最近、架空のアンソロジーを考えることが流行っていると聞いたので。
ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』が大ヒットしてから、富裕層に対する貧困層の反逆というテーマを通して様々な映画が語られるようになりました。やはり(自分よりは)恵まれている人の家を乗っ取るということは、人間が抱く願望の一つの類型なのかもしれません。
しかし、それは映画だけに限られた類型ではなく、ホラーやサスペンス小説でも脈々と受け継がれている水脈であることを忘れられがちでもあります。一番有名なのは、ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」でしょうか。ジャンルを狭く取り過ぎた感はありますが、自分が好きなテーマなのでこのまま行きます。
≪注意!≫
家を乗っ取る話だとわかった上で読んだとしても面白さが変わらない小説を選んだつもりですが、小説を読む際にあらゆる偏見を持ちたくないという人はここで引き返した方がいいでしょう。
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ラインナップ
- ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」(『銀の仮面』創元推理文庫)
- パトリック・クェンティン「少年の意志」(『金庫と老婆』ハヤカワ・ミステリ)
- レイモンド・カーヴァー「隣人」(『頼むから静かにしてくれ Ⅰ』中央公論新社)
- 吉田知子「水曜日」(『箱の夫』中央公論社)
- ディーノ・ブッツァーティ「家の中の蛆虫」(『魔法にかかった男』東宣出版)
- フィッツ=ジェイムズ・オブライエン「なくした部屋」(『不思議屋/ダイヤモンドのレンズ』光文社古典新訳文庫)
- ミルドレッド・クリンガーマン「赤い心臓と青い薔薇」(『18の奇妙な物語 街角の書店』創元推理文庫)
- クリスチアナ・ブランド「この家に祝福あれ」(『招かれざる客たちのビュッフェ』創元推理文庫)
各篇紹介
ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」
この作品を除いて、乗っ取り系ホラーを語ることはできないでしょう。江戸川乱歩にして〈奇妙な味〉の傑作とされてしまったがゆえに、〈奇妙な味〉というジャンル自体の意味を決定づけてしまったような風格さえあります。古典でありながら最恐、まさに読んでいると呼吸するのを忘れてしまうような悪意に満ち満ちた作品です。
パトリック・クェンティン「少年の意志」
このタイプの話で幅を持たせる方法は大きくわけて二つあると思います。乗っ取る方法、もしくは乗っ取る人物の属性、そのどちらかを独創的なものにするということです。P・クェンティンは後者を選びました。大人の男性ではなく、まだ幼さの残る少年を悪役として選んだことで、どこか少年愛的な雰囲気のある物語に仕上っています。
レイモンド・カーヴァー「隣人」
平凡な夫婦であるビルとアイリーンが、隣に住むストーン夫婦から旅行で留守の間に観葉植物と猫の世話を任されます。二人はストーン夫婦の生活が自分たちよりも上等なものだと憧れていましたので、用事がなくても留守中の家に入り込んで長い時間を過ごすようになります。そして、ストーン夫婦は戻って来ないんじゃないかという期待を持つようになるのです。さて、二人の破局がどのようなものになるのか、それは皆さんご自身の目で確かめていただくしかありませんが、これは異色の乗っ取り系ホラーと言えるでしょう。なにしろ本当に恐怖に晒されるのは家を乗っ取ろうとする側なんですから。
吉田知子「水曜日」
「しっかりつかまえてうまいとこ飼い慣らしてやろうと思った」
これは乗っ取ろうとする側の言葉ではありません。主人公の老女が住み込みの家政婦を雇おうとする時に考えたことなのです。そこがこの短篇の最も優れたところだと言えるでしょう。家を乗っ取る側と乗っ取られる側の境界線が最初から揺らいでいるのです。乗っ取り系ホラーでは一線を越える瞬間が必ずあるものですが、吉田知子の手にかかるとそこがはっきりしません。いつの間にか主人公は一線を越えてしまって何もかも乗っ取られるのです。
ディーノ・ブッツァーティ「家の中の蛆虫」
本作は一種の〈分身〉テーマの作品として読むこともできます。実は先に紹介した吉田知子「水曜日」も同じ趣向を持つので是非読み比べてほしいです。また、家の中の蛆虫=寄生虫から悪意や野心をあまり感じないところは他作品と違うところです。むしろ、人間同士の交換可能性に恐怖を感じる作品と言えるでしょう。
フィッツ=ジェイムズ・オブライエン「なくした部屋」
こちらは今までに取り上げてきたものとは違って幻想文学になります。主人公が間借りしている部屋を乗っ取ってしまう人たちも人間ではない妖怪や悪霊の類いのように描かれ、どこか全体的にファンタジックな雰囲気です。では、あまり現実的ではなくて怖くない話なのかと言うとそんなことはありません。むしろ、自分の家を失ってしまったことの切実な怖さという点では突出している作品です。
ミルドレッド・クリンガーマン「赤い心臓と青い薔薇」
この作品で標的とされるのは家族です。いつの間にか家族の中に入り込んでくる侵入者のことは薄気味悪いとしか言いようがないです。乗っ取るだけでは飽き足らずに、その家で暮らす人々の精神をめちゃくちゃに破壊してしまう陰湿な悪が描かれています。被害者側の精神的均衡が崩れいくニューロティックな恐怖が見所です。
クリスチアナ・ブランド「この家に祝福あれ」
侵入者たちは得てして魅力的でありながらも不気味な存在であることが多いですが、この話においてはいっそ神聖さを感じるほどに純粋で美しい存在に見えます。だからこそ、恐ろしい落差に愕然とする作品です。