今は亡しわが村

雑文置き場

玉置勉強読書会:課題本『恋人プレイ』

読書会することになったので、備忘録&自分の考えを整理する用。

 

 

作者基本情報

1973年、東京都新宿区生まれ、世田谷区育ち。東京都立青山高等学校、多摩美術大学美術学部デザイン科卒。

1994年に成年向け漫画誌『漫画クリスティ』(光彩書房)にてデビュー。

1998年に『恋人プレイ』(講談社『ヤングマガジンアッパーズ』連載)で一般向け漫画誌にも進出。

 

多摩美漫画部

山田玲司→ウエダハジメ、冬目景→沙村広明→玉置勉強

特に沙村広明とは親しく、『無限の住人』の作画も手伝っていた。玉置の成年向け単行本には、たいてい沙村からの応援イラストや漫画が寄稿されている。

 

成年向け漫画仲間

 

あと、安野モヨコがファンらしく、『夜伽ばなし』( 2004年、コアマガジン)を書いていたが、どういうつながりなのかはよくわからない。安野モヨコが玉置作品の何に惹かれていたのかは非常に気になる。

 

 

作品について

・成年向け作品については、純愛ものから鬼畜系まで発表媒体にあわせて様々な作風が見られる。

 

・一般向け漫画では、

①『恋人プレイ』 『玉置勉強短編集 ザ・ドラッグス・ドント・ワーク』のような少し暗い私漫画的作品、

②『東京赤ずきん』 『デスサイズキューティー』のような異能の少女によるバトル漫画、

③『彼女のひとりぐらし』『ほろ宵セレナーデ』のような女性キャラの日常系作品、

④『ツインズシング』のような別名義でやってる音楽漫画、

この四つにだいたい分けられるイメージ。

今回は①の私漫画的作品について主に扱いたい。

 

 

『恋人プレイ』について

雑誌初掲載時のアオリ

ヤングマガジンアッパーズの創刊号を手に入れた。

以下、載っていたアオリ文。

ハダカは見えてもハートは見えない

カノジョは「恋人」だったはず

ボクは「真剣」だったはず

不器用な2人の奏でる

アブノーマル・ラブ・ストーリー

隠れファン推定7ケタ、某ジャンルの巨匠、青年誌初登場‼

退屈な毎日は、「フツーじゃないオンナ」に壊される。

カラダから先につながった恋

 

……昔の漫画雑誌ってアオリ文が多くてビビる。

 

作者自身の評価

 

 

 

作者自身にとっても代表作のような位置づけ、そして自身の経験や聞いた話をかき集めた私漫画的作品と言える。

 

成年向け漫画の中で表現が磨かれた

『メロドラマティック』 1998年、ワニマガジン社

『恋人プレイ』1998‐1999年、 講談社

『セックス2000』 2000年、一水社

 

事実を指摘しておくと、『恋人プレイ』は成年向け漫画の仕事と同時並行的に描かれている。この三冊を比べると、そのテーマ性と表現においてかなりの類似点が見られる。

成年向け漫画を描く中で、洗練された表現が結実したのが『恋人プレイ』であると言える。

 

タイトルが意味するものとは?

レズビアンじゃないのに女の子と付き合ったり、ピアスをつけたり、SMショーに出演したり、恋愛をプレイとしてしかやってこなかった不器用な女性が、はじめてできた恋人とも「プレイ」を演じてしまう話です……かね。

佐伯とはじめてホテルに行ったときと、本田とはじめてSMショーに行ったとき。

奥野は同じ表情をしている。奥野にとっては、恋人に抱かれることもSMショーに出演することも「プレイ」でしかなかったのか?

 

 

玉置勉強的漫画表現とは

私漫画として―「畳の目=下着のしわ、あるいは奥野の耳」論

漫画家の川勝徳重に「畳の目から「私漫画」を考える。」という論考があるらしい。(不勉強ゆえ未読。)70年代に『月刊漫画ガロ』でつげ義春が「畳の目」を描く技法を発明し、主人公の内面表現の精緻化とパラレルに、漫画業界全体に広がっていた現象を論じているらしい。

あるいは、漫画評論家の伊藤剛に「ビンボー漫画のペンタッチ(描法)を解説する」という論考がある。(こっちは読んでる。)そこでは同じ部屋を描いていてもペンタッチによってビンボー度(ある種のリアリティ)が変わっているという指摘がなされている。ざっくり言えば、トーンを使ったり、定規を使って均等にひいた「かけアミ」よりも、手書きで不揃いな「かけアミ」には、「写実的なリアリズム」じゃなくて「肉体的なリアリズム」が宿るという話である。

この二つは、実のところ同じことを語っているような気がする。

畳の目を描くことは写実的じゃない。カメラで和室を撮った時に畳の目は映らない。畳の目を描き込むということは、自分の目で見たものを自分の手で描くという肉体的なリアリズムがある。「私漫画」にはそれが必要だった。

一方で、玉置は背景をほとんど描き込まない。トーンをべったり貼っているか、実写を取り込んで処理している。一方で、異常なまでに描き込んでいるのが、奥野の耳と下着のしわである。ここに、玉置作品における「肉体的なリアリズム」が宿っている気がするのだ。

 

 

間白の使い方―内面の発見

玉置勉強の漫画は、「間白」にキャラの内心を描く。

大塚英志は、70年代初頭の少女漫画において内面を描く技術の急速な進化があったとしている。その「内面」表現は絵によってではなく言葉によってなされる。具体的には、フキダシの中だけでなく、外側にも言葉を重ねていく技術として発明され、少女漫画における言語表現は80年代半ばにもなると、さらに「微分化」し多層化していくことになる。そして、80年代末には、そうした「内面」の表現者たちは成年向け漫画などに亡命していってしまう。

玉置作品は、そうした「内面」の表現者たちの系譜にあるように見える。特に多用されるのが、「間白」を使った内面の表現である。

「間白」とは夏目房之介の造語であり、漫画のコマとコマとの間にある空白のことであり、余白という空間の意味と「間」という時間的な機能を持つ。

玉置は、内面の言葉をコマの中に書く場合と、間白に書く場合とで明確に使い分けている。キャラの内面を、コマとコマの間、空間と時間から切り離された場所に置いている。

 

例えば、成年向け漫画では、以下のように間白を使っている。

これは母親がいなくなった家庭で父親と兄から性的な役割を求められている少女の話で超胸糞なんですが、間白に少女が心の中で自分に言い聞かせている言葉が入るんです。
でも、表情を見れば「割り切って」などいないことは明白で、ただの内心表現じゃなくて内心で自分に嘘をついている表現として間白を使っています。

『セックス2000』では、他にもトリッキーな間白の使い方が色々と試みられいます。この頃の玉置勉強は、町田ひらくに並べてもそん色ないと思います。

 

 

 

それでは、これで今回の読書会は終わりです。玉置先生の歌声を聴きながらエンディング。みなさん、さようなら。

 


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