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雑文置き場

自分だけの「新世紀の名馬ベスト」を作って遊ぼう!

かつてあったことは、これからもあり

かつて起こったことは、これからも起こる。

太陽の下、新しいものは何ひとつない。

  ――コヘレトの言葉 1:9 新共同訳

 

 ウマ娘は原因と結果が逆転しているコンテンツである。

 馬は勝手に名馬になるのではなく、人がただの馬を名馬にする。つまり、人がその馬の成績や血筋、背景を知ること【原因】で、その馬は名馬として認識される【結果】。しかし、ウマ娘では、その馬が名馬であることを知って【結果】から、モデルになった馬の背景を調べる【原因】、ということになる。つまり、ウマ娘はその作品構造の特性上、新たな名馬を生み出すことのできない。だから、ウマ娘を5年、いや10年20年続くコンテンツにするためには、私たち一人一人が名馬を作り続けていくかなければいけないのだ。(それが言いたいがための前置きだったのか……)

 

 

 

 まず現在の競馬ファンが考える名馬とは何かを知る必要があるわけだが、『優駿』の創刊80周年を記念して実施された「新世紀の名馬ベスト100」が最も参考になるだろう。

 

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 このベスト100に選ばれた馬たちは、黙っていても(権利関係さえクリアすれば)ウマ娘に実装されるであろう名馬たちだ。だから、ベスト100に選ばれなかった名馬たちを見つけ出した方が意義があるはずだ。今回、私は8頭の名馬を探してきた。

 

 

 ナリタトップロード

 名馬の条件にも色々あるわけで、強さという点において1999年世代*1の競走馬の中では”世紀末覇王”テイエムオペラオーが抜けていた。しかし、世代の主人公は誰だったのかと言えば、ナリタトップロードだというのが私の考えだ。なぜなら彼は、同世代には3強のライバルとして、先輩たちには挑戦者として、後輩たちには超えられるべき壁として世代を超えて戦い続けた馬だからだ。

  血筋は、父サッカーボーイ、母フローラルマジック。父サッカーボーイは人気馬*2だったため、かなり期待された競走馬生活のスタートだった。そして、彼は期待通りにきさらぎ賞弥生賞と重賞を連勝をして、2番人気で第59回皐月賞に出走した。その時の1番人気は父サンデーサイレンス*3、母ベガ*4という日本競馬における超王道良血のアドマイヤベガ。さらに主戦騎手は武豊という完全に競馬界の主人公。前走の弥生賞でトプロの2着に入っているのも、よきライバルという感じでドラマ性を引き立てる。しかし、皐月賞を勝ったのは5番人気でいまいち地味なやつ、テイエムオペラオーだった。そして、第66回東京優駿アドマイヤベガ、第60回菊花賞をトプロが獲って、3頭はクラシックを分け合い、99年世代を引っ張っていく3強になったのだ。

 しかし、アドマイヤベガは早々に引退し、トプロとテイエムオペラオーは、第44回有馬記念に出走することになる。そして2頭の前に立ちふさがったのが、”黄金世代”グラスワンダースペシャルウィークである。この伝説的レースで古馬*5との力の差を見せつけられた99年世代であったが、この経験を糧にテイエムオペラオーは覚醒する。第41回宝塚記念、ここでテイエムオペラオーは”黄金世代”グラスワンダーを下し世代交代を実現。そしてメイショウドトウという新たなライバルとも出会った。一方、2000年のトプロは、年間全勝のレジェンド、グランドスラム*6を達成するライバルをいつも後ろで見ているだけで、いつの間にかライバルポジションもメイショウドトウに奪われる始末。雌伏の時というのでもない、毎回勝つつもりで正面から全力勝負を仕掛け、そのたびにテイエムオペラオーにボコボコにされていた。

 しかし、シンボリルドルフと並ぶGⅠレース7勝に並んだテイエムオペラオーにも壁は立ちふさがることになる。2000年(アグネスデジタル)・2001年(マンハッタンカフェジャングルポケット)世代の台頭である。結局、世代交代の波には逆らえず、ライバルのメイショウドトウとともにテイエムオペラオーは引退することになる。

 実を言えば、トプロが偉大な名馬である理由はここからなのだ。同期のライバルがいなくなっても彼は新生代抵抗勢力として走り続けた。周りが弱かったからテイエムオペラオーグランドスラムを達成できたという心無い言葉もあっただろう。だからこそ、トプロは走り続けた、挑戦者であり続けたのだ。そして、彼は最後まで泥臭く2000年、2001年世代はもちろん、2002年世代(シンボリクリスエスファインモーションヒシミラクル)とも戦い抜いて、世代の底力を証明し続けた。彼こそ不屈の名馬であろう。

 

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ダンツフレーム

 2001年世代、有力馬が軒並み故障して引退した悲劇の世代なのだけれど、常に第三勢力として2005年まで走りぬいたのがこのダンツフレームである。父ブライアンズタイム、母インターピレネー

 この世代の主役と言えば、みなさんご存じ「わずか四度の戦いで神話になった」”超高速の粒子”アグネスタキオンである。アグネスタキオンが伝説になった理由の一つは2歳時の第17回ラジオたんぱ杯で挑戦者のジャングルポケットクロフネを子ども扱いで完勝したことにあるだろう。その後、ジャングルポケット日本ダービー馬になりジャパンカップテイエムオペラオーに世代交代を告げた馬だし、クロフネは芝GⅠでも一流だったが、ダート路線に変更してから超一流になった馬で例題のダート最強とも言われる馬になった。というわけで勝った相手が歴史的名馬ばかりだったので、そいつらに完勝したタキオンはどれほど強かったんだという話になっているのだ。*7

 話を戻して3歳時、先の3頭に加えてアーリントンC(GⅢ)を勝ち上がって有力馬に名乗りをあげたのがダンツフレームである。第61回皐月賞では、1番人気アグネスタキオン、2番人気ジャングルポケット、3番人気ダンツフレームとなり、レースでも人気通りに最後の直線では3頭が抜け出して競り合いになった。結果はアグネスタキオンが勝ち切るのだが、ダンツフレームも見せ場のある2着であった。しかし、タキオン皐月賞後に故障引退となりリベンジの機会は永遠に失われる。気を取り直して、第68回東京優駿ではいい走りはするものの、タキオンなき後の最強をジャングルポケットにゆずることになる。さらに気を取り直して、第62回菊花賞では第四勢力であるエアエミネムマンハッタンカフェに、ジャングルポケットと一緒にボコボコにされた。

 古馬になってからは宝塚記念(G1)などを勝っているが、世代最強はマンハッタンカフェに完全に持っていかれてしまう。さらに、2002年には共にしのぎを削ったマンハッタンカフェジャングルポケットが故障で引退し、2003年にはエアエミネムも同じく故障引退。世代の最強たちを見送ったとの彼の晩年も穏やかなものではなかった。地方競馬で復帰するも一度も勝てないまま引退し、当然種牡馬になることもなく、最後は肺炎をこじらせて7歳で生涯を終えた。世代の最高峰のレースを常にそのちょっと後ろで走り続け、最強馬たちを引退まで見送ったダンツフレーム。彼はなんとも寂しい名馬だった。

 

 

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ファストタテヤマ

 画面の向こうの君は、GⅠ勝ってない馬を連れてきやがってと思ったかもしれない。でも、ファストタテヤマは「ファストタテヤマの馬券を買って家を建てやま」という名言で2002年度の2ちゃん競馬板流行語大賞(という何の名誉もない賞)にノミネートされるぐらいには記憶に残った馬なのだ。実力的に他の馬と比べて一枚落ちるのは間違いないが、2002年世代を語るには欠かせない馬……のはずである。

 

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 父ダンスインザダーク、母メインゲスト。人気しないときに限って好走する。馬券ファンにとっては間違いなく名馬である。とはいえ、ファストタテヤマは主役というよりも脇役としての名馬なのだから、2002年世代の主役たちに目を向けみるべきだろう。まず世代で頭角を現したのは、第53回朝日杯FS(GⅠ)の勝馬であるアドマイヤドン*8、未勝利戦を勝ち上がってから重賞3連勝のタニノギムレット*9。しかし、第62回皐月賞を制したのは、15番人気だったノーリーズン*10という大波乱となった。続く、第69回東京優駿では、前年から外国産馬も出走できるようになったため若葉賞の勝馬シンボリクリスエス*11がダービーを獲りに来るが、今度こそタニノギムレットが1番人気に応えてダービー馬となる。ちなみに、皐月賞ノーリーズンは2番人気に推されるも8着と微妙な結果。

 第63回菊花賞、ここからやっとファストタテヤマの出番になる。ダービー馬タニノギムレットは勝ち逃げ引退し、シンボリクリスエスも不在の菊花賞となってしまう。であれば、皐月賞馬が勝つはずだと誰もが考え、ノーリーズンは堂々の1番人気に推されるのだが、競馬の神様はなかなか意地悪でスタート直後にノーリーズンは落馬してしまう。100億円の馬券を数秒で紙くずに変えてしまったわけだ。そして、4番人気ローエングリン*12が逃げて、主役不在のカオスな菊花賞がはじまった。のちに様々なミラクルを連発するヒシミラクル*13がしわじわと位置をあげてくる。そして、外からすごい脚で突き刺さってきた馬こそがファストタテヤマだった。1着が10番人気ヒシミラクル、2着が16番人気のファストタテヤマ、その世代のカオス具合を象徴する、記憶に残る菊花賞だった。

 ファストタテヤマは、その後もスイープトウショウの2着やヘヴンリーロマンスの2着など、期待されていないときに驚異の追込みを見せて、競馬の醍醐味を私たちに教え続けてくれた。

 

 

バランスオブゲーム

 先の記述で2002年世代を振り返るにあたって、意図的に隠蔽された馬がいる。その馬の名は、バランスオブゲーム。非根幹距離*14王者、GⅡ6勝*15の名馬である。父フサイチコンコルド、母ホールオブフェーム。ダビスタ開発者が馬主であることも有名である。

 今となっては1800mや2200mでだけ強い馬という評価もできるが、彼にもクラシック路線で戦っていたころがあるのだ。彼はアドマイヤドンが勝った朝日杯FS(GⅠ)で敗れたとはいえ4着を確保していた。その後もクラシックのステップレースGⅡ(弥生賞セントライト記念)はきっちり勝っているのに、本番のGⅠではいつも6番人気以下で、結果も掲示板外だったのは彼らしいと苦笑するほかない。当時のファンからして彼の特性を見抜いていたのだろう。古馬になってからも7歳まで走りぬき、GⅠで勝つことはなかった。彼の戦歴をつまみにすると無限に酒が飲める。バラゲーは、勝ったメンツ(カンパニー、ダイワメジャーコスモバルク)もすごいが、負けたメンツをみるとさらにすごい。ヒシミラクルデュランダルタップダンスシチーツルマルボーイネオユニヴァースゼンノロブロイファインモーションヘヴンリーロマンスディープインパクト。歴戦の名馬たち、あの名勝負を見るとき、勝利馬の後ろ3~6番手を走っている馬に目を向けてみよう。きっとそこにバラゲーはいるよ。

 

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スマイルトゥモロー

 

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 引き続き2002年世代。牝馬にも名馬はいる。その名はスマイルトゥモロー。天才と狂気が紙一重の名馬、とにかく激しい気性で調教するのも一苦労だったらしい。

 2歳時は3戦1勝、まあまあである。しかし、3歳時のフラワーカップ、騎手は馬の行く気に任せた。スマイルトゥモローは3コーナーで先頭に立ち、そのまま後続を突き放して2着から2馬身半突き放して重賞初制覇。彼女は能力の高さと気性の難しさを示して、桜花賞へ駒を進めた。桜の舞台では出遅れてしまい追い込んだものの6着敗退。しかし、迎えた第63回優駿牝馬、あいかわらずパドックでもテンションは最高潮で、今回もダメかと競馬ファンは思っただろうが彼女は驚くべき競馬をする。道中は後方15番手を追走、最終コーナーに入ったところで馬群がばらけた。その一瞬の隙を彼女は見逃さなかった。スマイルトゥモローは開いたインを鋭く突いて、抜群の瞬発力でワープをしたかのように勝利をかっさらっていった。折り合いさえつけば、こんなに強いのかと度肝を抜かれたレースだった。

 ただし、その後は気性の激しさに拍車がかかり、第51回府中牝馬ステークスでの、目も覚めるような爆逃げからのターボエンジン逆噴射など、見所の多いレースを最後まで見せてくれたものの、古馬になっては活躍することなく引退してしまった。能力はGⅠ級、しかし自分自身を御すための戦いには勝ち切ることができなかった。「いつでも敵は己自身」、人生で大切なことはこの馬から学んだ。 

 

 

テイエムプリキュア

 今度は2006年世代牝馬のお話。先輩に2004年のスイープトウショウ*16、2005年のシーザリオ*17がいて、翌年の2007年世代にはウォッカダイワスカーレットがいるので、ちょうど牝馬の人気的にも狭間になっていた世代である。「新世紀の名馬ベスト100」にもこの世代の牝馬は選ばれていないのだが、もちろん名馬がいないわけではなく、カワカミプリンセス*18は、第31回エリザベス女王杯(GⅠ)で当時の最強であるスイープトウショウら古牝馬をまとめて撫で切って圧勝しているのだから、もう少し評価されてもいい(進路妨害で降着して繰り上がりでフサイチパンドラが勝ったので、いまいち歴史から抹消された感がある)。

 今回は同姓代の中でもどちらかと言えば落ちこぼれ、テイエムプリキュアは、父パラダイスクリーク、母フェリアード、名付け親は馬主の娘でもちろんアニメが元ネタで、メンコにはワッペンまで『ふたりはプリキュア Max Heart』のワッペンが縫いつけられている(そんなことしていいのか……)。血筋は地味だが、2歳時は3戦3勝の大活躍、新馬戦でドリームパスポートを蹴散らし、かえで賞、阪神ジュベナイルF(GⅠ)までも勝ってしまう。しかし、3歳になり牝馬クラシックはカワカミプリンセスフサイチパンドラの活躍を見守るだけ、結局2008年までまったくいいところなく散々な戦績を残してしまう。

 いよいよ引退を発表し、ラストランを2009年の日経新春杯に定める。11番人気、誰もが勝つとは思っていなかった。しかし、彼女はスタートすぐに先頭に立ち大逃げ、まさかの3馬身以上の着差を付けての圧勝をしてみせ、その結果でもって引退を撤回させるのである。このレース後はまた大敗を続けたものの、同じ年の第34回エリザベス女王杯、1年後輩のクィーンスプマンテと二人でまた大逃げをうつ、1着こそクィーンスプマンテにゆずったが、ブエナビスタ*19に先着しての2着である。これで有終の美と思ったら次の年も現役続行、あいかわらず大敗を続けて引退した。結局、最後の最後で新旧牝馬二冠(カワカミプリンセスブエナビスタ)に先着したのもすごいが、欲をかいて現役続行し翌年のエリザベス女王杯で惨敗しているのが彼女らしくて好きだ。このサヴァイヴ感は、他の牝馬には感じることのできない魅力であろう。生きて走っているだけでお前も最強牝馬だ! 同期のフサイチパンドラがアーモンドアイとかいう本当の最強牝馬を産んだけど気にするな!

 

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ローズキングダム

 

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 ローズキングダムは、父キングカメハメハ、母ローズバド。彼はローザネイからローズバドまで続いた薔薇の一族の王子であったのだ(一族とか言っているが、まあGⅠ級の馬を輩出してもいまいち勝ち切れない輸入牝馬の末裔)。ローズキングダムジャパンカップを勝っているのにどこか地味な馬であった。なぜ実績に比して地味なのか、それをこれからゆっくり話そう。

 まずローズキングダムは2010年世代であった。のちにライバルになるヴィクトワールピサを2歳の新馬戦で打ち破った彼は、その勢いで、東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)、朝日フューチュリティ(GⅠ)を勝ち抜いて、3戦3勝(……なんか逆に嫌な予感が)。もちろん皐月賞でも期待されて2人気、しかし勝ったのは新馬戦で倒したヴィクトワールピサだった。続く東京優駿ヴィクトワールピサには先着するもエイシンフラッシュの切れ味に負ける。それでも菊花賞を獲れば、クラシックを分け合った3強になれるのだ。がんばれローズキングダム。前哨戦の神戸新聞杯(GⅡ)でエイシンフラッシュを下して臨んだ菊花賞ではヴィクトワールピサエイシンフラッシュも不在ということもあり、堂々の1番人気で出走した。しかし、勝ったのは7番人気のビッグウィーク。典型的な前残りの展開でローズキングダムはちゃんと終いの脚を使えていたので、展開のあやであって実力負けではないのだが、結果として3歳時はおしい内容で終わった。

 それでも彼は一族のため、有馬記念を最大目標として次走を第30回ジャパンカップに定める。ローズキングダムは4番人気、前々で競馬をして最後の直線で抜け出そうとしたところで、ブエナビスタが大斜行して真ん中にいたヴィクトワールピサに挟まれる大きな不利を受けてしまう。ここで心が折れてしまったも仕方ないが、根性でブエナビスタを猛追して結果は2着。しかし、ブエナビスタが進路妨害で降着したために、ローズキングダムは繰り上がりで1着になる。念願の古馬混合GⅠの勝利であり、内容も決して恥じるようなものではなかったが、実力で勝ったとは言い切れないのも事実であった。有馬記念ブエナビスタを下して白黒はっきりつけるはずが、疝痛で回避することになる。そこで闘志が途切れてしまったのか、古馬になってからは目立った戦績もあげることなく引退となった。自身の血筋の力を示すには中途半端な結果ではあったが、間違いなく記憶に残るレースをしてくれた。

 今は引退後にのんびり暮らしている様子があげられている。隣のタニノギムレットが柵を蹴る癖があって迷惑しているようだが……。

 

 

ハクサンムーン

 年間全勝、それがどれほど偉大な記録なのか。凱旋門賞に勝つよりも難しいと言われた香港スプリントを2年連覇したロードカナロアですらも2013年は一度負けているのだ。勝った馬の名はハクサンムーン。確実にG1級の実力を持ちながら一歩届かなかった馬、1年上にロードカナロアがいた悲劇の馬。いや、ロードカナロアがいた時だけなぜか強かった、強い時期が短すぎた馬なのかもしれない。

  父アドマイヤムーン、母チリエージェ、母父サクラバクシンオー。早々に短距離戦線へ進んだので関係ないが、同期のクラシックでは牡馬のゴールドシップ牝馬ジェンティルドンナがめちゃめちゃくちゃやっていた2012年世代である。

 ハクサンムーンは2009年2月の早生まれ、2011年の新馬戦を勝利し1戦1勝のキャリアで朝日杯FSへ出走、11番人気の16着最下位となる。2012年にはクラシック路線を諦め、3、4歳時にはアイビスサマーDや京阪杯で好走して短距離適性を示した。5歳になったハクサンムーンは徐々にスプリンターの才能を開花させる。初のG1である第43回高松宮記念は10番人気ながら3着と健闘。これもただの人気薄から好走というわけではない。先行激化で差し追込み有利かと思われていたレース状況を、驚異的なテンのスピードであっさり先行するとそのまま押し切って、ロードカナロアが差してきた時に抵抗するようなねばりを見せての着順だった。カレンチャンなき短距離戦線で、打倒ロードカナロアの夢を抱けるのはハクサンムーンしかいないのだ。

 ロードカナロアが第63回安田記念を制覇している間に、ハクサンムーンは第49回CBC賞を2着とまずまずの結果。そして、第13回アイビスサマーDにおいて横綱相撲で勝ち切る圧勝を見せる。ここでハクサンムーンは全盛期を迎え、トップスピードを持続する力にかけては非凡な馬であることを証明していた。そして、雌雄を決する第27回セントウルステークス、最後の直線でハクサンムーンロードカナロアの熾烈なデッドヒートになり、ハクサンムーンの逃げ切り勝ちとなった。ロードカナロアのファンは色々言い訳をしたいだけれども、この時だけはロードカナロアよりハクサンムーンの方が強かった、それだけのことなのだ。その証拠にハクサンムーンはスタートで少し出遅れたところを二の足を使って先頭にいったわけで、ここで無駄な足を使っていなかったらもっと着差を広げていたかもしれない。

 そして、いよいよ本番の第47回スプリンターズS、2番人気を得てロードカナロア打倒に燃えるハクサンムーンであった。レースは得意のダッシュ力で前に行ったが、最後はやっぱり世界のルォォォォォォォォォォォォォォォドカナロァァァァァァァァァァァァァァ↑にかわされ2着。負けるときの着差はいつもだいたい1馬身、この1馬身が素直にロードカナロアの実力の差だと認めるしかないが、されど1馬身程度の実力差であれば、ちょっとしたことでひっくり返るのが競馬の世界。だから、2013年のハクサンムーンは最強に手が届いていた可能性はあるのだ。

 

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 その年でロードカナロアは引退。ここからは彼の天下かと思っていたところ、すっかりズブいところが出てきてしまったので、それから引退までは微妙な成績だった。

 あと、この馬は馬場入場の際に旋回をはじめるという変わった癖の持ち主だったことが有名。今となっては旋回おもしろシーンの方が有名なのが少し歯がゆい、G1を一つでもとっていれば。

 

 

 

というわけで、なんやかんやと個人的な名馬を並べ立てていったのだけれど、いやあ、色んな名馬がいるんだなぁと納得して画面を閉じようとしている、そこの君。次は君の番だ。

さあ、君たちの名馬を教えてくれ。

 

*1:1999年のクラシック競争に出走した世代のこと。クラシック競争とは、3歳馬のための伝統あるレース(皐月賞桜花賞優駿牝馬東京優駿菊花賞)のこと。

*2:テンポイントの再来、弾丸シュート、人気の理由は無数にあるので、ここでは語れない。

*3:彼なしに日本競馬は語れない。言わずと知れた大種牡馬

*4:西の一等星。父トニービン牝馬クラシック二冠の名牝。

*5:4歳以上の馬のこと。

*6:古馬3冠に加えて、春のGⅠである「天皇賞・春」・「宝塚記念」を 同一年に全て勝利する事。

*7:競馬はその三段論法が通じないのが常なのだけれど

*8:ティンバーカントリー、母ベガ。のちにダート路線にいって活躍する。

*9:言わずと知れた名牝ウォッカの父。

*10:理由なき反抗とは言わないでくれ。若葉Sを7着の馬が来るとは思わんよな。

*11:バブルガムフェロー以来の3歳馬の天皇賞秋制覇や、引退の有馬記念を9馬身差で勝つやべーやつ。

*12:ロゴタイプの父。

*13:サッカーボーイ、母シュンサクヨシコ。やっぱりサッカーボーイマイラーじゃなくてステイヤーだったんだと夢を見られる。

*14:2ハロン(約400m)で割り切れない距離。

*15:今のところ、GⅡ最多勝記録。

*16:39年ぶりに牝馬宝塚記念を優勝。

*17:アメリカンオークスを制覇したジャパニーズスーパースター。

*18:みんな大好きキングヘイローの代表産駒。

*19:スペシャルウィーク、母ビワハイジ。親子でジャパンカップ制覇したやばい娘。