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雑文置き場

君たちが独断と偏見で「月刊アフタヌーン史上、最重要な漫画10選」を決めるなら、僕だってそうする

 

 

君たちが独断と偏見で「月刊アフタヌーン史上、最重要な漫画10選」を決めるなら、僕だってそうする。

 

anond.hatelabo.jp

 

この増田を見たとき、ふと、そう思った。

しかし、いざ10作を選ぶとなると難しい。

「史上最重要」を謳うのであれば、単にヒット作であるとか、大作家の代表作であるとか、超面白いというようなことだけでは選定理由にならないはずである。

読者の人気や個人の思い入れではなく、その漫画が雑誌にとってどのような意味があり、どのような影響を与えたのかという観点から10作は選ばれるべきだろう。

つまりは、以下の2つの条件のうち、最低でもどちらか1つを満たしているものを選びたいのだ。

 

●雑誌の歴史における事件や転換点に深く関係している漫画であること。

●雑誌の方向性や後継作品に大きな影響を与えた漫画であること。

 

指針が定まったところで、『月刊アフタヌーン』とはいかなる雑誌なのか、その歴史から紐解いてみることにしよう。

 

 

青年誌のオルタナティブとして生れ落つ

月刊アフタヌーン』は、1986年に『モーニング』の増刊が定期化するかたちで創刊された。

当時の講談社には、すでに『モーニング』『週刊ヤングマガジン』という二つの青年誌が存在していたわけで、アフタヌーンは青年誌として生まれながら青年誌らしくないことを求められていたのである。

それゆえに、掲載作は実験的な表現を追求したものが多く、オルタナティブコミック的な方向に雑誌全体が傾いていくことになった。

 

沙村広明『20世紀のアフタヌーン~由利編集長のはなし~』より

 

とはいえ、実験的な作品ばかりでは雑誌として安定した売り上げは見込めない。

だからこそ、創刊初期の紙面を支えたのは『モーニング』からの移籍組であった。

特に、その象徴と言えるのが、1988年に連載をスタートした藤島康介ああっ女神さまっだった。

単なるヒット作だから、象徴ということではない。

むしろ雑誌の最初期は、『冒険!ヴィクトリア号!!』『FLASH』などを連載していた田中政志の方が目立っていたぐらいである。(今となっては、完全に忘れられた作家だが……)

ああっ女神さまっ』の本当にすごいところは、その安定感だ。

アフタヌーン6代目編集長である金井暁も「80年代からゼロ年代にかけて、藤島康介さんの『ああっ女神さまっ』がずっとアフタヌーンの看板作品でした*1」と証言している。

ああっ女神さまっ』よりも人気のあった掲載作はいくらでもあるが、創刊時の人気を支えるだけでなく、それ以後も20年の長きに渡って第一線であり続けた本作は唯一無二の存在と言えるだろう。

 

もちろん、雑誌の生存戦略は『モーニング』から人気作家を引き抜くことだけではなかった。

初代編集長である栗原良幸*2は、1991年にそれまで中綴じだった雑誌を平綴じに変更し、雑誌の「1000ページ越え」を宣言するのであった。

 

 

編集長が変われば雑誌も変わる

 

青年誌が一般的に「中綴じ」であったのに対して、アフタヌーンが「平綴じ」に切り替えたことは革命的変化であった。

例えば、5代目編集長である宍倉立哉は、こう言っている。

 

週刊誌の時は、だいたい20ページを基準に限られた枚数に内容を入れる技術が重視されています。一方、アフタは平綴じ(背表紙が平面で、厚みを変えられる)の為、何ページにでも増やせます。その為、アフタでは各作品のページ数に制約がないと言っても過言ではありません。*3

 

「平綴じ」であるということは、長編読み切りであっても雑誌掲載が可能ということであり、それは他の青年誌には載せられない作品を載られるということを意味していた。

この発想は、四季賞の応募要項が「ページ数無制限」であることにもつながっていくものであった。

 

初めて1000ページを突破した1993年2月号

 

というわけで、栗原の「1000ページ越え」宣言は、単なる奇をてらったものではなく、他の青年誌と差別化するための戦略であった。

 

栗原:雑誌全体じゃなくて、全部個別の作品として反応していました。雑誌は、数本の飛びぬけて売れる作品に頼るよりも、個々の作品はそんなに単行本としては売れないんだけども、バラエティに富んでる方が強い、という実感があったんです。当時のコスト計算で、単行本を15,000部以上売らせてもらえば面白いと思う作品は何でも受け入れますよって考えていました。*4

 

万人受けするヒット作を生み出すことに固執しない、それよりもバラエティに富んだ紙面をつくることに舵を切ったのだ。

そうして万人受けを狙わない尖った編集姿勢から生まれた作品と言えば、岩明均寄生獣だ。

ああっ女神さまっ』は『モーニング』の人気作家を引っ張ってきた成功であったが、まだ駆け出しの漫画家だった岩明均を人気作家に押し上げたという意味で、『寄生獣』のヒットはまた別の意味を持っていたと言えるだろう。

 

月刊アフタヌーン 2022年2月号

 

編集長と言えば、2代目編集長・由利耕一についても語らねばならないだろう。

もともと文藝志望であった由利は、文学的でストーリー主導の作品を多く採用するようになっていったと評価されている。(アフタヌーン高野文子平田弘史を招いたのも、そうした流れの中にある)

 

沙村広明『20世紀のアフタヌーン~由利編集長のはなし~』より

 

いい意味でも悪い意味でも『モーニング』の延長戦上であった『月刊アフタヌーン』を、由利はなんでもありの雑誌に変えてしまったのだ。

さらに、由利はもう一つ大きな改革を行っている。

それは、四季賞に漫画家の外部審査員を招いたことだ。

四季賞の在り方を変えるということは、アフタヌーンの在り方を変えるということに他ならない。

次は、アフタヌーン主催の漫画新人賞・四季賞の歴史をたどっていこうと思う。

 

 

四季賞あってこそ

初期アフタヌーンは『モーニング』作家を引っ張って来ることで成立していた雑誌であったが、創刊時から新人賞である「四季賞」を設け、新人育成にも力を注いできた。

はじめての四季賞である1987年春のコンテストからして、のちに地雷震を連載する髙橋ツトムを発掘するなどの成果をあげていたわけだが、本当の四季賞らしい四季賞のスタートは1993年夏のコンテストを待たねばならない。

1993年は、前章でも触れた通り、初代編集長・栗原が「1000ページ越え」を宣言し、それを実行した年であった。四季賞もこの年を境に、ページ数制限が取り払われた。

ページ数制限を取り払った1993年夏のコンテストで入賞した投稿作をそのまま連載化してヒットさせたのが、沙村広明無限の住人である。

四季賞に投降した理由を「ページ数制限がなかったから」だと証言している作家は数多い。田口 雅之、遠藤浩輝林田球篠房六郎ひぐちアサ今井哲也などがそうだ。*5

特に、2005年冬のコンテストで受賞した今井哲也は、132ページもある大作「トラベラー」を投稿して度肝を抜いた。

 

あまりにページ数が長かったために、付録小冊子「アフタヌーン四季賞PORTABLE」が設けられた。

 

また、四季賞の投稿作がそのまま連載になりヒット作に育つ流れは、その後も続くことになる。(芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行』、弐瓶勉BLAME!弐瓶勉漆原友紀蟲師』、とよ田みのるラブロマ』、瀧波ユカリ臨死!!江古田ちゃん』など)

 

しかし、その流れを変える作品もまた生まれる。

それは、市川春子宝石の国である。

6代目編集長・金井暁はこう証言する。

 

投稿作がそのまま連載化、という流れが確かにあった四季賞ですが、この流れもある時を境にピタリと止まります。やはり、市川春子さんの『虫の歌』が2006年四季賞春のコンテストで大賞を受賞したときが分水嶺だったように思います。市川さんはその後読み切りを何作も描き、大賞受賞作と同名の『虫と歌 市川春子作品集』と『25時のバカンス 市川春子作品集』の2つの短編集を刊行されています。その後も受賞作がそのまま連載化という作品がまったくないわけではないのですが、残念ながら大ヒットには至りませんでした。*6

 

宝石の国』の市川春子さんが2006年夏に『虫と歌』で四季大賞を受賞された時点を境に、リストの男女比が大きく変化している点(中略)市川さんの受賞以前は35人中女性は8人、23%の割合です。それが、市川さんの受賞後は16人中13人が女性で81%の割合。*7

 

ゼロ年代にもなると、アフタヌーンの成功を参考にしたような雑誌が他の出版社から創刊されるようになる。『月刊IKKI』(2003年~2014年)、『マンガ・エロティクス・エフ』(2001年~2014年)、『月刊COMICリュウ』(2006年~2018年 ※紙媒体として)などが代表的であろう。

『モーニング』の増刊として生まれたアフタヌーンが、今度は逆に他誌から手本とされる時代が来たのである。

それゆえに、今までと同じようなことをやっていてはライバル誌と差別化ができなくなるわけで、アフタヌーンはより実験的、あるいはアート的な作品にも門戸を開いた。

その成果の一つが市川春子の成功であったと言えるはずだ。

 

さらに、四季賞に女性投稿者が増えたことに呼応して、2008年から2019年にかけて四季賞の外部審査員として萩尾望都が招へいされた。

この意外な抜擢も四季賞に新しい風を吹き込んだ。

2012年秋のコンテストで佳作に入賞し、現在は『スキップとローファー』を連載する高松美咲は、「私が四季賞に応募したのは萩尾望都先生に読んでほしかったという理由で*8」あると明言している。

他にも萩尾望都が担当していた回では、椎名うみ、恵三朗、米代恭など、時代が違えば少女漫画家としてデビューしていても不思議でない作家たちが受賞している。

 

このように時代にあわせて変化を続けるアフタヌーン四季賞であったが、今までのやり方が全く通用しない時代が近づいてきていた。

象徴的なのが、『月刊IKKI』『マンガ・エロティクス・エフ』が休刊した2014年。

アフタヌーン的なものの拡大に限界が見えた年だった。アフタヌーン的なものが漫画業界全体に広くいきわたりすぎたのだ。

今となっては、実験的でオルタナティブな表現を追求した漫画は少年誌にも掲載される時代であるし(『チェンソーマン』などを見れば明らかだろう)、ページ制限無制限の新人賞も珍しくなくなった(WEB漫画の発達によって雑誌掲載を前提にしなくなった)。

『月刊COMICリュウ』の編集長・猪飼幹太はこう証言する。

 

漫画雑誌としては『ぱふ』時代にお付き合いのあった一九九〇年代の『アフタヌーン』が理想のイメージで、読者層のニーズに合わせることが常識だった当時の他の雑誌とは一線を画していた印象です。(中略)ただ二〇一〇年代後半になるとウェブ媒体が増えたこともあって大手雑誌も同じようなことを本格的にやり始めたので、だんだんうちの優位性が減じていった印象です(笑)。*9

 

かつてのアフタヌーンが持っていた「アフタヌーンらしさ」は、相対的に意味のないものになっていったのだ。

では、次の章では2014年以降のアフタヌーンが、いかにして生き残ったのか見ていこう。

 

 

2014年以後の『月刊アフタヌーン

6代目の編集長・金井暁は、現在の「アフタヌーンらしさ」についてこう語る。

アフタヌーンがどういう雑誌か言葉で規定することに、半ば宿命的に、半ば伝統的に、躊躇しているのだと思います。「こういう雑誌です」と言った瞬間に、それが輪郭となり、それが限界となることを恐れている訳です。

アフタヌーンは現在、最大多様性を誇るマンガ雑誌であると自負しております。*10

 

「多様性」、これが現在のアフタヌーンという雑誌全体のテーマと言っていいだろう。

例えば、2021年には、編集部運営のWebマンガサイト「&Sofa」*11を開設した。「&Sofa」は、「どんなあなたも、いてほしい」というキャッチコピーに掲げており、フェミニズムなどの視点を盛り込み、多様性を重視した漫画に力を入れている。

 

さらに、近年のアフタヌーンで注目すべきは、オリジナル同人誌即売会であるCOMITIAへの接近である。

アフタヌーンがはじめてCOMITIA出張編集部に参加したのは、2007年のCOMITIA80からであるが、その後も年々蜜月関係は深まっているように思える。

特筆すべきは、2018年のCOMITIA123で開催された「即日新人賞」の受賞をきっかけに連載がはじまりヒット作となった*12つるまいかだ『メダリスト』である。

以前のアフタヌーンでデビューする方法は二通りしかなった。①四季賞に応募するか、②他誌から引き抜かれるか、である。

しかし、つるまいかだ以降はそうではない。

 

アフタヌーンは今後も変化を続けるだろう。変化し続けることこそが「アフタヌーンらしさ」なのかもしれない。

 

 

新しい風を吹き込んだ作品たち

さて、10作のうち、5作の選定は終わった。

残りの5作は「雑誌の方向性や後継作品に大きな影響を与えた漫画」から選びたい。

客観的な根拠から作品を指定することは難しいが、できるだけ選定理由は書いていきたい。

 

木尾士目げんしけん

これを外すことはできないだろう。オタクというもののイメージを変えてしまった作品である。どちらかと言えば、サブカル雑誌だったアフタヌーンに、オタクを合流させた作品として評価されるべきだ。

 

 

弐瓶勉BLAME!

はい。初代の担当が重度のSFマニアで、僕も大好きなので、打ち合わせの度にSFの話で盛り上がってすごくニッチな分野で作品作りを始めちゃって(笑)。*13

 

ヒット作ということであれば、『シドニアの騎士』の方が適切だが、SF漫画の歴史を変えた一作ということであれば、こちらを選ぶ。アフタヌーンはもともとSF漫画の多い雑誌だったが、あくまで「SF×サスペンス(寄生獣)」「SF×ギャグ(岸和田博士の科学的愛情)」「SF×ホラー(エンブリヲ)」という塩梅だった。そうではなくて、SFマニアのためのSF漫画でヒットした功績は計り知れない。

ひぐちアサおおきく振りかぶって

アフタヌーンでもスポーツ漫画がヒットしていいんだという気づき。スポーツ漫画の主人公がこんなに性格のめんどうなやつでもいいんだという気づき。スポーツの細かい技術論をやっているだけでも漫画って面白いんだという気づき。色んな気づきにあふれていた。

瀧波ユカリ臨死!!江古田ちゃん

こんなレディコミに載ってそうな漫画が四季賞を受賞してヒット作になるのは、まさしく事件だった。多様性の追求、「&Sofa」の開設など、現在のアフタヌーンの動きを理解するためには、この作品を外すことはできない。

岩明均ヒストリエ

同一作家から2作品を選ぶな、と言われるかもしれないが、『ヒストリエ』なしに今のアフタヌーンを想像できない。例えば、『ヴィンランド・サガ』も超重要な作品ではあるが、『ヒストリエ』なくして『週刊少年マガジン』から移籍してこようという発想が生まれただろうか。

                                                 

これで、究極の10選を作る材料はすべてそろったはずだ。

 

 

完成!究極の10選

ついに、究極の「月刊アフタヌーン史上、最重要な漫画10選」が完成した。

【究極の10選】

ああっ女神さまっ藤島康介

寄生獣岩明均

無限の住人沙村広明

ヒストリエ岩明均

BLAME!弐瓶勉

げんしけん木尾士目

おおきく振りかぶってひぐちアサ

臨死!!江古田ちゃん瀧波ユカリ

宝石の国市川春子

★メダリスト(つるまいかだ)

 

しかし、なぜだろう。

せっかく究極の10選が完成したのに、ぼくの心は空しいままだ。

そこで、ある偉い人の言葉を思い出すのであった。

「10選は人の心を感動させて初めて芸術とたりうる」

「今のお前はどんな10選を作ったところで知識自慢の低俗な見せびらかしで終わるだろう。そんなお前が究極の10選なんて滑稽だ」

そうだ。10選は知識を見せびらかすための道具ではなかった。

自分が本当に感動した漫画を選定してこそ、人を感動させることができるのだ。

ぼくはもう一度、10選を考え直すことにした。

純度100%の独断と偏見で選びなおした本当の10選を。

【至高の10選】

★我らコンタクティ(森田るい)

★ヤサシイワタシ(ひぐちアサ

FLIP-FLAPとよ田みのる

★クーの世界(小田ひで次

★菫画報(小原愼司

エンブリヲ小川幸辰

★岸和田博士の科学的愛情(トニーたけざき

ワッハマンあさりよしとお

★眉白町(椎名品夫)

★Spirit of Wonder(鶴田謙二

 

青春じゃない何かに再び夢中になる大人の漫画。

 

切ったら血が出るような痛々しい青春漫画の到達点。

 

なにかのめり込むこと、夢中になることの輝き。人生のすべて。

 

少女の内面を旅する童話。激鬱の続編『夢の空地』も必見。

 

日常と非日常が行き交う”ふしぎ”漫画。これがなければ『それ町』もなかったかも。

 

倒錯の生物學(バイオロジカル)ホラー。作者の力量を超えてしまった奇跡の怪作。

 

悪趣味SFギャグ漫画として、やるべきことをすべてやり切ってしまった作品。

 

ドタバタコメディSFの仮面をかぶったセカイ系漫画。

 

アフタヌーンに残された最後の”隠れた傑作”。

 

結局のところ、チャイナさんが鶴田ヒロインの完成形なんですよ。

 

【2024年5~9月おすすめマンガ】『長く短い夏』『ありす、宇宙までも(1)』『星喰い殺しのイグナロ 1』『そうです、私が美容バカです。 』など

 

 

 

井上 まい『長く短い夏』

井上まいは『大丈夫倶楽部』だけじゃない。年間ベスト級の作品です。

祖父母の死をきっかけに家の中の家具をすべて捨ててしまった青年、ところが知らないうちに家に家具が増えていって……というぐあいの話になります。

夏の幻のような男女の出会いを描いた、爽やかなラブストーリーです。しかし、ただのいい話というわけでもなくて、終盤には気の利いたツイストがあり、完成度が高い作品になっています。

 

 

 

遠野めざ (原作), 彩乃浦助 (作画) 『バカ女26時 1』

DV夫を殺して海外に高飛びする女ふたりの物語です。

百合というか、シスターフッドものっぽい展開ですが、夫を殺したらすぐベトナムに高飛びしてしまうような思い切りのいい展開が魅力です。

 

 

 

ちょめ『室外機室 ちょめ短編集』

コミティアツイッターで漫画を公開していた作者が、はじめて商業で出した単行本です。日常の中に不思議が紛れ込む瞬間をとらえた、珠玉の短編がつまっています。

幻想の中に懐かしさを覚えるような感じがあり、すでに唯一無二な作風を確立しています。次に来る幻想漫画家だと思います。

 

 

 

貞松龍壱『パンをナメるな!(1)』 

引きこもり少女が突然パン屋の代理店長に抜擢されて奮闘するというコメディー作品です。

妙にキャラクターが生き生きしていて魅力的なコメディーに仕上がっています。そもそもこの作者さんは、メカデザイナーもやっている方らしく、過去作もロボットがでてくるSF作品が多いようなので、えらく作風を変えてきたわけですね。ちょっと注目です。

 

 

 

にことがめ (作画), くるむあくむ (原作) 『N 1』

最近のホラー界隈の流行としてネット発のモキュメンタリー作品群があるわけですが、原作者の方はそういった場所で活動されていた方みたいです。

ただ今作はモキュメンタリーではないし、既存のホラー漫画の文法とも違う独特の作風になっています。今後どうなるのかまったく予想できないところが魅力です。

 

 

 

水田マル『アヤシデ 怪神手(3)』

特異な能力を得た主人公が怪異との闘いに巻き込まれていくという非常に少年漫画らしい作品なんですが、明らかにジャンプとかマガジンの雰囲気ではなくて、いい意味でサンデーっぽい雰囲気が好ましい作品です。

なんというか、かっこよくもないし、おしゃれでもないんですよね。なにしろ主人公の能力が、なんか手だけが巨大になるってものですから。正直に言ってキモイ造形です。ヒーローじゃなくて、あくまで異形という美学にひかれます。

 

 

 

売野機子『ありす、宇宙までも(1)』

両親を亡くした孤独な少女が、日本人初女性宇宙飛行士コマンダーを目指す物語です。

宇宙兄弟』とか宇宙飛行士受験もの漫画はいろいろあるわけですが、売野機子が料理すると、まったく独自の味になり驚かされます。少女小説的な味わいです。すでに売野機子の新たなる代表作になる気配がプンプンしております。

 

 

 

おぐり イコ『触レ愛 2』 

二人の女子高生が同じ男性を好きになって……という普通に考えたら三角関係ものになりそうな題材ですが、一筋縄ではいかない漫画になっています。

恋愛というものをこれだけ歪に描けるのは、もう才能でしょう。

 

 

 

菅野カラン『オッドスピン(3)』 

最近はドラマの「地面師」が話題になりましたが、漫画の方の「地面師」も面白いです。

単なるクライムサスペンスにとどまることなく、不動産という概念自体の奇妙さに切り込むような鋭い視点があります。地面師たちが奇人変人なのは当然ですが、それより周りにいる一般人の方が輪をかけて癖の強い変人ばかりなのも見どころでしょう。

 

 

 

天野茶玖『サボタージュ・サマー 1巻』

勤め先が潰れて無色になった主人公が、再就職するまでの間に田舎で休暇をとる様子を描いた漫画です。

素朴な田舎暮らしの日常を本当に楽しそうに描いていて、それだけのことなんだけどいい漫画です。そこはかとなく良いのです。疲れた社会人がリフレッシュする系漫画は最近の流行りですけど、その中でも群を抜いておすすめです。

 

 

 

山路 新 『星喰い殺しのイグナロ 1』

ポストアポカリプス的な荒廃した世界で巨大ロボットアクションをやる漫画です。

作者があとがきで書いているのですが、絵や世界観はメビウスジャン・ジロー)で、メカデザインは小林誠近藤和久横山宏に影響を受けています。つまり、ありていに言うと『風の谷のナウシカ』みたいな漫画です。あるいは、『ファイブスター物語』かもしれません。

 

 

 

まんきつ『そうです、私が美容バカです。』

オタク漫画として正しい所作をわきまえている作品です。つまり、実利(美しくなること)よりも、対象物の蒐集行為(あらゆる美容法を試すこと)に快楽を見出している奇人が主人公の漫画です。

美容オタクである主人公の狂気を表現するために、画面が乱れるところなどは、時にガロ系の表現に近づいており迫力があります。

 

 

 

世良田波波『恋とか夢とかてんてんてん 2.』 

愚かでみじめな主人公の生き様を描いて共感を煽るだけのマンガは苦手なんです。

なので、1巻が出たときは本作への態度を保留していたのですが、最新2巻を読んで印象が変わりました。たまにちょっと残酷なぐらいに客観的な視点が入っているんですよね。

 

 

 

メグマイルランド『棕櫚の木の下で 1.』 

経験したことのない幼い日々の記憶が、とりとめのない郷愁をともなって頭の中に流れ込んでくる読書体験があります。唯一無二ですね。

 

 

 

usagi『地元最高!(6)』

当代最高のクライム・フィクションであるところの『地元最高!』の最新刊になります。

主人公が所属する半グレ集団と地元の刑事・奈良さんとの衝突に決着がつく、緊迫の展開が描かれます。この作品は、起こる犯罪はありきたり、主人公もよくあるチンピラ犯罪者、ストーリー展開もある程度は予想がつく感じ……なんですが、実に面白く読ませるんですよね。その魅力の源の一つはリアルな人物描写と会話劇にあると思うわけですが、そこに登場人物をすべて女性キャラにして男性を徹底的に排除するという、最大級のフェイクを混ぜ込んでくることで妙な化学反応が起こっているわけです。

特に、6巻での実質的主役といっていい刑事の奈良さんは、女性であることが最大限に生かされたキャラになっています。奈良さんは、犯罪者撲滅を強く求めるがゆえに、逆に犯罪行為に手を染めてまでも捜査を行う刑事として描かれます。これ自体は、クライムものではよくある人物設定なのですが、ここに奈良さんが一児の母であるという設定が刺激的なスパイスとして機能しているのです。母性ゆえに暴力性に歯止めのきかなくなったキャラとしての奈良さん、好きです。

 

 

 

 

印象に残ったWEB読み切りたち

 

to-ti.in

 

to-ti.in

 

shonenjumpplus.com

 

shonenjumpplus.com

 

to-ti.in

 

shonenjumpplus.com

 

comic-days.com

 

comic-action.com

 

comic-medu.com

 

magcomi.com

 

comic-days.com

 

shonenjumpplus.com

 

 

群盲八尺様を評す――鬼遍かっつぇ(サークル名:Mauve)『おはちさんのなつやすみ』について

 

八尺様は、2008年、インターネット掲示板2ちゃんねる」のスレッド「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?」にて投稿された怪談に登場する怪異である。その姿は、背丈が八尺(約242cm)ほどもある、白いワンピースと帽子を身に着けた女性であるとされる。「ぽぽぽ」という独特な声を発し、魅入られた目撃者は数日のうちに取り殺されてしまうと言い伝えられている。

 

上記の説明は、盲人が象を撫でるようなもので、八尺様の全体像を捉えたものとは言えないだろう。八尺様のイメージは、日本のあらゆるメディアの中に姿かたちを変えながら溶け込んでいる。長身で頭に何かをかぶっているという共通点こそあれ、見る者によって姿かたちを変えると言い伝える、原作の怪異譚そのままに、その在り様は変幻自在である。

 

今回は、2024年09月21日、「DLsiteがるまに」*1から発売されている、鬼遍かっつぇ(サークル名:Mauve)の『おはちさんのなつやすみ』について語ることで、私も象を撫でる盲人の一列に加わりたく思う。

 

『おはちさんのなつやすみ』は、まったく新しい解釈で八尺様を描いた作品である。しかし、何がそんなに画期的だったのかを理解するためには、八尺様受容の歴史を知る必要がある。

前述の通り、八尺様の発祥は、2008年の「2ちゃんねる」の書き込みにあるが、2010年にはすでに八尺様を美少女化したイラストがネット上にあげられるようになった。*2他のネット出身の怪異と比べても、原作からして明確なビジュアルイメージが定められていたためにイラスト化しやすかったのだろう。イラスト化されれば、漫画化されるのも時間の問題であった。

特に、アダルト分野で八尺様のイメージは重宝された。何と言っても、2014年に発表された叙火の「八尺様」が決定的な作品となった。本作は、のちに『八尺八話快樂巡り~異形怪奇譚』の一話として単行本にまとめられ、OVAアニメが作られるまでのヒット作になった。しかも、ただヒットしたというだけでなく、後発作品に対して支配的と言ってもいい影響を残すことになる。

叙火が描いた八尺様は、おおよそ二つの性癖を満たすものとして設計されていた。つまり、「巨女」と「おねショタ」である。原作の物語から描かれている八尺様の性質、「異常な高身長であること」と「一度目を付けた少年に執着すること」をキャラクターが持つ性的な魅力であると捉えなおしたのだ。これにより、男性向け作品における八尺様のイメージは、ショタに執着する高身長のエロいお姉さんに固定されてしまった。それから何年間も、このイメージに大きな変化は見られなかった。偉大なるマンネリ状態に陥っていたわけだ。しかし、女性向け作品の文脈の中で、八尺様は再発見されることになる。「八尺様♂」という形で。

 

「八尺様♂」とは、その名から想像される通り、八尺様を男性化したキャラクターであり、2020年頃から主に女性向けのアダルト作品に登場するようになった。ただし、そのコンセプトだけ見れば、単純に既存の八尺様の性別を反転したものに過ぎなかった。男が巨女に魅力を感じるのと同じように、女も高身長の男が好きだということでしかなかった。

 

ところが、『おはちさんのなつやすみ』は違う。それはこんな話だ。

夏休みの終わり、田舎の祖父母の家に帰省した少女・ちづる。しかし、閉鎖的な田舎の村では不穏な事態が起こっていた。村の地蔵が壊れたり、奇妙な笑い声が聞こえたり、不思議な人影が見えたり、そしてなによりも、ちづるにとって幼少期の憧れのお兄ちゃんだった鷹田滉生が行方不明になっていたのだった。村のあちこちを巡って、お兄ちゃんの痕跡を探していたちづるであったが、突然、異常な高身長の男性の怪異「おはちさん」に襲われてしまう。ちづるは、「おはちさん」が怪異に取り込まれてしまったお兄ちゃんであること、お兄ちゃんが秘かに自分のことを想っており、その心を怪異に付け込まれてしまったことを知るのであった。そして、すべてを受け入れたちづるは、自身をも「おはちさん」に生まれ変わり、大好きなお兄ちゃんと二人きりの幸せを得るのだった。

 

ここでは、原点の八尺様を大きく飛躍させている。つまり、八尺様に魅入られた男が八尺様♂になり、八尺様♂に魅入られた女が八尺様になり、八尺様に魅入られた男が……という無限ループ構造をもった怪談へと書き換えているのだ。しかも、自身が怪異「八尺様」となることによって、怪異になってしまった最愛のお兄ちゃんと添い遂げるというメリーバッドエンドの切れ味もすさまじい。

これは八尺様に♂️♀️がそろわないとたどり着けない発想である。八尺様がこんなに滋味あふれる悲劇に生まれ変わるなんて、誰も予想していなかったことだろう。人間の想像力の可能性を思い知らされる作品である。

 

以上で『おはちさんのなつやすみ』の紹介は終わりである。

しかし、もしまた「八尺様」のイメージを刷新するような作品が生まれたら、その時はここに戻って来るつもりだ。

 

 

 

八尺様を萌えキャラの座から遠ざけて、ホラーマンガの世界に取り戻そうとした、偉大なる挑戦を讃えよ。

 

だから、八尺様は萌えキャラじゃねぇ。

 

姦姦蛇螺まで……。

 

*1:レディースコミックでも、ティーンズラブでも、ボーイズラブでもない。新たな女性向けアダルトメディアとして注目されている。

*2:pixivの「八尺様」タグによると、そのあたりまで遡れる。

マンガは叙述トリックをどう表現するのか?――いだ天ふにすけ「手紙」について

 

次に挙げた小説・漫画の真相に触れていますので、未読の方はご注意ください。

山岸凉子「夜叉御前」

駕籠真太郎『フラクション』

綾辻行人十角館の殺人

・いだ天ふにすけ「手紙」

カーター・ディクスン『貴婦人として死す』 ※脚注内

 

いだ天ふにすけ「手紙」は、COMIC快楽天 2024年 07 月号に掲載された成人向けマンガである。そして同時に、マンガ表現における叙述トリックに挑戦した意欲作でもある。

様々な作品があふれ返っている現代において、叙述トリック的な仕掛けのあるマンガ作品はそれほど珍しいものではない。

それでも、私が本作に強く興味をひかれた理由は、作者自身が自作解説において「叙述トリックがやりたかった」と宣言しているのを目にしたからだ。*1

話の展開に意外性を持たせるための手段としてではなく、目的として叙述トリックを行使した漫画作品となると、それはかなり数が限られる。マンガにおける叙述トリックの有用性を考えるなら、本作は貴重なサンプルになるはずだ。

 

 

 

 

叙述トリックとは何か?(あるいは、筆者の態度表明について)

 

そもそも、叙述トリックとは何なのか?

いくら最近ではミステリマニア以外でも当たり前に使われる言葉になってきたとはいえ、その疑問から話をはじめるべきだろう。

まずおさえておくべきなのは、叙述トリックは一般的な小説技法の用語ではなく、ミステリマニアの間から自然発生的に生まれた言葉であるということである。

つまり、何か学術的に定義の定まった言葉ではなく、明確な提唱者がいるわけでもないので、それを使う人によって意味に揺らぎがあるのだ。

 

さて、叙述トリックを説明する際、「作者が読者を欺くトリック」というフレーズがよく使用される。

 

dic.pixiv.net

 

しかし、このような説明は定義として十分に役割を果たしているだろうか。あるいは、以下のような疑問を抱く人もいるかもしれない。

「それって、何かを説明したようでいて何も説明していないも同然なのでは?」

そうなのだ。「作者が読者を欺くトリック」という言葉が指し示す範囲は、あまりに広すぎる。その定義では、叙述トリックとは言えないものも含まれてしまう。

そもそも、ミステリ作品には必ず作者が存在しており、作者は読者を騙すために書き方を工夫することが常である。そういう意味では、ほとんどのミステリ作品は叙述トリックが使われているとすら言えるのではないだろうか。

作者が読者を騙そうとする時、安直に考えるのならば、小説の中に嘘を描いてしまえばいいわけだ。しかし、当然ながら、それは叙述トリックとして認められることはない。それがミステリ作品における【トリック】である以上、読者に対するフェアな謎解きであることが求められるからだ。

 

さらに、注意すべきなのが、叙述トリックと「信用できない語り手」の問題を切り分けて考えるべきだということだ。「信用できない語り手」作品はミステリに限らないので、読者に対するフェア性を気にする必要はない。まったくの出鱈目や虚偽を、読者に吹き込んでも全く問題ないのだ。*2

叙述トリック」と「信用できない語り手」は、(その発生の歴史にはおおいに関連があるが、今となっては)全くの別々の進化を辿った小説技法なのである。

 

kakuyomu.jp

 

では、結局のところ、叙述トリックをより正確に定義するにはどうすればいいのだろうか。

そこで参考になるのが、自らも積極的に叙述トリックを活用した創作を続けるミステリ作家・我孫子武丸が、叙述トリック試論」において示した以下の定義である。

「小説における、作者と読者の間の暗黙の了解のうちの一つあるいは複数を破ることによって読者をだますトリック」

さすがミステリ作家が考えた定義というだけあって、より叙述トリックの本質に迫っているように思う。

ただ読者を騙せれば何でもいいというわけではないのだ。作者と読者の間にある【暗黙の了解】が破られるからこそ、叙述トリックは読者に衝撃を与えうるということだ。

しかし、定義だけを言われてもピンとこない読者が多いことだろう。そこで、次の章からはマンガの実作例を見ながら叙述トリックの本質がどこにあるのか考えていきたい。

また、今後の論をスムーズに進めるため、「作者が読者を欺くトリック」を【第一の定義】、「小説における、作者と読者の間の暗黙の了解のうちの一つあるいは複数を破ることによって読者をだますトリック」を【第二の定義】ということにしたい。

 

 

 

マンガは如何にして叙述トリックを実践してきたのか?(先行作品について)

 

例えば、「作者が読者を欺くためのトリック」という定義を額面通りに捉えるなら、山岸凉子「夜叉御前」叙述トリックだと言えるだろうか。

本作は、15歳の少女が家族とともに山深い一軒家に越してきた日から様々な心霊現象に悩まされる恐怖譚に見せかけて、ラスト数頁にとんでもないどんでん返しが仕掛けられている。読者の多くは、作者に騙されるはずだ。

ここではマンガの視点を15歳の少女に絞ることによって、現実に起こっている出来事を読者から隠すという手法が使われている。

主人公の少女の視点から見ると、この作品はよくある心霊恐怖譚に過ぎない。少女は引っ越し先の家で、鬼の顔をした女の幽霊に付け狙われ、夜になると金縛りのように黒い影に圧し掛かられる、といった怪奇現象に悩まされる。

しかし、ラスト数頁に至って、読者は少女の視点から引き剥がされ、客観的な視点から、この家で本当に起こっていたことを知らされることになる。つまり、夜になると圧し掛かってくる黒い影は少女を犯そうとする父親で、鬼の顔をした女の幽霊は父娘の性的関係に嫉妬した母親なのである。少女は狂気におちているのか、あるいは現実逃避なのか、自分が父親から性的虐待を受けていることは認識できておらず、すべては心霊現象だと解釈していたのだ。

この衝撃的などんでん返しは、読者を欺き驚かせるという点において、抜群の効果を発揮している。叙述トリックの【第一の定義】には、当てはまっているはずだ。

しかし、この作品で使われている手法を叙述トリックと呼ぶことには違和感がある。作者からしてミステリを描いたつもりもないはずなので当たり前だが、読者から見てフェアな謎解きの余地がないのだ。ここで使われている手法は、むしろ「信用できない語り手」のそれであると言えよう。

【第二の定義】と照らし合わせてみれば、本作が叙述トリック作品でないことはより鮮明になるはずだ。

本作において、作者と読者の間の【暗黙の了解】は、そもそも破られていないのだ。読者ははじめから主人公の少女を通してのみ語られる世界を完全に信じているわけではない。だから、少女の狂気によって見えている世界が歪められていたとしても、それ自体に読者が驚愕させられることはない。読者が本作に強い衝撃を受けるのは、あまりの真相の残酷さに対してである。

 

 

 

やはり、本当の意味での叙述トリックを使ったマンガ作品は存在しないのだろうか。

もちろん、そんなことはない。駕籠真太郎『フラクション』は、堂々たる叙述トリック・ミステリである。

そして、本作は同時にメタ・ミステリでもある。作中に駕籠真太郎が登場して「作者が読者を欺くためのトリック」を使ったマンガを描くことを宣言し、実際に作者自身が叙述トリックを実演して見せるわけだ。しかも、そのトリックは、【第一の定義】はもちろんのこと、【第二の定義】をも突破してみせる。

駕籠真太郎が使った叙述トリックは、簡単に言えば「マンガのコマの外側には、見えていない部分がある」という事実を利用したものである。作者自身がマンガのコマを、カメラのように操って、画面の中におさめるものと外すものを選別することで読者を欺いたのである。

 

ネット上で何度も見せられた例の風刺画

 

通常のマンガ作品であれば、コマの外側で何が起こっているかを読者が気にする必要はない。作者と読者の間には、「コマの中に描かれていることがすべてだ」という【暗黙の了解】があるからだ。駕籠真太郎は、その【暗黙の了解】を破ってみせたのだ。

しかも、本作はメタ・ミステリの体裁をとり、作者自身が作中人物でありながら読者の存在を認知しているという構造をとっている。この構造のおかげで、読者の騙すためにしか役立たない不自然なコマ割りに必然性が生まれており、ミステリとしてのフェア性も保たれているのだ。

 

 

 

マンガでも叙述トリックは使えるということがわかった。しかしながら、それはかなり特殊な事例ではないだろうか、という疑問も同時に浮かんでくる。

『フラクション』は、メタ・フィクションでなければ成立しないような、大掛かりな仕掛けが凝らされた作品だった。マンガにおける叙述トリックというものは、随分と使い勝手の悪いものなのかもしれない。よりシンプルなやり方があればいいのだが……。

綾辻行人 (原作), 清原紘(漫画)『十角館の殺人は、映像化不可能と言われたミステリ小説の名作を見事にコミカライズした作品である。しかも、ひどくシンプルな方法によってそれを成し遂げているという点で特筆すべき作品だ。

原作の『十角館の殺人からして、そこで使われている叙述トリックは非常にシンプルなものだ。一人の人物を二人の別々の人物かのように読者に錯覚させる。口で言えば、単純なトリックに過ぎない。

しかし、それをコミカライズするとなると急に困難になる。なぜなら、小説とマンガでは、作者と読者の間にある【暗黙の了解】に違いがあるからだ。小説では通用する【暗黙の了解】が、マンガでも通用するとは限らないのだ。

原作では「作中の登場人物の呼称は統一されているべき」という【暗黙の了解】を破ることで、一人の人物を二人の別々の人物かのように見せかけているわけだが、これは文字情報のみが読者に与えられる小説だからこそ成立するトリックである。なぜなら、二人の別々の人物かのように見せかけているのが同一人物であることは、その人物の顔を見れば一目でわかることだからだ。それゆえに、マンガや映画といった視覚情報に頼った媒体で、このトリックは再現不可能だと考えられてきたのだ。

それでも、この問題は、マンガ版において「一人の人物を、服装や髪形を変えることで、二人の別々の人物かのように見せかける」という非常にシンプルな荒業によって突破されることになる。

マンガ版の登場人物たちをよく観察すれば、二人の別人物に見えているのが、服装や髪形が違うだけで同じ顔をした同一人物であると、読者は気づくことができるように描かれてはいたのだ。しかし、ほとんどの読者はそれに気づくことができなかった。なぜなら、マンガ作品には「顔が同じに見えても服装や髪形が違えば別人物である」という【暗黙の了解】があったからだと思われる。

一人のマンガ家が描ける顔のパターンには限りがある。だから、登場人物の多いマンガ作品であれば、似たような顔をした人物が登場するというのはままあることなのだ。*3だから、作者と読者の間には、「服装や髪形が違えば、顔が似ていてもそれは別人物である」という【暗黙の了解】がある。これは、必要から生まれたものだったはずだ。

マンガ版における叙述トリックの処理方法は、あるいは苦肉の策だったのかもしれない。ただ、結果的にマンガでしか成立しえない叙述トリックの本質に近づくことができたのだ。

 

 

 

叙述トリックでマンガは何を表現するのか?(いだ天ふにすけ「手紙」について)

 

さて、やっといだ天ふにすけ「手紙」の話に移ることができる。

まずは、簡単に作家紹介といきたい。いだ天ふにすけは、『COMIC快楽天』系列を中心に活動している成人向けマンガ家であり、デフォルメされた可愛い絵柄でありながらハードなセックス描写に定評がある。その作風から男性向け商業誌で活躍しているにもかかわらず、女性からも幅広い支持を獲得しており、女性向け同人・通称「がるまに」にも活躍の場を広げている。

そんな作家が叙述トリックに挑戦した作品が、COMIC快楽天 2024年 07 月号に掲載された「手紙」というわけである。

それはこんな話だった。

女子大生・羽口 翔(はぐち しょう)は、同じ大学に通う兄・羽口 唯(はぐち ゆい)との肉体関係を断ち切れずにいた。人目を忍びながら続ける禁断の関係とは裏腹に、翔は唯に対する恋心を募らせていく。こんな後ろめたい関係は今日でやめよう。そう決心した彼女は、兄との最後のセックスを貪るように味わうのであった。そして数年後、普通の男と結婚することになった彼女のもとに、一通の手紙が届けれた。その手紙に書かれていた内容とは……。

 

この作品は、兄妹との近親相姦を描きながら、その時の心情をモノローグで振り返るという構成になっている。

このモノローグは、妹・翔のものだと思いながら読者は読み進めることになるのだが、最後の手紙を読むことによって、実は兄・唯のものであるが明らかにされる。つまり、本当は兄のものであるモノローグを妹のものであると錯誤させるという叙述トリックが使われている作品なのだ。

 

 

成人向けマンガは男の顔をしていない

 

種明かしをしてしまったところで、本作における叙述トリックの仕組みについてより深く考えてみたい。つまるところ、いかにして作中のモノローグを妹のものであると読者に錯覚させたのか?、ということについてだ。

その答えは、一読すれば明瞭にわかることだが、そもそも作中で常に中心にとらえられているのが妹であり、兄は画面の端に追いやられているからだ。マンガを読んでいる最中に読者の注意が兄に向くシーンはかなり限られており、明らかに妹が主役として描かれているように見えるのだ。マンガの中にモノローグがあれば、その近くにでかでかと描かれている人物のものであると考えるのが普通だ。画面端にいる兄の方のモノローグであると考えることはない。

こう言えば、本作で使われている叙述トリックはアンフェアなものに聞こえるかもしれない。しかし、そんなことはない。本作はフェアな叙述トリック作品として、【第二の定義】を満たしている。さらに言うと、もしもこの作品が兄妹の禁断の恋愛を描いた【一般向け】のマンガだったら、この叙述トリックはアンフェアなものとして成立していなかったはずだ。この作品が【成人向け】のマンガだったからこそ、フェアな叙述トリックとして成立しているのだ。

つまり、成人向けマンガ、それも【男性向け】の作品においては、「何においても女性の痴態が優先して描かれる」という【暗黙の了解】が作者と読者の間に存在することが重要なのだ。一般向けの恋愛漫画であれば、女性と男性の心情は(ある程度)均等に描かれるべきだ。しかし、成人向けマンガでは男性の心情描写はスポイルされることが当たり前だ。*4男性読者は女性の心情に興味こそあれ、男の考えていることを知りたいとは思っていないわけだ。

例えば、成人向けマンガにおいて、男の登場人物が顔の描かれていないのっぺらぼうのような姿で描かれることはよくある。顔が描かれていたとしても、セックス中にそれがフォーカスされることはない。成人向けマンガの読者にとって、男性キャラの表情や心情が見えることはノイズとしか考えられていないことの証左だ。

本作は、成人向けマンガ特有の【暗黙の了解】を破ることによって成立している、稀有な叙述トリック作品なのである。

新しい叙述トリックを生み出すということは、新しい【暗黙の了解】を探すということに等しい。マンガにおける叙述トリック表現は、まだまだ未開拓の世界である。世界は広い。

 

*1:作者自身が「pixivFANBOX」において自らの創作意図を解説しており、そこで意識して叙述トリックを使用したことが語られている。

*2:ただし、話をややこしくするようだが、「信用できない語り手」作品の中にもフェアなミステリとして成立している作品はある。例えば、カーター・ディクスン 『貴婦人として死す』がそうだ。物語の語り手であるクロックスリー医師が、真犯人のことを自分の息子であるがゆえに無意識に嫌疑から外してしまっているという設定によって、読者の目を真犯人からそらすことに成功している作品である。読者は語り手の視点を通してしか事件を知ることができないので、語り手が偏見をもっている場合は得られる情報に何かしらの欠落が生じるわけだ。しかも、語り手が真犯人と血縁関係にあることは読者にも示されているので、犯人あてのフェア性もぎりぎりのところで保たれている。『貴婦人として死す』の仕掛けを叙述トリックだと言う人もいるだろうが、個人的には【語り手】を使ったミステリ的なテクニックとして、別立てで扱った方がいいと考えている。

*3:あだち充が描くキャラクターはどの作品を読んでもほとんど同じなように

*4:ここでは男性向けに絞った話である。「がるまに」においては男の顔も主菜になりえる。

【2024年2~4月おすすめマンガ】『アウト・オブ・ザ・コクーン』『イズミと竜の図鑑 1』『ふつうの軽音部 1』『線場のひと 上 』

 

 

 

 

 

『アウト・オブ・ザ・コクーン』 (ビームコミックス)  原百合子

今際の際に揺れる、恋と執着。計5篇の恋を描いた作品集。

「一生怯えて暮らしてろ!」

今際の際に揺れる、恋と執着。

終末世界で願いは? 切ないボーイズ・ラブ
『もしも、明日世界が終わるなら』
カニバリズムの裏にある美しさが描かれた
ドッグ・イート・ドッグ
ゾンビ化した恋人への信頼と、青春の旅券
『スウィート・ドリームス・ゾンビ』
『繭、纏う』の洋子と華が描かれた後日譚
『アウト・オブ・ザ・コクーン

ほか、1篇を含む、5篇の恋を描いた作品集。

『繭、纏う』にて、恐ろしいほどに切り詰めたフェティシズムを描いてきた作者が、満を持して世に送り出す変愛漫画作品集です。

特に、ゾンビ化した恋人との逃避行を描いた「スウィート・ドリームス・ゾンビ」、カニバリズムでしか愛するすべを知らない二人を描いた「ドッグ・イート・ドッグ」は、異形の力作です。人体の破壊、あるいは欠損に対する狂気的なオブセッションを作者から感じます(誉め言葉)。

腐敗した果実の甘ったるい匂いがするような、濃厚で猟奇的な恋愛漫画が読みたい方におすすめです。

 

 

 

 

『きさらぎ異聞: 1 』(HOWLコミックス)  x0o0x_ (原作), 筒井 いつき (漫画) 

きさらぎ駅、現代に新生す――。インターネットで公開中の楽曲群をコミカライズした都市伝説の物語。学校でのいじめと崩壊した家庭を行き来する女子高生・柊渚。破滅的な人生に絶望した渚は、いつもの電車に乗ると蠢く影と不可思議な建造物が跋扈する異界に迷い込んでいた。「そこはきさらぎ駅。都市伝説に謳われる彼岸の駅です」SNSを通じた謎の人物に導かれまま、鍵となる青髪の少女を求めきさらぎ駅を彷徨う中で行方知れずの母親、そして渚の歪な心に光が当たり――。

じめじめギスギス系の百合作品ばかり描いてきた筒井いつき先生がホラー漫画を描いたら、じめじめギスギスしたホラー漫画になりました。嬉しいですね。

 

 

 

 

『シメジ シミュレーション 05』(MFC キューンシリーズ) つくみず

少女終末旅行』のつくみずが描く、詩的でシュールなほのぼの日常4コマ!日常4コマの枠を超えた不思議体験の連続!

作者のあとがきに書かれている通り、本作は前作『少女終末旅行』とはコインの裏表のような作品です。『少女終末旅行』が物質的にも時間的にも極限に制限された世界だったのに対して、『シメジ シミュレーション』は物質的にも時間的にも無限の広がりを持った世界を舞台に二人の少女の絆が描かれています。

とにかく、最終巻は全エピソードが超エモい珠玉の傑作エピソードです。全人類が読むべきです。

 

 

 

 

『ふたりで木々を』(楽園コミックス)  平方イコルスン

「楽園」から4冊目の平方イコルスン作品集。「球形」「特典対象外」「始末」「米の密度」「林立」「とても手段」「最早」「偏重」「暴露」「憤慨」「脳外不出」「失望」「おさまり」「肉でしか埋まらない」「死にもの」「いい威圧」「胴を挟む」「そんなはず」「手の内」「かつて」など表題作含め21本収録!

いまさら平方イコルスンが面白いと言ったって、「そんなこと知ってるよ」と誰も驚いてはくれないわけですが、それでも本作はびっくりするほど面白いのです。

特に、最後に収録されてる短編「かつて」が素晴らしいので、ぜひ読んでもらいたいです。平方イコルスン作品の面白さ、その秘密が”会話”にあるということがよくわかると思います。

 

 

 

 

『十五野球少年漂流記(1)』 (サンデーうぇぶりコミックス)  白井三二朗 

指導者なき野球部、何処へ?

新設野球部に監督不在?
新入部員も新監督も漂流だぁ!

伝統女子高、博愛学舎は経営改善のため男子を受け入れる。
その目玉が硬式野球部!なのだが、創設を託した有名監督は急死!
残された新監督と部員、合わせて十五人は高校野球の大海原に放り出される!
勝利を求めて、野球部の漂流が始まる!

監督が急死してしまった新設野球部を、新任教師が監督を引き継いで奮闘する話です。

ここまではありがちな話ですが、ここからの設定が興味を引くものになっています。

なんと、旧監督に集められた14人の部員たちはそのすべてが投手だったのです。旧監督はどうして投手ばかりを集めてチームを作ったのか、その謎を新任教師は解き明かさないといけないわけです。とにかく、つかみはOK!と言っていいでしょう。

 

 

 

 

『片白の医端者(1)』 (ポラリスCOMICS)  岩飛猫 

「さて、今日はどうされましたか…?」最近体調が悪い私が訪れたのは、街の小さな病院。格好いいけど胡散臭い「片白先生」が、暴れる患者を前に「フシギな治療」を始めます。妖精が詰まった少女、美しい死体袋、目玉の何か、かぐや姫の娘と人狼の恋――。片白先生の元に訪れる「人でなし」たち。悩む彼らの姿はまるで「人」のようで……。「人外」描きの名手・岩飛猫が贈る、幻想シニカルストーリー。

妖怪やモンスターといった「人でなし」を専門で診察する診療所のお話です。

既存の神話や伝説に登場する「人でなし」たちを、作者独自の解釈でアレンジした姿が面白い作品です。

基本的にはコメディー寄りの作品ですが、ところどころにみられるシニカルな視点も癖になる人が多いのではないでしょうか。続きに期待です。

単純に、片白先生みたいなおじさんが性癖な人は多いと思います。

 

 

 

 

『ギミーアグリー 1』 (青騎士コミックス)  江ノ内 愛 

並行世界の「私」が7人! アイデンティティ・クラッシュストーリー!

逃げ癖がある少女・亜久里あぐり)は20件目のバイトを無断欠勤した。
亜久里はそんな自分を変えたくて、いつも右足から履く靴を左足から履いてみることにする。
すると異空間に転送され、そこには7人の「私」が待ち受けていた……。

いわゆる並行世界もので、主人公の亜久里あぐり)は並行世界からやってきた7人の自分自身と対峙することになります。最近は、「スパイダーバース」とかもヒットしたので、受け入れやすい設定かと思います。

基本的に1巻では7人の亜久里を紹介するだけなので、あまりお話は動かないのですが、とにもかくにも絵がうまいのです。なにか有無を言わせない絵のパワーがあります。

 

 

 

 

『イズミと竜の図鑑 1』(MFコミックス フラッパーシリーズ)  凪水そう 

剣と友社 第2編集部。
50年前の名著、『竜の図鑑』改訂作業、勃発!

竜といえば、金!
竜といえば、名誉!
竜といえば、神秘!

冒険者必携のベストセラーが、
ひとりの冒険者とひとりの編集者によって、いま、あらたに紡ぎだされます。

呪いで大人の身体になれない女性記者・イズミと、寡黙でダンディな護衛の獣人・アルフが、『竜の図鑑』の改訂作業を行うために各地を旅するファンタジー漫画です。

それもただのファンタジー漫画じゃなくて、”本格”ファンタジー漫画であるところが本作の強みでしょう。本作の舞台はありがちなナーロッパではありません。作者は、各地の文化や習俗をそれぞれ考え抜いて設定しています。

その細やかなまなざしは作品の隅々にまで行き渡っており、本作の主題でもある”竜”の生態についても、非常にユニークで読み応えのあるものになっているのです。

 

 

 

 

『妹・サブスクリプション』(シリウスコミックス)  橋本ライドン

妹思いでしっかり者、職場のみんなにも頼られる女性、みゆき。
しかし、みゆきの妹、今日子はちょっとした衝撃や怪我ですぐに動かなくなってしまう。
でも大丈夫。壊れても定期的に回収されて、全く同じ姿で帰ってくるから。
そう、彼女は妹をサブスクしている。

亡くなった人間を複製して蘇らせる技術〈レプリンカント〉が現れた未来、主人公のみゆきは妹のレプリカントと一緒に暮らしています。妹愛をこじらせた姉が破滅していく様が見所ですね。このテーマでやれることはやりきったうえで、きちんとバッドエンドに落とし込んでいるのが好感度高いです。

 

 

 

 

『あやかしの葬儀屋(1)』 (サンデーうぇぶりコミックス) あおたゆきこ

あやかしの死を見つめる追悼奇譚開幕。

あやかしの死に、穢れあり。それは土地を蝕み、時に化け者を生む、妖しき死の名残り…

あやかし殺しの罪人・八重波は、穢れを祓う葬儀屋の元で働くこととなり…

人とあやかし、生者と死者。決して交わらぬ両者をつなぐ“あやかしの葬儀屋”の旅路が始まるーー

こうした和風ファンタジー作品でオリジナリティをだすことは難しいと思います。元ネタになっている神話や妖怪の伝説があるからこそ、凡庸な描き手では既視感のある絵面になってしまいやすいのでしょう。

しかし、本作はその呪縛を軽やかに破っています。日本の伝承をベースにしつつも、作者独自の世界観を作り出すことに成功しているのです。今最も推せる和風ファンタジー作品です。

 

 

 

 

『デスサイズキューティー(1)』 (やわらかスピリッツ) 玉置勉強 

「銃×ランドセル」の美少女ガンアクション

裏社会最強の女子小学生、降臨!

ランドセルを背負った死神――
裏社会の住人は彼女を「デスサイズキューティー」と呼んだ・・・

結婚詐欺に引っかかりヤクザのフロント企業から横領したことがバレた崖っぷちダメ女・佐藤聡子(さとこ)。
組事務所で土下座する聡子が借金チャラの見返りに告げられたミッションは、素性不明の小学生・リルハの“姉”になることだった。
そして、凸凹“姉妹”のあまりに騒がしい日常が幕を開ける――

汚い『リコリス・リコイル』というのは言いえて妙ですが。

玉置勉強はガンアクションを描かせてもうまいんです。それにしても、どうして1巻だけで失禁シーンが二回もあるんでしょうか。

玉置勉強の全作レビューはいつかやってみたいですね。(成年漫画も含めて)

 

 

 

 

『ドラゴン養ってください(1)』 (裏少年サンデーコミックス) 牧瀬初雲 (原作), 東裏友希 (作画) 

ドラゴンと暮らす下町ゆるファンタジー

ある日、大学生の村上は異世界からやってきたドラゴンのイルセラと出会う。

"一竜前"を目指すイルセラは、人間界で修行をする間 

自分を「養ってほしい」らしく…!?

『スティアの魔女』の牧瀬初雲と、『魔もりびと』の東裏友希がタッグを組んだ作品です。この二人を結び付けた編集がすごいとしか言いようがないですね。

『魔もりびと』を読んだことのある人にはわかると思いますが、東裏友希は西洋ファンタジー風のモンスターや魔物を描かせたら当代随一の漫画家です。特に、魔物をかわいらしく、時にはエロティックに描くことにかけてはピカイチです。しかし、『魔もりびと』は世界観が硬派すぎて、一般にはとっつきづらいところがありました。

それが、牧瀬初雲のゆるい日常ファンタジーの原作と結びつくことで、ほどよい感じになっているのが本作の魅力でしょう。

 

 

 

 

『空は世界のひとつ屋根 1』 (楽園コミックス) 鶴田謙二

「楽園」本誌&web増刊で断続的に展開中の日本最南端?な奥の鳥島の空港長セレッソと彼女のアシスタント的な青年を中心とした鶴田謙二大空港、なコメディ。カラーページが96枚!魅せる第1巻♪

鶴田謙二が描く健康的な半裸お姉さんと、南の島の飛行場で一緒に働く……そりゃあ、それよりも素晴らしいことはこの世にないですよ。わかりきったことです。

 

 

 

 

『ガールズ・アット・ジ・エッジ 1』 (MeDu COMICS) 犬怪寅日子 (原作), ハトリアヤコ (漫画) 

風俗嬢がボーイを殺して廃校でひと夏を過ごす話

夏のある日、ピンサロで働くボーイ塩原が殺された。死体とともに消えたのは、その店で働く嬢が4人とボーイが1人。誰が彼を殺したのか!? 殺した理由とは!? 社会の片隅で生きる。境界を越える。怒れる女たちの物語ーー。

カクヨムに連載されていた犬怪寅日子の原作を、『真夜中の訪問者』のハトリアヤコがコミカライズした作品です。この組み合わせが、ほどよい化学反応を起こしています。

つまり、風俗嬢たちの暗い感情を主題としながらミステリ的な構成を持ち込むことによってリーダビリティーを高めた原作と、日常のちょっとしたモヤモヤを拾い集めて表現することに長けているが長篇は書いた経験のない漫画家、この組み合わせがベストマッチなのです。

お互いに足りないところをうまく補い合っている印象です。コミカライズとは、かくありたいものですね。

 

 

 

 

『夏目アラタの結婚(12)』 (ビッグコミックス) 乃木坂太郎

真珠とアラタの究極結婚サスペンス、完結!

アラタと真珠の逃避行は事故により終わり、命はあったものの真珠からの申し出によりふたりは離婚した。
そして入院先でついに自ら殺人の事実を告白した真珠。明かされる真実とは何なのか、そして2人の「結婚」はどこへ行きつくのか...!?

拘置所でのプロポーズから始まったアラタと真珠の結婚サスペンス、物語はついに完結へ。

公式では「結婚サスペンス」ということになっていますが、個人的に本作は「法廷ミステリ」の傑作だったと思います。

なぜ本作が法廷ミステリでなければならなかったのか?、という問いは考える価値がありそうなので、考えがまとまったら別記事を書くかもしれません。

 

 

 

 

『ふつうの軽音部 1』 (ジャンプコミックスDIGITAL)  クワハリ (原作), 出内テツオ (漫画) 

ちょっと渋めの邦ロックを愛する新高校1年生・鳩野ちひろは、初心者ながらも憧れのギターを手に入れ、念願の軽音部に入部する。個性豊かな部員たちに困惑しつつも、バンドを結成することになるが――!? 超等身大のむきだし青春&音楽奮闘ドラマ、開幕!!

世の中にガールズバンドもののアニメや漫画が溢れすぎてて食傷気味なんだよな、と言う方にもおすすめな作品です。

本作は、ガールズバンドものの前に軽音部ものなのです。学校の部活でしか味わえない、生ぬるい青春感がたまりません。恋愛沙汰で部内がギスギスしたり、やる気のないメンバーとバンドを組んでしまってモヤモヤしたり、そういった等身大の青春が小気味よく描かれています。

しかし、主人公の根っこを支えているのは音楽への情熱なので、やっぱりこの作品は根っからのバンド漫画でもあるのです。素晴らしいですね。

それにしても、クワハリ先生って現代の蟲毒ともいうべき「ジャンプルーキー!」あがりの作家なので、なんか尊敬してしまいます。

 

 

 

 

『MA・MA・Match』 (アフタヌーンコミックス) 末次由紀

子供たちのサッカーを見守るのが生きがいの相川成実、45歳。
ある日、長男の拓実がサッカー部を辞めたと伝えられ大混乱。
そんな中、長女と同じサッカークラブに通う家族の喧嘩をきっかけに、
ママたちとチームを組んでサッカーの試合をすることになる…!

少年サッカーチームと、そのママたちのたった一度の試合を描いた作品です。

そのたった一度の試合を通して、様々な登場人物の悲喜こもごもが描かれ、人間ドラマが一点に集約していく構成は圧巻です。さすが『ちはやふる』の末次由紀先生と言わざるを得ないです。

とまあ、世の中のママたちをエンパワーメントするような素晴らしい漫画ではあるのですが、一方で本作は少年サッカーの影の部分も色濃く描き出しています。

つまり、子供の夢をサポートするという名目の元に疲弊していく母親たちと、そんな母親たちをリスペクトするどころかサッカーのできない女として馬鹿にしている子供と父親という醜悪な構造です。

もうこの辺が最高に胸糞で、いくら作者がいい話としてまとめようとしても、隠しきれない禍々しい力を秘めた作品です。

 

 

 

 

『線場のひと 上 』(トーチコミックス)   小宮りさ麻吏奈

ここは、まだ戦場だ──。

「戦後」と呼ばれる時代。
己の運命を国家や家族、そして時代に翻弄されながらも、
日本とアメリカに生きた4人の人間の物語。

戦後を生きる男女4人を、クィア的な視点から描いた物語です。

戦後を舞台にした漫画は数々ありますが、その描き方に新味があります。また、取材もしっかりされている印象で、歴史に記録されていない個人の物語を生々しく描くことに成功しています。

どうしてこんなに漫画の巧い人が急に生えてきたのかとびっくりしましたが、長らくアーティストとして活躍されていた方らしく、ポートフォリオを拝見すると、クィアフェミニズムや結婚、生殖といったテーマに一貫して取り組んできた様子が見て取れます。やっぱり、急に漫画が巧い人が生えてきたわけじゃなくて、その人なりの蓄積があるんだなぁと思う今日この頃です。

 

 

 

 

『エロチカの星(4)』 (コミックDAYSコミックス) 前野温泉

ハプニング続きの同人誌即売会をなんとか乗り越え、遠藤とよすがはさらに信頼を築いてゆく。ある日、二人は「桃源郷」編集部を訪ねるべく東京に出向くことに。
そこでよすがは、予想もしなかった真実に直面することとなる……。

憧れと希望から始まった二人の物語。よすがの心に新たに芽生えたモノ、それは……。

“エロ漫画”制作に懸ける二人の青春熱血ラブコメ

主人公たちの目の前に立ちはだかる売れっ子エロ漫画家との対決と、その結末が描かれた最終巻となります。

ライバルキャラが登場してから加速度的に面白くなっていたところだったのに、あっけなく終了ということになってしまいました。しかしながら、伏線はきっちり回収し、主人公たちの恋模様にも一定の決着はつけられているので消化不良感はありません。

本作に欠点があったとすれば、最終話まで読んでも主人公たちがどういうジャンルのエロ漫画を描いているのかもよくわからないところにあると思います。エロ漫画の話をしているのに、肝心のエロ漫画についてはよくわからないまま話が進んでしまう。一般誌に掲載されている以上、エロ漫画をそのまま載せることはできないわけですが、それにしてももう少しやり様があったのではないかと思わずにはいられません。

前野温泉先生には、主人公が描いていたエロ漫画を実際に作品として仕上げて、コミティアで売ってほしいです。

 

 

 

 

『ねずみロワイアル(1)』 (ヤンマガKCスペシャル)  佐々木 順一郎

修学旅行だと思って連れてかれたどこかの島。そこで宣告されたのは殺し合いが始まることだった。28日後に来る迎えの舟に乗れるのは5人だけらしい・・・・。突然の出来事にうろたえる優柔不断で弱気な西部(にしべ)君。果たして彼は生き残ることができるのか。かわいくてみえてくらっちゃう、ねずみデスゲーム開幕。

登場人物をねずみにして『バトル・ロワイヤル』をやった作品です。奇をてらってオリジナル要素を足すことなく、ほぼそのまんまの『バトル・ロワイヤル』をやっていることに妙な潔さを感じます。

それにしても、どうして”ねずみ”なんでしょうか? 

 

 

 

 

『絢爛たるグランドセーヌ 25』 (チャンピオンREDコミックス) Cuvie 

ずっとバレエをしていきたい…。悩みがありつつも、夢と希望にあふれた留学生活を送っていた奏だったが、コロナ蔓延という予期せぬできことで学校は閉鎖、帰国しての外出自粛という毎日を余儀なくされてしまった。踊りたいのに踊れない、皆に会いたいのに会うこともできない。先の見えぬ闇の中で、それでも奏はバレエへの愛を燃え上がらせる!

コロナ禍を描いた漫画作品は色々とありますが、まさか”あの時代の閉塞感”を最もビビットに捉えた作品がバレエ漫画から出てくるとは思わなかったです。

主人公が小学生の頃から成長を見守ってきた長期シリーズであるからこそ、今までは当たり前にできていたバレエが急にできなくなることで思い悩む姿を見るのはつらいです。しかし、いくらシリアスな展開になっても、作品の空気自体は重くなりすぎません。希望と情熱にあふれた漫画です。

 

 

 

 

アウトサイダーパラダイス : 2』 (アクションコミックス)  涼川りん 

とある中高一貫校の高等部。新聞部の2人と美術部の3人――計5人のクセつよ女子高生が繰り広げる、オカしくてちょっと可笑しな青春群像劇!『あそびあそばせ』の涼川りん最新作、待望の第2巻!!

以前、本作を紹介した時に『あそびあそばせ』のスピンオフと言ってしまいましたが、正確には『あそびあそばせ』とは別世界線での話だったみたいです。つつしんで訂正いたします。

ギャグと狂気と百合、この3つのせめぎ合いが本作の味ですが、2巻ではよりいっそう狂気が加速しています。怪しい自動販売機で購入した飲料を口にすると中にはミミズが入っていて……、という狂気的な展開から、ディズニー『わんわん物語』の某名シーンを彷彿とさせるようなラブロマンスにシームレスにつながるとは……誰も予想できなかった展開ではないでしょうか。やはり本作は今最も個性的で目が離せない作品です。

 

 

 

 

 

【2024年1月漫画感想】KENT『大怪獣ゲァーチマ』、中原開平『狂狼は繭を喰む』、上村一夫『菊坂ホテル』

2024年1月に読んだ漫画の中で面白かったものを紹介していきます。

 

 

 

KENT『大怪獣ゲァーチマ(1)』 

海から突如出現した怪獣と共に起きた大波で、港町・匡波町は被災した。活動を停止した怪獣は、海に溶け魚介類の豊かな栄養素となり、匡波町の経済を潤し、豊穣の神ゲァーチマと呼ばれるようになった。被災者である少女・杜野宮矢子がその出来事を形に遺すべく作ったゲァーチマの人形は、土産物として販売され人気を集めていた。しかし、復興した匡波町に10年ぶりに怪獣が現れ…。怪獣は人類の敵か味方か?

 

怪獣を題材にした漫画って、なんとなくハズレが多い気がして食わず嫌いしていたのだが、周りの評判がいいので読んでみるとびっくりするほど面白かった。

まずもって単純に画力が高い。怪獣と人間が一緒の画面に収まっている時に、ちゃんと怪獣が巨大に見える。当たり前のことだが、これができていない怪獣漫画が多いのだ。

怪獣を経済資源として発展した港町という設定も面白い。怪獣を恐怖の対象として記録を残そうとする主人公と、怪獣を経済資源として活用して受け入れている町の人たちの対比も効いている。今後に期待できる作品だ。

 

 

 

 

 

中原開平『狂狼は繭を喰む(1)』

極道の娘・絹姫は敵対関係にある組との合併のための捧げ物として相手先に嫁ぐことになっていた。全て親に決められた人生に生きる意味を見失っていた絹姫だが、獣の如く最強で凶暴な護衛・紫安と出会い、自らの運命を切り開いていく!?狂った絆で結ばれたシスターフッドアクション!

 

極道の娘の元に送り込まれてくる殺し屋たちを、獣のように凶暴な用心棒の女がバッタバッタとなぎ倒していく痛快なアクション漫画。とにかく何もかもがでかい女が暴れまわっているところが面白い。

狂気と暴力が支配する極道の世界を、二人の女が協力しながら渡り歩いていく話でもあり、「シスターフッドアクション」のうたい文句に偽りなし!

 

 

 

 

 

上村一夫『菊坂ホテル』

美人画で有名な画家・竹久夢二や文豪・谷崎潤一郎が滞在した菊坂ホテルを舞台に、そのホテルの娘である八重子(やえこ)の目を通して、時代を代表する文化人達の人間模様を描いた大正浪漫劇画。彦乃(ひこの)との恋を彼女の父親に引き裂かれた竹久夢二は、息子・不二彦(ふじひこ)を連れて菊坂ホテルに入居する。そしてある日、不二彦を可愛がるホテルの娘・八重子と出かけた夢二は、妖艶な美女・兼代(かねよ)と出会い……!?

 

今月は過去作品から一つだけ、下宿を舞台にした漫画の中でも名作と名高い本作を読んでみた。

舞台は大正8年頃、実際に竹久夢二谷崎潤一郎が同じホテルに下宿していたという史実から創作されている。本当にこんなことがあったのかもしれないと思わせる、絶妙な時代の隙間をついた作品となっており、名作と言われるだけあって下宿もの漫画のお手本のような作品だった。

 

 

菊坂ホテル

菊坂ホテル

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2023年のすごかった漫画(29作品+α)

 

・2023年(1~12月)に刊行された漫画が対象です。

・ざっくり分類分けしています。

・分類中の並びは、上に掲載されているものの方がオススメ度が高いです。

 

 

 

 

 

1巻が刊行された漫画

 

平井大橋『ダイヤモンドの功罪』

「オレは野球だったんだ!」 運動の才に恵まれた綾瀬川次郎は何をしても孤高の存在。自分のせいで負ける人がいる、自分のせいで夢をあきらめる人がいる。その孤独に悩む中、“楽しい”がモットーの弱小・少年野球チーム「バンビーズ」を見つける。みんなで楽しく、野球を謳歌する綾瀬川だったが…。

 

圧倒的な才能を持っているがゆえに、周りの人間を無意識のうちに傷つけてしまう、そんな少年が主人公の話だ。チームスポーツを題材にした漫画で一人の天才が現れ、周りの人間を巻き込みすべてを変えてしまうというのは一つの物語類型である。しかし、この作品は全く平凡ではなく、常に新しい驚きを与えてくれる。

特に興味深いのが、主人公の綾瀬川次郎は野球の天才ではあっても、性格や感性は全く普通の少年だということだ。彼におごったところはなく、他者を見下しているわけではない。ただただ純粋にチームスポーツを楽しみたいと思っている。しかし、それゆえに周りから理解されずに孤立していくのだ。綾瀬川が、真っ当な感性を持った少年ではなくて狂った天才だったら、この物語はもっとハッピーなものになっていただろう。

 

ちなみに、平井大橋は連載をはじめる前に、成長した綾瀬川たちが登場する読み切り作品を描いている。因果関係は逆であるが、今読むと『ダイヤモンドの功罪』の後日譚のように見えて面白い。「サインミス」なんかは完全なラブコメ作品で、綾瀬川たちが幸せそうに青春をしている貴重な姿が拝める。

 

また、同じ学生野球を扱いながら真逆のアプローチで攻めている(主人公たちは天才ゆえに狂っている)、大沼隆揮 , ツルシマ『シキュウジ-高校球児に明日はない-』も要注目だ。

 

 

tonarinoyj.jp

 

 

 

 

 

華沢寛治『這い寄るな金星』

期待の新星が描く、禁断の姉妹激重感情!大学生の寺田芹果は今、インカレで知り合った男を“あざとく”籠絡しようとしていた。何が彼女を駆り立てるのか?そこには「ある女」に対する積年の復讐心が...!?寝取られたら寝取り返す!?  新星・華沢寛治が描く禁断の姉妹バトル、開幕!

 

第80回ちばてつや賞ヤング部門での優秀新人賞受賞作家の連載デビュー作である。

主人公は血のつながっていない姉妹で、彼女たちはお互いに巨大感情をこじらせにこじらせまくっている。その結果、妹に彼氏ができそうになると、どこからともなく姉がやってきて彼氏を寝取っていくという事態が繰り返されるのだ。NTRを中心に話が展開されるものの、そこに主題はなく、男の存在は姉妹が争うための道具にされている。実質的に、本作は姉妹百合作品と言っていいだろう。特に、姉の存在感は”異様”の一言である。どろどろの執着を描いた百合作品は今年も多く出版されたが、その中でも読んでいて恐怖を感じたのは本作ぐらいだ。

 

異常な百合作品ということでは、父親とのセクサロイドとの関係に依存していく少女を描いた梶川岳『パパのセクシードール』もおすすめである。

 

 

 

 

 

 

小野寺こころ『スクールバック』

こんな大人、身近にいてほしい――伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員さん。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。今、“自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

 

家庭と学校にしか居場所がない思春期特有の閉塞感が良く描けている作品である。

学生生活の悩みを聞くカウンセリング系漫画作品は世に数多い。しかし、その中でも本作の特徴は、学生の相談に乗る大人が担任や保健室の先生ではなくて用務員という点にある。高校の用務員である伏見さんは、学校の中にいる大人ではあっても教員ではないため、学生を指導して”答え”を指し示すことはしない。あくまで、話を聞いてそばに居るだけなのだ。だからこそ、伏見さんは素晴らしい。悩む学生が求めているのは”答え”ではないのだから。

 

連載デビュー前の短編「レンコンになりたい」にも同様のテーマはすでに見られるし、こちらは爽やかなシスターフッドものになっている。

 

 

www.sunday-webry.com

 

 

 

 

福本伸行『二階堂地獄ゴルフ』

二階堂進35歳。彼は、ゴルフ倶楽部の支援を受けながら10年間プロテストに挑戦し続けるも、ことごとく不合格となってしまっていた。最初は期待された選手のはずだった。それが、いつの間にか彼はゴルフ倶楽部の鼻つまみ者に。自分よりも有望な若手も次々と現れて、進むも地獄‥戻るも地獄‥悶絶のゴルフ道。

 

ゴルフ界の下層、プロにもなれないワナビの中年を描いた漫画である。つまるところ、『最強伝説 黒沢』につらなる、どうしようもないおっさんの足掻きをひたすら見せられる作品だ。

 

はっきり言って、私は、自分自身で決めた縛りによって身動きが取れなくなった人間の話が大好きだ。

本作の主人公・二階堂は、決して無能として描かれているわけではない。ゴルフの腕は運さえ良ければプロテストに合格できる程度のものとして描かれているし、真面目で努力家な性格なのでゴルフの道を諦めたとしても別のどこかでは重宝されそうな人間ではある。しかし、現実の彼は、運もめぐり合わせも悪いのでプロテストには絶対合格できないし、捧げた時間が長すぎるせいでゴルフの道を諦めることもできない。外野から見ていれば、二階堂のやっていることはずいぶん”滑稽”だ。自分の失敗したことに縛られて身動きが取れなくなっているだけだ。でも、そんな”滑稽さ”こそが人生の本質だとも思う。諦めた方がいいとわかっていても諦められない、そんなことの連続が人生のリアルだろう。だから、私はこの漫画を断固支持する。

 

 

 

 

 

古部亮『スカベンジャーズアナザースカイ』

怪しい研究施設“停留所(バスストップ)”を拠点に活動する武装少女“収集隊(スカベンジャー)”… 彼女たちが派遣されるのはお宝が眠る異界“BP(ブラックパレード)” そこに潜んでいたのは異形の幽霊…!? 探索! 撃破!! 収集!!! 100万ドルを集めて自由の身となるため少女たちは命懸けのゴミ拾いを遂行する!! 「第一種猟銃免許」所持のリアルガンナー漫画家『狩猟のユメカ』の古部亮が描く、少女異界ガンアクション!!

 

銃器で武装した少女たちが、生き残りのために異形の幽霊と戦うアクション漫画である。

お宝が眠る異界“BP(ブラックパレード)”、そこに出没し襲い掛かってくる”異形の幽霊”、幽霊を倒すことで手に入る超常の力を持った武器”アーティファクト”などなど……設定だけ聞けば、ずいぶんとゲーム的だ。(実際に、『Escape from Tarkov』や『S.T.A.L.K.E.R.』などのFPSゲームのプレイヤーから評価が高いようだ。)

では、そのようなゲーム作品に馴染みのない人間には楽しめないかと言えば、そんなことはない。むしろ、現実ではあり得ないゲーム的なアクションが、作者の豊富なミリタリー知識に裏打ちされた作画によって、圧倒的な説得力を与えられているところに本作の価値はあると思う。荒唐無稽なガンアクションが、作者のミリタリー知識によって、妙な説得力を与える漫画体験としては、うすね正俊『砂ぼうず』なんかを連想させられた。

 

また、2023年に発売された少女が異形と戦うアクション漫画と言えば、向浦宏和『CHILDEATH』も要注目だ。令和の大友克洋AKIRA』になれるかもしれないポテンシャルを感じる作品だ。

 

 

 

 

 

 

水谷フーカ『リライアンス』

一年間のブランクを経て同じクラスで再会した志木葵を意識する同級生・橘さんの視点で描く「14歳の恋」からスピンアウトした葵ちゃんと灰島先生の「その後」の物語。「気になる」は恋の始まり? な第1巻。

 

本作はスピンアウトゆえに、恐ろしく残酷な百合作品となっている。なぜなら、葵と灰島先生というすでに成立している物語からすれば、脇役に過ぎない同級生の橘さんを主役しているからだ。橘さんは直球の百合感情を葵に向けているが、その感情は一向に葵へ届かない。葵は脇役である橘さんのことなんか見ていないのだ。こんなに歯がゆい関係性はなかなか見られない。すでにできあがった物語に、橘さんがどうやって入り込んでいくのか注目したい。

 

また、今年の水谷フーカはもう一つの「14歳の恋」スピンアウト作品『ハーモニー』を発表している。こちらは男女の年の差恋愛を描いた作品で、こちらは明るい作風でおすすめである。

 

 

 

 

 

 

涼川りんアウトサイダーパラダイス』 

少女たちは送る。永遠のようで一瞬の、煌めいた鈍色の日々を――。『あそびあそばせ』の涼川りん、最新作!オカしくて可笑しい女子高生たちのヒューマンドラマ!!

 

前作あそびあそばせに登場した新聞部と美術部のメンバーを主役にしたスピンオフ漫画である。

本作がどのような作品であるか、まずは作者自身の言を引用しよう。

タイトルの通り、彼女たちの楽園はどこにあるのか…そもそもそんなものは存在するのか…もし存在するとしたらそこに辿り着くことはできるのか…が一つのテーマとなっている*1

そう、本作は女子高生が、彼女たちだけの楽園を目指す百合漫画なのだ。しかし、本作は、その表層しか見ていなければ、「うんち」で笑いをとるたぐいの下劣なギャグ漫画にしか見えないのだ。よく目を凝らさなければ、百合は見えてこない。

百合漫画とは、”余白”に宿る。百合漫画は、描かれていることを見るだけではいけない。描かれていないことを想像することからしかはじまらない。

 

 

 

 

 

 

大武政夫『女子高生除霊師アカネ!』

東雲茜はちょっぴり金に汚いものの、どこにでもいる普通の女子高生。のはずが、愛人と蒸発した父親に預金を持ち逃げされたことをきっかけに、生活費を稼ぐため父親の跡を継ぎ、除霊師として活動することに! 父親直伝の怪しいテクで、今日も霊を祓いまくる! 当然 霊なんて見えない

 

大武政夫の漫画はどうして面白いのだろう。状況設定の巧みさ、シュールな会話、笑いの間……理由は様々あるのだろうが、個人的には登場人物が総じて”生き汚い”ことかもしれない。大武政夫漫画の主人公はたいてい奇妙奇天烈な状況に巻き込まれていくことになるのだが、彼ら(彼女ら)はその状況の中で生きていくことに全力な人物が多いように思う。主人公が必死だから笑えるし、生き汚いからこそ元気をもらえる。『女子高生除霊師アカネ!』もそんな作品だ。

 

また、短編作家としての大武政夫を楽しみたければ異世界発 東京行き』、同じインチキ霊感・占い商法を扱った漫画であれば岬ミミコ『占い師星子』をおすすめする。

 

 

 

 

 

 

 

背川昇『どく・どく・もり・もり』

深い深い森の中。キノコの妖精たちが暮らす村がありました。そこはとても楽しく平和な場所です。ところが、ある日ひとりの毒キノコがやってきて村人を皆殺しにしてしまいました。ただひとり生き残った幼いキノコは復讐を胸に誓い、広大な樹海を巡る旅に出たのでした。そこに過酷な運命が待ち受けていることも知らずに。

 

キノコ・ダークダークファンタジー作品である。

背川昇は、前作『海辺のキュー』でも”キュートなキャラクター”と”ダークな世界観”のギャップで魅せてくれたが、本作ではさらにパワーアップしていると言っていいだろう。主人公たちはキノコを擬人化したメルヘンなキャラクターでありながら、彼女たちが生きている世界は血と暴力が支配する残酷な世界だ。

また、胡乱な言説が許されるのであれば、本作はキノコ版『ベルセルク』と例えることもできるかもしれない。これは血と暴力に彩られたダーク・ファンタジーという点が共通しているというだけの話ではない。”孤児”あるいは”捨て子”の目線から見た漫画だということが重要だ。『ベルセルク』のガッツは死した母親から産み落とされた”孤児”であり、本作の主人公・べにてんも両親を殺された”孤児”である。考えてみれば、戦後日本の漫画の歴史は”孤児”あるいは”捨て子”の主人公からはじまっている。『鉄腕アトム』は生みの親である天馬博士にサーカスへ売られ、『鉄人28号』の正太郎は鉄人の開発者である父親を殺される。なぜ戦後漫画の主人公は、”孤児”でなければならなかったのか。それは、親に捨てられた”子供”にできることは、この残酷な世界の在り様を直視することしかないからだ。

 

 

 

 

 

 田島列島 『みちかとまり』

“竹やぶに生えてた子供を神様にするか 人間にするか決めるのは最初に見つけた人間なんだよ”8歳の夏、まりが竹やぶで出会った不思議な少女みちか。他の人とは違うルールで生きるように見えるみちかは、まりの同級生でいじめっ子の石崎からとても大事なものを奪ってしまう。責任を感じるまりはみちかに誘われ言葉で理解できる世界の外側へ足を踏み入れる──。

 

過去の田島列島作品と違って、民俗学的な世界観で描かれるガールミーツガールである。どこかシニカルな視点に基づいた人間ドラマがよく世界観になじんでいる。ジュブナイルホラーとしての堂々たる仕上がりに、田島列島の新たな一面を見た作品だ。

”子供”の視点に対する拘りという点では、『どく・どく・もり・もり』とも共通点があるかもしれない。

 

 

 

 

堤葎子『生まれ変わるなら犬がいい』

美青年を【犬】として飼う話。犬として愛されることが、こんなにも幸せだなんて…無職で女癖の悪いクズ青年。山で遭難していたところを女の子に助けられて彼女が独りで暮らす山中の屋敷に連れていかれる。女の子はシルクという犬をこの世界の何よりも愛していて…しかしその愛犬は二年前に失踪してしまっていた。以来死んだように生きてきた彼女はなぜか青年をシルクと思い込み【犬】として飼い始めるのだ…

 

タイトルとあらすじを読んだだけでは、官能的で変態的な漫画ではないかと勘違いしそうだが、詩情に溢れた綺麗な物語なのでご安心を。

複数の女たちのヒモとして暮らしている男が、山中のお屋敷に迷い込んでしまうところから物語はじまる。山中のお屋敷にたった一人で暮らしているのは、最新ペットの犬を失った純粋なお嬢さん。でも、そのお嬢さんは静かに狂っている。狂った深窓の令嬢と自堕落なヒモ男、二人の不思議なラブストーリーに浸りたい。

 

 

 

 

 

魚豊『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』

あの人に、好きな人はいるのかなーー
あの時話していた言葉の意味ってーー

抱いた恋心が溢れるとき、世界を動かす謎に迫っていくーー!

『チ。』『ひゃくえむ。』の魚豊が描く、圧倒的新機軸、前代未聞のラブコメストーリー!!

 

本作の主人公・渡辺は、非正規雇用で余裕のない生活を送り、論理的思考が得意であると自負するもマルチ商法に引っかかる。いわゆる”負け組”の青年である。そんな彼が、現実に存在する陰謀論の世界に巻き込まれていくのだ。

そう考えてみると、作者の前作『チ。』も”陰謀論”の話だった。天動説が正しい世界の中で、地動説という”陰謀論”を唱える人たちの話だ。魚豊よ、こう来るか、と思った。『チ。』というヒット作の後に、こんなに自己批評的な作品をぶつけてくるものなのか、と……。

 

 

 

 

 

つのさめ『一二三四キョンシーちゃん』 

キョンシー・山田とおさなの、やみつきフシギホラー!!おさなの11歳の誕生日に、香港にいるパパから届いたサプライズプレゼント。それは上海蟹と一緒にクール便で送られてきたキョンシーだったのです…。ハイテク安全!キョンシー・山田とおさなの、やみつきフシギホラー!!

 

本作は、ストーリー漫画というよりも、アイデアと絵を楽しむ漫画作品だ。

作者のつのさめには、コミティア出身作家という意味で、panpanyaあたりとの遠い親戚関係を感じる。つまり、細密画的な”背景”の中に、シンプルな描線で描かれた”キャラクター”を置くという手法を引き継いだ漫画家の系統樹に属している。(系統樹の幹は、つげ義春逆柱いみりpanpanyaで、そこに様々な枝葉がつくイメージである。)

その点で、本作のキャラクターの省略の仕方は絶妙である。表紙の女の子を見てほしい。ツインテールの髪型を極度に抽象化したキャラクター、これが最高なのだ。ただ、panpanyaと明確に違うところは、街並みや建築物への描き込みは控えめで、逆にキャラクター以外の生き物に対する描き込みに力点が置かれていることだろうか。

 

ちなみに、「つげ義春逆柱いみりpanpanya系統樹」の中で、「逆柱いみり」のところから枝分かれしたのがネルノダイスキ『ひょんなこと』だと思っている。

 

 

 

 

 

 

我妻ひかり『パコちゃん』

三十路間近のフリーター・パコちゃん。サービス精神旺盛でセックスが大好き。だけど、実は繊細で寂しがり屋。その上、ちょっと不健康。そんな月並みメンヘラ女子が、愛を求めて右往左往。前途多難のセキララ恋愛事情――。

 

モーニングの新人賞《第9回THE GATE》編集部賞を受賞した、我妻ひかりが描くメンヘラ女子の恋愛漫画である。

主人公はメンヘラというよりもセックス依存症で、性への奔放さゆえに周りの人間にトラブルを巻き起こすことになる。自分の周りにいると迷惑な人としか言いようがない主人公像なのだが、不思議と嫌いになれないのだ。作者が主人公のメンヘラ女子の中に入り込んで、その内側から物語を描いているから、読者も主人公の気持ちにぐいぐいと引き込まれながら読むことができるのだ。

 

我妻ひかりの卓越した心理描写に興味がある方は、まず新人賞受賞作「あおとゾンビ」を読んでみるといい。こちらも、セックス依存症の女性が主人公で非常に読ませる作品だ。

 

 

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スタニング沢村『佐々田は友達』 

フェンスの向こうのきみへ。茶畑高校に通う高橋優希。人生はパーティーチャンスの連続で、楽しむことが大好き。同じく茶畑高校に通う佐々田絵美。カナヘビとカマキリが大好きで、自分自身の形がまだはっきりしない16歳。クラスの一番遠くにいた二人が、ある日の放課後、偶然出会って?

 

『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』などの漫画家・ぺス山ポピーが、スタニング沢村とペンネームを改めた初の長編ストーリー漫画。

自身の性的自認という表現しづらいテーマを取り扱い、コミックエッセイという場で活躍していたぺス山ポピーが長篇ストーリー漫画に挑戦している。第1巻を読んで驚くのは、完全にエッセイマンガのフォーマットから脱却し、ストーリー漫画の描き方に適応していることだろう。背景、コマ割り、セリフまで、すべてがストーリー漫画向けにチューニングされている。それでいて、作品の根底にあるテーマはエッセイマンガ時代と変わらない奥深さがある。新たな表現方法を身に着けたスタニング沢村の活躍に注目したい。

 

 

 

 

 

 

にゃんにゃんファクトリー『ヤニねこ』

Twitterでなんか結構バズッてる、ヤニ吸うねこのマンガ。マナーやモラルなんて関係ねえ!クズねこの送るヤニまみれでお下品な日常をご覧ください。一応、妹とか普通にかわいいキャラもでてくるから!単行本でしか見れない貴重な喫煙シーンとかたぶん描くんで、予約してくれたらありがてーにゃ(笑)

 

――「ヤニねこ」ってさあ、なんか上品なんだよ。

 

世迷言ぬかすな。ヤニ吸ってクソ漏らしたり、ゲロ吐いたり、ケモナーの大家さんが獣人型ダッチワイフでオナニーしているような最下層お下品漫画じゃねぇか。

 

――それはそうなんだけど、絵は上品だよね。絵が上品だと、実際に行っていることがどれだけ下品でも、相対的に上品寄りになるんだということに気づけたよ。

 

そうか、しあわせにな……。

 

 

 

 

 

 

全1巻長編漫画

 

コドモペーパー『十次と亞一』

売れない漫画家・小林十次は、ひょんなことから売れっ子の幻想小説家・大江亞一と出会う。しかしこの男、浮世離れしていて手が掛かる。それにときたま、向けられる視線に妙な気迫があるような……。大正期の架空の下宿「緑館」を舞台に、複数の文学作品を下敷きにして描く、奇妙な縁が絡み合った二人の男の物語。描き下ろしの後日譚も収録。

 

シンプルでどこかほのぼのとした描線によって描かれる、大正期の架空の下宿「緑館」で偶然出会った二人の男の物語である。

幻想小説家・大江亞一の描き方がとにかく素晴らしい。モダンな色男でありながら、どこか発達に異常を抱えているような危うさがあるキャラクターとして描かれている。しかも、彼が書いている幻想小説もいい。これは漫画だから、亞一が書いた幻想文学がそのまま読めるわけじゃない。それでも、彼には、佐藤春夫室生犀星豊島与志雄のような幻想文学者の雰囲気が自然と付きまとっている。彼が書いたものを読まなくても、それがわかってしまうのだ。

 

 

 

 

 

齋藤なずな『ぼっち死の館』

舞台は高度経済成長期に建てられた団地。現在そこにはひとり身の老人たちがいつか訪れる孤独死、「ぼっち死」を待ちながら猫たちと暮らしている。そんな彼女らが明日迎える現実は、どんな物語なのかーーー

 

40歳でデビューして現在77歳にして漫画の最先端を走り続ける、漫画家・齋藤なずなの最新作である。

漫画批評家の呉智英は、デビューした頃の齋藤なずなを「物語の構成も、人物の設定も、絵も、間の取り方も、不幸なまでに巧すぎる。」*2と評したわけだが、この言葉の意味が今になって少しわかってきたような気がする。齋藤なずなは「不幸なまでに巧すぎる」せいで語る言葉が見つからない作家なのだ。この作品を「感動する」とか「心に沁みる」とか感想を言うことは簡単だが、「なぜ感動する」のか「なぜ心に沁みる」のか言語化するのは難しい。漫画が巧みすぎて、読者がその技術を十分に理解することができないのだ。

 

最新読み切り「遡る石」を読めば、その状況はより深刻だ。この漫画家は77歳にして、現在進行形で漫画が巧くなり続けている。

 

 

bigcomics.jp

 

 

 

 

今日マチ子『かみまち』

母親の束縛に耐えられず家出をした高校1年生のウカ。義父から虐待を受け、自分は“泥まみれ”だと苦しむナギサ。身寄りがなく売春をしながら生きる元子役モデルのアゲハ。貧しい家庭でネグレクトされホームレスになっていたヨウ。シェルターの「神の家」に集まった4人の家出少女たちは、孤独のなかで、しだいに心を通わせていく。やがて、「神の家」を管理する“おじさん”の秘密と、ウカの前に現れる“天使さん”のメッセージが明らかになる――。

 

今日マチ子の新作は、「神待ち」とも呼ばれる家出少女をテーマにした群像劇だ。

少女たちの悲痛な青春を描いた漫画なのかな、と決めてかかって読むのは止めた方がいい。大怪我をすることになるだろう。家出少女たちが巻き込まれる事件は思春期の苦悩という枠を超えて、完全にサイコホラーの領域に踏み込んでいる。下巻の胸糞衝撃展開を読んでいる時は、黒沢清監督『クリーピー 偽りの隣人』を視聴しているような気分だった。

本作を通して今日マチ子の心情表現は、一段階上のレベルに進化していることが見て取れる。トラウマ少女の内面世界を泥のつまった水風船で表現したコマは必見。

 

また、今日マチ子は間を置かずに新連載をはじめている。毒親性自認などの様々な問題に切り込んだ『すずめの学校』にも要注目だ。

 

 

 

 

 

 

heisoku 『春あかね高校定時制夜間部』 

高校の定時制夜間部に通う、個性的な生徒たちの日常物語!ごくフツーの高校生はなお、ヘンT集めが趣味なゆめ、元ホストのちたる、40歳のよしえ…春あかね高校定時制夜間部に通う生徒たちが巻き起こす、サイケでファジーな日常がクセになる!?「ご飯は私を裏切らない」の奇才・heisokuが贈る、ミョーに解像度が高い定時制夜間部青春物語!

 

定時制夜間部の高校、世間様の言う”普通”のレールに乗れなかった人間が通う場所、そのような”絶望”が本作には通底している。しかし、本作には”絶望”に打ちのめされない力強さがある。何と言っても、この作品の美点は、定時制夜間部の高校という舞台を魅力的に描き切ったことだろう。年齢も経歴も感性もバラバラな人たちが一つの学校に通っているというのは、それ自体が特別で美しいことなのだと気付かせてくれる。

 

民間軍事会社で働かされる流民の少女を描いた、同作者の読み切り『兎とソルジャー』も本作と近い精神性を感じる作品である。

 

 

shonenjumpplus.com

 

 

 

崇山祟『Gペンマジック のぞみとかなえ』

ガールズ・ビー・少女まんが家!! 漫画に魅入られたふたりの少女・のぞみとかなえは、漫画研究部に入部して少女漫画界の頂点を目指す。熱血教師・五十嵐先生、非行を重ねる不良少女・蘭子、山奥で漫画修行を積んだ少女・たまえ等、多様なキャラクターを巻き込みながら展開する崇山祟版『まんが道』。

 

「恐怖の口が目女」で漫画界に衝撃を与えた崇山祟の遺作である。

ただただ、漫画愛の熱量に圧倒される。本作は、崇山祟から少女漫画に宛てて書いたラブレターのようなものだ。

 

 

 
 
 
 

ほそやゆきの『夏・ユートピアノ』 

ピアノの調律の家業を継ぐため実家に戻った新。彼女はそこで他人との交わりを拒否するかのような生き方をしている饗子と出会う。響子は国際的なピアニストの娘だった。未熟な二人がピアノを通して少しずつ交流を深めていく。近づいては離れ、一瞬の理解と寄り添いに喜びを感じつつ、二人は自分の人生を生きていく。

 

”映像詩”とも言われた伝説のテレビドラマ『四季・ユートピアノ』に範をとり、”漫画詩”とでも言うべき表現に取り組んだ作品。ピアノの調律師を目指す新(あらた)と、弱視のピアニスト響子(きょうこ)の関係性は、言葉を交わさずとも、作者が描く線によって表現される。この独特な漫画詩の先にある作品を読んでみたい。

 

 

 

 

 

 

短編集漫画

 

木村恭子『うちらのはなし 木村恭子デジタル短編集』 

中学二年生の川瀬天は、家族旅行で交通事故に巻き込まれて自分だけが生き残り、天涯孤独の身の上になってしまう。引き取り先が決まるまでの間、川瀬は一時保護所に入所することになるのだが、大人たちによって徹底的に管理され自由のない生活に違和感を感じる。そんな辛い生活の中でも同室の高野ひかりとは絆を深めることができたのだが、彼女も彼女で心に深い傷を抱えているようで……。他1編収録。

 

一時保護所での管理社会的な生活を、主人公の中学生の目線で追った作品である。大人たちによって徹底的に管理され、プライバシーのない生活を強いられる子供たちの姿が、あまりにも悲痛で切実に描かれている。しかし、本作はただ心苦しいだけの読書体験を与えるわけではない。主人公が同室になった少女と育むシスターフッド的な関係はほほえましく、絶望以上の希望をそなえている。

 

 

 

 

なぎと『なぎと短編集 隣の家の女装男子

主人公・翔真の家の隣に引っ越してきたのは、常日頃から女装している同い年の少年・伊央だった。しかし、女装は本人の意志ではなくて、母親から強制的にさせられていることであり、伊央は女装しているせいで周りの同年代から奇異の目で見られることに苦しんでいた。翔真は伊央を助けたいと考えるが、何もできずに日々は流れていき……。表題作他四編収録の短編集。

 

本作は、ジャック・ケッチャムの傑作小説『隣の家の少女』をもじったタイトルとなっている。隣の家に引っ越してきた少女(女装男子)が虐待を受けていることを知っていても助けることができない、というプロットの面でも同じ筋を辿っている。当のジャック・ケッチャムも遠く離れた日本で自分の作品がこんな風にオマージュされているとは想像もしないだろう。しかし、作者の過去作品にまで目を向けると、こんな歪んだ作品が生まれた理由も何となく察せられる。

 

作者のなぎとは、いわゆる「TSF(性転換もの)」に特化した創作を行っている漫画家である。「TSF(性転換もの)」作家としての彼が特異な点は、性転換した元男性が同じ男性から性的興味を向けられることの生理的嫌悪感、この感情に対する異常なほどの執着にある。彼の代表作『美少女化したおじさんだけど、ガチ恋されて困ってます』などは、「中年男性がある日突然女性になってしまって、その日を境にこれまで仲良くしていた男性から性的に見られることに嫌悪感を抱くようになる」という全く同一の展開の短編ばかりが収録されたオムニバス漫画なのだ。つまるところ、「性的興味を向けられる嫌悪感」を追求し続けた作家が、最後に行くところまで行ってしまってホラーの域にまで達したのが「隣の家の女装男子」なのである。

 

 

 

 

 

 

 

その他の漫画(ネット読み切り・同人誌・復刊など)

 

【ネット読み切り】あぶらめちかた『こどもたつ』

父と子が過ごす焚き火の時間は、だいたい静穏、ときおり緊張。『みなさんもぜひお越しください』
忌引き明け、祖母を亡くした友達はいつも通りのあほに見えた。『忌引きの友達』
寒空の下、海釣りをする親子。人と自然の気ままなひと時。『冬の海は黒い』

地上110㎝のまなこに映る、世界の姿。子どもを主軸に描かれる短編3作。

 

第4回トーチ漫画賞【準大賞】作品。

今年最も「こんなに漫画の巧い人が、いきなりぽっとでてくるあんの!?」と驚かされた作品である。もちろん、作者にとってはいきなりぽっとでてきたわけもなく、積み重ねてきた経験と努力があるのだろうが、新人賞で拝める画力と完成度ではない。すでに漫画界では名のある大物作家の変名じゃないかと思うほど、単純に漫画がめちゃくちゃ巧いのだ。

セリフを極限まで排して絵で見せるシャープな描写が、濃厚な”死”の香りを引き立たせる。トーチは今後最優先でこの作者の単行本を出してほしい。

 

to-ti.in

 

 

 

 

【ネット読み切り】初期の名前『認識上の処女懐胎

 

漫画家・初期の名前を他人に説明するのは難しい。

活動の場がWEB中心なので過去の活動が追いづらいし、そもそも「初期の名前」というペンネームの検索性が悪すぎて、他人のレビューを探すことにも苦労する。「この人の作品面白い!」と思って作者名で検索しても関係のないWEBページばかりが引っかかる。他人の感想を読むことが好きな私としては非常にやきもきさせられるのだ。この機会に、世間に少しでもその名を広めたいと思う。

 

初期の名前は、2018年頃にTwitter上でWEB漫画の投稿をはじめ、「完全な球体」シリーズなど、ぶっ飛んだ設定のWEB漫画の描き手として名を挙げた作家である。2020年頃から、コミティアなどの同人イベントへの出店や合同誌への参加などを増やし、近年ではますます活動の場を広げている。そんなWEB漫画中心に活動している作家が、2023年に一般の漫画賞レースにはじめて名前を見せた。2023/2MGP 奨励賞受賞作『異形の確信』である。ある種のニューロティックホラーとして非常によくできている。『異形の確信』がTwitterでバズったからだろうか、週刊少年マガジン編集部の覚えもめでたかったようだ。初期名前(うぶきなまえ)に改名し、本誌で不定期に3コマ漫画『先輩後輩必ず死ぬ!!』が掲載されるようになった。

この調子で一般にも知名度が広がり、初期の名前と言ったら漫画家のペンネームであることがすぐに通じる世の中が来てほしいものだ。

 

ちなみに、今年発表された短編の中では『認識上の処女懐胎が最も面白かった。精神上の双子とも言うべきドッペルゲンガー譚で、内宇宙の冒険から想像もつかないオチへなだれ込む傑作である。

 

manga-no.com

 

pocket.shonenmagazine.com

 

manga-no.com

 

 

 

 

【ネット読み切り】岡田索雲『アンチマン』

 

少女が遊びで人間を壊す残酷劇『メイコの遊び場』、妖怪をテーマにした風刺とユーモアの『ようきなやつら』など、怪作を発表し続ける岡田索雲の読み切り作品。

 

主人公・溝口は、父親を介護しながら食品会社に勤務している中年男性だ。彼は職場でも尊重されず、家に帰ったら介護という生活に疲れはてており、ネット上の議論や路上でのぶつかり行為でストレスを発散していたのであったが……。

 

過去の岡田索雲作品では、暴力を振るわれ虐げられる社会的弱者やそれにまつわる社会問題をテーマにしたものが多かった。そうした説教臭くなりかねないテーマを、有名作のパスティーシュといった趣向を凝らすことによって、誰にでも呑み込みやすい作品に落とし込むのが従来の作風だったのだ。しかし、本作では、誰にでもわかる明らかなパスティーシュは見られない。これは作風の変化というよりも、作者自身の意識の変化を感じさせられた。パスティーシュのようなもので社会問題を呑み込みやすくしない、呑み込みにくいものは呑み込みにくいまま、読者の前に出そうという覚悟のようなものが見て取れる作品であった。

 

comic-action.com

 

 

 

 

【同人誌】今井新『フラッシュ・ポイント』

 

今井新とは、東京藝術大学大学院メディア映像専攻を修了し、その後は自分が暮らす都市の出来事を取材し、漫画によって再構成して発表する活動をされている作家である。同人誌『フラッシュ・ポイント』は、そんな彼がコロナ禍の日本を題材にした作品である。

 

舞台は2022年夏。主人公のイマイは激務に嫌気がさして仕事を辞めた。毎日ゲームなどをしてダラダラ過ごしていたところに、妻の妹であるマシロがたびたび遊びに来るようになった。マシロは高校生だったが、学校に行かずに遊びに来ているようだった。妻にバレないように昼間だけ遊びに来るマシロだったが、ある時なんとなくマシロが撮影した動画がインスタで大バズリしてしまう。図らずも有名人になってしまったマシロだったが、世の中ではもっと大変な事態が進行していて……。

 

主人公の名前がイマイであることからも明らかなように、作者自身の体験をある程度投影しており、コロナ禍にあった日本の空気感を孕んだ作品となっている。この作品は、そうした実録的な生活を描いている一方で、マシロがインスタに投稿した動画をきっかけに日本中を巻き込むような事件に巻き込まれていく、フィクションが現実に浸食してくるような危うさを味わうことができる。時には、実在の芸能人や政治家を作中に登場させつつ、まさに”2023年”でないと通じないような物語が展開される。

 

おそらく、この作品の賞味期限は短い。2022年の日本の記憶が生々しく記憶されている人間しか、この物語を十分に楽しむことはできない。そういった消費物としての漫画も時に良いものだと思う。

 

また、同じ東京藝術大学大学院メディア映像専攻出身の作家であるから、短編集『ムラサキのおクスリ』が刊行された。こちらは、メタフィクショナルな漫画表現を様々な形で追及した作品集になっており、びっくり箱的な面白さが楽しめる。

 

booth.pm

 

 

 

 

 

【復刊情報】川島のりかず作品一挙電子書籍

 

これは個別作品じゃなくて、漫画界に起きた一種の事件として紹介したい。

ホラー漫画界で最後に残ったカルト作家・川島のりかずの諸作品が一挙に電子書籍化されたことについてだ。とはいっても、川島のりかずって誰?という方が大半だろうから説明しておく。

川島のりかずとは、1980年代に「ひばり書房」というホラー漫画に特化した漫画レーベルで作品を発表していた漫画家であり、当時はそれほど評価されているわけではなかったが、近年(特に2010年代に入ってから)ホラー漫画マニアの間で大きく再評価が進んだ作家である。

 

個人的にも、鶴岡法斎・編『呪われたマンガファン』*3でその存在を知り、追いかけ続けていた作家だった。貸本時代のホラー漫画のテイストを残しつつ、当時のSFやモダンホラー的なプロットを組み込んだ作風が独自の作家だった。いつか全作品を読んでみたいとは思っていたが、とにかく古書価格の高騰がハンパじゃなくて、なかなか手を出しづらい作家だったのだ。最近では、1冊1万円ぐらいは当たり前で、ものによっては何十万円の価格で取引されており、全作品を収集するのは一生を費やす必要があるだろうと覚悟していた。*4

 

とまあ、そのような有様だったわけだが、この度、関係者の尽力のおかげで一挙電子書籍化されたのだ。いやあ、めでたい。2023年のニュースの中では一番めでたい。

 

 

呪われたマンガファン

呪われたマンガファン

Amazon

 

 

 

 

 

過去のすごかった漫画

 

msknmr.hatenablog.com

 

msknmr.hatenablog.com

 

 

では、今年もよろしく

 

*1:https://inquiry.futabasha.co.jp/action_post/interview_suzukawarin

*2:『マンガ狂につける薬21』メディアファクトリー  2002/3/1

*3:ひばり書房」でプレミアがついている作品を四冊まとめた復刻本。印刷も荒くて読みづらく褒められた本ではないのだが、「ひばり書房」への道を開いてくれた本なので愛着はある。

*4:これは個人的な私怨なのだが、ちょうど去年の年末に関西の某古本屋から大量の川島のりかず作品が入荷されたとの情報を得て駆け付けた。情報を得てから駆け付けるまで2日しか時間は空いていなかったのだが、すでに大半の川島のりかず作品は別の人間に買い取られた後だった。店主によると東京から駆け付けたホラー漫画マニアの仕業とのことだった。文化略奪、許すまじ。