬は選ばれていないのだが、もちろん名馬がいないわけではなく、カワカミプリンセス*18は、第31回エリザベス女王杯(GⅠ)で当時の最強であるスイープトウショウら古牝馬をまとめて撫で切って圧勝しているのだから、もう少し評価されてもいい(進路妨害で降着して繰り上がりでフサイチパンドラが勝ったので、いまいち歴史から抹消された感がある)。

 今回は同姓代の中でもどちらかと言えば落ちこぼれ、テイエムプリキュアは、父パラダイスクリーク、母フェリアード、名付け親は馬主の娘でもちろんアニメが元ネタで、メンコにはワッペンまで『ふたりはプリキュア Max Heart』のワッペンが縫いつけられている(そんなことしていいのか……)。血筋は地味だが、2歳時は3戦3勝の大活躍、新馬戦でドリームパスポートを蹴散らし、かえで賞、阪神ジュベナイルF(GⅠ)までも勝ってしまう。しかし、3歳になり牝馬クラシックはカワカミプリンセスフサイチパンドラの活躍を見守るだけ、結局2008年までまったくいいところなく散々な戦績を残してしまう。

 いよいよ引退を発表し、ラストランを2009年の日経新春杯に定める。11番人気、誰もが勝つとは思っていなかった。しかし、彼女はスタートすぐに先頭に立ち大逃げ、まさかの3馬身以上の着差を付けての圧勝をしてみせ、その結果でもって引退を撤回させるのである。このレース後はまた大敗を続けたものの、同じ年の第34回エリザベス女王杯、1年後輩のクィーンスプマンテと二人でまた大逃げをうつ、1着こそクィーンスプマンテにゆずったが、ブエナビスタ*19に先着しての2着である。これで有終の美と思ったら次の年も現役続行、あいかわらず大敗を続けて引退した。結局、最後の最後で新旧牝馬二冠(カワカミプリンセスブエナビスタ)に先着したのもすごいが、欲をかいて現役続行し翌年のエリザベス女王杯で惨敗しているのが彼女らしくて好きだ。このサヴァイヴ感は、他の牝馬には感じることのできない魅力であろう。生きて走っているだけでお前も最強牝馬だ! 同期のフサイチパンドラがアーモンドアイとかいう本当の最強牝馬を産んだけど気にするな!

 

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ローズキングダム

 

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 ローズキングダムは、父キングカメハメハ、母ローズバド。彼はローザネイからローズバドまで続いた薔薇の一族の王子であったのだ(一族とか言っているが、まあGⅠ級の馬を輩出してもいまいち勝ち切れない輸入牝馬の末裔)。ローズキングダムジャパンカップを勝っているのにどこか地味な馬であった。なぜ実績に比して地味なのか、それをこれからゆっくり話そう。

 まずローズキングダムは2010年世代であった。のちにライバルになるヴィクトワールピサを2歳の新馬戦で打ち破った彼は、その勢いで、東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)、朝日フューチュリティ(GⅠ)を勝ち抜いて、3戦3勝(……なんか逆に嫌な予感が)。もちろん皐月賞でも期待されて2人気、しかし勝ったのは新馬戦で倒したヴィクトワールピサだった。続く東京優駿ヴィクトワールピサには先着するもエイシンフラッシュの切れ味に負ける。それでも菊花賞を獲れば、クラシックを分け合った3強になれるのだ。がんばれローズキングダム。前哨戦の神戸新聞杯(GⅡ)でエイシンフラッシュを下して臨んだ菊花賞ではヴィクトワールピサエイシンフラッシュも不在ということもあり、堂々の1番人気で出走した。しかし、勝ったのは7番人気のビッグウィーク。典型的な前残りの展開でローズキングダムはちゃんと終いの脚を使えていたので、展開のあやであって実力負けではないのだが、結果として3歳時はおしい内容で終わった。

 それでも彼は一族のため、有馬記念を最大目標として次走を第30回ジャパンカップに定める。ローズキングダムは4番人気、前々で競馬をして最後の直線で抜け出そうとしたところで、ブエナビスタが大斜行して真ん中にいたヴィクトワールピサに挟まれる大きな不利を受けてしまう。ここで心が折れてしまったも仕方ないが、根性でブエナビスタを猛追して結果は2着。しかし、ブエナビスタが進路妨害で降着したために、ローズキングダムは繰り上がりで1着になる。念願の古馬混合GⅠの勝利であり、内容も決して恥じるようなものではなかったが、実力で勝ったとは言い切れないのも事実であった。有馬記念ブエナビスタを下して白黒はっきりつけるはずが、疝痛で回避することになる。そこで闘志が途切れてしまったのか、古馬になってからは目立った戦績もあげることなく引退となった。自身の血筋の力を示すには中途半端な結果ではあったが、間違いなく記憶に残るレースをしてくれた。

 今は引退後にのんびり暮らしている様子があげられている。隣のタニノギムレットが柵を蹴る癖があって迷惑しているようだが……。

 

 

ハクサンムーン

 年間全勝、それがどれほど偉大な記録なのか。凱旋門賞に勝つよりも難しいと言われた香港スプリントを2年連覇したロードカナロアですらも2013年は一度負けているのだ。勝った馬の名はハクサンムーン。確実にG1級の実力を持ちながら一歩届かなかった馬、1年上にロードカナロアがいた悲劇の馬。いや、ロードカナロアがいた時だけなぜか強かった、強い時期が短すぎた馬なのかもしれない。

  父アドマイヤムーン、母チリエージェ、母父サクラバクシンオー。早々に短距離戦線へ進んだので関係ないが、同期のクラシックでは牡馬のゴールドシップ牝馬ジェンティルドンナがめちゃめちゃくちゃやっていた2012年世代である。

 ハクサンムーンは2009年2月の早生まれ、2011年の新馬戦を勝利し1戦1勝のキャリアで朝日杯FSへ出走、11番人気の16着最下位となる。2012年にはクラシック路線を諦め、3、4歳時にはアイビスサマーDや京阪杯で好走して短距離適性を示した。5歳になったハクサンムーンは徐々にスプリンターの才能を開花させる。初のG1である第43回高松宮記念は10番人気ながら3着と健闘。これもただの人気薄から好走というわけではない。先行激化で差し追込み有利かと思われていたレース状況を、驚異的なテンのスピードであっさり先行するとそのまま押し切って、ロードカナロアが差してきた時に抵抗するようなねばりを見せての着順だった。カレンチャンなき短距離戦線で、打倒ロードカナロアの夢を抱けるのはハクサンムーンしかいないのだ。

 ロードカナロアが第63回安田記念を制覇している間に、ハクサンムーンは第49回CBC賞を2着とまずまずの結果。そして、第13回アイビスサマーDにおいて横綱相撲で勝ち切る圧勝を見せる。ここでハクサンムーンは全盛期を迎え、トップスピードを持続する力にかけては非凡な馬であることを証明していた。そして、雌雄を決する第27回セントウルステークス、最後の直線でハクサンムーンロードカナロアの熾烈なデッドヒートになり、ハクサンムーンの逃げ切り勝ちとなった。ロードカナロアのファンは色々言い訳をしたいだけれども、この時だけはロードカナロアよりハクサンムーンの方が強かった、それだけのことなのだ。その証拠にハクサンムーンはスタートで少し出遅れたところを二の足を使って先頭にいったわけで、ここで無駄な足を使っていなかったらもっと着差を広げていたかもしれない。

 そして、いよいよ本番の第47回スプリンターズS、2番人気を得てロードカナロア打倒に燃えるハクサンムーンであった。レースは得意のダッシュ力で前に行ったが、最後はやっぱり世界のルォォォォォォォォォォォォォォォドカナロァァァァァァァァァァァァァァ↑にかわされ2着。負けるときの着差はいつもだいたい1馬身、この1馬身が素直にロードカナロアの実力の差だと認めるしかないが、されど1馬身程度の実力差であれば、ちょっとしたことでひっくり返るのが競馬の世界。だから、2013年のハクサンムーンは最強に手が届いていた可能性はあるのだ。

 

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 その年でロードカナロアは引退。ここからは彼の天下かと思っていたところ、すっかりズブいところが出てきてしまったので、それから引退までは微妙な成績だった。

 あと、この馬は馬場入場の際に旋回をはじめるという変わった癖の持ち主だったことが有名。今となっては旋回おもしろシーンの方が有名なのが少し歯がゆい、G1を一つでもとっていれば。

 

 

 

というわけで、なんやかんやと個人的な名馬を並べ立てていったのだけれど、いやあ、色んな名馬がいるんだなぁと納得して画面を閉じようとしている、そこの君。次は君の番だ。

さあ、君たちの名馬を教えてくれ。

 

*1:1999年のクラシック競争に出走した世代のこと。クラシック競争とは、3歳馬のための伝統あるレース(皐月賞桜花賞優駿牝馬東京優駿菊花賞)のこと。

*2:テンポイントの再来、弾丸シュート、人気の理由は無数にあるので、ここでは語れない。

*3:彼なしに日本競馬は語れない。言わずと知れた大種牡馬

*4:西の一等星。父トニービン牝馬クラシック二冠の名牝。

*5:4歳以上の馬のこと。

*6:古馬3冠に加えて、春のGⅠである「天皇賞・春」・「宝塚記念」を 同一年に全て勝利する事。

*7:競馬はその三段論法が通じないのが常なのだけれど

*8:ティンバーカントリー、母ベガ。のちにダート路線にいって活躍する。

*9:言わずと知れた名牝ウォッカの父。

*10:理由なき反抗とは言わないでくれ。若葉Sを7着の馬が来るとは思わんよな。

*11:バブルガムフェロー以来の3歳馬の天皇賞秋制覇や、引退の有馬記念を9馬身差で勝つやべーやつ。

*12:ロゴタイプの父。

*13:サッカーボーイ、母シュンサクヨシコ。やっぱりサッカーボーイマイラーじゃなくてステイヤーだったんだと夢を見られる。

*14:2ハロン(約400m)で割り切れない距離。

*15:今のところ、GⅡ最多勝記録。

*16:39年ぶりに牝馬宝塚記念を優勝。

*17:アメリカンオークスを制覇したジャパニーズスーパースター。

*18:みんな大好きキングヘイローの代表産駒。

*19:スペシャルウィーク、母ビワハイジ。親子でジャパンカップ制覇したやばい娘。

【感想】『 夜になっても遊びつづけろ』

 ネタバレですが、私は「九鬼ひとみ」というペンネームで同人誌でちらほら書いてたりします。大学でミス研に所属していた時から、つまりは10年近く使っているペンネームなのですが、いつの間にか同姓同名のソシャゲキャラが作られていました。ペンネームを変えるかどうか悩み中です。絶対に変えたくないというほど愛着があるわけでもないですが、こんな理由で変えるのもなんだか癪ですし……。

 閑話休題

 ありがたいことに、「よふかし百合」をテーマにした同人誌に参加させてもらったので感想を記しておくことにしました。

 

 

織戸久貴「綺麗なものを閉じ込めて、あの湖に沈めたの」(扉イラスト:ななめの)

 夏休みの終わりに偶然出会った不登校のクラスメイト。彼女は猫の死体をフードデリバリーのバッグに詰めて、埋める場所を探していた。候補地が見つからず困っていた彼女に、わたしは思いつきを述べてみる。「埋めるのは難しいけど、沈めるのは案外簡単なんじゃないかな」“死体を埋める百合”にさよならを告げる、たった一度きりのまよなかの水葬。本格百合ミステリの新たなる冒険。

 

 正直に言うと、本当に本格百合ミステリなんて可能なのか疑っていた。うっかりすると、百合とミステリが一緒の箱に入っているだけのバラバラな作品、つまり登場人物のキャラ属性が百合であるだけのミステリになりそうだ。その点、本作は二人の対話そのものが「百合」と「ミステリ」どちらのジャンルに対しても貢献している造りになっている。織戸さんは「よふかし百合」の言い出しっぺなだけあって、ちゃんと百合と本格ミステリのうまい付き合い方を考えていたんですねえ。

 

 

鷲羽巧「夜になっても走りつづけろ」(扉イラスト:ななめの)

巨大企業に食らい尽くされ荒廃したアメリカを、「あたし」は「あんた」と車で駆ける。何のために? 何を目指して? 「あんた」が眠っているあいだに拾った少女について喋りはじめた「あたし」は、やがてふたりの来し方と行く末をも問いかけて――。夢を見なくとも走りつづける、終末のロード・ナラティヴ。

 

 「よふかし百合」というテーマを与えられて、こういう話がでてくるとは全く予想していなかった。自分では絶対に書けない物語を他人にいきなり見せられると憧れるしかない。登場人物の「苦痛」に裏付けられた「ドリーム(百合)」と、移動に駆り立てられる人生の「ロード」、最高! 百合をロード・ナラティブとして語りなおすことに可能性しか感じないですね。

 


孔田多紀「餃子の焼き方。」(扉イラスト:孔田多紀)

「犯罪オリンピック」が未然に防がれた20××年。あらゆる殺人事件が消失し、探偵人口が極端に減少した世界で、元探偵少女雨恋真雪は晩食に餃子を焼くことを決意する。ところが、なかなかうまく焼けない。なぜなのか? そうだ、あの人に聞いてみよう……。ドゥーム・メタル度1%のJDCトリビュート。

 

 探偵の推理には本来、ただの惨たらしい死をファンタジックに彩る力があるはずなんだけど、「犯罪オリンピック」が防がれた「日常の謎」的世界ではむしろ探偵の無力さが際立ち、推理の後に残るどうしようもない現実というのを浮き彫りにしてしまう。その暗くて重い世界が百合的関係性によって癒しに転換する瞬間がどこかにあって、これがドゥーム・メタル的世界観なんだろうな。いや、よくわかってないんですけど。

 

 

笹帽子「終夜活動」(扉イラスト:ななめの)

奇妙な交通事故現場から保護された少女は、〈終夜機構〉にとらわれた。あなたは異常な存在に魅入られている、異常を正さなければならないと説く物理学者に対し、少女が自分だけの天使と共に出す答えは。脳に直接ささやく、バイノーラル・ニューウィアード・百合小説、イヤホン/ヘッドホン必須。

 

 ASMRを小説でやるというアイデアにとどまることなく、そのアイデアを最大限に生かせる舞台設定を考えたことに驚嘆。意外なオチもあり、ユーモアもペーソスもある。設定もしっかりしたものがありそうで、続きが気になりますね。エンタメとして完成度が高いってのはこういうことなのかと思いました。

 

 

鈴木りつ「夜はさらなり」(漫画)

曜変天目とは宋代、建窯という窯で作られたとされる茶碗。暗い釉薬の上に現れる斑点を星の煌めきに見立てて”曜”の字が当てられた。近年その再現の研究報告が多く報告されるようになり、また2019年には現存する国宝三点それぞれの展示が全国各地で開催され注目を集めた。それから3年──とある大学のサークル棟。あの星の煌めきを再現するため、今日も窯に火が入る…… 

 

 陶芸をすることで長々とした前置きがなくても夜更かしする理由になっているのが、「その手があったか」と思いました。そして、その夜の闇の中を流れるゆったりとした百合的時間(輝き)が具象化したものとしての曜変天目をみて、二度目の「その手があったか」がきました。無駄なところがない。

 

 

九鬼ひとみ「新井さん、散歩をする」(扉イラスト:矢部嵩

私の忘れられない思い出である、壊れた幼馴染の新井さん。欠けた前歯と血に染まったハサミ。夜の廃工場と姉妹団の足跡。大学を卒業して就職した私は、大人になった彼女と再会する。私たちは同棲することになったが、新井さんの様子はどこかおかしくて……。何か大きな流れに、私たちは押し流されて変わってしまうのだろうか。
正統にしてキッチュな、ニューロティック百合ホラー。

 

 なぜイラストが矢部先生なのかと言うと、私が「百合小説を書いたので読んでください~」って送りつける程度の厚顔無恥さを備えた人間だったというだけのことです。先生には、重ねて感謝を。

 自作解説は野暮なので、執筆中に摂取して特に影響があったように思う作品を列挙しておきます。

 

江國香織「緑の猫」

スティーヴン・ミルハウザー「夜の姉妹団」

ローラン・トポール『幻の下宿人 』

チャールズ・バクスター「ステンドグラス」

・マリアーナ・エンリケス「学年末」

吉田知子「猫闇」

・浄土るる「神の沈黙」

・TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』

・TVアニメ『R.O.D -THE TV-

・映画『鬼婆』

 

 

紙月真魚「君の手に花火が透ける」(扉イラスト:ななめの)

彼女は思い出す。海から現れ出る砂の小道と、その先にある名前を知らない小さな島を。謎だらけの少女との出会いを。重なる逢瀬を。夏祭りの花火を。ちょっぴり苦くてファンタジックな、回想の小旅行へご案内します。

 

 まず難しいテーマに挑んだ作者の勇気がすごい。一種のタイム・スリップを含んだ百合なのだけれど、時空を移動する側ではなく、移動してきた人を迎え入れる側に視点を据えたところが慧眼としか言いようがない。先行例では『ジェニーの肖像』なんかがあるけれど、人との出会いというものの取返しのつかなさを表現することに効果をあげていまずね。(←アナロジーで語るのはダメって、ル・グウィンも言ってたよ!)

 

 

murashit「できるかな」(扉イラスト:ななめの)

「できるかな」は、2021年に発表された小説である。
「先輩」と「後輩」が身近にあるものを使って、電子書籍に目を通す読者に、工作の楽しさを教える。作品の基本的な流れは、“退屈したり遊びたがっている先輩のために後輩が思い付くまま即興のように世界を製作し、中盤はそれで楽しくごっこ遊びを行い、クライマックスでは——

 

 百合創世記。収録作の中でも一番噛めば噛むほどおいしい作品かもしれない。「できるかな」という言葉自体が、「思いやりある問いかけ」にも「攻撃的な挑発」にも読めるけれど、この小説の構造もそういった多様な読みを許容しているように思う。読み終わってからあらすじを読むと二度おいしいところもいいですね。

 

 

谷林守「彼女の身体はとても冷たい」(扉イラスト:ななめの)

夜の公園、不思議な関係、密会、思い出、白い鰐、逃げ出したもの、目立つ髪、予備校、終電、冷たい手、深夜の逢瀬、ミルクティー、じめじめした日、ディープキス、綺麗な黒髪、彼女の噂、二十四時間、心の距離、ありふれた夏、雨上がりの夜、自分の気持ち、盲信、嫉妬、寂しい部屋、幼少の記憶、はじめてのこと、興味のない関係性、ひとりのベンチ、お盆明けの追想録。

 

 「よふかし百合」というテーマに対して真っ向勝負な話。夜という空間を、彼女という存在を、最初の頁をめくった時から感じたし、精神的な絆にとどまらず肉体的なつながりに踏み込んでいて圧倒された。また、時系列をシャッフルすることに何か仕掛けがあるわけじゃなくて、二人の特別な時間に集約していくようになっているのが素直にグッときました。

 

 

千葉集「芋よりほかにふかすものもなし」(扉イラスト:ななめの)

究極のよふかし芋 vs 至高のいしやき芋ーー眠らない亀岡の夜を賭けた、不滅の芋売りたち【イモータルズ】の暗闘が幕を開ける……。 9万市民を恐怖の底に叩き込んだ 真夜中の惨劇! 見せる 生のよふかし 芋が焼けるまで 突き狂う女・女・芋 焼き急ぎ 食べ急ぐ 若き芋売り 芋が決定する暴力地図 よふかし百合を芋で描く 深夜のアニメ観賞会 乞う、ご期待!

 

 執筆途中でプロットを聞いた時には、コアラとキリンの睡眠時間が正反対であることから組み立てていて、それじゃあすれ違いのままで一生百合に発展しないんじゃ……と思っていたら、「よふかし芋」という鎹(かすがい)が二人の絆をつなげてくれたようですね。芋がつなぐ愛の果てを見ることができました。

 

 

 

まとめ:「よふかし百合」という言葉の解釈が意外とわかれて面白いですね。あと、感想を書くなら、せめてお盆前に書くべきなんじゃないかと反省しました。

 

 

ワンエグを援護するための20の方法

――誰かがふと思った。

『ワンエグを守護らなければ……』

 

※これはワンダーエッグ・プライオリティを特別編までみた上で援護してみようという趣旨で書いたので、当然の如く、隅から隅までネタバレです。

 

ネタバレ該当作品

野島伸司関係作品:

ワンダーエッグ・プライオリティ』『高校教師』『未成年』『リップスティック』『フードファイト

野島伸司と関係のない作品:

魔法少女まどか☆マギカ』『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』『さらざんまい』

 

 

 

 

 

 

方法1:結論として

野島伸司って、何も責任取る気がないのである。

  ――ナンシー関『何もそこまで』(角川文庫)

 

 ワンエグを批判する際に使われている言葉は、20年前にナンシー関が言っていたことと非常に似ている。 曰く、「最後に全部セリフにしちゃうのはねえ。確実だけどさ。バカみたい。」「野島伸司、保険男。過激だ、問題作だって言われて、それに乗っかって食ってるなら、責任取る覚悟くらいしろ。」である。

 これは1995年のTBSドラマ『未成年』に対する酷評であるが、ワンエグに対する批判と重なる部分があるように見える。つまり、過激な描写や謎によって視聴者の興味を引きながらも明確な答えを出さずに逃げたという評価だ。しかし、その評価は妥当だろうか。私は妥当ではないと思う。

 ワンエグが作品全体として取り組んでいるテーマは、少年少女を搾取し殺してしまうような社会の仕組みに対してどう対峙するかということであり、1990年代以降のアニメ作品(例えば『少女革命ウテナ』『魔法少女まどか☆マギカ』など)が一貫して取り組んできたものである。そうした歴史的積み重ねのあるテーマに対して、野島伸司は「プライオリティ」という言葉を通して新しい態度を示したのだと考える。

 

 

 方法2:野島伸司

 野島伸司がワンエグを通して何を言いたいのか検討するためには、そもそも彼がどのような作家なのかを見ていくことにも意味があるだろう。

 野島伸司は、1982年に『時には母のない子のように』で第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞してデビューした。フジテレビヤングシナリオ大賞とは、当時のフジテレビがテレビドラマ業界で若手の脚本家を育てるために創設したものらしい。では、野島伸司に求められた若い感性とは何だったのだろうか。1980年代にドラマ業界で流行っていたのは『男女7人夏物語』に代表されるようなトレンディドラマであり、おしゃれな美男美女による恋愛ものが当時のメインストリームだったのだ。そうした状況の中で野島に求められたのは、美男美女による恋愛中心主義的な価値観に対するカウンターだろう。彼の初期の代表作である『101回目のプロポーズ』が分かりやすい。主役に美男からかけ離れた武田鉄矢を配置し、美女と野獣カップルなどと言われるほどだった。そして、ここから野島伸司の暴走は加速する。

 トレンディドラマに反旗を翻した野島が、『愛という名のもとに』を挟んで次に発表したのが、教師と生徒による禁断の恋愛、近親相姦、自殺などの社会的タブーを題材にした『高校教師』である。ここに至ると、かろうじて恋愛ものの体裁をとっていても主題は完全に社会的タブーの方へ移行をはじめている。その後も『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』『未成年』『聖者の行進』という「TBS野島伸司シリーズ」を通して、いじめやマスコミの偏向報道障碍者差別など、社会問題を描き続ける。それらの作品に共通していることは、当時の社会問題を反映していることだけではない。大人たちから搾取される社会的弱者(子供や障碍者など)が真に純粋無垢な存在であり救われるべきだというメッセージを共通して持っている。そのようなメッセージを盛り込むのは新しかったのだろうが、一方で社会的弱者を虐げる社会構造に対してどう対峙すればいいのかという結論が作品内で示されないことには不満の残るシリーズだ。

 1995年に放送された『未成年』を例にしてみてみようと思う。『未成年』は社会や家庭の中で孤立している少年少女が出会うところからはじまる。彼らは山奥の廃校で共同生活するようになり、その過程で様々な事件を起こして警察やマスコミから過激派テロリストのレッテル張りを受けることになる。その結果、少年少女のごっこ遊びのような共同生活は破綻して、あさま山荘事件オウム真理教を連想させるような悲劇へと転がり落ちていく……というようなあらすじなのだが、このドラマは最終回においてナンシー関が批判したような無責任さを見せつける。最終回、機動隊に囲まれた仲間たちが逮捕あるいは銃殺されていく中で唯一逃げ延びた主人公は、学校の屋上に登って演説をはじめるのである。その演説は「俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ。お前ら、自分が無力だとシラけるな。矛盾を感じて怒りを感じて言葉に出してNOって言いたい時、俺は、俺のダチは、みんな一緒に付き合うぜ!」といったものである。

 一見いいことを言っている風だが、どうにも具体性に欠けて、現実に起こっている事件に立ち向かうには頼りない言葉ではないだろうか。しかも、この演説を聞いた学生たちは実際に奮起し、主人公たちが正当な裁判を受けられるようにするために社会運動をはじめるのだから、かなりのご都合主義的展開である。最終回で演説や長々としたモノローグを使ってすべてを説明してしまう。言葉だけで世界を変えてしまおうとする空虚さ。これが野島伸司脚本作品の欠点に他ならない。

 くしくも、同年にはじまった『新世紀エヴァンゲリオン』が魅力的な謎やそれまでの展開を投げ出して私小説的な自分語りをはじめてしまったことに1990年代の宿痾を感じてしまうが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見る限り全く成長していない庵野秀明に比べると(成長したという意見もあるだろうが)、ワンエグにおける野島伸司はもう少し具体的な行動に移そうとする意識を感じる。言い換えると、自分語りとしての「未成年の主張」をやっているだけではなくて、世界に対してどういう態度をとるべきかを考えている。

 

 

 

方法3:第一話『子供の領分』より

14歳の少女・大戸アイは、深夜の散歩の途中で出会った謎の声に導かれ、不思議な「エッグ」を手に入れる。
「エッグ」を持て余していたアイが、翌日昨夜の場所に再び向かおうと玄関のドアを開けると、そこはなぜか、どこかの学校の校舎に繋がっていた。
不気味な雰囲気漂う校内の様子に戸惑い逃げ込んだトイレで、アイは謎の声に促され、ついに「エッグ」を割ってしまう……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ここからは各話を振り返りつつ、野島伸司がワンエグで描こうとした物語について迫っていきたい。

 

・「彼氏って別れちゃうけど、親友って永遠でしょ」「もう見て見ぬ振りはしない」

 第1話において、この物語のスタンスが説明されているセリフ。

・小糸ちゃん:

 特別編までみると周りから浮いていて友達のいなさそうなやつに声をかけているだけで自己保身の人だとわかる。しかし、その出会いがアイを救ったことは間違いないし、その価値が減るわけではない。 アイもそれがわからないほど鈍くはないと思う。

 

 

方法4:背景美術による

 ここまで野島伸司の作家性に絞った話をしてきたわけだが、おそらくは野島がコントロールしていない部分、アニメーションの分野でもワンエグは面白い試みをしている。それは背景美術がフォトリアルに作られていることである。メインキャラの造形は、かなり現代的なアニメの美少女キャラなのだが、背景は他作品と比べて図抜けてリアルである。写真と見まがうような背景の中で動くアニメキャラ、それがどのような効果を与えているか。野島も影響を認めている『魔法少女まどか☆マギカ』と比べてみると、その効果が見えてくる。『まどか☆マギカ』は学生生活パートから魔法少女バトルパートに場面が移り変わるところで背景の演出が変わる。いわゆる「イヌカレー空間」と呼ばれるシュールレアリスティックな背景美術が、現実と魔法の世界を区別しているのだ。一方で、ワンエグでは現実と夢に区別がない地続きの世界である。特に第一話の段階では、どこからが現実の話で、どこからが夢の世界なのかが一見してわからない。これによって視聴者の不意を突いて緊張感を保つことに成功している。背景のモデルが千葉ニュータウンということもあって、いつの間にか周りに人がいなくなってもすぐには気が付けないのだ。(ニュータウンに対する偏見、申し訳ない。)同じ形の家がずらりと並んでいるのもディストピア感があり、開けた場所なのに閉塞感がある。

 

 

方法5:第二話『友達の条件』より

アカと裏アカの声に導かれ訪れた地下の庭園で、エッグを大量に購入する少女・青沼ねいると出会ったアイ。
同じ境遇の相手に興味津々のアイだったが、ねいるからは関わりを避けられてしまう。
また独りエッグの世界に挑むアイ。次のエッグの中から現れたのは、レオタード姿の鈴原南という少女だった。
戦いに挑むアイに、アカと裏アカは「ワンダーキラーを倒せ」と告げる。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・「あなたは誰のために戦っているの? 本当は自分のためじゃない?」

  何のために戦うか、自分にとってのプライオリティについての話なんだよなあ。

 

 

方法6:第三話『裸のナイフ』より

いつものように地下の庭園でエッグを買い、帰路につこうとしたアイの前に突如現れた少女・川井リカ。
アイたちと同じくエッグの世界で戦うリカだが、初対面のアイにお金を貸してほしいと頼んできたり、勝手に家まで押しかけてきたりと、いきなりアイを振り回す。
誰にでも調子よく振る舞うリカに、ねいるは不信感をにじませるが、リカはアイの家に泊まるとまで言い始め……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

花折峠の伝承:

 峠を越えて花売りに出掛けた娘の一人が、他の娘につき落されて谷川で命を落としたという。しかし、里に帰り着いた娘が、死んだ筈の娘が先に帰っていることに驚き、峠に引き返してみると、あたり一面に花首の折れた花々が散り敷かれていた。

 少女の死と再生のモチーフ。

・「忘れたくても忘れられない」

 リカは自殺した友人を救うために戦っているのだが、リカはその友人に自殺を救われているのである。

 

 

方法7:第四話『カラフル・ガールズ』より

リカが戦線を離脱したことで、みことまこを守りながら独り戦うことになってしまったアイ。
押され気味の戦況に挫けそうになるアイに、みことまこは協力を申し出る。
一方、別のエッグの世界では、アイたちと同じように戦う沢木桃恵の姿があった。
桃恵の凛々しさにほのかな恋心を抱くエッグの中の少女たち。
しかし少女たちの感情は、桃恵にとある過去の出来事を思い出させ……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・エッグキャラに「肩幅広いですね」って言われて傷ついている百恵が印象的。

・桃恵の夢世界である電車、特別編までみると初めから電車を降りるために作られたキャラなんだと思う。

・電車のモチーフにした場合は、『銀河鉄道の夜』から『輪るピングドラム』に至る系譜があるけれども、桃恵の場合は登場シーン以降は電車の中ではなく外でしか話が進まない。

・「はあ、疲れたぁ」とつぶやく桃恵、後からみると意味が変わってくる。

・「死の誘惑」というワードが初登場

 

 

方法8:セルフパロディ

 有り体に言うと、ワンエグは野島伸司セルフパロディ的側面が強い。

 先生と生徒の恋愛は『高校教師』だし、いじめや自殺は『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』だし、少年少女の連帯を描くことは『未成年』だ。

 特に関連が強そうな作品は、1999年の『リップスティック』だ。少年鑑別所を舞台にして、絵描きである職員(三上博史)と収監された少女(広末涼子)の絶対に結ばれない恋愛、家庭などに問題を抱える同室の少女たちによる連帯を描いている。なんといっても主人公の少女の名は、藍(アイ)である。

 そもそも野島伸司セルフパロディを好む作家なのだ。『フードファイト 香港死闘篇』では『家なき子』のキャラが複数登場するはちゃめちゃな作品だ。(『フードファイト 香港死闘篇』はすごく薄っぺらい香港マフィアを演じる筒井康隆が見られるのでファンは見よう。)

 野島はどうしてセルフパロディを繰り返すのか。それは、そのような方法でしか救えないものがあったのだと想像する。野島自身が作品の中で搾取してきた少女たちを救いたかったのではないだろうか、と。

 

 

方法9:第五話『笛を吹く少女』より

エッグをきっかけに出会い、友情を深めていくアイ・ねいる・リカ・桃恵の4人。
日々戦いに臨む4人の中でも、ねいるは人一倍多くの戦いに身を投じ、様々な思いを抱えた少女たちと出会ってきた。
物事を冷静に、論理的にとらえてしまうため、彼女たちの思いをうまく理解できずにいたねいる。
ある日、ねいるはリカ・桃恵と共にアイの家に遊びに行くことになるのだが……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・ねいるの夢世界は橋。特別編をみた後だと、「この世」と「あの世」をつなぐ間の存在なんだろうと納得する。

・四人の意見が食い違う。これがプライオリティということなのか。

 

 

方法10:第六話『パンチドランク・デー』より

戦いに慣れつつある4人の前で、ミテミヌフリの一部が突然「アンチ」へと姿を変える。
アンチが狙いを定めたのはエッグの中の少女ではなく、アイたちだった。
新たな敵の出現に苦戦する4人に、アカと裏アカはとある「お助けアイテム」を渡す。
エッグの世界での戦いが徐々に変化する中、現実世界ではアイの母・多恵が持ち掛けたある提案が、アイの心を大きく揺り動かす。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・「私たちの最大の目的は、ワンダーエッグ・プライオリティ」

 ワンダーエッグって結局はどこの誰かもわからない自殺した少女なわけで、それをプライオリティの上位に置いてくるのだから、アイたちはプライオリティをエッグを割るたびに変えている。このプライオリティを変えていくこと自体が重要なのかもしれない。

・先生がいよいよ存在感を増してくる。この頃のアイは、夢の中では「見て見ぬ振りはしない」けど、現実では「目を合わせることもできない」のである。

・数珠を持って先生に会いに行くということは、見えないものを見に行った。目に見えないものとは、先生への恋心かな?

 

 

方法11:魔法少女ものとして

野島:見てますよ。『まどか☆マギカ』はバトルシーンがすごいね。サイケなアートアニメのようで、クオリティがすごく高いと思うよ。

[中略]

野島:僕もアニメの方に興味があるんです。世界に誇れる日本のエンタメはやはり実写ではなくアニメや漫画、ゲームカルチャーだし、ドラマに比べて制約も少ないし、異空間に飛んでみてもいいし。最近、アニメの若い監督たちと話す機会があったんだけど、すごく面白かったですよ。

  ――野島伸司×清水一幸P、話題作『百合だのかんだの』は時代の変化から生まれた

 

 野島伸司は『まどか☆マギカ』を見て本当のところは何を思ったのだろうか。おそらく「自身が携わってきたテレビドラマ」と「現在流行っているテレビアニメ」の親和性だろう。恋愛、家族、友人関係にトラウマを持つ少女たちの連帯と、彼女たちを搾取する社会システムに対する抵抗、作品が抱えているテーマには共通するところがある。まどマギにおいては、その少女たちの関係性が社会システムを打ち破る鍵になるのだが、野島伸司はその答えに満足しなかったのではないだろうか。まどマギを視聴済みのうえでワンエグを作ろうと思ったのだから。

 いったい野島はまどマギのどこに満足しなかったのだろうか。そのヒントはワンエグに「変身」が存在しないことにあるように思う。そもそもまどマギ魔法少女の「変身」の意味を変えてしまった作品である。既存の魔法少女ものでは成長の手段と描かれていた「変身」を、むしろ成長を止めてしまうゾンビへの「変身」として描いた。野島は、古典的な少女から女性への成長も、ましてやゾンビになって人間をやめてしまうことも良しとしなかったのだろう。少女は少女のまま、世界を変える方法を模索したのがワンエグなのだろう。

 

 

方法12:第七話『14才の放課後』より

リカの誕生日を祝うために集まったアイたち。
遅れてやってきたリカが「愚痴に付き合ってもらう」と取り出したのは、自分の父親と思われる5人の男性の写真だった。
母・千秋と交わした「中学にあがったらパパに会わせる」という約束が果たされず、父への思いと母への苛立ちを募らせ、悪態をつくリカ。
その態度をたしなめたねいると桃恵に、リカは怒りをぶつけてしまう。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・可愛いリカ。

・お助けキャラによって疑似的な母親になる。

・「こっちが命のハグだろ」富野節っぽい。

・「今会いたいんだ、今」「でも、今じゃない」

 

 

方法13:親と娘のオフィーリア

「親に対して、ジグソー・パズルを残すとは、あきれかえった娘だ。もうきれいさっぱり忘れてやる。小娘のくせになまいきだ」。私は、パズルの断片を組立てあぐねると、やたらと娘を病気にしたてたり、ヒステリーときめつけたり、我が身の不勉強を恥じて劣等感にさいなまれたりした。

  ――井亀千恵子『アルゴノオト』

 

 過去の野島作品と比較しても母親に対する同情的な視線はワンエグの特徴の一つだろう。アイとリカの母子家庭は言うに及ばずだが、寿とねいるの関係もよく考えると母娘だ。親の心子知らずではなく、子の心親知らず。母の知らないところで娘が思い悩んでいる姿が繰り返し描かれる。萩尾望都山岸凉子といった「花の二十四年組」の少女漫画では母親は娘を支配するものとして描かれがちだが、娘の気持ちがわからず右往左往するワンエグの母親たちもリアルに感じる。

 

「子供産んだんならなあ、女やめて母親になれよ!」

  ――野島伸司脚本『リップティック』第12話より

 

 上記は再婚した男が自分の娘をレイプしていたことを知りながら見過ごし、娘を自殺させた母親に対して浴びせられたセリフである。90年代野島伸司のどうしようもなく袋小路に行き詰った母娘関係と打って変わって、ワンエグではもちろんすれ違いはあるにしても、母娘がお互いを理解しあう前向きな物語になっている。個人的には、子供を産んだからと言って、いきなり女をやめて母親になれと怒鳴られてもツライのは理解できるので、これぐらいの距離感が見ていて気持ちいい。 

 

 

方法14:第九話『誰も知らない物語』より

ある日、会社に住んでいるというねいるの元に遊びに行くことになったアイたち。
ねいるはそこで、阿波野寿という少女を紹介する。
彼女はとある実験をきっかけに永遠に眠ったままになっていた。
そんな寿の状態を認められずにいるねいるだったが、そんな彼女を愕然とさせたのは、エッグから現れた寿の姿だった。
寿がねいるに託した最後の「願い」を巡り、4人はすれ違い……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・あどけない悲しみ?

・ 「二人ならファンタジー

 

 

方法15:第十話『告白』より

アカと裏アカがねいるの秘書と共にいる場面を目撃したリカは、3人の関係性について詰め寄る。
そこで明かされた彼らのとある秘密。さらにはそこへ、桃恵から「男子に告白され、デートをした」との連絡が入る。
突如舞い込んできた恋バナに興奮気味のアイたちだが、桃恵はなぜか浮かない様子だった。
そして日常の裏では、エッグの世界での戦いが激しさを増していき……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ・野島的にはよくある展開。

・嘔吐する桃恵。

 

 

方法16:第十一話『おとなのこども』より

桃恵の前に突然現れ生死を問い、パニックの命を奪った異形のモノ「ハイフン」。
エッグの世界の変化は、リカの元にも訪れ……。
一方、桃恵やリカに起きている事態を知らないまま、アイは地下の庭園に建つ屋敷に足を踏み入れていた。
膨大な資料があふれる部屋の中で裏アカと遭遇したアイ。
Jプラティの創始者で、かつて科学者だったという裏アカは、とある昔話を語る。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ・裏アカの主人公感がすごい。親友と好きな女性の間にできた娘に欲情する男、業が深すぎる。

・「見ないふりをしないで」

 

方法17:独身者機械による

これぞまさに独身者機械の核心をなす秘密、つまり愛のない快楽である。

  ――ミシェル・カルージュ『《新訳》独身者機械』 

 

 裏アカは90年代の野島ドラマによく出てくる身勝手な男性キャラの集大成だと思う。一連の事件をフリルの問題だと考えたいようだけれど、アカ夫婦に嫉妬していたのは裏アカだし、ヒマリに欲情していたのも裏アカだ。そのことに、気が付かない愚かしさが素晴らしい。

 

人造人間に嘔吐が禁じられているのは、ほかの女性に屈辱を味わわせたくないなどという、訳のわからない心遣いからではない。独身者機械において、少なくともデュシャンカフカの独身機械において嘔吐は、エロティックなプロセスの最後に起こることなのだから。実は、ハダリーはエワルドを拒んでいるのだ。

  ――ミシェル・カルージュ『《新訳》独身者機械』

 

 ワンエグはド直球で独身者機械なので特に付け加えることがないのだけれど、新島進によると『輪るピングドラム』も独身者機械であるそうだ。ん、ヒマリ……陽毬?

 

方法18:第十二話『負けざる戦士』より

パニックと万年に起こった悲劇を聞いたアイは、エッグの世界でのアンチとの戦いでも、レオンを出さずに応戦しようとしていた。
エッグを割ることもままならず劣勢に立つアイ。
その様子をモニターしていたアカは、アイに代わってレオンを喚び出し、ミッションの遂行が最優先だと指示する。
葛藤しながらもエッグを割るアイだが、エッグから現れた者、そしてワンダーキラーは……。

  ――公式サイトのあらすじより

 

・別の世界線の設定はいらなかったという意見もあるだろうけれど、この話を見ると必要な設定だったことがわかる。第一話で「親友って永遠でしょ」って言葉があるけれど、小糸ちゃんは明らかに打算で人間関係を組み立てている人なので永遠ではない。永遠じゃないから親友ではないかと言えばそんなこともない。別世界のアイが小糸ちゃんがいなかったことで自殺していることからもわかる通り、アイが小糸ちゃんに救われたことは事実だし、小糸ちゃんの本性が嫌な奴だったとしても過去に親友だったことの価値は変わらない。

・別世界のアイは、自分の命である瞳である片方を死にかけているアイに分け与えた。これってピンドラですよね。

 

 

方法19:特別編『私のプライオリティ』より

エッグの世界でのミッションをクリアし、現実世界へと戻ってきたアイ。
そんなアイにペットのアダムを託したねいるは、その日を境に連絡が取れなくなってしまう。
ねいるを心配したアイは、田辺のもとを訪れるが……。
沢木から明かされる小糸の自殺の真相、ミッションクリアを経て、少し変わってしまった世界に戸惑うアイ、リカ、桃恵。
様々な思いが交錯する中、アイは――。

  ――公式サイトのあらすじより

 

 ・アイにとってのプライオリティは時と場合によって変わる。小糸ちゃんだったり先生だったりエッグキャラだったりお母さんだったりする。それは寿やお母さんの言う「一度しかない人生を楽しんで」=カルぺ・ディエム(その日を摘め)につながる考え方だ。全力応援しまーす。

 

 

方法20:じゃあ教えてくれよ、この仕組みの深さを破壊する方法を

 

 エロスの戦士になることは何だったのか。それは、アイのように時々でプライオリティを変えつつ戦い続けることだと考える。リカや桃恵がフリルとその使徒たちに敗北したのはなぜか。それは彫像の女の子を生き返らせてプライオリティを失ったからだ。アイが小糸ちゃんというプライオリティを失っても、ねいるというプライオリティを追い続けて戦うことができる。これが負けざる戦士の真相だ。

 ところで、1997年『少女革命ウテナ』でトラウマを抱えた少女同士の連帯とそれを搾取する大人を描いた幾原邦彦とも比べてみたい。『少女革命ウテナ』の時点では、少女たちを搾取する社会システムからの逃走を訴えた。しかし、劇場版でのウテナとアンシーの逃避行は、先に待ち受ける荒野を見ると前途多難である。それから15年近く経った2011年『輪るピングドラム』では、社会システムの外側に逃避することは不可能になっている。環状線をぐるぐると回るだけで、どこか別の場所に行くことはできない。できることは路線変更をすることだけだが、そのためにはピングドラム=林檎を二つに分け合う必要がある。これは誰かの自己犠牲を必要としている点で少し無理がある。

 2019年『さらざんまい』は、ミサンガに代表される少年同士のつながりがテーマだ。「つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ。」つながりたいと欲望することが、逃避でも自己犠牲でもない社会システムへの抵抗になる。『さらざんまい』ではアニメが終わった後の主人公たちの人生が映し出される。アニメが放送終了した後も主人公たちは何度も何度もつながりを絶たれそうになる。それでも、つながりたいからつなぎなおす。だから、『さらざんまい』は一過性の解決を示したものではない。

 ワンエグも同様である。さらざんまいの「つながりたい」に相当するのが、ワンエグの「会いたい」で「プライオリティ」である。アイが「プライオリティ」を追い求める限りは負けざる戦士であるし、いつかフリルも救ってしまうだろう。めでたしめでたし

 

 

――おわり――

 

※参考図書、追加しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年にはじまった漫画35選

 今年は『鬼滅の刃』も『チェンソーマン』も『C.M.B.』も『砂ぼうず』も『BEASTARS』も終わっちゃったし、なんかさびしいなあ。

 私たちがそう思っていても関係なく新しい漫画は生まれてくる。ある漫画がその寿命を終えるのも運命だし、新しい漫画がこの世に生を受けるのも運命。人間にできることは記録を残していくことだけ。というわけで、2020年にはじまった漫画35選

 

※いくつかはすでに連載終了済み。かなしいなあ。

※2020年1月~12月の間に単行本の1巻が発行された漫画を対象とする。

 

 

発売日順リスト

  1. 2020/1/27 もちオーレ, 箕田海道『病月』
  2. 2020/1/27 小梅けいと『戦争は女の顔をしていない』
  3. 2020/2/21 松浦だるま『いまかこ』
  4. 2020/2/28 つくみず『シメジ シミュレーション』
  5. 2020/3/11 筒井いつき『この愛を終わらせてくれないか』
  6. 2020/3/23 カレー沢薫『ひとりでしにたい』
  7. 2020/3/31 岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』
  8. 2020/4/8 近藤信輔『忍者と極道』
  9. 2020/4/10 小林安曇『魔女のマリーは魔女じゃない
  10. 2020/5/22 都留泰作『竜女戦記』
  11. 2020/6/26 牡丹もちと『コーヒームーン』
  12. 2020/6/26 藏丸竜彦『数学ゴールデン』
  13. 2020/6/30 米代恭『往生際の意味を知れ!』
  14. 2020/7/8 和山やま『女の園の星』
  15. 2020/7/15 クロタロウ『おとぎぶっ殺シアム』
  16. 2020/7/17 峰浪りょう『少年のアビス』
  17. 2020/7/17 中山敦支『スーサイドガール』
  18. 2020/7/30 すぎむらしんいち『最後の遊覧船』
  19. 2020/8/12 日日ねるこ『のんちゃんとアカリ』
  20. 2020/8/17 うぐいす祥子『ときめきのいけにえ』
  21. 2020/8/17 ジェット草村,武井宏之『SHAMAN KING マルコス』
  22. 2020/8/18 山田鐘人『葬送のフリーレン』
  23. 2020/8/18 柳本光晴『龍と苺』
  24. 2020/8/19 NON『adabana 徒花』
  25. 2020/9/12 近藤ようこ『高丘親王航海記』
  26. 2020/9/23 つるまいかだ『メダリスト』
  27. 2020/10/15 渋谷圭一郎『瑠璃の宝石』
  28. 2020/10/20 浦部はいむ『あの人の血を求めてしまう
  29. 2020/10/23 ゆうち巳くみ『友達として大好き』
  30. 2020/11/12 横山旬『午後9時15分の演劇論
  31. 2020/11/18 田口囁一『ふたりエスケープ』
  32. 2020/11/20 宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』
  33. 2020/11/30 安藤ゆき『地図にない場所』
  34.  2020/12/11 魚豊『チ。―地球の運動について―』
  35. 2020/12/18 雨瀬シオリ『松かげに憩う

 

 

 2020/01/27 もちオーレ, 箕田海道『病月』

病月 1 (電撃コミックスNEXT)

病月 1 (電撃コミックスNEXT)

 

 めんどくさい女同士の関係性を扱った漫画自体に食傷気味なのだが、単にめんどくさい女に絡まれてる女主人公だった1巻から、2巻になると主人公の異常性を糾弾するキャラもでてきて物語のテーマに深みが出てくる。問題は面白くなってきた頃には連載が終了してしまったことである。

 

 

2020/1/27 小梅けいと『戦争は女の顔をしていない』

戦争は女の顔をしていない 1

戦争は女の顔をしていない 1

 

 もうこのコンセプトの時点で勝利が確定している。

 

 

2020/2/21 松浦だるま『いまかこ』

いまかこ(1) (イブニングコミックス)

いまかこ(1) (イブニングコミックス)

 

「場所の幽霊」が見える男と「音の幽霊」が聞こえる少女、その二人が美術予備校で出会いはじまる奇妙なゴーストストーリー。幽霊がでてくるが、世界への恐れよりも寂しさを感じさせる独特な雰囲気がある。

 

 

2020/2/28 つくみず『シメジ シミュレーション』

 シュールでな白昼夢的日常ほのぼの百合漫画。つくみず先生が幸せならなんでもいい。

 

 

2020/3/11 筒井いつき『この愛を終わらせてくれないか』

 前作同様に少女同士の支配関係を描いたドロドロ漫画。そこに人格転移のモチーフを持ち込むことでサスペンスの面白さも盛り込んだのか工夫していると感心したのだが、結局のところ巨大感情百合ドロドロ漫画のまま終わった。

 

 

2020/3/23 カレー沢薫『ひとりでしにたい』

バリバリのキャリアウーマンでかっこいい女性だったはずの叔母が孤独死したことで、主人公は死に向き合いはじめる。誰もが考えなければならないが目をそらしたくなる 孤独死というテーマに切り込んだ作品。コメディタッチで深刻になりすぎないのが絶妙。

 

 

2020/3/31 岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』

コーポ・ア・コーポ (1) (MeDu COMICS)

コーポ・ア・コーポ (1) (MeDu COMICS)

 

 大阪の安アパートで暮らす人々の群像劇。ファンタジーなんだけれども、どん底生活のリアル感は力強い。大阪の文化住宅が現在進行形で消えて行っている今だからこそ描ける話とも感じる。

 

 

2020/4/8 近藤信輔『忍者と極道』

忍者と極道(1) (モーニング KC)

忍者と極道(1) (モーニング KC)

  • 作者:近藤 信輔
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: コミック
 

 いつの時代も一つぐらいは忍者漫画が連載されていないと生きている張り合いがない。

 

 

2020/4/10 小林安曇『魔女のマリーは魔女じゃない

 魔女狩りをギャグにする発想がなかった。しかも、安定して間の取り方がうまい。

 

 

2020/5/22 都留泰作『竜女戦記』

竜女戦記 1

竜女戦記 1

 

 奔放な想像力の伝奇ロマン。

 

 

2020/6/26 牡丹もちと『コーヒームーン』

コーヒームーン 1

コーヒームーン 1

 

 ループものは面白いけれどやりつくされているので難しいですが、ループしている人間がそもそも異常なのではないかという部分にフォーカスしていくのは目の付け所がよい。今後の展開を見守りたい。

 

 

2020/6/26 藏丸竜彦『数学ゴールデン』

 そういえば『はじめアルゴリズム』終わっちゃったなあ。数学の小ネタを紹介するのではなく、数学を競技として取り組む高校生を主人公にしたのが新しい。数学を扱っているのにスポーツものの漫画のような読み味。

 

 

2020/6/30 米代恭『往生際の意味を知れ!』

 米代恭は言わずもがな天才なので黙って読めと思うが、こじらせた人間を描くのが相変わらずうまい。意図的に前作とは男女の立ち位置を反転させているように見える。

 

 

 2020/7/8 和山やま『女の園の星』

女子高で働いている男性教員の日常を描いたコメディ。特別なことは起こらないのにクスクスと笑えるのはキャラクターのやり取りが生き生きしているから。 

 

 

2020/7/15 クロタロウ『おとぎぶっ殺シアム』

おとぎぶっ殺シアム 1巻 (LINEコミックス)

おとぎぶっ殺シアム 1巻 (LINEコミックス)

 

 おとぎ話のキャラたちが最強を決するために殺しあうバトル漫画。強さの基準が作者の匙加減しかないバトルは好きじゃないが、本作は作者が自分の好きなキャラを好きなように動かしたい強い情熱だけで描いているので、そこに共感できるし肯定できる。

 

 

2020/7/17 峰浪りょう『少年のアビス』

 行き詰った田舎のくそ人間関係というだけなら食傷気味だが、あの手この手で行き詰らせてくるので油断せず読める。

 

 

 2020/7/17 中山敦支『スーサイドガール』

 個人的にトラウマイスタのファンなので、少女の負の感情をキャラクター化してバトルをやらせる本作は見たいものが出力された感がある。敵キャラがほどほどに禍禍しいデザインで、味方たちもキャラが立っており、続きが読みたくなる。

 

 

2020/7/30 すぎむらしんいち『最後の遊覧船』

 遊覧船を何周もする中で描かれる人間ドラマ。本当に遊覧船に乗っているだけで話を転がしているのがすごい。2巻で終わったのは妥当な気がする。

 

 

2020/8/12 日日ねるこ『のんちゃんとアカリ』

ホラーギャグ百合漫画。いやあ、キャッチーだね。 

 

 

2020/8/17 うぐいす祥子『ときめきのいけにえ』

 某カルトホラー映画と設定がかなり似ているけれど、そのことになかなか気が付かないぐらい調理の仕方がうまい。

 

 

2020/8/17 ジェット草村,武井宏之『SHAMAN KING マルコス』

 僕たちはみんなマンキンに育てられた。

 

 

2020/8/18 山田鐘人『葬送のフリーレン』

 2020年の覇権。時代はサンデーだ。

 

 

2020/8/18 柳本光晴『龍と苺』

龍と苺 (1) (少年サンデーコミックス)

龍と苺 (1) (少年サンデーコミックス)

  • 作者:柳本 光晴
  • 発売日: 2020/08/18
  • メディア: コミック
 

 文芸界よりも将棋界の嫌なところを描く方が楽しそうだからOK。

 

 2020/8/19 NON『adabana 徒花』

adabana 徒花 (上) (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
 

 雪の降る田舎町で猟奇的なバラバラ殺人事件が起きる。犯人と名乗り出たのは、意外にも女子高生で。ミステリアスな女子高生を中心にしたサスペンス作品。この手のものはオチによって評価が変わってしまうが、今のところキャラがかわいいのでよし。

 

 

2020/9/12 近藤ようこ『高丘親王航海記』

高丘親王航海記 I (ビームコミックス)

高丘親王航海記 I (ビームコミックス)

 

逆に近藤ようこにコミカライズ不可能な小説があるなら教えてほしい。 

 

 

2020/9/23 つるまいかだ『メダリスト』

 アフタヌーン新連載三銃士の中でも頭一つ抜けている。全話傑作。

 

 

2020/10/15 渋谷圭一郎『瑠璃の宝石』

瑠璃の宝石 1 (HARTA COMIX)

瑠璃の宝石 1 (HARTA COMIX)

 

 鉱石自体の持つ美しさや面白さをモノクロ漫画で表現するのは難しいが、鉱物を手に入れる過程や自然描写で見せている。

 

 

2020/10/20 浦部はいむ『あの人の血を求めてしまう

あの人は血を求めてしまう 1 (MeDu COMICS)

あの人は血を求めてしまう 1 (MeDu COMICS)

 

青年が人生をやり直すために選んだ場所は自殺事件が多発している町だった。全体的に重苦し気な雰囲気、独特にデフォルメされたキャラ、グロ気持ち悪い出来事の数々、これは令和の日野日出志か!?

 

 

2020/10/23 ゆうち巳くみ『友達として大好き』

  アフタヌーン新連載三銃士とは、『メダリスト』『友達として大好き』『スポットライト』のことである。

 

 

 2020/11/12 横山旬『午後9時15分の演劇論

午後9時15分の演劇論 1 (ビームコミックス)

午後9時15分の演劇論 1 (ビームコミックス)

 

 最近は芸大を舞台にした漫画に食傷気味ではあるが、演劇が題材なので多少物珍しい。1巻の段階では個性的なメンバーが集まって劇をつくっていく様子がコメディチックに描かれる。主人公が創作という行為に対して悩んでいる姿自体が読者からするとエンタメなんだと気づかされる。

 

 

2020/11/18 田口囁一『ふたりエスケープ』

 ダメ人間を、百合を、消費することから、いい加減卒業すべきなんじゃないかと考えるようになりました。

 

 

2020/11/20 宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』

 夏次系って、めっちゃ絵がうまいなと気が付かされた。

 

 

 2020/11/30 安藤ゆき『地図にない場所』

地図にない場所(1) (ビッグコミックス)

地図にない場所(1) (ビッグコミックス)

 

 「人生終わった」と感じている中学生が、自分よりも人生が終わっているやつを見たいと理由でケガで引退したバレリーナ接触する導入がまず引き込まれる。意外と読後感が前向きで明るい。

 

 

 2020/12/11 魚豊『チ。―地球の運動について―』

 地動説を題材にした漫画という点ですでに興味をひかれる。異常な人間を一目で異常だと読者にわからせる技術というのは漫画において非常に重要だと思い知らされる。

 

 

 

  2020/12/18 雨瀬シオリ『松かげに憩う

「男の色気を描くことに特化した作家」 × 「完全に狂った男である吉田松陰」 = 最高! という完璧な方程式。