村 村

雑文置き場

知るかバカうどんについて、私が知っているすべてのこと

 

なぜ知るかバカうどんを紹介するのか?

 

R-18(エロ)をうどんは捨てた!! って言ってる奴おるけどそんな事ないからな

  ――同人誌まとめ「ボコボコりんまとめ2」の作者あとがきより

 

知るかバカうどん(以下、うどん先生)は、漫画『君に愛されて痛かった』の作者であり、エロ漫画家であり、過去には東方Project二次創作者であった。

それらの経歴は少し調べればすぐにわかることだが、あまり人口に膾炙しているとは言えないだろう。それはきっと、うどん先生の過去作品の多くが人前で語ることがはばかられるような内容だからだ。

『君に愛されて痛かった』のファンの中には、作者がエロ漫画家だったことすら知らないという人も多いのではないかと思う。

そのまま何も知らずにいた方が、偏見を持つことなく、良き読者であり続けることができるかもしれない。

しかし、なぜ『君に愛されて痛かった』が傑作になったのかを語るためには、作者の過去作について知ることは意味があると感じる。

結局のところ、作品の意味はやはり作品から読み取っていく必要があるのだ。

 

正直に書く。

最初は知るかバカうどん全作レビューを書こうと思っていたのだが、はてなブログでは「成人向け情報の掲載や成人向け情報への誘導」が禁止されているので、多分そのまま書いたらBANされることに気が付いて、全作レビューは止めることにした。

ただし、「成人向けコンテンツの文化的社会的側面を主眼においた論評や紹介で、コンテンツの紹介に必然性があり、記事内容がわいせつな興味を喚起しないもの」であれば認められているそうなので、うどん先生の成人向けコンテンツについては、それらの作品がどのようにして『君に愛されて痛かった』に生かされているのかということを紹介するにとどめたい。

というわけで、意図せず不完全な形になってしまったが、この記事に付き合ってくれる人がいればうれしい。

 

 

 

 

『君に愛されて痛かった』(連載:2017年~現在)

あらすじ:

高校野球でピッチャーとして活躍している野村寛は、交際していた叶井かなえを刺殺した。

事件から一年ほど前、中学生時代に受けたいじめのトラウマから自分に自信が持てない叶井かなえは、承認欲求を満たすために援助交際を繰り返していた。偶然に知り合った野村寛に援助交際の現場を目撃されるが、自分に優しくしてくれる彼に対して徐々に心を開くようになる。しかし、そのことから同級生でもあり恋敵でもある市川一花に目を付けられ、高校でもいじめを受けるようになってしまうのだが……かなえと寛、二人の恋は周囲の人を巻き込みながら悲劇へと突き進んでいく。

 

この作品にあえてジャンル付けたいと思う。

スクールカースト恋愛漫画」なんてのはどうだろうか。

学校ではいじめを受けて家庭ではネグレクトに近い扱いを受ける主人公の叶井かなえと、将来を約束されている高校野球のエースピッチャーである野村寛の恋愛、そしてその先に行きつく悲劇を主題としている漫画である。

スクールカーストの底辺にいる主人公が、逆にカーストの最上位にいるようなイケメンと恋に落ちる、少女漫画ではよくある展開だし、男女を逆にしてもオタクに優しいギャルなどは人気を博しているジャンルだ。

しかし、本作はそうした飽和状態のジャンルにあっても、オリジナリティーのある人気作になっている。そこで、本作の魅力がどこから生まれているのかについて考えるとともに、その魅力は作者自身がたどってきた創作遍歴と密接につながっていることを示したい。特に、作者が「エロ漫画」あるいは「東方二次創作」という界隈を渡り歩いてきたことの影響について考えたい。

 

●東方二次創作的

まず確認しておきたいのは、うどん先生が人々に知られる最初のきっかけになったのが東方二次創作活動であり、その頃から一種の「問題作」を書く人物として認知されていたということだ。その時に身についた経験や習い性がその後の創作活動にも影響を及ぼしているという考えはそれほど突飛ではないはずだ。

例えば、うどん先生の作品はキャラクターの再利用がべらぼうに多い。『君に愛されて痛かった』に登場しているサブキャラクターのほとんどが、同人誌からの出張キャラと言っていい。

例えば、一巻だけでも「四話でかなえと肩をぶつける二人組の女性」「八話で一花を誘拐して性的暴行を行う集団」は同人作品に登場してきたキャラクターである。

あらかじめ断っておくと、うどん先生の同人キャラを知ってから読んだ方がいいとか、そういう話ではない。

ただ、うどん先生には、よく言えばスターシステム、悪く言えば自分で書いた作品の二次創作を好む傾向が確かにあるのだ。そして、そうした二次創作を好む姿勢こそが、『君に愛されて痛かった』のサブキャラクターを豊かなものにしているのだ。

 

●エロ漫画的――語りの重層性と同時性

本作では、作者がエロ漫画家としての身に着けたテクニックが生かされている印象がある。それがわかりやすく見て取れるのは、主人公が援助交際で性行為に及ぶ一連のシーンだろう。一話のおおよそ半分の分量を使って、エロ漫画並みの本格的なセックスシーンが描かれることは強く印象に残る。

まず、このシーンでは一般的な青年漫画に比べてセックス描写が異常に丁寧なことに驚かされる。援助交際をテーマにした漫画は数多くあるが、具体的なプレイ内容まで描かれることは少ない。あったとしても正常位でなんとなくセックスしてるんだとわかる程度の描写がほとんどだろう。それらに比べると本作では、援助交際の様子が生々しく描かれている。中年男性の主人公に対する丁寧な前戯から入って、フィニッシュでは主人公が中年男性の上に乗って騎乗位で攻める。

単純にエロいシーンではあるが、それに増して目を引くのはセックスシーンを読むだけで主人公の性格や心情が読者に伝わってくる表現力だ。

ただのエロいシーンというだけではなく、主人公と中年男性が慣れた様子でお互いに愛撫するところは、お互いに援助交際という場が初めてのことではなく常習だということを、主人公が性行為中にしつこいぐらい愛の言葉を催促するところは、そのシーンを見ただけで主人公が承認欲求に餓えているということを、自然と読者に伝えている。

性行為を描きながら、同時に登場人物の内面描写にもなっている。何かをしながら、別のことをやっている、あるいは考えている。この「同時性」がうどん先生の漫画の特徴である。

これは、もちろん援助交際のシーンだけにとどまらない。主人公のかなえが誰かと対話する時、彼女は必ずと言っていいほど相手の話を聞くのと同時に、自身の内面と対話している。

例えば、最新五巻のクライマックスである主人公かなえと彼氏の寛くんが言い争うシーンは秀逸で、言い争いになっているにも関わらず、かなえは相手の話を聞きながら、同時にその内面には複数の声が渦巻いている。かなえは、寛くんの主張を聞きながら、そこにリアルタイムで自分の内面で上書きしていく。誰かがしゃべっている時、そこにかなえの内面が上書きされる。これは本作で多用される表現である。ここでは、この特徴を語りの「重層性」とでも名付けよう。

その「重層性」を成立させているのはフキダシの使い分けである。うどん先生は、フキダシの使い分けが繊細である。フキダシの使い分けによって、人間の内面に存在する様々なレイヤーを表現している。

通常、文学において内面の意識を書く手法には「内的独白」と「自由間接話法」の二つがあると言われているが、うどん先生の漫画でも内面を表現するときにも同じような使い分けが存在するように見える。

フキダシがなく背景に直接書き込まれるセリフはまさに「内的独白」に近い。そのキャラがその場で思ったことがそのまま書かれている。

逆に四角いフキダシで囲まれたセリフは「自由間接話法」に近い。「自由間接話法」は人物の発言や思念をシームレスに地の文に紛れ込ませる。この漫画において四角いフキダシが使われている場合は、ただの内面をそのまま書いたものではない。そこには状況説明の地の文や過去回想が紛れ込ませられている。

うどん先生のフキダシでもう一つ多用されるものがある。「黒いフキダシ」である。これはかなえの内面の声であることは間違いないが、誰かに言われたことがかなえにはそう聞こえているという表現で使われる。誰かがしゃべっている普通のフキダシに、「黒いフキダシ」が覆いかぶさることで演出される。これは、他の漫画ではあまり多用されていない表現で、うどん先生の一種の発明と言ってもいいかもしれない。

 

うどん先生が表現する登場人物の内面の語りには「同時性」と「重層性」あることは了解していただけただろうか。

そのうえで、これらの表現はうどん先生が「エロ漫画」を描く中で磨かれたテクニックと感性だと考えている。エロ漫画はその性質上、作品のほとんどの部分をセックスシーンで埋めなければならない。エロ漫画には実用性が求められており、ドラマ部分に何ページも使っていたら読者は萎えてしまう。作者は読者が飽きてしまうことを恐れて、前置きもなしにセックスシーンを描かなければならない。しかし、ドラマ部分も書いた方が登場人物への感情移入がしやすくなり、物語の厚みが増すことは明らかだ。

つまり、エロ漫画というのは、セックスとドラマを同時進行させざるを得ない表現形式であり、うどん先生はセックスとドラマを同時に重層的に表現するために内面の表現方法を発達させていったと考えられる。

 

次の章からは、『君に愛されていたかった』以外の創作物について語っていきたい。

まず、うどん先生がどのようなエロ漫画家だったか。それを僕たちは知らなければならない。

 

 

 

成人向け漫画(活動時期:2015~2020年)

エロ漫画は集合知じゃないですか

   ――夜話ZIP『C100、エロ同人これを買え!』chin先生の発言より

 

成人向け漫画には、成人向け漫画における文脈がある。文脈を無視して作家論を語ることはできない。

成人向け漫画家という文脈において、うどん先生がどのような評価を受けているのかを知る資料は少ないが、新野安・氷上絢一 編著『エロマンガベスト100+』に見られる以下の記述は参考になるだろう。

 

二〇一〇年代ネット上を騒がせたエロマンガ家としては、確かにこの二人*1が両巨頭だろう。「騒がせた」というものをもう少し具体化すれば、⑴エロいかどうかとは別の軸から、⑵「危険な」マンガとして話題になり、⑶批評的な支持も受けた。

 

新野氏のこうした評価に、私もおおよそ賛同する。

しかし、この記述からでは、うどん先生がどのように「危険な」漫画を描いていたのかは伝わらない。そこを掘り下げてみようと思う。

 

まずは、前提知識として触れておきたいのが、うどん先生の作品が掲載されていた成人向けコミック雑誌「コミックMate L」は、そうとうに特殊な雑誌であるということだ。

例えば、『神様お願い』の小骨トモ、『やったねたえちゃん!』のカワディMAXなども同じ雑誌で連載している。成人向け漫画という枠を超えて、漫画界に少なからず影響を与えている雑誌だと言えよう。

これは、クジラックス先生の存在が、《ロリ漫画の灯を消すな》という考えから創刊された「COMICエルオー」からデビューした事実と切り離して考えることができないように、うどん先生も「コミックMate L」*2で商業デビューしたことを切り離して考えることは難しい。

「コミックMate L」は2015年に創刊されたのだが、そもそもずっと以前から「コミックMate」という雑誌が存在していた。

つまり、「コミックMate L」はテコ入れによって新創刊された雑誌である。そのテコ入れの実態とは、いわゆる鬼畜系と言われるような過激な成人向け漫画を売りにしていた「コミックMate」が、以前の鬼畜系を継承しつつロリ系の要素も取り込んだというものだった。

その「鬼畜系」と「ロリ系」という二つの要素を満たした作家として、鳴り物入りで迎えられたのがうどん先生だったのだ。あるいは、「鬼畜系」と「ロリ系」を併せ持った表現の場でなければ、表現できないテーマを抱えていたのがうどん先生だったと言えるかもしれない。

 

では、実際にうどん先生はどのような創作のテーマに取り組んでいたのかについて見ていこう。はてなブログの規約上、具体的な作品タイトルをあげられないのでご容赦いただきたい。

うどん先生の成人向け漫画に多く見られるプロットとしては、以下の二つがある。

 

(A)劣悪な環境で育った少女がそこから抜け出すために一生懸命に足掻くが、その過程で酷い暴力にさらされる。

 

(B)社会的な弱者(ホームレス、ひきこもり、障がい者など)が、自分たちを馬鹿にした、あるいはいないものとした少女たちに復讐する。

 

(A)の場合、例えば、薬物中毒で売春によって生計を立てている母親に育てられた少女が主人公の話がある。彼女はそうした環境に絶望しきっていたが、友達ができて一緒の高校に行こうと誘われたことから目標に向かって努力するようになる。しかし、進学のための学費は当然自分で稼ぐ必要があり、母親の客である男からAV撮影を持ちかけられるのだが……という調子である。

これをただ女の子がかわいそうな話として消費することは容易であるが、そう簡単に割り切ることのできない作品である。地獄のような環境で育った少女が、一人の少女と出会うことで必死によりよく生きようともがく姿は、ある意味では「かわいそう」などという言葉で消費させない尊さや力強さがある。

 

(B)の場合、社会的に軽視されている存在が、社会を舐めている少女に対して復讐するという内容のものである。こういった作品は、描こうと思えば被害者の自業自得の物語として後味の良いものにしあげることもできる。(実際、成人向け漫画はそういった形式のものが多い。)

しかし、うどん先生は決してそのようには描かない。その場で行われている暴力の凄惨さを冷徹に描写することに徹している。

 

ここにおいて、うどん先生は成人向け漫画における加害者と被害者に取扱いに対して、非常に誠実な視線を投げかけているように思う。

(A)においては被害者は本当にただの〈被害者〉というラベルで見ることが正しいのかと問いかけているし、(B)においては加害者と被害者の関係性自体を不安定なものにすることで、読者の価値観自体を揺るがそうとしている。

 

うどん先生の成人向け作品は、少女が非常に理不尽な暴力にさらされる内容が多くを占めているため「危険な」作品とみなされた。

しかし、それだけではないだろう。社会から見捨てられた人たち、見て見ぬふりをされている人たちを成人向け漫画の世界に連れ出して、加害者と被害者を演じさせること自体が危険だと考えられたような印象を受ける。

 

さて、次章においてはうどん先生の同人作品を語りたい。商業作品の枷から解き放たれた先生は、さらにこれらのテーマを深めていくことになる。

 

エロマンガベスト100+

 

nlab.itmedia.co.jp

 

 

オリジナル同人(2014~2018年)

うどん先生は、成人向けコミック雑誌で連絡する前から精力的にオリジナル同人誌を発行していた。商業作品ではないので、より自由度が高くストーリー性の高いものが多く描かれている。

成人向け漫画とおおよそは似たような内容であるが、違うところももちろんある。

例えば、成人受け漫画では(特に鬼畜系を標榜するのであればなおのこと)、加害者と被害者の関係、ありていに言えば犯す者と犯される者の関係に縛られてしまうのだ。

うどん先生同人誌(特に後期作品)では、そういった決まりごとを破壊して善悪の境を超えた物語に踏み込んでいっている。

特に近年の二作は異色作である。簡単にあらすじを紹介しよう

 

●田舎の寿司屋の手伝いをしている少女は、店に客として来たある男に興味を持つようになる。その男は憧れの東京からダムを造りに来た作業員で、三年後には帰ってしまうことがわかってはいるものの、男と少女は肉体関係を持つようになってしまう。少女は「与えたものは必ず返ってくる」の信念に従って、男に対して絶え間ない愛を注ぎ続けるのだが、無情にも男はダムが完成したために町を去り、妻と子供の下に帰ることにする。それを知った少女は男を拘束し性的誘惑で「自分のことが好きだ」と言わせようとするのだが……。

 

●顔はイケメンではないが頼りがいがあってモテる康夫。彼は美人な彼女と気の抜けない友人を持ち、幸せに暮らしていたのだが、彼女をかばって車と衝突事故を起こしてしまう。事故の後遺症で彼女の顔もわからないほどの障害が残ってしまった康夫は、彼女や友達にも見捨てられてしまうのであった。そんな様子を見ていた地味な女子高生である心は、事故前の康夫と親交があったと嘘をついて、毎日見舞いに行くようになった。そうして康夫と関係を深めるうちに、心は恋愛感情を持つようになり、康夫に対して性的に迫るようになるのであった。

 

これらの作品をもって、登場人物たちを被害者や加害者という区分に押し込めることは意味を持たない。これらの物語で出てくる人間関係は、物語の最初から「終わっている」のだ。あるとしたら、あきらめのような共依存関係のみである。

これらの作品でなぜか印象に残るのは、ただ必死に生きようと、愛を求めんとする少女の姿である。不思議だが、うどん先生の同人誌からは、やけくその希望のようなものを感じるのだ。

 

最後の章ではうどん先生の最初期の仕事について紹介し、この駄文を終わりとしよう。

 

 

東方同人(2011~2013年)

原始の知るかバカうどんは、何者だったのか。それは闇に包まれている。

最初に確認できるのは、ニコニコ動画やスカトロ系東方二次創作掲示板で活動している投稿者としてである。

特に、静画の投稿*3やボイスドラマの制作*4が注目を集め、様々な場面で反響を呼んだ。

しかし、本人が最も力を入れていたのは東方Projectの二次創作である。

特にうどん先生が、熱を上げていたキャラは「姫海棠はたて」「東風谷早苗」などである。彼女たちが「不幸で」「かわいそうな」キャラだから好きであるということを、うどん先生は隠さなかった。なぜなら、彼女たちはすでに人気だった東方キャラの「2Pカラー」のような存在として生れ落ちている。

ここには、うどん先生の心の奥で澱のようにたまっている創作意欲の源泉があるかもしれない。

タイトルで検索すれば、今でも読めるので興味があれば読んでほしい。

 

『JKはたたん』

あらすじ:

姫海堂はたては、同じ新聞屋として働く射命丸文と友達になることで幸せな学校生活を送っていた。しかし、転校生の東風谷早苗が現れてから、文を彼女に盗られてしまったと考えるようになっていた。そんな中、早苗が陰で下級生たちに暴力をふるっている現場をはたては目撃してしまう。その日から、はたては早苗からいじめの標的にされてしまうのであった。

 

学園いじめものとして、スタンダードな出来の作品。ピアスを引きちぎるシーンなどはフェティッシュでよい。

 

『ニコ生はたたん』

あらすじ:

リアルでの生活に傷を負った姫海堂はたては、ニコ生で中傷コメントをみてリスカするような最底辺配信者になっていた。そんなところに、射命丸文から連絡があり、仲直りするチャンスとファミレスを訪れたが、そこには文だけでなく犬走椛も同席していた。何とか仲良くしようと努力するはたてであったが、文から頼まれた仕事もうまくいかず、椛からは執拗ないじめを受けるようになる。そんなはたてが最後に頼ったのは、薬物だった。

 

レクイエム・フォー・ドリームみたいな話。ネタ漫画として当時は消費されていたが、過酷な状況で躁鬱になる主人公が薬に頼って壊れていくところの心情描写には迫真のものがある。

 

『儚き信仰は儚き人間のために』

あらすじ:

中学生の東風谷早苗は、母親がハマっている新興宗教の勧誘にいつも連れ出されていた。学校で友達になってくれそうな子はいるけれど、母親の教えで携帯電話すら持つことが許されないのであった。そんな早苗には、八坂神奈子洩矢諏訪子という神様が自身にだけ見えていた。彼女たちは幻想郷という理想郷を説くのであったが、早苗には行く方法が見つからなった。早苗は、学校に手作りクッキーを作っていくなどして友達を増やしていったのだが、ある時、母親が新興宗教の勧誘をしていることが学校で広まってしまう。それからは熾烈ないじめを受けるようになってしまい。神様から死ねば幻想郷に行けると言われるが、早苗には母親を残して死ぬ覚悟はなかった。エスカレートするいじめの中で、早苗は疲弊していき、信仰が救ってくれるのを待つようになっていた。

 

いじめ問題の中に「神の沈黙」のテーマを盛り込んだ意欲作。スコセッシも『沈黙 -サイレンス-』を撮る前に本作を参考にしたかもしれない。

なぜ人はいじめ、いじめられ、救いはどこにあるのか、神は何も答えてくれない。

 

『The greatest hate springs from the greatest love.』『パキパキはたたん』

この二作品は、成人向けなので紹介でいない。残念だ。

 

 

以上で、私は知るかバカうどん先生について知っていることはすべて書いた。

ここまで本記事を読んでくれた君は、知るかバカうどん先生について多少詳しくなったはずだ。でも、サブカルチャーは人を導きえない。

現実に帰ろう。ツイッターでも見ながら新作があがるのを待とう。

なぜか『君に愛されて痛かった』のkindle版が消されているけど、私には何もわからない。たぶん移籍騒動と何か関係があるのだろう。

私はうどん先生の過去作が世間で忘れられていくのが嫌だっただけなんだ。ただ、それだけだったのに……。

*1:クジラックス知るかバカうどんのこと

*2:キャッチコピーは《鬼畜陵辱系アンリミテッドマガジン》

*3:「艦これ」をおちょくった画像をあげたので「対立煽り」と非難され私怨を受けるようになった。

*4:淫夢やそこから派生したクッキー☆に取り込まれそうになったが、なんやかんやで取り込まれずに済んだ。