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雑文置き場

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第5~6章まで

第5章で形容詞を削ることは比較的容易だった。それゆえに冒険をしているところがなくて不満が残る。

第6章は逆に無節操なところを冒険と誤解しているのがみっともないけれど、楽しく書けたので、ヨシッ。

 

 

第5章 形容詞と副詞

こごみは、ショベルを地面に突き刺した。そのまま体重を後ろに預けて土を掬いあげる。この一連の動作だけで、こごみは額に玉の汗を浮かべていた。のびるは、こごみの後ろに立って手元をライトで照らしていた。ショベルを地面に突き刺すたびに金属音が響いた。この辺りの土は粘土に小石が混ざっているので、ショベルを突き立てるのに力が必要なだけでなく、石に当たるとそこで止まってしまうのだった。二人には前もって土質を調べておくという考えが浮かばなかった。ショベルを踏みこもうとしたこごみが、すべって尻もちをついた。疲労は隠せなかった。まだ穴の幅は猫を埋められる程度だった。みかねたのびるが、こごみの肩を叩いた。二人はショベルとライトを交換した。こごみは肩で息をしながら、自分が掘った穴を照らした。のびるは、まず腕の力を使ってショベルを地面に突き刺し、全体重を乗せて足掛けを踏みつけた。のびるは、そのまま前につんのめって転びそうになった。手に持っていたショベルは柄の部分で折れていた。庭の隅に長年放置されていたショベルだったので、木の部分が腐っていたらしかった。のびるは天を仰いで、こごみはライトを消して額の汗を拭った。二人は、傍に転がしていた父親の死体を引きずりながら山を下った。東の山際から、朝日が差しはじめていた。

 

 

第6章 動詞:人称と時制

A(彼女―過去時制)

 老女は刃物を手に持っていたので、足元でじゃれつく毛玉にうんざりしていた。そのペルシャ猫は、人間の足の間をすり抜けるのが好きなようだった。奥の部屋からは息子夫婦の笑い声が聞こえてきた。

「誰か、こいつをどっかにやってくれないか」老女は、包丁を置いてから奥の部屋に呼びかけた。

 すると、ぺたぺたと廊下を走る音が聞こえて彼女の孫がやってきた。孫は赤いパジャマを着ていて、頬はそれにも増して赤かった。

「何をしてるの」孫は猫を抱きあげながら訊ねた。

おせち料理を作っているんだよ」彼女は答えた。

「ふーん」

 孫は、興味深そうに台所を見まわした。湯気の立ち上るたくさんの鍋、ボウルにつけてある黄色いもの、包丁で皮を剥く途中で放置された芋のようなもの、それらがすべて孫にははじめて見たものだった。

「おばあちゃんは、猫が怖いの?」孫は言った。

「そんなわけないさ。おばあちゃんは虎だって食べたことがあるからね」彼女は、皺の刻まれた口元に手を当てて笑った。

 猫はうにゃあおと鳴いて、孫の腕の中でもがいていた。

 1917年、山本唯三郎は朝鮮で虎狩りを行った。山本は、第一次世界大戦時に海運業で成功した人物、いわゆる成金であった。山本は現在の北朝鮮にまで遠征し、地元屈指の猟師を動員することで、ついには虎を二匹仕留めることに成功した。東京に戻った山本は、帝国ホテルにて政財界の有力者を集めて『虎肉試食会』を開催した。

「そこで、わたしも虎肉を食べさせてもらった」

 彼女は孫に背を向けて料理を再開した。

「うちって、昔はそんなパーティーに呼ばれるぐらいのお金持だったの?」

「いんや、わたしの父親、あんたからすれば曾じいちゃんは料理人だったから……」

 彼女が包丁を握り直してかまぼこを薄く切り分けたところで、ついに我慢が効かなくなった猫が孫の腕を引っ掻いた。

「なにすんだよ」孫はそう叫んで、猫を廊下に放り投げた。

 ペルシャ猫は、ふぎゃふぎゃ廊下を駆けていくので、孫もそれを追いかけていった。

 彼女は、煮しめを作っている鍋をかき回した。鶏肉は彼女の狙い通り、だし汁がしみ込んでツヤツヤとしていた。

 『虎肉試食会』でもメインとなる虎肉は、六十度に保った室で熟成させ、塩胡椒を揉みこんでベイリーフと一緒に白ワインビネガーに漬け込んだ。その肉はバターを温めた鍋の中に投入し、肉の表面に火が通ったら薄く切ったニンジンとセロリを順に鍋へ放りこみ、少量の塩胡椒とハチミツも加え入れた。それらが全体に馴染んだところで約百ミリリットルの水を加えて沸騰させ、焦げ付かないように注意しながら水がなくなったところで火を止めて、間髪入れずに皿に盛り付けた。最後にパセリを散らせば完成だ。その味は、料理人の苦心によって臭みはほとんどなくなっていた。猪よりクセが強く、鹿よりも噛みごたえがあり、脂肪分は他の肉よりも多かった。加熱した肉は通常であれば赤黒いか茶色くなるものだが、虎肉は桃色であるのがいくらか風流であった。



B(わたし―今、過去時制―過去、現在時制)

 わたしは、くさくさしていた。足元を這いまわる毛虫みたいな動物に気が散らされていたからだ。息子夫婦が孫を連れて正月に帰ってきたのは喜ばしかったが、この畜生は余計だ。

「誰か、こいつをどっかにやってくれないか」わたしは大きな声を出した。

 わたしは自分の持つ包丁の刃先に目を向けた。猫の皮は三味線にするというぐらいだから分厚いはずで、このような菜切り包丁では歯が立たず、出刃包丁を持ってくる必要があるだろうと思った。

 わたしの声を聞いてやってきたのは孫だった。息子夫婦はこういう時に子供を寄こすのが小賢しかった。孫は孫の方で、馬鹿みたいな顔で調理場を眺めていた。

「おばあちゃんは、猫が怖いの?」孫が突然言った。

「そんなわけないさ。おばあちゃんは虎だって食べたことがあるからね」

 最近の子供はいきなり変なことを言うので、わたしは少し噎せてしまった。

 1917年、わたしの父親はしがない小料理屋を営んでいる。帝国ホテルで修業していた時期もあるらしいが、今はもうそんな面影もない。修業時代に見様見真似で身に着けた洋風料理が物珍しいということで、店に多少の客はついている。しかし、父親は肝心の店をほったらかしにして、昼間から酒を飲んで新聞を広げては罵詈雑言を浴びせかけるのが常である。

「なんだこりゃ」

 父親は、9月8日付けの『東京朝日新聞』を広げて、わたしに見せつける。『天下一品 虎肉料理』の見出しがおどっている。

「わたしの父親、あんたからすれば曾じいちゃんは料理人だったから……」わたしは、懐かしい気持ちと共に孫に言い聞かせた。

 孫にはピンとこない様子であった。

 わたしは、紅白のかまぼこを包丁で薄く切って皿に盛りつけた。黒豆は錆釘を鍋に入れたおかげで黒くてつやがあった。煮しめはしっかりだし汁がしみ込んでいるが、具の形は少しも崩れていなかった。わたしには料理の才能があった。あのろくでなしの親父と違って。

 新聞で『虎肉試食会』の記事を読んだ父親は、急に「虎が食いてえ」と叫んで刺身包丁をもって立ち上がると、「食いてえ食いてえ」とつぶやきながら包丁でちゃぶ台の上の皿を叩いている。皿は調子よくパリパリンと割れている。わたしは、何も食っていないので気力が出ず、横になってそれをただ見ている。飲む酒がなくなった親父が、包丁を持ったまま部屋の外に飛び出すと、文化住宅の廊下からは若い女の悲鳴が何度も聞こえてくる。ついにはパトカーの音まで聞こえはじめるので、わたしが廊下を覗いたところ、父親は廊下の真ん中で仁王立ちして、右手には血に濡れた包丁を持ち、左腕には子犬ほどもある猫の死骸をぶら下げている。

「肉食獣は古来から脂が臭いという。だから、虎は五日間ほど土に埋めるのがいい。ちょうど脂が落ちて食い頃じゃ。かといって、臭いのはそのままじゃから、味噌やショウガに絡めて漬け込んんでやるのがひと手間じゃ。さらに虎肉は筋がかたいから焼くよりも煮て食らうんじゃ。虎肉を食いたい。虎肉を食いたいの」