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雑文置き場

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第10章、ついに最終回!

第9章 詰め込みと跳躍

 

原文:
 ポツポツと、顔に何かが当たった。
 顔を手で拭ってみると濡れていたので、雨が降ってきたのだとわかった。
 家まではまだまだ距離があった。すっかり仕事でくたびれていたから、私はできるだけ走りたくはなかったが、その想いに反して徐々に雨脚は強まってきていた。結局のところ、私は全力疾走でマンションのエントランスに駆け込むはめになった。
 私は荒い息をさせながら白いハンカチを取り出すと、濡れた髪をかきあげて、顔の水滴を拭いた。背中にまで雨水が入り込んで気持ちが悪かった。ふと、ハンカチを見ると赤く染まっていた。
 私は指先をそっと自分の鼻の下に持って行った。指先にも赤いものがついた。
 どうやら急に走ったために、顔に血がのぼって鼻血がでたらしかった。血は止まっているらしかったので、残りの血をハンカチで拭きとって、エレベーターで自分の部屋に向かった。
 自分の部屋の中に入って、「ただいま」と私が言うと、誰もいないはずのリビングの方から、「おかえり」と返事があった。
 リビングでは、新井さんが座ってテレビを見ていた。
「もう来ないでって言ったよね」私は舌打ちをして、「なんなのもう、本当にあり得ない」と吐き捨てるように言った。
「だって、寂しかったんだよ」と言って、新井さんはテレビを消すと、こちらに向き直った。
「合鍵、まだ返してもらってなかったね。そこに置いといて」
 私がそう言うと、新井さんはへらへらしながら、「どこにいったかなぁ」なんて言いながらポケットの中をあさっていた。
 新井さんのやることなすことすべてが、私の興を冷めさせた。本当は傷つきながら軽薄を装う彼女の仕草が、私には気持ち悪いとしか感じられなかった。
 私は相手に背を向けて座ると、ぐしょぐしょになった自分の髪をバスタオルで拭きはじめた。
「こっちを見て話しをしようよ」と、新井さんが後ろで言った。
 私が答えないでいると、新井さんは何を考えたのか、後ろから抱きついて、私の頭を抱え込んだ。そうすると、彼女の方がずいぶん背は高いので、私が彼女の顔を真正面から見上げる形になった。
「どうして無視するの」新井さんがそう言っても、私が何も答えないでいると、「もう死んでやる」と言って、彼女は小型のナイフを取り出して自分の首筋にあてがった。
 本当に仕方のない、つまらないやつだと思った。見ていたくもなかった。
 私は、実際に目をつぶった。
 新井さんは、ちょっと尋常じゃない様子でしゃくりあげ嗚咽した。
 私の顔に、ポツポツと、たいへんな量の暖かい液体が降り注いだ。その液体は、私の頬をつたって、口の端から口内に入り込んだ。
 それは少ししょっぱかった。これは涙であろうか、血潮であろうか。私は目を開けられないでいた。

 

回答:
 ポツポツと、水滴が顔にあたった。
 疲れきっていたがマンションまで走らざるを得なかった。屋根のあるところにたどり着いてひと息つくと、鉄の臭いが鼻をついた。指先を鼻下に持って行くと赤くなった。
 自分の部屋に入ると何か違和感を覚えた。誰もいないはずのリビングから明かりが漏れていたからだ。
「おかえり」リビングでは新井さんがテレビを見ていた。
「もう二度と来ないで、合鍵も返して」私は吐き捨てるように言う。
 私の冷たい声にビクッとした新井さんは、へらへらした様子でポケットをあさっていた。本当は傷つきながら軽薄を装う彼女の仕草が、私には気持ち悪いとしか感じられなかった。
「ねえ」彼女は言った。
「……」私は彼女をいないもののように扱った。濡れた衣服を脱ぎ捨て髪を拭いた。すると、彼女は急に後ろから抱きついてきて、私の頭を抱え込んだ。彼女の方が背は高いので、私が彼女の顔を見上げる形になった。
「無視しないでよ」
「……」
「死んでやる」彼女はどこからか小型ナイフを取り出し首にあてた。
 ありきたりな悲劇ごっこ、見ていたくもない。だから目をつぶった。暗闇の世界で嗚咽だけが響いた。顔にはポツポツと暖かい液体が降り注いだ。それは少ししょっぱかった。これは涙か、血潮か。私は目を開けられないでいた。

 

 

 

ル=グウィン先生、ありがとうございました!!

私も行くべきところに向けて!

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第9章

第9章 直接言わない語り――物事が物語る

 

問一 方向性や癖をつけて語る

 

「あなたはどんな暴力が得意なの?」

「いや、特に」

「ずいぶんと殴るのが上手いのね」

「鍛えてますから」

「ほんとに上手」

「僕ばっかりにやらせるのはやめてくださいよ」

「わたしは、これ」

「わあ、痛そうですね」

「わたしも蹴るのは慣れているの」

「でも、ひと思いに気絶させてやった方がいいんじゃないですか。どうせ殺すんですから」

「そういうわりに手加減しないのね」

「いやでも、かわいそうですよ」

「ほんとに上手。ほれぼれするぐらい」

「なんだか疲れてきました」

「交代しましょうか」

「顔はやめてくださいね。口の中を切ったらしゃべれなくなりますから」

「そろそろ彼もしゃべりたくなってきたかしら」

「そうですね。ガムテープをはがしてやりましょうか」

「うーん、やっぱりまだ汗をかき足りない。もう少しやらせてちょうだい」

「遊びじゃないんですから」

「わたしは、下手?」

「いや、上手いですよ」

「そう」

「死なない程度にしてくださいね」

「加減が難しいの」

「まだ夜は長いです。焦らずじっくりやりましょう。ダメです。もっと腰を据えてやらないと。さっきは僕も弱気なことを言ってしまいました。今では反省していますよ。徹底的にやって、こいつの口を割らせないと……」

「真面目ね」

「僕も早く一人でできるようになりたいですから」



問二 赤の他人になりきる

 

 私たち割込師は、生き馬の目を抜く世界だ。

 今朝も、私は五番車両の待機列からつかず離れず適切な距離をとっていた。朝の7時19分出発の淀屋橋行き特急列車、過去の経験によれば待機列の前から五人目までの位置に割りこまなければ席に座ることはできない。現在、列に並んでいるのは十五人以上、車両はあと四分で到着する。この時間が私たち割込師にとって最も重要だ。車両が到着してから慌ててポジションを確保しているようでは遅すぎる。まずは割り込むために待機列から適切な距離をとらなければならない。近すぎても遠すぎてもいけないのだ。近すぎれば、列に並ぶ人間は割込師を警戒し、列の間隔を詰めてしまうだろう。逆に遠すぎれば、割り込むタイミングを逸してしまう。割り込むのに適切なタイミングとは、車両が到着する時である。列に並ぶ人間たちは、車両到着の瞬間は乗り込むことしか考えられない。だから、虚を突くことができる。私たちが割り込んでも、彼らは咄嗟のことで反応できないのだ。もしも列車が到着する遥か前から割り込んでしまったら、後ろに並ぶ人間に怒られてしまうだろう。いい大人になって、他人から怒られるのは耐え難い屈辱だ。

 到着まであと三分。私は今のところ、絶好のポジションをとれている。待機列から近すぎない場所で、しかも柱の陰に隠れている。誰も私に気付けない。次に考えることは、列の何人目に割り込むかということだ。私は柱の陰からチラチラと様子を窺う。列の三人目のおばさん、あいつはヤバい。割り込んできたら刺し違えてでもやってやるという気迫がみえる。あのおばさんの前に割り込むことはできない。ならば、四人目のサラリーマン風の男はどうだ。彼は隣の同僚らしき男と世間話をしている。絶好だ。世間話に気を取られて割込みへの意識が薄い。しかも、会社の同僚らしき人間と一緒にいる手前、割り込まれたとしても、世間体があるので暴力的な手段に訴えることはできないはずだ。

 あと一分。しまった。考え過ぎてしまった。もう特急列車は、駅ホームから視認できる位置にまで近づいていた。ここからが本当の割込師の勝負だ。このホームには、私以外に二人の割込師が潜んでいた。私から見て反対側の柱に隠れている巨漢は、パワープレイの哲! 彼は自身の鍛え抜かれた絶対的なフィジカルを活かして割込みを行う。しかし、その肉体があだとなり、俊敏性では私が勝っていた。ポジショニングに差がなければ、私の勝ちは揺らがないだろう。そして今、ホームにあがる階段を思わせぶりな様子で登ってくるのが、死にかけのお菊! 見た目はいかにも活力の感じられない老婆であるが、割込みの腕はそうとうなものだ。何よりも割込みに対してなんの罪悪感も抱いていない。天性の割込師である。

 さあ、運命の瞬間が来た。死にかけのお菊がぬるりとスピードを上げた。反対にパワープレイの哲は出遅れた。やはり、勝負は私と死にかけのお菊で決まりそうだ。車両のドアが開いて一斉に乗客が降りて来た。今だ。今、この瞬間に燃え尽きたっていい。

 

問三 ほのめかし

〈直接触れずに人物描写〉

 赤い小さなポストの横には、百日紅がピンクの花をつけていた。

 隣に植えられているのは木蓮だ。季節が違えば、卵ほどの大きさの白い花をつけるはずだった。庭の中央には木製のベンチが置かれていて、取り囲むように花壇がしつらえられていた。丸く紫の花は千日草、炎のように赤い花はサルビア、白い花の群生はペチュニアだった。それらにはつい先ほど水をまかれたようで、陽光の中でいっそう生き生きとしていた。花々の間には、所々で陶器製の七人の小人が顔をのぞかせていて、庭を訪れた客たちの目を楽しませた。

 そのまま奥に進んで家の裏手に回り込むと、日当たりのよい表とは打って変わり、空気もひんやりと湿っていて地面にはドクダミが生えていた。そして、その一角には割れてしまって使われていない素焼き鉢が積まれていた。実は陶器片の中には肌色のものも混ざっているのであったが、それを見てはじめて七人の小人が六人しかいなかったことに思い当たる人もいるはずだ。さらに隣家との塀の間を通って進めば、少し開けた場所に出ることになった。その場所は、四角く雑草が引き抜かれていて、畝が三つほど並んでいる畑であった。しかし、そのつつましやかな畑には何も植えられていなかった。ただ隅の方に、人間の背丈ほどもある緑がひょろりと立っていた。お化けの草のようで、一見して正体をつかみかねる人が多かったが、近づいてよくよくみれば、それが成長しすぎたアスパラガスであると誰でも気がつくことができた。



〈語らずに出来事描写〉

 虫の音が聞こえる。西の空は赤くなって、東の空から少しずつ夜が迫っていた。急に涼しくなった風が吹いて、池の水面が波立った。陸上で日向ぼっこをしていた亀たちも、いそいそと水の中に帰っていき、水面に浮かぶ水鳥の群れも身を寄せ合っていた。そういった見なれた光景の中にあって、一つだけ奇妙なものが池の真ん中に浮かんでいた。それは、ひっくり返った鯨が白いお腹を見せているようだった。しかし、それが風に吹かれて向きを変えると、黒いペンキで「14」と書かれているのが見えるようになって、白い手こぎボートがひっくり返っているのだとわかった。だとすれば、隣に浮かんでいる木の板のようなものはオールだろう。

 水面にボコボコと空気の泡がたった。その後には、子供用の運動靴が浮かんできた。しかし、それ以外には何も浮かんでこなかった。いまや完全に陽は沈んで、虫の音に加えて蝙蝠の羽ばたきが聞こえるようになったが、それ以外は全くの無音と言ってよかった。池の桟橋には、懐中電灯を持った大人たちが集まってきていた。しかし、彼らは水面を照らすだけで何もできなかった。左右を行ったり来たりする懐中電灯の光は、人魂のようにも見えた。

 

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第8章

第8章:視点人物の切り替え

 

 

問一:声の切り替え


 ヨネコは、兄の後ろを歩きたくなくて別の道を選んだ。墓石の列は、不規則な並びをしていた。市営ではなく町内会が管理している墓地は、およそ計画性のない区画割りがなされていた。彼女の身体よりも大きい墓石もあれば、思わず蹴飛ばしてしまいそうなほどの控えめなものもある。その形も一般的な角柱型のものもあれば、西洋風のもの、自然石をそのまま用いたものもあった。そのように、良く言えば個性を尊重して、悪く言えば行き当たりばったりに作られたものだから、墓石の間を縫うように走る通路も巨大な迷路のように複雑な様相を呈していた。

 イサムは、妹のヨネコがいきなり別の道を選んだので驚いた。彼から見て並走するように別の道を歩む妹の横顔は前だけを向いていた。たしかに、蜘蛛の巣よりも入り組んでいる通路は、一つの墓にたどり着くのにも複数通りの道がある。だから、全員が同じ道を通っていかなければいけない道理はなかった。しかし、結局のところ、妹が別の道を選んだのは他人と歩調を合わせるのが気に喰わないからなのだと、イサムにはわかっていた。
 その時、彼が手に持っていた花束から、百合の花が一輪こぼれ落ちた。イサムはしゃがんで拾おうとしたが、それでこの墓地はずいぶんと雑草が生えていることに気がついた。町内会が管理しているので手入れが行き届かないのは仕方がないのだが、このように荒れた土地に幼くして亡くなった弟が埋まっているのだと思うと、少し哀れにも思えた。

 ヨネコの視界の端には兄の姿が映っていた。墓石と墓石の間からとぎれとぎれに見えるものだから、その姿はどこか古いフィルムの映画のように現実感を欠いていた。それもそうなのだ。所詮、兄とは亡くなった弟の墓参りでもないと会うこともないのだから、ほとんど他人のようなものであった。ふと、先ほどまで視界の端でちらついていた兄の姿が見えなくなった。彼女があわてて周りを見渡してもどこにも見当たらない。弟のように兄までも消えてしまったようで、ヨネコは急に不安になった。彼女は通路でもない墓地の敷地を踏み越えて、兄が先ほどまでいたはずの隣の通路に移った。そこには、ちょうど墓石の影になる位置で、彼女の兄がしゃがみこんで何か考え事をしている姿があった。

 イサムが感傷に浸っていると、目の前に誰かが飛び込んできた。それは妹のヨネコだった。わざわざ他家の墓の敷地を踏み越えて、隣の通路からこちらへ移動してきたらしかった。なんて無作法で罰あたりか、叱りつけてやるところだったが、妹の顔は少し泣きそうだったので、イサムは何も言えなかった。


問二:薄氷


 以前よりも広くなっているような気がする兄の背中が本当にうっとおしくて、ヨネコはあえて別の道を選んだ。墓石の列は、不規則な並びをしていた。市営ではなく町内会が管理している墓地は、およそ計画性のない区画割りがなされていた。彼女の身体よりも大きい墓石もあれば、思わず蹴飛ばしてしまいそうなほどの控えめなものもある。その形も一般的な角柱型のものもあれば、西洋風のもの、自然石をそのまま用いたものもあった。そのように、良く言えば個性を尊重して、悪く言えば行き当たりばったりに作られたものだから、墓石の間を縫うように走る通路も巨大な迷路のように複雑な様相を呈していた。さっきまで後ろをついてきていた足音が消えて突然真横に移動したことに、イサムは気がついていた。彼が横をみると、妹のヨネコの姿が墓石と墓石の間に見えた。こちらに一言かけたり振り向くこともしないのかと、イサムは深いため息をついた。たしかに、蜘蛛の巣よりも入り組んでいる通路は、一つの墓にたどり着くのにも複数通りの道がある。だから、全員が同じ道を通っていかなければいけない道理はなかった。しかし、結局のところ、妹が別の道を選んだのは他人と歩調を合わせるのが気に喰わないからなのだと、イサムにはわかっていたのだ。
 その時、彼が手に持っていた花束から、百合の花が一輪こぼれ落ちた。イサムはしゃがんで拾おうとしたが、それでこの墓地はずいぶんと雑草が生えていることに気がついた。町内会が管理しているので手入れが行き届かないのは仕方がないのだが、このように荒れた土地に幼くして亡くなった弟が埋まっているのだと思うと、彼には少し哀れにも思えた。視界の端でも目障りだと、ヨネコは思っていた。所詮、兄とは亡くなった弟の墓参りでもないと会うこともないのだから、ほとんど他人のようなものであった。すぐに追い抜いて視界の端にも映らないようにしようと思った。そこで、ヨネコは、追い越すためにも兄の姿を確認しようとしたのだけれど、その姿が見えなくなっていた。彼女はあわてて周りを見渡した。弟のように兄までも消えてしまったようで急に不安になった。彼女は通路でもない墓地の敷地を踏み越えて、兄が先ほどまでいたはずの隣の通路に移った。そこでちょうどイサムは感傷に浸っていた。突然、ザッと玉砂利を踏み蹴る音が目の前でして、彼は思わず顔をあげた。そこにいたのはヨネコだった。わざわざ他家の墓の敷地を踏み越えて、隣の通路からこちらへ移動してきたらしかった。なんて無作法で罰あたりか、叱りつけてやるところだったが、妹の顔は少し泣きそうだったので、イサムは何も言えなかった。

【偶然とミステリ】ハリー・スティーヴン・キーラー『ワシントン・スクエアの謎』

今回は、関西ミステリ連合OB会の読書会用レジュメとして、ハリー・スティーヴン・キーラー『ワシントン・スクエアの謎』をとりあげる。

 

まずは、簡単にハリー・スティーヴン・キーラーの日本における受容について取り上げよう。

『ワシントン・スクエアの謎』が刊行された直後は、論創社も威勢のいいことを言っていたのだけれど、残念ながら2020年2月以降続報はないようだ。

 

 

しかしながら、【奇想天外の本棚】の方で救われそうな未来が見えてきたっぽい。捨てる神あれば拾う神ありという状況である。

 

 

 

 

1.ハリー・スティーヴン・キーラーとは

二つ名:

史上最低の探偵小説家、探偵小説界のエド・ウッド

 

経歴(解説より):

1890年のシカゴ生まれ、父親を早くに亡くし、芸人相手の下宿宿を経営していた母親に育てられる。(母親はその後も三回結婚している。)

少年時代のキーラーは電気工学関係の学校に通いながら短編小説を書いて大衆雑誌に寄稿していた。ところが、二十歳になったところで母親によって精神病院に送り込まれることになる。一年後に退院したキーラーは鉄工所で電気工とした働く傍ら小説の執筆をつづけ、生涯で七十冊を超える長篇作品を残した。

 

ここまでは、巻末解説を読めばわかることである。ここからは、彼が本作意外にどのような作品を世に送り出していたのか、それを確認しようと思う。

※もちろん原文を読んだわけはなくて、キーラーマニアの柳下毅一郎の著作を参考にしました。これらの作品が訳される日を願って。

 

『The Case of the 16 Beans』

主人公ボイスは、祖父から遺産として豆を十六粒相続する。ボイスは、中国の叡智を集めた本「出口」を頼りに、豆の暗号解読に挑む。

 

『The Mysterious Mr.I』

本書の主人公は出会う相手ごとに違う名前を名乗る。例えば、ある時は古銭研究家であり、彼の話や経歴は嘘ばかりである。本書を読み終わっても彼の本名も、その目的さえもちっともわからないままである。

 

『The Riddle of the Travelling skull』

主人公が市電で鞄の取り違えをしてしまい、取り違えた鞄には頭蓋骨と銃弾、それに一篇の詩が入っていた。

 

『The Way Cut』

キーラーの作品に度々登場する「古代中国のすべての叡智を集めた本」を再現したものだ。収録内容例としては、「柿を植えるのにふさわしいのは、歯が抜ける前である」などがる。

 

 

 

 

2.偶然に起こったこと、そしてミステリの先

※ここからはネタバレ注意

 

さて、ミステリマニアの心理には、偶然を避けようとする心と歓迎する心の二つがあるように思う。

偶然を避けようとするのは、それがミステリおけるゲーム性(フェアネス)、さらにはリアリティを毀損する可能性があるからだ。過剰な偶然を推理に盛り込むことは、ミステリにとって破滅の道だ。例えば、ミステリ界において最もこすられてきたのが「トンネル効果」である。ほとんど奇跡というべき現象であるが、量子力学的な思考によれば人間が壁をすり抜けることも可能になしかし、しかし、通常のミステリにおいては、「トンネル効果」が真剣に検討されることはない(逆説的な意味で検討される作品はいくつかあるが)。なぜなら「トンネル効果」まで実現可能なものとして検討してしまうと、あらゆる密室殺人がそれで説明がついてしまうからだ。そこにおいてもはや、作者と読者、犯人と探偵のゲームは成立しない。またあり得ない偶然が都合よく起こることは、作品のリアリティすらも下げてしまうことになる。

では、ミステリマニアはあらゆる状況で偶然の介入を拒むのかと言えば、そういうわけではない。むしろ、ほどよい偶然が起きることは、むしろ望まれていると言えるだろう。例えば、「プロパビリティの犯罪」と呼ばれるようなミステリ群は、意図的に偶然性を犯罪計画の中に織り込んでおく様式である。また、犯人が長大な犯罪計画を練れば練るほど、計画の実行段階において偶然が入り込み、犯人が計画に修正を強いられることが常である。それは、事件が複雑化すればするほど、偶然の要素が入った方がリアルだからだ。逆に偶然の全く起こらない物語はどこか作り物すぎるのだ。

つまり、ミステリとは、偶然の手綱をとってコントロールしようと苦心してきた文芸ジャンルだと言える。しかし、ハリー・スティーヴン・キーラーはそういったことに全く頓着せずに創作を行っていたようだ。

今作の作中で起こった驚くべき偶然を列挙してみよう。

 

・主人公ハーリングは、たまたま盗みに入った廃屋の中で死体を見つけた。

ハーリングが犯行現場から逃げようと飛び乗った車を運転していた女は、たまたま殺人事件の関係者だった。

・犯行現場付近で車に運転していた女は、ハーリングが過去に命を救った女性ヴァンデルホイデンだった。

・廃屋で殺されていたのは、自分が探していたS・P・ボンドだった。

・ヴァンデルホイデンと探偵モーニングスターは以前から事件現場を見張っていたが、事件当日だけ偶然の事故によって見張ることができなかった。

・犯行の凶器に使われたものは、ヴァンデルホイデンが前日にたまたま落としたものだった。

・探偵モーニングスターは、ワシントン・スクエアのホームレス仲間とたまたま同一人物だった。

ハーリングは新聞広告で募集されている五セント白銅貨をたまたま持っていた。

ハーリングが五セント白銅貨と交換して手に入れたのは偽札であり、その偽札は全国的なニュースになっている偽札事件と偶然同一のものだった。

・遺産の隠し場所を示す手掛かりである五セント白銅貨は、奇妙な偶然から新聞売りの手に渡って行方不明になってしまった。

ハーリングと探偵モーニングスターは、それぞれの理由で犯行現場に忍び込んで偶然に再会することになった。

ハーリングがルビーを渡せと何者かから脅されたときに、たまたま偽物のルビーを持っていたので切り抜けられた。

・偽札の専門家デヴォンツリーは、ハーリングが「S・P・ボンド」と書かれた封筒を探す原因になった男だった。しかしこれは「南太平洋(S・P)ボンド」を意味していた。

 

これらの偶然の連鎖をもって、本作をただのご都合主義的な失敗作ととらえる向きもあろう。しかし、これら偶然の連鎖がかえって論理で支配できない存在を意識させ、ただのご都合主義とは違った妙味を生み出している。そして、物語のラストにおいて、これらの蜘蛛の巣状に構築された偶然の蓄積は空と化し、蜘蛛の巣の外側からまったく別の真犯人が立ち上がってくることになる。これをどんでん返しととらええるか、いままでの積み重ねを無駄にしてしまったと考えるか、どちらにしても論理の外側にいる存在が本格ミステリを破壊してしまう本作は、一種のアンチ・ミステリ的魅力にあふれた作品だと言えよう。また、本書を機会にミステリと偶然の関係性について思いを巡らせてみるのも一興かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あと関係ないですが、私の同人誌寄稿作品を百合文芸4に応募したので、ご覧いただけますと幸いです。

www.pixiv.net

 

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第7章

 

 

問一:ふたつの声

①単独のPOVで短い物語を語る。

「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」彼女の友達は言った。
 京都競馬場パドックでは、競走馬やそれに群がる人々から少し離れた会場の隅に、猿回しの興行が設置されるのが慣例となっていた。
「かわいいじゃない」新井さんは答えた。「それに、見ているとなんか落ち着く。猿を見ていると、自分がカッカして冷静じゃなくなっていることに気付けるんだよね」
 新井さんは、友達から離れて柵に近づいた。柵の中では、レース本番を控えた馬たちが同じ場所をぐるぐると回っていた。新井さんはパドック内の馬を熱心に観察しはじめた。馬たちの様子は心なしか緊張しているように見えた。人間たちも同様だ。なんといっても今日はG1、エリザベス女王杯が開催される。新井さんの隣にいる女性などは、先ほどから尋常ではない発汗がみられた。この場にいる人は皆、大なり小なり人生をかけているのだ。
 ふと、場内に悲鳴があがった。新井さんがいる場所からちょうど反対側のあたりで一人の女が暴れていた。その女は首を激しく振り、柵に体当たりを繰り返していたが、すぐに警備員たちに取り押さえられた。精神力が弱い人間が極限の緊張に晒されると、時にこういうことが起こってしまうのだ。新井さんは、自身も知らぬうちに粘っこい汗を手のひらにかいていることに気がついた。そこで彼女は、こういう状況でこそ落ち着かなければと思い、あえて馬たちから背を向けて会場の隅で芸を続けている猿回しの方を向いた。猿回しの猿は必死の形相で竹馬に乗っていた。

 

②別の関係者ひとりのPOVで、その物語を語り直す。

「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」
「かわいいじゃない」
 人間たちの気の抜けた声が京都競馬場パドックに響いた。
 サラブレッドのマイネルジャンビーはパドックの中を周回しながら、今日のレースに出走する人間たちを観察した。馬を鞭で叩いて無理矢理走らせるのは動物虐待だと非難する世論が高まり、馬ではなく人間が走るという現在の形式に競馬が変更されてから一千年が経った。人間が走るようになってから馬が何で競うかというと、レースの予想をするようになった。サラブレッドは、レースの予想をするために品種改良され、育成され、調教を受けるようになった。だから、ジャンビーは大きなレースを前にしても心を乱されるということがなかった。人間が競馬予想をしている頃は、一時の感情に任せて勝つ見込みのない馬に大金を賭けることもあったらしいが、一流のサラブレッドである彼女にはそのような失敗はあり得ない。彼女は完全に客観的な目線でレース結果を予想することができた。
 ジャンビーは改めてパドックの周りに集まった人間たちの細部に目を向けた。案の定、人間たちの中に発汗などの異常な徴候を示しているものがいた。競争能力を高く評価している人間の一人だったが、ジャンビーは評価を下げることにした。また急に暴れ出す人間もいた。柵に身体を打ち付けて出血が見られたため、競走中止となるようだ。もともとこのメンバーの中では地力で劣る人間だったので予想に影響はなかった。ジャンビーが最も期待するのは、前走で驚異の逃げ切り勝ちをおさめた13番のアライサンだ。しかし、彼女はぼんやりした表情で猿回しの猿を見てばかりで気乗りしていない様子だった。ジャンビーは、彼女を本命から外すか大いに悩んでいた。

 

問二:遠隔型の語り手


「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」白いウインドブレーカーを着た女がそう言うと、隣にいた女は「かわいいじゃない」と答えた。その女は、パドックの隅で演目を続ける猿を見つめて微笑んだ。猿使いの合図にあわせて、猿は五連続で宙返りをきめたところだった。猿を見つめていた女がアウターを脱ぐと、長袖シャツの背中には「13 アライサン」と書かれたゼッケンが貼られていた。彼女は簡単なストレッチをすると、駆け足でパドックの柵に近づいた。白いウインドブレーカーの女は、まだ決心がつきかねるように腕を組んだまま、彼女を見送った。
 柵の中では、馬たちが周回していた。冬毛が伸びてぬいぐるみのようになったものもいれば、身を寄せ合ってうとうとしているものもいた。しかし、身体の方はだらけていても、馬たちの眼は鋭く人間を観察しているようだった。二十歳を超す老馬などは、よく見るために柵の間から頭を突き出してまで、これから走る人間の身体を観察していた。
 そんな中で、甲高い声をあげて暴れまわる女がいた。すぐに数人の男に取り押さえられた。ゼッケンを取り上げられ、肩を押されて退場する女の啜り泣く声が場内に響いた。馬たちは興味深そうに、立ち止まってその様子を見守っていた。煽るように、蹄で柵を蹴りあげる馬もいた。周りにいる女たちは、決してその女を見ようとしなかった。猿は、竹馬の上で震えて、うまく降りられないようだった。

 

 

問三:傍観の語り手


「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」
 その女は、少しクリーム色がかった白のウインドブレーカーを着ていた。三白眼で性格の悪そうな顔つきをしていた。
 その隣にいた女は「かわいいじゃない」と言って、アウターを脱いだ。背中には「13 アライサン」と書かれたゼッケンが貼られていた。
 そもそも俺たちがパドックに呼ばれるようになったのは、厩猿信仰に端を発するらしい。猿は「馬の守り神」として特に武家の間で珍重され、江戸時代には徳川幕府専属の職業として登用された。徳川幕府が滅んで明治の世になり、ご先祖様たちは大道芸に身をやつしたこともあったそうだ(まったく今じゃ想像もできないことだ)。しかし、再び武家社会がやってきたことで俺たちは、晴れて公務員の身分になった。不満があるとすれば、当の馬たちが俺たちに興味なんか持ってないことだ。予想のために競走用の人間たちを観察することで必死なのだ。逆に人間たちの方が、俺たちに関心を持っている。それどころか、すっかり夢中になっているのだ。アライサンという名の人間なんて、さっきから俺にばかり熱い視線を注いでいる。彼女は、頬を赤くして瞳も感動でうるんでいるようだった。俺はサービスしてやろうと猿使いのおっさんに合図を送った。おっさんは竹馬を取り出した。人間の中には、俺が竹馬をはじめると、悲鳴をあげて喜ぶやつもいた。なんだかアイドルになったようで少し気恥ずかしい気もした。

 


問四:潜入型の作者

 

※『みどりのマキバオー』パロディです。


 季節に衰えはなかった。草木は萌えるためにあり、高い空には風ひとつ吹かず、老いや死の影はどこにも見当たらなかった。
 エリザベス女王杯のファンファーレが吹きならされた時、マイネルジャンビーの瞳には空の青と芝の緑が映し出されていた。彼は購入した人間券を咥えながら、ゲートインを待つ人間たちに視線を向けた。彼が購入した人間券は、「13番 アライサン」と「15番 フエネク」のワイド(※三着までに入る人間の組み合わせを的中させる投票法)だった。彼の予想はオッズもそれほど高くはなく面白味に欠けるものではあったが、それは、このレースが昨年の覇者「アライサン」と同期の実力者「フエネク」のマッチレースになるという確信を持っていたからだ。ただ前走のレースでアライサンは勝ちこそしたものの、最後の直線で失速し、いつもの強さを見せることができなかった。巷では体調不安説もささやかれていた。だからこそ、彼の視線はいつも以上に注意深かったのだ。背中を押されてゲートに入る人間たちの肌にはうっすらと汗が浮き、膚の下に流れる赤い血潮が透けて見えるようだった。全人間が無事にゲートインしたところで、マイネルジャンビーの隣にいた猿回しの猿が興奮して雄叫びをあげた。しかし、いくら入れ込んでも、猿はしょせん猿なので人間券を買うことはできないのだった。
 係員がゲートから離れたところで、各人間がいっせいにスタートをきった。まずハナを主張したのが「イエイヌ」だった。「アライサン」は三番手の好位につけて、「フエネク」は少し出遅れて後方待機といった構えで第一コーナーに入っていった。隊列はほぼ決まったようだった。エリザベス女王杯、コースは芝の二千四百メートル、牝限定の重賞競走(GⅠ)である。全ての世代の、牝の頂点を決めることになるレースだ。ここにいる誰もが人生をかけていた。一番最初に仕掛けたのは、やはりアライサンだった。第三コーナーに入ろうというところで、あっという間に先頭のイエイヌを捉え、第四コーナーに入る前に抜き去った。
 私は何回も何回も一緒に走ってアライサンの本当の強さを知っている。
 フエネクは思った。
 しかし、これ以上は一緒に走ることはできないことも彼女は知っていた。アライサンの身体は、不治の病に侵されているのだった。フエネクは後方待機のまま第四コーナーに侵入した。その時、彼女は観客席にいる猿回しの猿と目が合った。猿の目は「ならば、お前はどうする」と彼女に語りかけているようだった。フエネクは、その問いに声にならない声で答えた。私が絶対に負けずに走り続ける。私が負けずに走り続けて、アライサンの強さを世代を超えて教え続ける。
 今まで後方で我慢していたフエネクの末脚が、最後の直線で爆発した。コースの内に突っ込んで五人以上をごぼう抜きにして、一気にアライサンの後ろにつけた。後ろから迫る絶大な圧力に、もちろんアライサンは気がついていた。かつての彼女であれば、そのプレッシャーに答えるように加速していたはずだったが、今となっては不可能なことだった。彼女がいくら息を吐いても吸うことができず、足元はふらつき、腕も大きく振ることができなかった。アライサンは内ラチに凭れかかるようにして失速していった。そして、フエネクはわき目も振らずに抜き去った。勝敗は決したのだ。フエネクの後ろに迫る者は誰もいなかった。しかし、彼女はまったく力を緩めなかった。それどころか、グングンと加速していた。いや、彼女は先頭に立ってもなお誰かを追いかけていた。
 第五百二十四回エリザベス女王杯マイネルジャンビーも、猿回しの猿も、すべての観衆が、確かにフエネクの少し前を走るアライサンの幻を見た。
 見えないか。
 感じないか。
 伝説はここにある。
 ほら、アライサンはここにある。

【2021年度版】すごかった漫画(全35作品)

はじめに

・2021年(1~12月)に刊行された漫画が対象です。

・長編or短編、完結or継続など、大枠で分類分けしています。

・大枠分類の中の並びは、個人的な順位付けになっています。基本的に上に掲載されているものの方がオススメ度が高いです。

 

 

 

今年1巻が刊行された継続作品18選

タヤマ碧『ガールクラッシュ』

ガールクラッシュ(女子が憧れるかっこいい女子)を目標とする百瀬天花は、K-POPにかぶれる恵梨杏と出会ったことで、K-POPアイドルになるため一歩を踏み出す。

まず主人公が”潔くかっこよく生きていこう”の理念を体現しており好感を抱かざるを得ない。『絢爛たるグランドセーヌ』や『ブルーピリオド』など、若者が芸術の世界に身一つで飛び込んでのしあがっていく系漫画の新たな傑作。

 

大石まさる『うみそらかぜに花』

海辺の田舎町を舞台に、天文部所属で星が好きなカナメと、小柄でとにかく元気なアミ、少年少女の日常を描いた青春漫画。

一つの町を舞台に、恋模様やSF(すこし不思議)が描かれる。系統としては『それでも町は廻っている』あたりかな。大石まさるの漫画が面白いなんて今更いう必要もないのだが、その漫画表現力は前人未到の域に入っていると思う。私は、本作をはじめて読んだ時にモノクロなのに色が入っていると錯覚したほどである。

 

熊倉献『ブランクスペース』

女子高生の狛江ショーコは、同級生の片桐スイが不思議な力を持っていることを知る。二人の少女の出会いをきっかけに物語は思いがけない方向へ動き出す。

少女の中にある孤独が、漫画的想像力をもって世界に復讐する。思春期の少女が抱える孤独を、今最も痛切に描いている漫画だと思う。優しい漫画が読みたい。

 

ふみふみこ『僕たちのリアリティショー』

製菓工場で働く柳は、女優の卵で幼なじみのいちかと再開する。しかし、いちかは恋愛リアリティショーに出演中で突然の死を迎えてしまう。彼女の死の謎を調べる柳だったが…。

「時間をさかのぼって謎を探る」「男女の精神が入れ替わってしまう」「恋愛リアリティショーという時事ネタ」という複数のギミックを組み込んだサスペンス。かなり複雑な話なのに、するりと読めて構成力のうまさを感じる。今年のふみふみこは『ふつうのおんなのこにもどりたい』も刊行したが、こちらも当たり前に面白い。

 

 

三原和人『ワールドイズダンシング』

世阿弥こと鬼夜叉は、父親である観阿弥の一座に所属しながらも舞いの本質をつかみかねていた。世阿弥は、様々な人との出会いにより、舞いの「よさ」を発見していく。

この作者は、何かの求道者、また道を究める過程で破滅していく人を描くことに強く惹かれているのだと思う。前作『はじめアルゴニズム』は現代劇であったがために、道から外れてしまった求道者の末路のようなものが中途半端になってしまっていた。しかし、本作は舞台が中世なので、道に外れた人間は容赦なく死ぬ。それが気持ちいい。

 

森とんかつ『スイカ

怪奇現象やが絶えない丑光高等学校を舞台に、この学校に赴任してきた教師と、謎の小学生・物部スイカが巻き起こすホラーギャグ。

個性的な絵柄とシュールギャグ。突然変異的な作品としかいいようがない。今年出たギャグ漫画だと、山本アヒル『ガールズドーン!』もよかった。

 

深山はな『来陽と青梅』

中学1年生の鮫川淳は、幼馴染と付き合っている。しかし、偶然出会った女子高生の圭と意気投合していくうちに、恋心が芽生え始める。

同性愛のカミングアウトをテーマにしたものは、近年特に数多いが(今年であれば、ミナモトガズキ『怪獣になったゲイ』とか)、付き合っている彼氏がいるところからはじまるのが物語を重層的にしている。今年最も恋心の機微が描かれていた漫画だと思う。

 

的野アンジ『僕が死ぬだけの百物語』

今年はホラー漫画豊作の年であった。本作は、まさに漫画で百物語をやろうという趣旨のものである。百物語は各話の品質にばらつきのあることが多いが、これに限ってはすべて高水準な怪談であり、その恐怖の種類も多彩である。この水準で百話完走できたら歴史的傑作になるだろう。

ゴトウユキコ『フォビア』はよく知っているはずの人間が、急に知らない人間になってしまったような恐怖をうまく捉えている。超常現象よりも所謂ヒトコワに特化した内容であり、その点でゴトウユキコとのシナジーが高い。

 

オガワサラ『推しが辞めた』

男性アイドルのミクを推しているみやびは、デリヘル嬢をやって貢ぐお金を稼いでいた。ある日突然脱退したミク、その謎を彼女は追い始める。

アイドルをファンの視点から描いた作品はいくつかあるが、本作が白眉なのは、そのために心も体もすり減らしていく女性の姿をギャグとして処理するでもなく深刻になりすぎるでもない絶妙なバランス感覚である。

 

意志強ナツ子『るなしい』

火神の子として生きる高校生、るなは「自己実現」を謳った信者ビジネスを行っている。ある日、クラスの人気者ケンショーに助けられた彼女は恋をしてしまう。

簡単に恋をしてしまったりする思春期少女と、火神の子として信者ビジネスの教祖的存在、この二つをシームレスに行き来する奇妙な自意識をとらえるのがうまい。儀式シーンなどはチープであるのに本物感があり、魔術的な漫画である。

 

白井もも吉『偽物協会』

そこは、「本物(ふつう)」の枠からはみ出てしまった「偽物」たちの集う場所。不安になると体が毛布になる女の子・綿子、彼女もこの協会に流れ着いたのだが…。

脱毛したいサボテン、鳥になりたい石ころなど、珍妙な偽物たちとのドタバタコメディー。しかし、「普通」に生きることができないものへの賛歌となっている。気持ちのいい漫画である。

 

水凪トリ『しあわせは食べて寝て待て』

免疫系の病気を持っている麦巻さとこは、フルタイムの就業が出来なくなり週4日のパートで暮らしていくことになる。さとこは家賃を抑えるために団地への引っ越しすることを決意する。

若い女性が心機一転して新生活をはじめる様子を描いた漫画は、名前がないけれどジャンルとして確立されているように感じる。近年では『凪のお暇』などがヒットしたが、どうしても等身大の生活を描いているようにみえて、話を盛っているところがある。本作の特徴は、話を盛っているところがほとんどないことだろう。生活の貧しさがリアル。あと、今年は女性の新生活ものとして、真造圭伍『ひらやすみ』も面白かった。

 

高木ユーナ『群舞のペア碁』

男女ペアの2人VS2人で行い、対局中は会話禁止の「ペア碁」。プロ棋士を目指しているが極度のあがり症で勝ち切れない男子高校生・群舞(ぐんぶ)が、幼馴染で群舞のストーカー・のぞみと共に、この実在の協議「ペア碁」に取り組んでいく。

まず「ペア碁」という謎の競技に目を付けた時点で面白い。ついで、碁をやっていて全然楽しくなさそうだし、棋士たちの治安がすごく悪い。日本ペア碁協会が監修についているのに、こんなに碁の業界が荒れている感じで描いてしまって大丈夫なんだろうかと変な心配をしてしまう。将棋界(『龍と苺』『永世乙女の戦い方』)も治安悪いしな。

 

ムネヘロ『ムシ・コミュニケーター』

虫と意思疎通できる少女が、虫たちの生と死を見つめていく。

異常な価値観の漫画。あまりにも死の匂いが強く漂っている。

 

夜の羊雲『夢想のまち』

「雲ヶ浦」という海の見える街に、一人の少女・楠まよわが引っ越してきた。彼女を中心に、不思議な街で綴られる、眩しくて仄暗い日々の記録。

明確なプロットを説明しろと言われると難しい漫画である。とにかく「幽玄」な世界観の漫画としか言いようがない。今年のファンタジーの労作としては、るん太『異刻メモワール』もあげる。

 

ずいの , 系山冏『税金で買った本』

ヤンキーの石平は、図書館で働く早瀬丸と白井に10年前借りた本を返却していないことを指摘される。その出来事から石平は図書館で働くことになる。

お仕事漫画ではあるが、お仕事を描くというよりも、図書館という場を結節点にして多様な人間の人生が交差していく漫画である。本屋のお仕事漫画では、「本のトリビアルな知識の自慢」「本を読むことの尊さ」みたいなものが前面にでていることが多くて、押しつけがましいと感じることもあるのだが、図書館に来る人たちはそれほど読書に対して意識が高くないので気軽に読める。

 

いとまん『ドキュンサーガ』

剣と魔法の時代、王都ザイダーマに住む男・モッコスは持って生まれた圧倒的な力で暴虐の限りを尽くしていた。モッコスは、ある日国王の命により魔王討伐に向かう。

よくあるはじまりから、魔王と呼ばれる人物の叙事詩になっていくところが面白い。

 

有咲めいか『人質たちのシェアハウス』

PTSD強迫性障害、グレーゾーン、場面緘黙などの症状を持つ人間が集まるシェアハウス・エンカウンター。多様な個と共生するためのルールはただ一つ、“嫌なことは伝える”こと。

要は、何らかの精神的な症状を持つ人たちを集めたリアリティーショーのような内容であり、こういった内容を軽々に漫画にしていいのかと疑問を感じるが、そういうところを含めて今後注目したい気がする。

 

 

今年完結した作品5選

日日ねるこ『のんちゃんとアカリ』

女子高生の上野アカリは、引越した洋館で“呪いの人形” のんちゃんに出会う。呪いの人形と、真っ直ぐな少女のガール・ミーツ・ガール。

呪いの人形に対して物怖じせず友達になろうとする少女ということで、完全に出オチな物語なんですが、今年でた百合漫画の中で最も美しいひと夏が描かれている。

 

横山旬『午後9時15分の演劇論』

自称天才演出家・古謝(こしゃ)タダオキは、某有名美術大学・表現学部・舞台コース(夜間学部)に通っている。制作発表会に向けて個性的な学生たちと演劇を作り上げていく。

何が面白くて、どうすれば面白くなるのか、最後まで全く何もわからないまま物語は終わる。様々な創作者ワナビフィクションがあふれている昨今であるが、”創作”という行為の本質をとらえた作品である。

 

背川昇『海辺のキュー』

中学生の千穂は立ち寄った海岸で、謎の生物・キューと出会う。人の悪い感情を食べ、治癒してしまうキューを気に入った千穂は、自分の部屋でこっそり飼い始めるが…。

背川昇版デビルマン。しかし、人間のダメな部分も許せるようになる、そんな気持のいいラストだった。

 

山口貴由衛府の七忍』

七人の怨身忍者、ついに集結す! 敵は海底移動城塞・竜宮城を支配する、浦島太郎と乙姫。七忍の戦鬼たちよ、超常の忍法を駆使して、鬼を滅しようとする刃と戦い、まつろわぬ民の牙となれ!

うん…。少なくとも、エクゾスカル零が残した負債はすべて返済して余りある最終巻だったと思う。次回作では、鬼狩りに全生涯を費やす桃太郎と金太郎を救ってやってくれ。

 

河原シノ『君の筆を折りたい』

佐竹昭仁はSNSでイラストを描くのが趣味の高校生。ある日、自分のイラストがバズって喜んでいたところ、創作者仲間から【あなたの筆を折りたい】というメッセージが届いたが…。

表面的にはすごく爽やかな青春恋愛漫画のようなルックなんだけれど、実際にやってることはSNS中傷攻撃という陰湿なギャップがギャグ漫画のような面白さを出している。創作者の自己顕示欲をネタにした漫画としては、瀬崎ナギサ『みどりの星と屑』もよい出汁がでていた。世の中には、創作者仲間が醜く争っていることからしかでない旨味がある。

 

 

 

全1巻長編漫画5編

しおやてるこ『変と乱』

高校3年の冬。大学の推薦入学を勝ち取った涼子はカースト最上段にいた莉子とのうわべだけの友情を断ち切ることを決める。

スクールカースト漫画は、どれだけ残酷な内容が描けるかというところで覇を競っているが、あまりにもエスカレートすると現実感がなくなってしまう。本作は、ギリギリのところでリアリティーを保ちながら最悪なことしか起こらない。

 

切畑水葉『阪急タイムマシン』

編み物が好きな野仲さんの悩みは親しい友人がいないこと。そんな彼女は、通勤中に大好きだった幼馴染のサトウさんと再会するのだが…。

阪急のローカル漫画っぽい題名だが、さにあらず普遍的な人間関係を描いた作品である。結局過去を変えることはできないが、過去を贖うことはできるはずだという祈りの物語だ。

 

谷口菜津子『教室の片隅で青春がはじまる』

有名になりたい吉田まりもは、なぜかいつも空回りしてしまう。スクールカースト上位集団からも馬鹿にされているのだが…。

今年の全1巻漫画は、スクールカーストものが熱い。主人公のまりもは本当に平凡な人間なんだけど、そういう人間が周りの人間を知らず知らずのうちに救っていく。連作短編としての完成度が図抜けて高い。

 

板垣巴留『ボタボタ』

主人公・氷刈真子は、極度の潔癖症で、汚いものに触れると鼻血が出るという特異体質を持つ。
そんな彼女が愛を求め、男を求める。

そういう読み方をするのはよくないことだと思うのではあるが、本作を読むと納得感がすごくて、生の映画をみているような。

 

ネルノダイスキ『いえめぐり』

不動産屋を訪れた主人公。探している物件は、部屋数多め・静か・駅から徒歩30分以内。ごく普通の部屋を探しているはずが、紹介される物件はなぜだか奇妙なものばかり。

極度に抽象化されたキャラクター、緻密でどこかグロテスクな背景、サイケデリックでファナティックなプロット。今までは同人で活躍されてきた著者であるが、まさに集大成的な作品で大満足だった。

 

 

短編集4選

売野機子売野機子短篇劇場』

売野機子が面白いなんて今更強調する必要はないし、内容もコミティアで出していたものが多いのだけれど、それにしたって、現役作家でこれだけの静謐な筆致と喪失感を抱えた物語を描ける漫画家はいないよ。

 

速水螺旋人『ワルプルギス実行委員実行する』

速水螺旋人が面白いなんて今更強調する必要はないのだけれど、それにしたって、ジャンル横断的な奔放な語り口と、おもちゃ箱的な楽しさで言えば、群を抜いているのだからランクインせざるを得ない。

 

あきやまえんま『さよならじゃねーよ、ばか。』

百合は、カップル間で想いの熱量に差があれば差があるほど、特別な滋養がある。「オタクのことが気になるギャル」「漫画家のことが気になるOL」ぐらいに歯がゆい人間関係でないと満足できない。

 

齋藤なずな『初期傑作短編集 ダリア』

昭和61年度前期ビックコミック賞入選作である「ダリア」をはじめた著者の単行本未収録作品を集めた短編集。

収録作のほとんどが子供の視点を通して、大人の男女の愛憎を覗き見るというものであり、読み味に時代に古びないところがある。構成力に並々ならぬものがあり、短編作家としての齋藤なずなが堪能できる。

 

 

その他(ネット連載&海外コミック&復刊)3選

たばよう『おなかがへったらきみをたべよう』

ある時、少女は夢を見た。餓えた少年と仔マンモの夢を。

少年と犬ものの不朽の名作。いつ単行本化されるんでしょうか。

mangacross.jp

 

アラン・ムーア『ネオノミコン』

人間をチューリップ型に切り裂く異様な殺人事件、古い教会を改築したクラブに蔓延する謎の白粉、頻発する怪事件を解決すべくFBI捜査官メリルとゴードンはマサチューセッツ州セイラムのオカルトショップに向かう。

クトゥルー神話をメタフィクショナルに破壊する意欲作。頼むから全四部作を必ず出してくれ。

 

風忍『地上最強の男 竜』

地上最強の男。いかなる相手も0.2秒で殺す、空手の達人、雷音竜。

今更取り上げるまでもない伝説的コミックだが、日本でアラン・ムーアに対抗できる魔術的パワーを持っている漫画家は風忍だけ。

 

 

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第5~6章まで

第5章で形容詞を削ることは比較的容易だった。それゆえに冒険をしているところがなくて不満が残る。

第6章は逆に無節操なところを冒険と誤解しているのがみっともないけれど、楽しく書けたので、ヨシッ。

 

 

第5章 形容詞と副詞

こごみは、ショベルを地面に突き刺した。そのまま体重を後ろに預けて土を掬いあげる。この一連の動作だけで、こごみは額に玉の汗を浮かべていた。のびるは、こごみの後ろに立って手元をライトで照らしていた。ショベルを地面に突き刺すたびに金属音が響いた。この辺りの土は粘土に小石が混ざっているので、ショベルを突き立てるのに力が必要なだけでなく、石に当たるとそこで止まってしまうのだった。二人には前もって土質を調べておくという考えが浮かばなかった。ショベルを踏みこもうとしたこごみが、すべって尻もちをついた。疲労は隠せなかった。まだ穴の幅は猫を埋められる程度だった。みかねたのびるが、こごみの肩を叩いた。二人はショベルとライトを交換した。こごみは肩で息をしながら、自分が掘った穴を照らした。のびるは、まず腕の力を使ってショベルを地面に突き刺し、全体重を乗せて足掛けを踏みつけた。のびるは、そのまま前につんのめって転びそうになった。手に持っていたショベルは柄の部分で折れていた。庭の隅に長年放置されていたショベルだったので、木の部分が腐っていたらしかった。のびるは天を仰いで、こごみはライトを消して額の汗を拭った。二人は、傍に転がしていた父親の死体を引きずりながら山を下った。東の山際から、朝日が差しはじめていた。

 

 

第6章 動詞:人称と時制

A(彼女―過去時制)

 老女は刃物を手に持っていたので、足元でじゃれつく毛玉にうんざりしていた。そのペルシャ猫は、人間の足の間をすり抜けるのが好きなようだった。奥の部屋からは息子夫婦の笑い声が聞こえてきた。

「誰か、こいつをどっかにやってくれないか」老女は、包丁を置いてから奥の部屋に呼びかけた。

 すると、ぺたぺたと廊下を走る音が聞こえて彼女の孫がやってきた。孫は赤いパジャマを着ていて、頬はそれにも増して赤かった。

「何をしてるの」孫は猫を抱きあげながら訊ねた。

おせち料理を作っているんだよ」彼女は答えた。

「ふーん」

 孫は、興味深そうに台所を見まわした。湯気の立ち上るたくさんの鍋、ボウルにつけてある黄色いもの、包丁で皮を剥く途中で放置された芋のようなもの、それらがすべて孫にははじめて見たものだった。

「おばあちゃんは、猫が怖いの?」孫は言った。

「そんなわけないさ。おばあちゃんは虎だって食べたことがあるからね」彼女は、皺の刻まれた口元に手を当てて笑った。

 猫はうにゃあおと鳴いて、孫の腕の中でもがいていた。

 1917年、山本唯三郎は朝鮮で虎狩りを行った。山本は、第一次世界大戦時に海運業で成功した人物、いわゆる成金であった。山本は現在の北朝鮮にまで遠征し、地元屈指の猟師を動員することで、ついには虎を二匹仕留めることに成功した。東京に戻った山本は、帝国ホテルにて政財界の有力者を集めて『虎肉試食会』を開催した。

「そこで、わたしも虎肉を食べさせてもらった」

 彼女は孫に背を向けて料理を再開した。

「うちって、昔はそんなパーティーに呼ばれるぐらいのお金持だったの?」

「いんや、わたしの父親、あんたからすれば曾じいちゃんは料理人だったから……」

 彼女が包丁を握り直してかまぼこを薄く切り分けたところで、ついに我慢が効かなくなった猫が孫の腕を引っ掻いた。

「なにすんだよ」孫はそう叫んで、猫を廊下に放り投げた。

 ペルシャ猫は、ふぎゃふぎゃ廊下を駆けていくので、孫もそれを追いかけていった。

 彼女は、煮しめを作っている鍋をかき回した。鶏肉は彼女の狙い通り、だし汁がしみ込んでツヤツヤとしていた。

 『虎肉試食会』でもメインとなる虎肉は、六十度に保った室で熟成させ、塩胡椒を揉みこんでベイリーフと一緒に白ワインビネガーに漬け込んだ。その肉はバターを温めた鍋の中に投入し、肉の表面に火が通ったら薄く切ったニンジンとセロリを順に鍋へ放りこみ、少量の塩胡椒とハチミツも加え入れた。それらが全体に馴染んだところで約百ミリリットルの水を加えて沸騰させ、焦げ付かないように注意しながら水がなくなったところで火を止めて、間髪入れずに皿に盛り付けた。最後にパセリを散らせば完成だ。その味は、料理人の苦心によって臭みはほとんどなくなっていた。猪よりクセが強く、鹿よりも噛みごたえがあり、脂肪分は他の肉よりも多かった。加熱した肉は通常であれば赤黒いか茶色くなるものだが、虎肉は桃色であるのがいくらか風流であった。



B(わたし―今、過去時制―過去、現在時制)

 わたしは、くさくさしていた。足元を這いまわる毛虫みたいな動物に気が散らされていたからだ。息子夫婦が孫を連れて正月に帰ってきたのは喜ばしかったが、この畜生は余計だ。

「誰か、こいつをどっかにやってくれないか」わたしは大きな声を出した。

 わたしは自分の持つ包丁の刃先に目を向けた。猫の皮は三味線にするというぐらいだから分厚いはずで、このような菜切り包丁では歯が立たず、出刃包丁を持ってくる必要があるだろうと思った。

 わたしの声を聞いてやってきたのは孫だった。息子夫婦はこういう時に子供を寄こすのが小賢しかった。孫は孫の方で、馬鹿みたいな顔で調理場を眺めていた。

「おばあちゃんは、猫が怖いの?」孫が突然言った。

「そんなわけないさ。おばあちゃんは虎だって食べたことがあるからね」

 最近の子供はいきなり変なことを言うので、わたしは少し噎せてしまった。

 1917年、わたしの父親はしがない小料理屋を営んでいる。帝国ホテルで修業していた時期もあるらしいが、今はもうそんな面影もない。修業時代に見様見真似で身に着けた洋風料理が物珍しいということで、店に多少の客はついている。しかし、父親は肝心の店をほったらかしにして、昼間から酒を飲んで新聞を広げては罵詈雑言を浴びせかけるのが常である。

「なんだこりゃ」

 父親は、9月8日付けの『東京朝日新聞』を広げて、わたしに見せつける。『天下一品 虎肉料理』の見出しがおどっている。

「わたしの父親、あんたからすれば曾じいちゃんは料理人だったから……」わたしは、懐かしい気持ちと共に孫に言い聞かせた。

 孫にはピンとこない様子であった。

 わたしは、紅白のかまぼこを包丁で薄く切って皿に盛りつけた。黒豆は錆釘を鍋に入れたおかげで黒くてつやがあった。煮しめはしっかりだし汁がしみ込んでいるが、具の形は少しも崩れていなかった。わたしには料理の才能があった。あのろくでなしの親父と違って。

 新聞で『虎肉試食会』の記事を読んだ父親は、急に「虎が食いてえ」と叫んで刺身包丁をもって立ち上がると、「食いてえ食いてえ」とつぶやきながら包丁でちゃぶ台の上の皿を叩いている。皿は調子よくパリパリンと割れている。わたしは、何も食っていないので気力が出ず、横になってそれをただ見ている。飲む酒がなくなった親父が、包丁を持ったまま部屋の外に飛び出すと、文化住宅の廊下からは若い女の悲鳴が何度も聞こえてくる。ついにはパトカーの音まで聞こえはじめるので、わたしが廊下を覗いたところ、父親は廊下の真ん中で仁王立ちして、右手には血に濡れた包丁を持ち、左腕には子犬ほどもある猫の死骸をぶら下げている。

「肉食獣は古来から脂が臭いという。だから、虎は五日間ほど土に埋めるのがいい。ちょうど脂が落ちて食い頃じゃ。かといって、臭いのはそのままじゃから、味噌やショウガに絡めて漬け込んんでやるのがひと手間じゃ。さらに虎肉は筋がかたいから焼くよりも煮て食らうんじゃ。虎肉を食いたい。虎肉を食いたいの」