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雑文置き場

【アキバ冥途戦争】なぜ日本初のメイドは「明治初期」に生まれたのか

『アキバ冥途戦争』とは、Cygames と P.A.WORKSのタッグによるアニメ作品である。キャッチコピーは「萌えと暴力について」

1999年に秋葉原メイド喫茶で働く女性たちを題材にした「お仕事シリーズ*1」の第5弾に位置付けられている。そのプロットは既存の「お仕事シリーズ」に準拠しながら、メイド喫茶がヤクザのように犯罪行為を行う組織となった別世界の日本を舞台にしており、メイド喫茶の抗争を描いた任侠ドラマとしての側面も持っている。簡単に言えば、製作者の頭がどうかしているアニメだ。

ここでは、この作品の奇抜さや楽しさについて語るつもりはない。それはすでに語りつくされている。だから、本作においてなぜ日本初のメイドが「明治初期」に生まれたと設定されたのかという謎について私は書きたい。

 

TVアニメ「アキバ冥途戦争」 OPテーマ「メイド大回転」/EDテーマ「冥途の子守唄」

(万年嵐子のみが目を開いて現実を見ているのに対して、他のメンバーは夢を見ていることが本作の結末を暗示するカバーイラスト)

 

 

 

 

メイドの歴史、やくざの歴史

日本初のメイドであるお萌様は、第9話「秋葉生態系狂騒曲!メイドの萌え登り!!」でその存在がはじめて語られた。作中のナレーションによると、「日本初のメイド”お萌”、まだ身分制度が色濃く残っていた明治初期、全てのご主人様に分け隔てなく接客し、萌えと暴力で秋葉原の民を魅了した」ということである。

©「アキバ冥途戦争」製作委員会
第9話「秋葉生態系狂騒曲!メイドの萌え登り!!」より

ここまで読んだ方の中には、「それのどこが謎なんだ」「製作者がギャグとして適当に作っただけ設定じゃないか」と思われる方がいるかもしれない。しかし、私はこの設定が生まれた必然性をたまたま思いついてしまった。

 

まず、現実の世界でも明治初期にメイド喫茶の元になる業態が生まれたということはあり得るだろうか。それは当然ながらあり得ない。そもそも日本で最初の喫茶店は、明治21年に開店した「可否茶館」とするのが定説であり、洋装の女性が給仕するスタイルの店が現れるのは明治21年以降のはずだ。明治の代であることに違いはないが、「初期」は余計だ。

次に考えられるのが、本作はメイド喫茶をヤクザに置き換えているのだから、そちらの起源が明治初期なのではないかということだ。しかし、こちらも厳しい。ヤクザの起源は博徒や的屋とするのが一般的であり、諸説あるが古ければ室町時代にまでさかのぼる考え方もあるそうだ。現代にも存続している暴力団組織の中には江戸時代から続いているものもあり、明治初期に起源を求めることは無理筋だろう。

 

 

秋葉の原の成立

では、目線を変えてみて、そもそも「秋葉原」という地名が生まれたのはいつ頃だろうか。それは明治2年の出来事がきっかけとされている。当時の明治政府下東京府が、相生町の大火を機会に、9000坪の火除地を現在の秋葉原に設置した。翌明治3年には、遠州から火除けの秋葉大権現を勧請し、鎮火神社としてまつった。そこから秋葉様の神社がある原っぱ、つまり「秋葉の原」と呼ばれるようになったというのだ。

プロローグ 秋葉原(あきはばら)の由来 | 秋葉原電気街振興会

 

謎は解けたようだ。製作スタッフは秋葉原のはじまりにあわせて、メイドのはじまりも「明治初期」に統一したのだ。

しかし、一つ疑問が残る。なぜ製作スタッフは秋葉原のはじまりを明治23年にしなかったのだろうか。明治2年は、秋葉原という地名が生まれるきかっけができた年に過ぎない。上野から鉄道が延長されて「秋葉原駅」が開設された明治23年こそ、地名としての秋葉原が定着した年なのだから、そちらの方がつじつまが合うはずだ。つじつまと言えば、明治2年秋葉原の誕生だと考えるとつじつまの合わない部分がある。明治2年秋葉原は火除地だった。秋葉神社以外に何もない原っぱだから秋葉原と呼ばれたので、アニメ内の描写のようにメイド喫茶がひしめく繁華街になっていれば「秋葉原」と地名がつけられるはずがないのだ。最近は便利で、ウェブで簡単に明治初期の古地図を見ることができるのだが、やはり秋葉原は四角く区切られた空白地帯になっている。ウェブ地図 周りにぽつぽつと建物が見受けられるが、繁華街は影も形も見えない。

あちらを立てればこちらが立たず、と言ったところか。蜘蛛の糸のように細く頼りない歴史的根拠をもって、メイド文化発祥の地としての秋葉原が明治2年に生まれたとするのはいささか危ういようだ。

ここまで調べて感じたことは強烈な違和感である。日本で初めてのカフェ「可否茶館」が開店したのは明治21年、駅ができて「秋葉原」という地名が一般に認められるようになった明治23年、この明治21~23年の間というのがどう考えても日本最初のメイドが生まれるにふさわしい時期なのだ。それがなぜ日本初のメイドは「明治初期」に生まれたのか。

 

 

女子断髪禁止令

明治初期に定められた法令の中にその謎を解く鍵がある。

明治5年に制定された『違式詿違条例』は、本日の軽犯罪法に相当する法律であるが、その第三十九条には、「婦人ニテ謂レナク断髪スル者」が処罰の対象とされたいた。文明開化を謳歌する女たちに危機感を覚えた明治政府は、女子断髪禁止令をもって女性から自由に断髪する権利を奪ったのだ。そうすると、『アキバ冥途戦争』における様々シーンに違う意味が現れてくる。

©「アキバ冥途戦争」製作委員会
第9話「秋葉生態系狂騒曲!メイドの萌え登り!!」より

上記の図では、様々な髪形のメイドが殴り合いの乱闘をしている様子が描かれている。私闘も犯罪であるが、なによりも各々が自分が好きな髪型をしていること自体がこの時代では犯罪である。しかし、メイドたちは全く気にする様子もなく、明治政府の定めた法律を破っている。

日本初のメイド”お萌”の核を為すものは何だったのか。

「日本初のメイド”お萌”、まだ身分制度が色濃く残っていた明治初期、全てのご主人様に分け隔てなく接客し、萌えと暴力で秋葉原の民を魅了した」

彼女が目指したのはおそらく、女性たちを差別的身分制度から自由にすることであり、だからこそ、あえて禁止される時代に断髪をすることで身分制度を破壊しようとした。その闘争の結果が、「萌えと暴力」を生み出したのだ。彼女はまだ身分制度が色濃く残っていた明治初期だからこそ生まれた英雄なのだ。

 

髪アニメの誕生

そうなると、本作がただの怪作・奇作ではなく、髪の演出にこだわった髪アニメであったことにも合点がいく。

過去の視覚芸術作品の中で髪にふれることがどのようなシンボリズムを持つのか、すでに郡司正勝による「髪梳の系譜」という名論文が存在する。江戸時代の芸能に登場する髪梳きの演技はすべて愛情の表現であった。

12話をかけてお互いの髪留めをプレゼントしあう”なごみ”と”嵐子”の表現は、まさに二人の中で芽生えた愛情の表現であったことは間違いない。

©「アキバ冥途戦争」製作委員会
第3話「メイドの拳、膵臓の価値は」より
なごみから貰った髪飾りではじめて自分をかわいいと認めることができた嵐子

 

©「アキバ冥途戦争」製作委員会
第12話「萌えの果て」より
嵐子からもらった髪飾りをつけ続けでメイトとしての支えにしているなごみ

 

ここまでが”萌えの髪表現”だとすれば、もちろんこの作品には”暴力の髪表現”も存在する。以下の画像に見られる「けじめのために髪をつめる」表現だ。

©「アキバ冥途戦争」製作委員会
第1話「ブヒれ!今日からアキバの新人メイド!」より
この髪切りこそがすべての事件のはじまりだった

髪は愛情を紡ぐだけではない、髪を落とされることは憎悪を巻き起こす。”暴力の髪表現”には有名な『東海道四谷怪談』のお岩の例がある。お岩は伊右衛門の裏切りを知って、髪を梳きはじめると髪は抜け落ちてしまう。恐ろしいシーンである。

ここまで読んでいただいた方にはわかっていただけるだろう。

『アキバ冥途戦争』が”萌えの髪表現”と”暴力の髪表現”が渦巻く髪アニメであること、そして日本初のメイドが「明治初期」に生まれた理由も。

読んでいただきありがとうございました。

 

参考図書

かぶき 様式と伝承 (ちくま学芸文庫)

少女浮遊

 

 

まあ、公式設定資料集がでたら全く違うことが書かれているかもしれませんがね!

 

 

*1:P.A.WORKSの働く女性を題材にした作品群