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雑文置き場

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第7章

 

 

問一:ふたつの声

①単独のPOVで短い物語を語る。

「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」彼女の友達は言った。
 京都競馬場パドックでは、競走馬やそれに群がる人々から少し離れた会場の隅に、猿回しの興行が設置されるのが慣例となっていた。
「かわいいじゃない」新井さんは答えた。「それに、見ているとなんか落ち着く。猿を見ていると、自分がカッカして冷静じゃなくなっていることに気付けるんだよね」
 新井さんは、友達から離れて柵に近づいた。柵の中では、レース本番を控えた馬たちが同じ場所をぐるぐると回っていた。新井さんはパドック内の馬を熱心に観察しはじめた。馬たちの様子は心なしか緊張しているように見えた。人間たちも同様だ。なんといっても今日はG1、エリザベス女王杯が開催される。新井さんの隣にいる女性などは、先ほどから尋常ではない発汗がみられた。この場にいる人は皆、大なり小なり人生をかけているのだ。
 ふと、場内に悲鳴があがった。新井さんがいる場所からちょうど反対側のあたりで一人の女が暴れていた。その女は首を激しく振り、柵に体当たりを繰り返していたが、すぐに警備員たちに取り押さえられた。精神力が弱い人間が極限の緊張に晒されると、時にこういうことが起こってしまうのだ。新井さんは、自身も知らぬうちに粘っこい汗を手のひらにかいていることに気がついた。そこで彼女は、こういう状況でこそ落ち着かなければと思い、あえて馬たちから背を向けて会場の隅で芸を続けている猿回しの方を向いた。猿回しの猿は必死の形相で竹馬に乗っていた。

 

②別の関係者ひとりのPOVで、その物語を語り直す。

「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」
「かわいいじゃない」
 人間たちの気の抜けた声が京都競馬場パドックに響いた。
 サラブレッドのマイネルジャンビーはパドックの中を周回しながら、今日のレースに出走する人間たちを観察した。馬を鞭で叩いて無理矢理走らせるのは動物虐待だと非難する世論が高まり、馬ではなく人間が走るという現在の形式に競馬が変更されてから一千年が経った。人間が走るようになってから馬が何で競うかというと、レースの予想をするようになった。サラブレッドは、レースの予想をするために品種改良され、育成され、調教を受けるようになった。だから、ジャンビーは大きなレースを前にしても心を乱されるということがなかった。人間が競馬予想をしている頃は、一時の感情に任せて勝つ見込みのない馬に大金を賭けることもあったらしいが、一流のサラブレッドである彼女にはそのような失敗はあり得ない。彼女は完全に客観的な目線でレース結果を予想することができた。
 ジャンビーは改めてパドックの周りに集まった人間たちの細部に目を向けた。案の定、人間たちの中に発汗などの異常な徴候を示しているものがいた。競争能力を高く評価している人間の一人だったが、ジャンビーは評価を下げることにした。また急に暴れ出す人間もいた。柵に身体を打ち付けて出血が見られたため、競走中止となるようだ。もともとこのメンバーの中では地力で劣る人間だったので予想に影響はなかった。ジャンビーが最も期待するのは、前走で驚異の逃げ切り勝ちをおさめた13番のアライサンだ。しかし、彼女はぼんやりした表情で猿回しの猿を見てばかりで気乗りしていない様子だった。ジャンビーは、彼女を本命から外すか大いに悩んでいた。

 

問二:遠隔型の語り手


「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」白いウインドブレーカーを着た女がそう言うと、隣にいた女は「かわいいじゃない」と答えた。その女は、パドックの隅で演目を続ける猿を見つめて微笑んだ。猿使いの合図にあわせて、猿は五連続で宙返りをきめたところだった。猿を見つめていた女がアウターを脱ぐと、長袖シャツの背中には「13 アライサン」と書かれたゼッケンが貼られていた。彼女は簡単なストレッチをすると、駆け足でパドックの柵に近づいた。白いウインドブレーカーの女は、まだ決心がつきかねるように腕を組んだまま、彼女を見送った。
 柵の中では、馬たちが周回していた。冬毛が伸びてぬいぐるみのようになったものもいれば、身を寄せ合ってうとうとしているものもいた。しかし、身体の方はだらけていても、馬たちの眼は鋭く人間を観察しているようだった。二十歳を超す老馬などは、よく見るために柵の間から頭を突き出してまで、これから走る人間の身体を観察していた。
 そんな中で、甲高い声をあげて暴れまわる女がいた。すぐに数人の男に取り押さえられた。ゼッケンを取り上げられ、肩を押されて退場する女の啜り泣く声が場内に響いた。馬たちは興味深そうに、立ち止まってその様子を見守っていた。煽るように、蹄で柵を蹴りあげる馬もいた。周りにいる女たちは、決してその女を見ようとしなかった。猿は、竹馬の上で震えて、うまく降りられないようだった。

 

 

問三:傍観の語り手


「なんであんなものをパドックの近くに入れるようになったのかな、猿回しの猿だなんて」
 その女は、少しクリーム色がかった白のウインドブレーカーを着ていた。三白眼で性格の悪そうな顔つきをしていた。
 その隣にいた女は「かわいいじゃない」と言って、アウターを脱いだ。背中には「13 アライサン」と書かれたゼッケンが貼られていた。
 そもそも俺たちがパドックに呼ばれるようになったのは、厩猿信仰に端を発するらしい。猿は「馬の守り神」として特に武家の間で珍重され、江戸時代には徳川幕府専属の職業として登用された。徳川幕府が滅んで明治の世になり、ご先祖様たちは大道芸に身をやつしたこともあったそうだ(まったく今じゃ想像もできないことだ)。しかし、再び武家社会がやってきたことで俺たちは、晴れて公務員の身分になった。不満があるとすれば、当の馬たちが俺たちに興味なんか持ってないことだ。予想のために競走用の人間たちを観察することで必死なのだ。逆に人間たちの方が、俺たちに関心を持っている。それどころか、すっかり夢中になっているのだ。アライサンという名の人間なんて、さっきから俺にばかり熱い視線を注いでいる。彼女は、頬を赤くして瞳も感動でうるんでいるようだった。俺はサービスしてやろうと猿使いのおっさんに合図を送った。おっさんは竹馬を取り出した。人間の中には、俺が竹馬をはじめると、悲鳴をあげて喜ぶやつもいた。なんだかアイドルになったようで少し気恥ずかしい気もした。

 


問四:潜入型の作者

 

※『みどりのマキバオー』パロディです。


 季節に衰えはなかった。草木は萌えるためにあり、高い空には風ひとつ吹かず、老いや死の影はどこにも見当たらなかった。
 エリザベス女王杯のファンファーレが吹きならされた時、マイネルジャンビーの瞳には空の青と芝の緑が映し出されていた。彼は購入した人間券を咥えながら、ゲートインを待つ人間たちに視線を向けた。彼が購入した人間券は、「13番 アライサン」と「15番 フエネク」のワイド(※三着までに入る人間の組み合わせを的中させる投票法)だった。彼の予想はオッズもそれほど高くはなく面白味に欠けるものではあったが、それは、このレースが昨年の覇者「アライサン」と同期の実力者「フエネク」のマッチレースになるという確信を持っていたからだ。ただ前走のレースでアライサンは勝ちこそしたものの、最後の直線で失速し、いつもの強さを見せることができなかった。巷では体調不安説もささやかれていた。だからこそ、彼の視線はいつも以上に注意深かったのだ。背中を押されてゲートに入る人間たちの肌にはうっすらと汗が浮き、膚の下に流れる赤い血潮が透けて見えるようだった。全人間が無事にゲートインしたところで、マイネルジャンビーの隣にいた猿回しの猿が興奮して雄叫びをあげた。しかし、いくら入れ込んでも、猿はしょせん猿なので人間券を買うことはできないのだった。
 係員がゲートから離れたところで、各人間がいっせいにスタートをきった。まずハナを主張したのが「イエイヌ」だった。「アライサン」は三番手の好位につけて、「フエネク」は少し出遅れて後方待機といった構えで第一コーナーに入っていった。隊列はほぼ決まったようだった。エリザベス女王杯、コースは芝の二千四百メートル、牝限定の重賞競走(GⅠ)である。全ての世代の、牝の頂点を決めることになるレースだ。ここにいる誰もが人生をかけていた。一番最初に仕掛けたのは、やはりアライサンだった。第三コーナーに入ろうというところで、あっという間に先頭のイエイヌを捉え、第四コーナーに入る前に抜き去った。
 私は何回も何回も一緒に走ってアライサンの本当の強さを知っている。
 フエネクは思った。
 しかし、これ以上は一緒に走ることはできないことも彼女は知っていた。アライサンの身体は、不治の病に侵されているのだった。フエネクは後方待機のまま第四コーナーに侵入した。その時、彼女は観客席にいる猿回しの猿と目が合った。猿の目は「ならば、お前はどうする」と彼女に語りかけているようだった。フエネクは、その問いに声にならない声で答えた。私が絶対に負けずに走り続ける。私が負けずに走り続けて、アライサンの強さを世代を超えて教え続ける。
 今まで後方で我慢していたフエネクの末脚が、最後の直線で爆発した。コースの内に突っ込んで五人以上をごぼう抜きにして、一気にアライサンの後ろにつけた。後ろから迫る絶大な圧力に、もちろんアライサンは気がついていた。かつての彼女であれば、そのプレッシャーに答えるように加速していたはずだったが、今となっては不可能なことだった。彼女がいくら息を吐いても吸うことができず、足元はふらつき、腕も大きく振ることができなかった。アライサンは内ラチに凭れかかるようにして失速していった。そして、フエネクはわき目も振らずに抜き去った。勝敗は決したのだ。フエネクの後ろに迫る者は誰もいなかった。しかし、彼女はまったく力を緩めなかった。それどころか、グングンと加速していた。いや、彼女は先頭に立ってもなお誰かを追いかけていた。
 第五百二十四回エリザベス女王杯マイネルジャンビーも、猿回しの猿も、すべての観衆が、確かにフエネクの少し前を走るアライサンの幻を見た。
 見えないか。
 感じないか。
 伝説はここにある。
 ほら、アライサンはここにある。

【2021年度版】すごかった漫画(全35作品)

はじめに

・2021年(1~12月)に刊行された漫画が対象です。

・長編or短編、完結or継続など、大枠で分類分けしています。

・大枠分類の中の並びは、個人的な順位付けになっています。基本的に上に掲載されているものの方がオススメ度が高いです。

 

 

 

今年1巻が刊行された継続作品18選

タヤマ碧『ガールクラッシュ』

ガールクラッシュ(女子が憧れるかっこいい女子)を目標とする百瀬天花は、K-POPにかぶれる恵梨杏と出会ったことで、K-POPアイドルになるため一歩を踏み出す。

まず主人公が”潔くかっこよく生きていこう”の理念を体現しており好感を抱かざるを得ない。『絢爛たるグランドセーヌ』や『ブルーピリオド』など、若者が芸術の世界に身一つで飛び込んでのしあがっていく系漫画の新たな傑作。

 

大石まさる『うみそらかぜに花』

海辺の田舎町を舞台に、天文部所属で星が好きなカナメと、小柄でとにかく元気なアミ、少年少女の日常を描いた青春漫画。

一つの町を舞台に、恋模様やSF(すこし不思議)が描かれる。系統としては『それでも町は廻っている』あたりかな。大石まさるの漫画が面白いなんて今更いう必要もないのだが、その漫画表現力は前人未到の域に入っていると思う。私は、本作をはじめて読んだ時にモノクロなのに色が入っていると錯覚したほどである。

 

熊倉献『ブランクスペース』

女子高生の狛江ショーコは、同級生の片桐スイが不思議な力を持っていることを知る。二人の少女の出会いをきっかけに物語は思いがけない方向へ動き出す。

少女の中にある孤独が、漫画的想像力をもって世界に復讐する。思春期の少女が抱える孤独を、今最も痛切に描いている漫画だと思う。優しい漫画が読みたい。

 

ふみふみこ『僕たちのリアリティショー』

製菓工場で働く柳は、女優の卵で幼なじみのいちかと再開する。しかし、いちかは恋愛リアリティショーに出演中で突然の死を迎えてしまう。彼女の死の謎を調べる柳だったが…。

「時間をさかのぼって謎を探る」「男女の精神が入れ替わってしまう」「恋愛リアリティショーという時事ネタ」という複数のギミックを組み込んだサスペンス。かなり複雑な話なのに、するりと読めて構成力のうまさを感じる。今年のふみふみこは『ふつうのおんなのこにもどりたい』も刊行したが、こちらも当たり前に面白い。

 

 

三原和人『ワールドイズダンシング』

世阿弥こと鬼夜叉は、父親である観阿弥の一座に所属しながらも舞いの本質をつかみかねていた。世阿弥は、様々な人との出会いにより、舞いの「よさ」を発見していく。

この作者は、何かの求道者、また道を究める過程で破滅していく人を描くことに強く惹かれているのだと思う。前作『はじめアルゴニズム』は現代劇であったがために、道から外れてしまった求道者の末路のようなものが中途半端になってしまっていた。しかし、本作は舞台が中世なので、道に外れた人間は容赦なく死ぬ。それが気持ちいい。

 

森とんかつ『スイカ

怪奇現象やが絶えない丑光高等学校を舞台に、この学校に赴任してきた教師と、謎の小学生・物部スイカが巻き起こすホラーギャグ。

個性的な絵柄とシュールギャグ。突然変異的な作品としかいいようがない。今年出たギャグ漫画だと、山本アヒル『ガールズドーン!』もよかった。

 

深山はな『来陽と青梅』

中学1年生の鮫川淳は、幼馴染と付き合っている。しかし、偶然出会った女子高生の圭と意気投合していくうちに、恋心が芽生え始める。

同性愛のカミングアウトをテーマにしたものは、近年特に数多いが(今年であれば、ミナモトガズキ『怪獣になったゲイ』とか)、付き合っている彼氏がいるところからはじまるのが物語を重層的にしている。今年最も恋心の機微が描かれていた漫画だと思う。

 

的野アンジ『僕が死ぬだけの百物語』

今年はホラー漫画豊作の年であった。本作は、まさに漫画で百物語をやろうという趣旨のものである。百物語は各話の品質にばらつきのあることが多いが、これに限ってはすべて高水準な怪談であり、その恐怖の種類も多彩である。この水準で百話完走できたら歴史的傑作になるだろう。

ゴトウユキコ『フォビア』はよく知っているはずの人間が、急に知らない人間になってしまったような恐怖をうまく捉えている。超常現象よりも所謂ヒトコワに特化した内容であり、その点でゴトウユキコとのシナジーが高い。

 

オガワサラ『推しが辞めた』

男性アイドルのミクを推しているみやびは、デリヘル嬢をやって貢ぐお金を稼いでいた。ある日突然脱退したミク、その謎を彼女は追い始める。

アイドルをファンの視点から描いた作品はいくつかあるが、本作が白眉なのは、そのために心も体もすり減らしていく女性の姿をギャグとして処理するでもなく深刻になりすぎるでもない絶妙なバランス感覚である。

 

意志強ナツ子『るなしい』

火神の子として生きる高校生、るなは「自己実現」を謳った信者ビジネスを行っている。ある日、クラスの人気者ケンショーに助けられた彼女は恋をしてしまう。

簡単に恋をしてしまったりする思春期少女と、火神の子として信者ビジネスの教祖的存在、この二つをシームレスに行き来する奇妙な自意識をとらえるのがうまい。儀式シーンなどはチープであるのに本物感があり、魔術的な漫画である。

 

白井もも吉『偽物協会』

そこは、「本物(ふつう)」の枠からはみ出てしまった「偽物」たちの集う場所。不安になると体が毛布になる女の子・綿子、彼女もこの協会に流れ着いたのだが…。

脱毛したいサボテン、鳥になりたい石ころなど、珍妙な偽物たちとのドタバタコメディー。しかし、「普通」に生きることができないものへの賛歌となっている。気持ちのいい漫画である。

 

水凪トリ『しあわせは食べて寝て待て』

免疫系の病気を持っている麦巻さとこは、フルタイムの就業が出来なくなり週4日のパートで暮らしていくことになる。さとこは家賃を抑えるために団地への引っ越しすることを決意する。

若い女性が心機一転して新生活をはじめる様子を描いた漫画は、名前がないけれどジャンルとして確立されているように感じる。近年では『凪のお暇』などがヒットしたが、どうしても等身大の生活を描いているようにみえて、話を盛っているところがある。本作の特徴は、話を盛っているところがほとんどないことだろう。生活の貧しさがリアル。あと、今年は女性の新生活ものとして、真造圭伍『ひらやすみ』も面白かった。

 

高木ユーナ『群舞のペア碁』

男女ペアの2人VS2人で行い、対局中は会話禁止の「ペア碁」。プロ棋士を目指しているが極度のあがり症で勝ち切れない男子高校生・群舞(ぐんぶ)が、幼馴染で群舞のストーカー・のぞみと共に、この実在の協議「ペア碁」に取り組んでいく。

まず「ペア碁」という謎の競技に目を付けた時点で面白い。ついで、碁をやっていて全然楽しくなさそうだし、棋士たちの治安がすごく悪い。日本ペア碁協会が監修についているのに、こんなに碁の業界が荒れている感じで描いてしまって大丈夫なんだろうかと変な心配をしてしまう。将棋界(『龍と苺』『永世乙女の戦い方』)も治安悪いしな。

 

ムネヘロ『ムシ・コミュニケーター』

虫と意思疎通できる少女が、虫たちの生と死を見つめていく。

異常な価値観の漫画。あまりにも死の匂いが強く漂っている。

 

夜の羊雲『夢想のまち』

「雲ヶ浦」という海の見える街に、一人の少女・楠まよわが引っ越してきた。彼女を中心に、不思議な街で綴られる、眩しくて仄暗い日々の記録。

明確なプロットを説明しろと言われると難しい漫画である。とにかく「幽玄」な世界観の漫画としか言いようがない。今年のファンタジーの労作としては、るん太『異刻メモワール』もあげる。

 

ずいの , 系山冏『税金で買った本』

ヤンキーの石平は、図書館で働く早瀬丸と白井に10年前借りた本を返却していないことを指摘される。その出来事から石平は図書館で働くことになる。

お仕事漫画ではあるが、お仕事を描くというよりも、図書館という場を結節点にして多様な人間の人生が交差していく漫画である。本屋のお仕事漫画では、「本のトリビアルな知識の自慢」「本を読むことの尊さ」みたいなものが前面にでていることが多くて、押しつけがましいと感じることもあるのだが、図書館に来る人たちはそれほど読書に対して意識が高くないので気軽に読める。

 

いとまん『ドキュンサーガ』

剣と魔法の時代、王都ザイダーマに住む男・モッコスは持って生まれた圧倒的な力で暴虐の限りを尽くしていた。モッコスは、ある日国王の命により魔王討伐に向かう。

よくあるはじまりから、魔王と呼ばれる人物の叙事詩になっていくところが面白い。

 

有咲めいか『人質たちのシェアハウス』

PTSD強迫性障害、グレーゾーン、場面緘黙などの症状を持つ人間が集まるシェアハウス・エンカウンター。多様な個と共生するためのルールはただ一つ、“嫌なことは伝える”こと。

要は、何らかの精神的な症状を持つ人たちを集めたリアリティーショーのような内容であり、こういった内容を軽々に漫画にしていいのかと疑問を感じるが、そういうところを含めて今後注目したい気がする。

 

 

今年完結した作品5選

日日ねるこ『のんちゃんとアカリ』

女子高生の上野アカリは、引越した洋館で“呪いの人形” のんちゃんに出会う。呪いの人形と、真っ直ぐな少女のガール・ミーツ・ガール。

呪いの人形に対して物怖じせず友達になろうとする少女ということで、完全に出オチな物語なんですが、今年でた百合漫画の中で最も美しいひと夏が描かれている。

 

横山旬『午後9時15分の演劇論』

自称天才演出家・古謝(こしゃ)タダオキは、某有名美術大学・表現学部・舞台コース(夜間学部)に通っている。制作発表会に向けて個性的な学生たちと演劇を作り上げていく。

何が面白くて、どうすれば面白くなるのか、最後まで全く何もわからないまま物語は終わる。様々な創作者ワナビフィクションがあふれている昨今であるが、”創作”という行為の本質をとらえた作品である。

 

背川昇『海辺のキュー』

中学生の千穂は立ち寄った海岸で、謎の生物・キューと出会う。人の悪い感情を食べ、治癒してしまうキューを気に入った千穂は、自分の部屋でこっそり飼い始めるが…。

背川昇版デビルマン。しかし、人間のダメな部分も許せるようになる、そんな気持のいいラストだった。

 

山口貴由衛府の七忍』

七人の怨身忍者、ついに集結す! 敵は海底移動城塞・竜宮城を支配する、浦島太郎と乙姫。七忍の戦鬼たちよ、超常の忍法を駆使して、鬼を滅しようとする刃と戦い、まつろわぬ民の牙となれ!

うん…。少なくとも、エクゾスカル零が残した負債はすべて返済して余りある最終巻だったと思う。次回作では、鬼狩りに全生涯を費やす桃太郎と金太郎を救ってやってくれ。

 

河原シノ『君の筆を折りたい』

佐竹昭仁はSNSでイラストを描くのが趣味の高校生。ある日、自分のイラストがバズって喜んでいたところ、創作者仲間から【あなたの筆を折りたい】というメッセージが届いたが…。

表面的にはすごく爽やかな青春恋愛漫画のようなルックなんだけれど、実際にやってることはSNS中傷攻撃という陰湿なギャップがギャグ漫画のような面白さを出している。創作者の自己顕示欲をネタにした漫画としては、瀬崎ナギサ『みどりの星と屑』もよい出汁がでていた。世の中には、創作者仲間が醜く争っていることからしかでない旨味がある。

 

 

 

全1巻長編漫画5編

しおやてるこ『変と乱』

高校3年の冬。大学の推薦入学を勝ち取った涼子はカースト最上段にいた莉子とのうわべだけの友情を断ち切ることを決める。

スクールカースト漫画は、どれだけ残酷な内容が描けるかというところで覇を競っているが、あまりにもエスカレートすると現実感がなくなってしまう。本作は、ギリギリのところでリアリティーを保ちながら最悪なことしか起こらない。

 

切畑水葉『阪急タイムマシン』

編み物が好きな野仲さんの悩みは親しい友人がいないこと。そんな彼女は、通勤中に大好きだった幼馴染のサトウさんと再会するのだが…。

阪急のローカル漫画っぽい題名だが、さにあらず普遍的な人間関係を描いた作品である。結局過去を変えることはできないが、過去を贖うことはできるはずだという祈りの物語だ。

 

谷口菜津子『教室の片隅で青春がはじまる』

有名になりたい吉田まりもは、なぜかいつも空回りしてしまう。スクールカースト上位集団からも馬鹿にされているのだが…。

今年の全1巻漫画は、スクールカーストものが熱い。主人公のまりもは本当に平凡な人間なんだけど、そういう人間が周りの人間を知らず知らずのうちに救っていく。連作短編としての完成度が図抜けて高い。

 

板垣巴留『ボタボタ』

主人公・氷刈真子は、極度の潔癖症で、汚いものに触れると鼻血が出るという特異体質を持つ。
そんな彼女が愛を求め、男を求める。

そういう読み方をするのはよくないことだと思うのではあるが、本作を読むと納得感がすごくて、生の映画をみているような。

 

ネルノダイスキ『いえめぐり』

不動産屋を訪れた主人公。探している物件は、部屋数多め・静か・駅から徒歩30分以内。ごく普通の部屋を探しているはずが、紹介される物件はなぜだか奇妙なものばかり。

極度に抽象化されたキャラクター、緻密でどこかグロテスクな背景、サイケデリックでファナティックなプロット。今までは同人で活躍されてきた著者であるが、まさに集大成的な作品で大満足だった。

 

 

短編集4選

売野機子売野機子短篇劇場』

売野機子が面白いなんて今更強調する必要はないし、内容もコミティアで出していたものが多いのだけれど、それにしたって、現役作家でこれだけの静謐な筆致と喪失感を抱えた物語を描ける漫画家はいないよ。

 

速水螺旋人『ワルプルギス実行委員実行する』

速水螺旋人が面白いなんて今更強調する必要はないのだけれど、それにしたって、ジャンル横断的な奔放な語り口と、おもちゃ箱的な楽しさで言えば、群を抜いているのだからランクインせざるを得ない。

 

あきやまえんま『さよならじゃねーよ、ばか。』

百合は、カップル間で想いの熱量に差があれば差があるほど、特別な滋養がある。「オタクのことが気になるギャル」「漫画家のことが気になるOL」ぐらいに歯がゆい人間関係でないと満足できない。

 

齋藤なずな『初期傑作短編集 ダリア』

昭和61年度前期ビックコミック賞入選作である「ダリア」をはじめた著者の単行本未収録作品を集めた短編集。

収録作のほとんどが子供の視点を通して、大人の男女の愛憎を覗き見るというものであり、読み味に時代に古びないところがある。構成力に並々ならぬものがあり、短編作家としての齋藤なずなが堪能できる。

 

 

その他(ネット連載&海外コミック&復刊)3選

たばよう『おなかがへったらきみをたべよう』

ある時、少女は夢を見た。餓えた少年と仔マンモの夢を。

少年と犬ものの不朽の名作。いつ単行本化されるんでしょうか。

mangacross.jp

 

アラン・ムーア『ネオノミコン』

人間をチューリップ型に切り裂く異様な殺人事件、古い教会を改築したクラブに蔓延する謎の白粉、頻発する怪事件を解決すべくFBI捜査官メリルとゴードンはマサチューセッツ州セイラムのオカルトショップに向かう。

クトゥルー神話をメタフィクショナルに破壊する意欲作。頼むから全四部作を必ず出してくれ。

 

風忍『地上最強の男 竜』

地上最強の男。いかなる相手も0.2秒で殺す、空手の達人、雷音竜。

今更取り上げるまでもない伝説的コミックだが、日本でアラン・ムーアに対抗できる魔術的パワーを持っている漫画家は風忍だけ。

 

 

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第5~6章まで

第5章で形容詞を削ることは比較的容易だった。それゆえに冒険をしているところがなくて不満が残る。

第6章は逆に無節操なところを冒険と誤解しているのがみっともないけれど、楽しく書けたので、ヨシッ。

 

 

第5章 形容詞と副詞

こごみは、ショベルを地面に突き刺した。そのまま体重を後ろに預けて土を掬いあげる。この一連の動作だけで、こごみは額に玉の汗を浮かべていた。のびるは、こごみの後ろに立って手元をライトで照らしていた。ショベルを地面に突き刺すたびに金属音が響いた。この辺りの土は粘土に小石が混ざっているので、ショベルを突き立てるのに力が必要なだけでなく、石に当たるとそこで止まってしまうのだった。二人には前もって土質を調べておくという考えが浮かばなかった。ショベルを踏みこもうとしたこごみが、すべって尻もちをついた。疲労は隠せなかった。まだ穴の幅は猫を埋められる程度だった。みかねたのびるが、こごみの肩を叩いた。二人はショベルとライトを交換した。こごみは肩で息をしながら、自分が掘った穴を照らした。のびるは、まず腕の力を使ってショベルを地面に突き刺し、全体重を乗せて足掛けを踏みつけた。のびるは、そのまま前につんのめって転びそうになった。手に持っていたショベルは柄の部分で折れていた。庭の隅に長年放置されていたショベルだったので、木の部分が腐っていたらしかった。のびるは天を仰いで、こごみはライトを消して額の汗を拭った。二人は、傍に転がしていた父親の死体を引きずりながら山を下った。東の山際から、朝日が差しはじめていた。

 

 

第6章 動詞:人称と時制

A(彼女―過去時制)

 老女は刃物を手に持っていたので、足元でじゃれつく毛玉にうんざりしていた。そのペルシャ猫は、人間の足の間をすり抜けるのが好きなようだった。奥の部屋からは息子夫婦の笑い声が聞こえてきた。

「誰か、こいつをどっかにやってくれないか」老女は、包丁を置いてから奥の部屋に呼びかけた。

 すると、ぺたぺたと廊下を走る音が聞こえて彼女の孫がやってきた。孫は赤いパジャマを着ていて、頬はそれにも増して赤かった。

「何をしてるの」孫は猫を抱きあげながら訊ねた。

おせち料理を作っているんだよ」彼女は答えた。

「ふーん」

 孫は、興味深そうに台所を見まわした。湯気の立ち上るたくさんの鍋、ボウルにつけてある黄色いもの、包丁で皮を剥く途中で放置された芋のようなもの、それらがすべて孫にははじめて見たものだった。

「おばあちゃんは、猫が怖いの?」孫は言った。

「そんなわけないさ。おばあちゃんは虎だって食べたことがあるからね」彼女は、皺の刻まれた口元に手を当てて笑った。

 猫はうにゃあおと鳴いて、孫の腕の中でもがいていた。

 1917年、山本唯三郎は朝鮮で虎狩りを行った。山本は、第一次世界大戦時に海運業で成功した人物、いわゆる成金であった。山本は現在の北朝鮮にまで遠征し、地元屈指の猟師を動員することで、ついには虎を二匹仕留めることに成功した。東京に戻った山本は、帝国ホテルにて政財界の有力者を集めて『虎肉試食会』を開催した。

「そこで、わたしも虎肉を食べさせてもらった」

 彼女は孫に背を向けて料理を再開した。

「うちって、昔はそんなパーティーに呼ばれるぐらいのお金持だったの?」

「いんや、わたしの父親、あんたからすれば曾じいちゃんは料理人だったから……」

 彼女が包丁を握り直してかまぼこを薄く切り分けたところで、ついに我慢が効かなくなった猫が孫の腕を引っ掻いた。

「なにすんだよ」孫はそう叫んで、猫を廊下に放り投げた。

 ペルシャ猫は、ふぎゃふぎゃ廊下を駆けていくので、孫もそれを追いかけていった。

 彼女は、煮しめを作っている鍋をかき回した。鶏肉は彼女の狙い通り、だし汁がしみ込んでツヤツヤとしていた。

 『虎肉試食会』でもメインとなる虎肉は、六十度に保った室で熟成させ、塩胡椒を揉みこんでベイリーフと一緒に白ワインビネガーに漬け込んだ。その肉はバターを温めた鍋の中に投入し、肉の表面に火が通ったら薄く切ったニンジンとセロリを順に鍋へ放りこみ、少量の塩胡椒とハチミツも加え入れた。それらが全体に馴染んだところで約百ミリリットルの水を加えて沸騰させ、焦げ付かないように注意しながら水がなくなったところで火を止めて、間髪入れずに皿に盛り付けた。最後にパセリを散らせば完成だ。その味は、料理人の苦心によって臭みはほとんどなくなっていた。猪よりクセが強く、鹿よりも噛みごたえがあり、脂肪分は他の肉よりも多かった。加熱した肉は通常であれば赤黒いか茶色くなるものだが、虎肉は桃色であるのがいくらか風流であった。



B(わたし―今、過去時制―過去、現在時制)

 わたしは、くさくさしていた。足元を這いまわる毛虫みたいな動物に気が散らされていたからだ。息子夫婦が孫を連れて正月に帰ってきたのは喜ばしかったが、この畜生は余計だ。

「誰か、こいつをどっかにやってくれないか」わたしは大きな声を出した。

 わたしは自分の持つ包丁の刃先に目を向けた。猫の皮は三味線にするというぐらいだから分厚いはずで、このような菜切り包丁では歯が立たず、出刃包丁を持ってくる必要があるだろうと思った。

 わたしの声を聞いてやってきたのは孫だった。息子夫婦はこういう時に子供を寄こすのが小賢しかった。孫は孫の方で、馬鹿みたいな顔で調理場を眺めていた。

「おばあちゃんは、猫が怖いの?」孫が突然言った。

「そんなわけないさ。おばあちゃんは虎だって食べたことがあるからね」

 最近の子供はいきなり変なことを言うので、わたしは少し噎せてしまった。

 1917年、わたしの父親はしがない小料理屋を営んでいる。帝国ホテルで修業していた時期もあるらしいが、今はもうそんな面影もない。修業時代に見様見真似で身に着けた洋風料理が物珍しいということで、店に多少の客はついている。しかし、父親は肝心の店をほったらかしにして、昼間から酒を飲んで新聞を広げては罵詈雑言を浴びせかけるのが常である。

「なんだこりゃ」

 父親は、9月8日付けの『東京朝日新聞』を広げて、わたしに見せつける。『天下一品 虎肉料理』の見出しがおどっている。

「わたしの父親、あんたからすれば曾じいちゃんは料理人だったから……」わたしは、懐かしい気持ちと共に孫に言い聞かせた。

 孫にはピンとこない様子であった。

 わたしは、紅白のかまぼこを包丁で薄く切って皿に盛りつけた。黒豆は錆釘を鍋に入れたおかげで黒くてつやがあった。煮しめはしっかりだし汁がしみ込んでいるが、具の形は少しも崩れていなかった。わたしには料理の才能があった。あのろくでなしの親父と違って。

 新聞で『虎肉試食会』の記事を読んだ父親は、急に「虎が食いてえ」と叫んで刺身包丁をもって立ち上がると、「食いてえ食いてえ」とつぶやきながら包丁でちゃぶ台の上の皿を叩いている。皿は調子よくパリパリンと割れている。わたしは、何も食っていないので気力が出ず、横になってそれをただ見ている。飲む酒がなくなった親父が、包丁を持ったまま部屋の外に飛び出すと、文化住宅の廊下からは若い女の悲鳴が何度も聞こえてくる。ついにはパトカーの音まで聞こえはじめるので、わたしが廊下を覗いたところ、父親は廊下の真ん中で仁王立ちして、右手には血に濡れた包丁を持ち、左腕には子犬ほどもある猫の死骸をぶら下げている。

「肉食獣は古来から脂が臭いという。だから、虎は五日間ほど土に埋めるのがいい。ちょうど脂が落ちて食い頃じゃ。かといって、臭いのはそのままじゃから、味噌やショウガに絡めて漬け込んんでやるのがひと手間じゃ。さらに虎肉は筋がかたいから焼くよりも煮て食らうんじゃ。虎肉を食いたい。虎肉を食いたいの」

『青騎士』4号 新連載&読み切り感想

このご時世、気軽にコミティアなどのイベントに行くこともできないわけで、うんざりしちゃいますねえ。

でも、もしきみが幸運にも『青騎士』を読むことができたとすれば、その埋め合わせができるでしょう。

 



 

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本間保奈美「世界の終わりごっこ



 

姪の少女から学校に行きたくないと相談を受けた叔父は、「今日で世界が終わると思って過ごしてみる」ことを提案する。さて、少女はどのようにして世界が終わる日を過ごすのか。

ここで立ち上がってくるキャラクターは叔父だ。叔父は家の中で戦場の写真に囲まれて拳銃のメンテナンスをしているような人物で、片腕は義手になっている。つまり、「世界の終わりごっこ」ではなくて「世界の終わり」を体験し、なおかつそれを忘れられない人物なのだ。一方で、無邪気な少女はいつも通りの生活を繰り返す。でも、少女だって「世界の終わり」を知らないわけじゃない。これは、そんなお話。

 

器械「煉獄のドラコ」



 


肋から腹部にかけて肉が腐り落ちていた。肋骨には黒く変色した皮膚の残骸がこびりつき、その空洞を縁どる腰骨はゼラチンのように崩れかけている。洞の中に、ぼんやり輝いている背骨が見えた。

――パトリック・マグラア「天使」

 

強い絆で結ばれている姉妹、「ゆい」と「あみ」は、帰宅の途中で空から落ちてきた異形の化け物に襲われる。妹の「あみ」を守るために、「ゆい」は化け物と一緒に落ちてきた少女のような異形に決断を迫られる。

ページを開いてすぐに、器械先生は本気だと思った。ヌードデッサンのモデルをしている姉妹をみて。姉を守るために自己犠牲を選んだ妹をみて。妹を救うために堕天使と融合した姉をみて。器械先生は、本気だ、本気なんだ。

 

鈴ヶ森ちか「その想いは、ね…」



 

私の背中には急に翼が生えた。けど、空が飛べるわけじゃない。そのうえ、ずっと一緒だと思っていた女友達が転校することなった。その時、私は翼の本当の使い道を思いついた。

翼が生えてくるという身体的変化を通して、思春期の悩みや成長を描く作品には前例があるが、本作はその翼の活用方法に独創性がある。タイトルのダブルミーニングも鮮やか。

 

戸塚こだま「猿の手



 

怪談「猿の手」を使ったホラーコメディー。女の子はかわいいし、微グロもあるし、ブラックユーモアがさえている。漫画雑誌に載っていると少しほっとする。君は『青騎士』のあさりよしとおになってください。

 

Be-con「お姉さまと巨人」



 

「姉妹の契り」の制度を持つ女子学校の女学生がファンタジー異世界に転生してしまう。しかし、主人公は転生先で巨人の娘と出会い、二人はお互いの家族を探し出すために「姉妹の契り」を結び協力することになる。

異世界転生では、元世界の人間関係を振り切って自由になる作品の方がメジャーだと思うのだが(一種のリセット願望が反映されているように感じる)、本作では元世界で結んだ「姉妹の契り」が異世界でも重要なキーになっている。ありていに言えば、異世界に行っても元カノに執着している。それが独特で怖い。

 

鈴木りつ「全てが劣化する」



 


終った所から始めた旅に、終りはない。墓の中の誕生のことを語らねばならぬ。何故に人間はかく在らねばならぬのか?……。

――安部公房終りし道の標べに

 

中学生の時に出会った不思議なあの子、古墳のことをかわいいって言って、私を外に連れ出してくれる。でも、私の大好きなあの子はどんどん変わっていってしまう。だから、私は古墳に埋める。

表情の描き方が天才的。この漫画を読んでいると、自分の中の今まで知らなかった気持ちにでくわして驚かされる。死ぬまで――それも途方もない時間を感情は劣化していくだけなのか。

 

長谷川未来「9%の幸福」



 

主人公はマンションのベランダでパーテーション越しに隣人から声を掛けられ、以降は一緒に酒を飲むようになる。都会人の寂寥が胸に刺さる。

 

『Sonny Boy -サニーボーイ-』と『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』~あたまの漂流

この頭は年がら年じゅう漂流していて、よるべない木の葉ぶねのようなものだが、それだけに漂流譚や漂着譚が好きである。

――という書き出しではじまるのは、中野美代子『あたまの漂流』だが、私の頭もこの頃は漂流、いや難破を繰り返してばかりで考えがまとまらない。しかし、まとまらないなりに考えたことを記録に残しておくのもよいかもしれないと思ったのであった。

 

※『Sonny Boy -サニーボーイ-』と『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』についてバリバリのネタバレ有。

 

 

 

 

 

『Sonny Boy -サニーボーイ-』

2021年夏アニメの中でも、漂流を題材にしたあるアニメが話題になった。それが『Sonny Boy -サニーボーイ-』である。この作品は、監督である夏目真悟が手掛けた実験的なオリジナルアニメとして注目を集めた。36人のクラスメイトがまるまる異世界へ送り込まれたところからはじまる物語は、開始当初こそ楳図かずお漂流教室』の現代版をやろうとしているのかと思われていたが、そのような予想を超える展開の連続で、回を重ねるごとにエスカレートする実験的映像表現と観念的世界観が独特なアニメシリーズになっていった。

その難解とも言える作風から、考察自体を諦めている人も多いように感じるが、監督自身が公開しているコメンタリーを読めば、この作品の意図するところが腑に落ちる人もいるのではないだろうか。

 

febri.jp

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これを読めば、設定に対する考察は大きな意味を持たないことがわかると思う。「この漂流は何の意味があるのか」と問われれば、「漂流に意味はない」というのが答えなのだろう。

この作品で描かれていることは、結局のところ、それぞれのキャラクターが持つ特殊能力は個々人の特技や個性、そして、ハテノ島などの漂流世界に存在する奇妙なルールは少年少女が現実世界でさらされている社会ルールのメタファーであろうということだ。つまり、このアニメは現実世界の鏡像として作られたものであり、夏目真悟監督は現実世界をどうやって生きていくべきかというメッセージしか発していないのである。

 

そもそも最終回は何が言いたかったの?

では、夏目真悟監督が視聴者に伝えたかったメッセージとは何なのか。それは最終回に凝縮されているように思う。というわけで、最終回で起こったことを簡単にまとめた。

 

①長良は漂流から帰還し、二年間の年月が経っていたため高校二年生になっていた。帰還した世界を美しいと感じることができない長良は、中学の先生から瑞穂の進学先を聞き出して会いに行ったが、瑞穂は漂流のことを覚えていない様子だった。さらに長良は、駅で希と朝凪が親しそうに話しているのを見かけた。長良は声をかけようとしたが、長良のことを覚えていない様子だったので声をかけずにその場を去った。家に帰った長良は、『ロビンソン・クルーソー』と希のコンパスを見つめながら漂流から帰還した時のことを思い出していた。

②漂流から帰還するために時空間の狭間にたどり着いた長良と瑞穂は、お互いの身体をロープでつないで外の世界に一歩踏み出した。そこには朝凪が待ち構えていて「漂流世界と現実世界に違いなどない」「与えられたものに満足して生きていくべきだ」と二人を説得するが、長良は「僕らは自分で手に入れたいんだ」と応じた。問答の果てに、朝凪は長良へコンパスを託し、長良と瑞穂はコンパスを頼りに決して振り向かずに走り続けた。コンパスを頼りに希が望んでいた可能世界を見つけた長良たちは、瑞穂の状態を固定する能力で自分たちをその可能世界に固定させることにした。(監督はシュレディンガーの猫が入っている箱の蓋を閉じることだと例えている)長良は言う。「これは希がみた光だから」

③一方で、漂流から帰還した瑞穂は、二年の間に祖母や猫が死んでしまったことから現状を受け入れることができなかった。そのために、自分に会いに来た長良のことも知らないふりをして追い返した。その夜に中学校に忍び込んだ瑞穂は、校舎内に漂流世界の入口がないかを探して回った。また、校舎内であれば自分の能力が使えるのではないかと考えて、ガラスのコップを床に落としたが、普通に割れてしまったことで、瑞穂は自分の能力が失われていることを悟った。

④現実を受け止めた瑞穂は、長良に自分から会いに行き、お互いの現状を話し合った。長良は言う。「やっぱり世界は変えられない。だけどこれは、僕が選択した世界だ」瑞穂は言う。「まあ大丈夫だよ。あの島でのアンタが、まだ少しでも残っているなら、大丈夫だ」

⑤長良は、駅構内で鳴いていた燕の雛のことが気になって巣を覗いていた。すると、希が話しかけてきて雛を助けたことを教えてくれた。そこで、希は長良が中学の時に同級生だったことを思い出したが、当然漂流のことは知らないので、長良を放っておいて朝凪の方へ笑顔で駆け寄った。それを見た長良は、少しだけ晴れやかな顔になって歩き出し、「人生はまだこれからだ。先はまだ少しだけ長い」とつぶやいた。

 

できるだけ簡潔に最終回の内容をまとめたつもりだ。これを見てメリーバッドエンドだと思った人もいるようだが、個人的にはハッピーエンドだったと思っている。

長良が、友人である希のみていた光(=希望)に夢を託すが(②)、結局は劣悪な自分の生活環境を変えることはできずに一度は絶望する(①)。しかし、同じように漂流から帰還した瑞穂がまだ自分を信じてくれいることに心を動かされて(③~④)、自分がよりよく生きていくことこそが、この世界を希がみた光に変えていくことだと捉えなおして前に進みはじめる(⑤)。そういうお話だと、私は解釈した。

 

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あと、サニボについて語っておきたいのは「鳥」と「光」という二つの重要なモチーフについてだ。

「鳥」については、長良たち自身のことを表しているのだろう。漂流世界から脱出する長良と瑞穂に、空を飛ぶ鳥の影が重なるシーンは象徴的だ。特に漂流前の長良が死にかけの鳥を見捨てたことは、閉塞的な状況で(心が)死にかけている自分自身を見捨てたということであるし、最終話で燕を助けようとしたら実は希が先に助けていたエピソードは、長良が自身のことを諦めるのをやめたということ、はじめから希の前向きさで長良は救われていたことを表しているはずだ。

「光」については、希のみていた光(=希望)ということなのだが、光に関する超重要人物でありながら忘れられているキャラクターがいる。それは、明星である。彼はアニメの折り返し地点である第六話において主人公たちと別れてしまったので、重要人物とは見なされにくいキャラだろう。しかし、彼は希と対になっているキャラクターだと私は考えている。希は自分一人だけが光をみることができるが、周りの人間とそれを共有することができない能力【コンパス】を持っていて、明星は自分のイメージを他人に共有できる能力【Hope】を持っていた。

希はあくまで希望が存在することを示唆するだけで、最終話になっても希がどのような光を見ていたのか他の人間にはわからない。一方で、明星は希望を語り、それを共有する能力を持っているために箱舟を造ることに成功した。また結果的に、多くの漂流者たちは明星についていく決断をし、漂流世界における安寧を得ることができた。明星は希望を語ることで多くの人間を救ったと言えるだろう。逆に、希の光を探しに行くという決断をした長良たちは、漂流世界を抜け出すことに成功し、自分たちの未来に希望を抱くことができるようになった。希の光は、多くの人を救うのではなく、自分たちだけを救ったのだが、それはそれで、ただの安寧以上に素晴らしいものだと私には思える。

 

『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』

ところで漂流と言えば、ジェームズ・ガン監督作品『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』が思い出される。おいおい、新スースクは漂流と関係ないだろ、とツッコミが聞こえてきそうだが、この作品はざっくり言えば犯罪者集団が刑罰の代わりに孤島のミッションに送り込まれるという話である。サニボでも熱心に引用されていたダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー』のモデルになったのはアレクサンダー・セルカーク、史実の彼は難破して島に流れついたわけではなく、海賊船の船長ともめたせいで刑罰として孤島に置き去りにされたのだ。島への置き去りというのも漂流テーマの近縁だと言っても、そう的外れではないだろう。

そこで思い返してみると、サニボと新スースクは意外と共通点が多いではないか。例えば、牢獄(学校、刑務所)に入れられていたキャラクターが島(ハテノ島、コルト・マルテーゼ島)に送り込まれて脱出する物語構造。キャラクターの特殊能力が、そのキャラ自身が持つ欠点やトラウマと密接に結びついていること。そして、サニボでも重要なモチーフであった「鳥」と「光」である。

 

もしかして、この2作品って似てる!?

「鳥」については、サニボと同じように登場人物たち自身の状況の投影である。(ツイッターでやらかして映画界から干されそうになったジェームズ・ガン自身の投影であるという読みもあり得るが、、、)刑務所内でサバントに殺される小鳥が、仕返しのようにサバントの死体をついばむオープニングは、アメリカに使い捨てられるはずだったスーサイド・スクワッドが、アメリカの裏をかく展開を予見していたし、シルヴィオ・ルナ将軍が飼っていた鳥が檻に入れらたまま焼かれたのは、コルト・マルテーゼ島の住人がアメリカ政府とスターロの争いに巻き込まれて虐殺される状況を先取りしたものだろう。そして、もっとも特色ある鳥の使い方と言えば、ハーレイ・クインの妄想の中に登場するカートゥーン調の小鳥であるが、これはハーレイ・クインが自身のことをカートゥーンの登場人物のように考えている完全な狂人であることを表している。しかも、これがスターロとのラストバトルにおいて、ハーレイ・クインの周りを鳥のように飛び回るドブネズミに転換されるところが鮮やかだ。

「光」のモチーフについては、二つ登場する。サニボにおける希と明星のように、役割がわけられているのだ。つまり、明星がラットキャッチャー2で、希がハーレイ・クインである。ラットキャッチャー2は父親から譲り受けたネズミを操るライトを持っていた。そして、彼女は「民衆を導く自由の女神」ような姿で、明星と同じようにわかりやすい希望の光で多くの者を救った。それに比べると、ハーレイ・クインは誰かを救おうとしたわけではなく、自分が見ている光を追いかけただけの人であったが、それが逆に彼女の存在を特別で力強いものにしていた。ラストバトルにおいて、ハーレイ・クインは光の象徴である星型の化け物につっこんでいき、自身の妄想の中にしか存在しないような美しい光の世界に同化していくのであった。サニボの希が見ていた光って、スターロの身体の中みたいな感じだったら嫌だなというところで、私の頭の漂流は終了としたい。

 

 

 

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題:第1~4章まで

「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(ヨブ2:9)

 

ル=グウィン先生の教えを守って創作を続けるのは、本当に苦しくて楽しい。

 

 

 

第1章:自分の文のひびき 

ここからが今になってもよくわからない話なんだけど、僕じゃなくてHくんの方がすっかりおかしくなっちゃったんだよね。とにかく、ことあるごとに屋敷の中で僕に何があったのかを聞き出そうとしてきて、あんまりしつこいからうんざりしちゃった。それでねえ、逆に僕の方から、どうしてそんなに屋敷のことが気になるのかって聞き返してみたんだけど、Hくんは真面目な顔して、僕は呪われたかもしれないなんて言ってさ、あれから家の中にうじゃうじゃと蟻がわいてきて、どれだけ潰しても減らないんだって。馬鹿馬鹿しいだろ。でも、Hくんは真剣なんだよ。つい先日、買ってきた桃を割ってたら蟻がぞろぞろと這い出してきたと、僕に泣きつくんだ。中が空洞で蟻の巣になったんだと、完全にノイローゼなんだろうな。そこで僕はひらめいたわけ、今からスーパーで桃を買ってこないかと提案してやったのよ。つまり、何十個と店頭に並んだ桃からHくんが一つを選んで、それに蟻が巣食っていたらそれは異常だ、本当に呪われいるのかもしれない、逆に何もなければ気のせいだったと認めるべきだと言ってやったんだ。Hくんも納得したみたいだったからすぐに実行した。買った店の駐車場に二人で座り込んでさ、桃の中身を確かめた。もちろん刃物を持ち歩いているわけじゃないから、Hくんが自分の爪で桃の皮を剥いて噛みついたわけだ。まあ、結果は普通の桃だった。蟻なんか出てこなかった。Hくんもさっぱりした感じで笑ってたよ、でもさ、僕は見ちゃったんだよね、果汁でべとべとになっているHくんの頬の上をね、こうやって一匹の蟻がさ、とことこ歩いて耳の穴に入っていったの。だから、僕なりに機転をきかせてね、その辺にあった大きめの石でHくんの頭を叩き割ってみたんだけど、いやゾッとしたね、脳みそに迷路のような皺がついてんだよ、蟻の巣みたいなやつ? あれって何かの呪いなのかな? やっぱ変だよね。ねえ、怖いねえ。

 

第2章:句読点と文法

だがそのとき電車は突然停車してしまい次の駅に着く時間ではなかったので人身事故でもあったのだろうかと思っていたらゴトンと大きな音がして電車は少し動いてはすぐ止まりこれはいよいよ故障か事故だろうと思われてきたので乗客の何人かは不安そうにキョロキョロとして様子を伺いまた別の乗客たちは鞄からスマホや文庫本を取り出して長期戦を覚悟した様子だったのだがそれもまもなく救急車かまたは警察車両の発するサイレンの音が聞こえはじめたので乗客たちは窓の外を一斉に見ることになったのだけれど何の前触れもなく電車は急発進して立っていた乗客は多くの者が転んでしまい動き出したのであればたいしたことはなかったのであろうと私などは安心もしたのだがそれにしても車内放送が一度もかからないのは変だと思っていたところ今度は金属が軋むような音が足の下から響いてきたので血の気が引いてしまったのであったが続いて車内の明かりが点滅してから消えたときにはヒッと声がでて車内はほとんど完全な暗闇になってしまったのでむしろ外の様子の方がはっきりと見えるようになってちょうど窓の外は停車するはずだった駅のホームを通り過ぎるところだったがホームで待つ人々は私たちが乗る電車の方を見て驚いた顔をして悲鳴をあげているように見えたし中には腰を抜かして座り込んでいる人までもいてだがしかし一番印象に残ったのはこちらを指さしながら大口を開けて笑っている女性であまりに怖いものをみたとき人は笑ってしまうものであろうかと思った

 

第3章:分の長さと複雑な構文

問1
みどりのバナナには手をつけず。

出された茶はすぐに飲み干した。
友人の部屋は家具というものがなく。

一緒にみている映画は退屈だった。

隣の部屋からは壁を叩く音がしていた。

その音は一向に止む気配がなく。

友人は内装工事をしているのだという。

私はこんな夜中に工事かよと応じた。

茶の代わりに出された酒は臭かった。

映画の内容は全く頭に入ってこず。

それというのも音が止まないからだった。

友人はツマミを探しに台所へ引っ込んだ。

その時、友人などいないことを思い出した。

 

問2
足には二十六本の骨があり、後ろの部分は七本の足根骨で成り立っていて、特に大きい骨が二つあるのだが、その一つである踵骨(かかとの骨)にひびが入り、とても立っていられない痛みで、四つん這いであれば耐えられたが、といってそれでは名探偵として格好がつかなかった、落ちぶれたもんや、恥ずかしくないんかそんな様で、と助手は私を見下ろしていった、なにをぬかす、そっちかて探偵がおらんと何もできひんのやないか、じきに事件の関係者たちが私の推理を聞きに集まってくるはずだった、このいくじなし、死に腐らせ、役立たずが、助手の罵倒を背に受けながら、やっとの思いで立ち上がり、かかとに負担をかけないよう足の指先だけで私は全体重を支えたが、もちろんバレエダンサーでもなければこの姿勢が長くもたないことは百も承知、しかしあきらめることもできない、やり遂げるしかないだろう、他にどないして食っていけばいいんか、探偵の仕事は威張り散らかしてなんぼ、これから顔を合わせるどの容疑者よりも偉そうで傲慢なところをみせつけなあかんのや、助手に言われるまでもない、でもさっきから指先の感覚があらへんねん、これは弱音ではなく自分を励ますために言ったつもり、助手は腕を広げると私の腰を支えるように手をまわして、大丈夫や、いつも通りやればええて、と耳元でささやいた、二人はそこにいて抱き合っていたが、嵐に立ち向かうように固く身構えていた。

 

第4章:繰り返し表現

問1
『5分後に超ハッピーエンド』。『5分後に超ハッピーエンド』だって、おまえ、どうするよ。どうしよう。5分後だぜ、たった5分。時間がないな。もう5分じゃないか。まだ1分もたっていないよ。5分って、どれくらいだ。原稿用紙1枚で1分だと、聞いたことがあるな。それは、この本だと何ページ目だ。さあ。読みはじめてから5分後なのか、それとも作中時間で5分後なのか。どうだろう。そもそも超ハッピーエンドとは何事だ。ただのハッピーエンドとは一味違うということだろう。普通のハッピーエンドだって、経験したことないのに。終わるのか。ああ、最高に幸せな時間が来るぞ。『5分後に超ハッピーエンド』だ。ところで、今は何分だ。

 

問2

 ポツポツと、顔に何かが当たった。
 顔を手で拭ってみると濡れていたので、雨が降ってきたのだとわかった。
 家まではまだまだ距離があった。すっかり仕事でくたびれていたから、私はできるだけ走りたくはなかったが、その想いに反して徐々に雨脚は強まってきていた。結局のところ、私は全力疾走でマンションのエントランスに駆け込むはめになった。
 私は荒い息をさせながら白いハンカチを取り出すと、濡れた髪をかきあげて、顔の水滴を拭いた。背中にまで雨水が入り込んで気持ちが悪かった。ふと、ハンカチを見ると赤く染まっていた。
 私は指先をそっと自分の鼻の下に持って行った。指先にも赤いものがついた。
 どうやら急に走ったために、顔に血がのぼって鼻血がでたらしかった。血は止まっているらしかったので、残りの血をハンカチで拭きとって、エレベーターで自分の部屋に向かった。
 自分の部屋の中に入って、「ただいま」と私が言うと、誰もいないはずのリビングの方から、「おかえり」と返事があった。
 リビングでは、新井さんが座ってテレビを見ていた。
「もう来ないでって言ったよね」私は舌打ちをして、「なんなのもう、本当にあり得ない」と吐き捨てるように言った。
「だって、寂しかったんだよ」と言って、新井さんはテレビを消すと、こちらに向き直った。
「合鍵、まだ返してもらってなかったね。そこに置いといて」
 私がそう言うと、新井さんはへらへらしながら、「どこにいったかなぁ」なんて言いながらポケットの中をあさっていた。
 新井さんのやることなすことすべてが、私の興を冷めさせた。本当は傷つきながら軽薄を装う彼女の仕草が、私には気持ち悪いとしか感じられなかった。
 私は相手に背を向けて座ると、ぐしょぐしょになった自分の髪をバスタオルで拭きはじめた。
「こっちを見て話しをしようよ」と、新井さんが後ろで言った。
 私が答えないでいると、新井さんは何を考えたのか、後ろから抱きついて、私の頭を抱え込んだ。そうすると、彼女の方がずいぶん背は高いので、私が彼女の顔を真正面から見上げる形になった。
「どうして無視するの」新井さんがそう言っても、私が何も答えないでいると、「もう死んでやる」と言って、彼女は小型のナイフを取り出して自分の首筋にあてがった。
 本当に仕方のない、つまらないやつだと思った。見ていたくもなかった。
 私は、実際に目をつぶった。
 新井さんは、ちょっと尋常じゃない様子でしゃくりあげ嗚咽した。
 私の顔に、ポツポツと、たいへんな量の暖かい液体が降り注いだ。その液体は、私の頬をつたって、口の端から口内に入り込んだ。
 それは少ししょっぱかった。これは涙であろうか、血潮であろうか。私は目を開けられないでいた。

自分だけの「新世紀の名馬ベスト」を作って遊ぼう!

かつてあったことは、これからもあり

かつて起こったことは、これからも起こる。

太陽の下、新しいものは何ひとつない。

  ――コヘレトの言葉 1:9 新共同訳

 

 ウマ娘は原因と結果が逆転しているコンテンツである。

 馬は勝手に名馬になるのではなく、人がただの馬を名馬にする。つまり、人がその馬の成績や血筋、背景を知ること【原因】で、その馬は名馬として認識される【結果】。しかし、ウマ娘では、その馬が名馬であることを知って【結果】から、モデルになった馬の背景を調べる【原因】、ということになる。つまり、ウマ娘はその作品構造の特性上、新たな名馬を生み出すことのできない。だから、ウマ娘を5年、いや10年20年続くコンテンツにするためには、私たち一人一人が名馬を作り続けていくかなければいけないのだ。(それが言いたいがための前置きだったのか……)

 

 

 

 まず現在の競馬ファンが考える名馬とは何かを知る必要があるわけだが、『優駿』の創刊80周年を記念して実施された「新世紀の名馬ベスト100」が最も参考になるだろう。

 

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 このベスト100に選ばれた馬たちは、黙っていても(権利関係さえクリアすれば)ウマ娘に実装されるであろう名馬たちだ。だから、ベスト100に選ばれなかった名馬たちを見つけ出した方が意義があるはずだ。今回、私は8頭の名馬を探してきた。

 

 

 ナリタトップロード

 名馬の条件にも色々あるわけで、強さという点において1999年世代*1の競走馬の中では”世紀末覇王”テイエムオペラオーが抜けていた。しかし、世代の主人公は誰だったのかと言えば、ナリタトップロードだというのが私の考えだ。なぜなら彼は、同世代には3強のライバルとして、先輩たちには挑戦者として、後輩たちには超えられるべき壁として世代を超えて戦い続けた馬だからだ。

  血筋は、父サッカーボーイ、母フローラルマジック。父サッカーボーイは人気馬*2だったため、かなり期待された競走馬生活のスタートだった。そして、彼は期待通りにきさらぎ賞弥生賞と重賞を連勝をして、2番人気で第59回皐月賞に出走した。その時の1番人気は父サンデーサイレンス*3、母ベガ*4という日本競馬における超王道良血のアドマイヤベガ。さらに主戦騎手は武豊という完全に競馬界の主人公。前走の弥生賞でトプロの2着に入っているのも、よきライバルという感じでドラマ性を引き立てる。しかし、皐月賞を勝ったのは5番人気でいまいち地味なやつ、テイエムオペラオーだった。そして、第66回東京優駿アドマイヤベガ、第60回菊花賞をトプロが獲って、3頭はクラシックを分け合い、99年世代を引っ張っていく3強になったのだ。

 しかし、アドマイヤベガは早々に引退し、トプロとテイエムオペラオーは、第44回有馬記念に出走することになる。そして2頭の前に立ちふさがったのが、”黄金世代”グラスワンダースペシャルウィークである。この伝説的レースで古馬*5との力の差を見せつけられた99年世代であったが、この経験を糧にテイエムオペラオーは覚醒する。第41回宝塚記念、ここでテイエムオペラオーは”黄金世代”グラスワンダーを下し世代交代を実現。そしてメイショウドトウという新たなライバルとも出会った。一方、2000年のトプロは、年間全勝のレジェンド、グランドスラム*6を達成するライバルをいつも後ろで見ているだけで、いつの間にかライバルポジションもメイショウドトウに奪われる始末。雌伏の時というのでもない、毎回勝つつもりで正面から全力勝負を仕掛け、そのたびにテイエムオペラオーにボコボコにされていた。

 しかし、シンボリルドルフと並ぶGⅠレース7勝に並んだテイエムオペラオーにも壁は立ちふさがることになる。2000年(アグネスデジタル)・2001年(マンハッタンカフェジャングルポケット)世代の台頭である。結局、世代交代の波には逆らえず、ライバルのメイショウドトウとともにテイエムオペラオーは引退することになる。

 実を言えば、トプロが偉大な名馬である理由はここからなのだ。同期のライバルがいなくなっても彼は新生代抵抗勢力として走り続けた。周りが弱かったからテイエムオペラオーグランドスラムを達成できたという心無い言葉もあっただろう。だからこそ、トプロは走り続けた、挑戦者であり続けたのだ。そして、彼は最後まで泥臭く2000年、2001年世代はもちろん、2002年世代(シンボリクリスエスファインモーションヒシミラクル)とも戦い抜いて、世代の底力を証明し続けた。彼こそ不屈の名馬であろう。

 

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ダンツフレーム

 2001年世代、有力馬が軒並み故障して引退した悲劇の世代なのだけれど、常に第三勢力として2005年まで走りぬいたのがこのダンツフレームである。父ブライアンズタイム、母インターピレネー

 この世代の主役と言えば、みなさんご存じ「わずか四度の戦いで神話になった」”超高速の粒子”アグネスタキオンである。アグネスタキオンが伝説になった理由の一つは2歳時の第17回ラジオたんぱ杯で挑戦者のジャングルポケットクロフネを子ども扱いで完勝したことにあるだろう。その後、ジャングルポケット日本ダービー馬になりジャパンカップテイエムオペラオーに世代交代を告げた馬だし、クロフネは芝GⅠでも一流だったが、ダート路線に変更してから超一流になった馬で例題のダート最強とも言われる馬になった。というわけで勝った相手が歴史的名馬ばかりだったので、そいつらに完勝したタキオンはどれほど強かったんだという話になっているのだ。*7

 話を戻して3歳時、先の3頭に加えてアーリントンC(GⅢ)を勝ち上がって有力馬に名乗りをあげたのがダンツフレームである。第61回皐月賞では、1番人気アグネスタキオン、2番人気ジャングルポケット、3番人気ダンツフレームとなり、レースでも人気通りに最後の直線では3頭が抜け出して競り合いになった。結果はアグネスタキオンが勝ち切るのだが、ダンツフレームも見せ場のある2着であった。しかし、タキオン皐月賞後に故障引退となりリベンジの機会は永遠に失われる。気を取り直して、第68回東京優駿ではいい走りはするものの、タキオンなき後の最強をジャングルポケットにゆずることになる。さらに気を取り直して、第62回菊花賞では第四勢力であるエアエミネムマンハッタンカフェに、ジャングルポケットと一緒にボコボコにされた。

 古馬になってからは宝塚記念(G1)などを勝っているが、世代最強はマンハッタンカフェに完全に持っていかれてしまう。さらに、2002年には共にしのぎを削ったマンハッタンカフェジャングルポケットが故障で引退し、2003年にはエアエミネムも同じく故障引退。世代の最強たちを見送ったとの彼の晩年も穏やかなものではなかった。地方競馬で復帰するも一度も勝てないまま引退し、当然種牡馬になることもなく、最後は肺炎をこじらせて7歳で生涯を終えた。世代の最高峰のレースを常にそのちょっと後ろで走り続け、最強馬たちを引退まで見送ったダンツフレーム。彼はなんとも寂しい名馬だった。

 

 

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ファストタテヤマ

 画面の向こうの君は、GⅠ勝ってない馬を連れてきやがってと思ったかもしれない。でも、ファストタテヤマは「ファストタテヤマの馬券を買って家を建てやま」という名言で2002年度の2ちゃん競馬板流行語大賞(という何の名誉もない賞)にノミネートされるぐらいには記憶に残った馬なのだ。実力的に他の馬と比べて一枚落ちるのは間違いないが、2002年世代を語るには欠かせない馬……のはずである。

 

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 父ダンスインザダーク、母メインゲスト。人気しないときに限って好走する。馬券ファンにとっては間違いなく名馬である。とはいえ、ファストタテヤマは主役というよりも脇役としての名馬なのだから、2002年世代の主役たちに目を向けみるべきだろう。まず世代で頭角を現したのは、第53回朝日杯FS(GⅠ)の勝馬であるアドマイヤドン*8、未勝利戦を勝ち上がってから重賞3連勝のタニノギムレット*9。しかし、第62回皐月賞を制したのは、15番人気だったノーリーズン*10という大波乱となった。続く、第69回東京優駿では、前年から外国産馬も出走できるようになったため若葉賞の勝馬シンボリクリスエス*11がダービーを獲りに来るが、今度こそタニノギムレットが1番人気に応えてダービー馬となる。ちなみに、皐月賞ノーリーズンは2番人気に推されるも8着と微妙な結果。

 第63回菊花賞、ここからやっとファストタテヤマの出番になる。ダービー馬タニノギムレットは勝ち逃げ引退し、シンボリクリスエスも不在の菊花賞となってしまう。であれば、皐月賞馬が勝つはずだと誰もが考え、ノーリーズンは堂々の1番人気に推されるのだが、競馬の神様はなかなか意地悪でスタート直後にノーリーズンは落馬してしまう。100億円の馬券を数秒で紙くずに変えてしまったわけだ。そして、4番人気ローエングリン*12が逃げて、主役不在のカオスな菊花賞がはじまった。のちに様々なミラクルを連発するヒシミラクル*13がしわじわと位置をあげてくる。そして、外からすごい脚で突き刺さってきた馬こそがファストタテヤマだった。1着が10番人気ヒシミラクル、2着が16番人気のファストタテヤマ、その世代のカオス具合を象徴する、記憶に残る菊花賞だった。

 ファストタテヤマは、その後もスイープトウショウの2着やヘヴンリーロマンスの2着など、期待されていないときに驚異の追込みを見せて、競馬の醍醐味を私たちに教え続けてくれた。

 

 

バランスオブゲーム

 先の記述で2002年世代を振り返るにあたって、意図的に隠蔽された馬がいる。その馬の名は、バランスオブゲーム。非根幹距離*14王者、GⅡ6勝*15の名馬である。父フサイチコンコルド、母ホールオブフェーム。ダビスタ開発者が馬主であることも有名である。

 今となっては1800mや2200mでだけ強い馬という評価もできるが、彼にもクラシック路線で戦っていたころがあるのだ。彼はアドマイヤドンが勝った朝日杯FS(GⅠ)で敗れたとはいえ4着を確保していた。その後もクラシックのステップレースGⅡ(弥生賞セントライト記念)はきっちり勝っているのに、本番のGⅠではいつも6番人気以下で、結果も掲示板外だったのは彼らしいと苦笑するほかない。当時のファンからして彼の特性を見抜いていたのだろう。古馬になってからも7歳まで走りぬき、GⅠで勝つことはなかった。彼の戦歴をつまみにすると無限に酒が飲める。バラゲーは、勝ったメンツ(カンパニー、ダイワメジャーコスモバルク)もすごいが、負けたメンツをみるとさらにすごい。ヒシミラクルデュランダルタップダンスシチーツルマルボーイネオユニヴァースゼンノロブロイファインモーションヘヴンリーロマンスディープインパクト。歴戦の名馬たち、あの名勝負を見るとき、勝利馬の後ろ3~6番手を走っている馬に目を向けてみよう。きっとそこにバラゲーはいるよ。

 

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スマイルトゥモロー

 

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 引き続き2002年世代。牝馬にも名馬はいる。その名はスマイルトゥモロー。天才と狂気が紙一重の名馬、とにかく激しい気性で調教するのも一苦労だったらしい。

 2歳時は3戦1勝、まあまあである。しかし、3歳時のフラワーカップ、騎手は馬の行く気に任せた。スマイルトゥモローは3コーナーで先頭に立ち、そのまま後続を突き放して2着から2馬身半突き放して重賞初制覇。彼女は能力の高さと気性の難しさを示して、桜花賞へ駒を進めた。桜の舞台では出遅れてしまい追い込んだものの6着敗退。しかし、迎えた第63回優駿牝馬、あいかわらずパドックでもテンションは最高潮で、今回もダメかと競馬ファンは思っただろうが彼女は驚くべき競馬をする。道中は後方15番手を追走、最終コーナーに入ったところで馬群がばらけた。その一瞬の隙を彼女は見逃さなかった。スマイルトゥモローは開いたインを鋭く突いて、抜群の瞬発力でワープをしたかのように勝利をかっさらっていった。折り合いさえつけば、こんなに強いのかと度肝を抜かれたレースだった。

 ただし、その後は気性の激しさに拍車がかかり、第51回府中牝馬ステークスでの、目も覚めるような爆逃げからのターボエンジン逆噴射など、見所の多いレースを最後まで見せてくれたものの、古馬になっては活躍することなく引退してしまった。能力はGⅠ級、しかし自分自身を御すための戦いには勝ち切ることができなかった。「いつでも敵は己自身」、人生で大切なことはこの馬から学んだ。 

 

 

テイエムプリキュア

 今度は2006年世代牝馬のお話。先輩に2004年のスイープトウショウ*16、2005年のシーザリオ*17がいて、翌年の2007年世代にはウォッカダイワスカーレットがいるので、ちょうど牝馬の人気的にも狭間になっていた世代である。「新世紀の名馬ベスト100」にもこの世代の牝馬は選ばれていないのだが、もちろん名馬がいないわけではなく、カワカミプリンセス*18は、第31回エリザベス女王杯(GⅠ)で当時の最強であるスイープトウショウら古牝馬をまとめて撫で切って圧勝しているのだから、もう少し評価されてもいい(進路妨害で降着して繰り上がりでフサイチパンドラが勝ったので、いまいち歴史から抹消された感がある)。

 今回は同姓代の中でもどちらかと言えば落ちこぼれ、テイエムプリキュアは、父パラダイスクリーク、母フェリアード、名付け親は馬主の娘でもちろんアニメが元ネタで、メンコにはワッペンまで『ふたりはプリキュア Max Heart』のワッペンが縫いつけられている(そんなことしていいのか……)。血筋は地味だが、2歳時は3戦3勝の大活躍、新馬戦でドリームパスポートを蹴散らし、かえで賞、阪神ジュベナイルF(GⅠ)までも勝ってしまう。しかし、3歳になり牝馬クラシックはカワカミプリンセスフサイチパンドラの活躍を見守るだけ、結局2008年までまったくいいところなく散々な戦績を残してしまう。

 いよいよ引退を発表し、ラストランを2009年の日経新春杯に定める。11番人気、誰もが勝つとは思っていなかった。しかし、彼女はスタートすぐに先頭に立ち大逃げ、まさかの3馬身以上の着差を付けての圧勝をしてみせ、その結果でもって引退を撤回させるのである。このレース後はまた大敗を続けたものの、同じ年の第34回エリザベス女王杯、1年後輩のクィーンスプマンテと二人でまた大逃げをうつ、1着こそクィーンスプマンテにゆずったが、ブエナビスタ*19に先着しての2着である。これで有終の美と思ったら次の年も現役続行、あいかわらず大敗を続けて引退した。結局、最後の最後で新旧牝馬二冠(カワカミプリンセスブエナビスタ)に先着したのもすごいが、欲をかいて現役続行し翌年のエリザベス女王杯で惨敗しているのが彼女らしくて好きだ。このサヴァイヴ感は、他の牝馬には感じることのできない魅力であろう。生きて走っているだけでお前も最強牝馬だ! 同期のフサイチパンドラがアーモンドアイとかいう本当の最強牝馬を産んだけど気にするな!

 

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ローズキングダム

 

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 ローズキングダムは、父キングカメハメハ、母ローズバド。彼はローザネイからローズバドまで続いた薔薇の一族の王子であったのだ(一族とか言っているが、まあGⅠ級の馬を輩出してもいまいち勝ち切れない輸入牝馬の末裔)。ローズキングダムジャパンカップを勝っているのにどこか地味な馬であった。なぜ実績に比して地味なのか、それをこれからゆっくり話そう。

 まずローズキングダムは2010年世代であった。のちにライバルになるヴィクトワールピサを2歳の新馬戦で打ち破った彼は、その勢いで、東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)、朝日フューチュリティ(GⅠ)を勝ち抜いて、3戦3勝(……なんか逆に嫌な予感が)。もちろん皐月賞でも期待されて2人気、しかし勝ったのは新馬戦で倒したヴィクトワールピサだった。続く東京優駿ヴィクトワールピサには先着するもエイシンフラッシュの切れ味に負ける。それでも菊花賞を獲れば、クラシックを分け合った3強になれるのだ。がんばれローズキングダム。前哨戦の神戸新聞杯(GⅡ)でエイシンフラッシュを下して臨んだ菊花賞ではヴィクトワールピサエイシンフラッシュも不在ということもあり、堂々の1番人気で出走した。しかし、勝ったのは7番人気のビッグウィーク。典型的な前残りの展開でローズキングダムはちゃんと終いの脚を使えていたので、展開のあやであって実力負けではないのだが、結果として3歳時はおしい内容で終わった。

 それでも彼は一族のため、有馬記念を最大目標として次走を第30回ジャパンカップに定める。ローズキングダムは4番人気、前々で競馬をして最後の直線で抜け出そうとしたところで、ブエナビスタが大斜行して真ん中にいたヴィクトワールピサに挟まれる大きな不利を受けてしまう。ここで心が折れてしまったも仕方ないが、根性でブエナビスタを猛追して結果は2着。しかし、ブエナビスタが進路妨害で降着したために、ローズキングダムは繰り上がりで1着になる。念願の古馬混合GⅠの勝利であり、内容も決して恥じるようなものではなかったが、実力で勝ったとは言い切れないのも事実であった。有馬記念ブエナビスタを下して白黒はっきりつけるはずが、疝痛で回避することになる。そこで闘志が途切れてしまったのか、古馬になってからは目立った戦績もあげることなく引退となった。自身の血筋の力を示すには中途半端な結果ではあったが、間違いなく記憶に残るレースをしてくれた。

 今は引退後にのんびり暮らしている様子があげられている。隣のタニノギムレットが柵を蹴る癖があって迷惑しているようだが……。

 

 

ハクサンムーン

 年間全勝、それがどれほど偉大な記録なのか。凱旋門賞に勝つよりも難しいと言われた香港スプリントを2年連覇したロードカナロアですらも2013年は一度負けているのだ。勝った馬の名はハクサンムーン。確実にG1級の実力を持ちながら一歩届かなかった馬、1年上にロードカナロアがいた悲劇の馬。いや、ロードカナロアがいた時だけなぜか強かった、強い時期が短すぎた馬なのかもしれない。

  父アドマイヤムーン、母チリエージェ、母父サクラバクシンオー。早々に短距離戦線へ進んだので関係ないが、同期のクラシックでは牡馬のゴールドシップ牝馬ジェンティルドンナがめちゃめちゃくちゃやっていた2012年世代である。

 ハクサンムーンは2009年2月の早生まれ、2011年の新馬戦を勝利し1戦1勝のキャリアで朝日杯FSへ出走、11番人気の16着最下位となる。2012年にはクラシック路線を諦め、3、4歳時にはアイビスサマーDや京阪杯で好走して短距離適性を示した。5歳になったハクサンムーンは徐々にスプリンターの才能を開花させる。初のG1である第43回高松宮記念は10番人気ながら3着と健闘。これもただの人気薄から好走というわけではない。先行激化で差し追込み有利かと思われていたレース状況を、驚異的なテンのスピードであっさり先行するとそのまま押し切って、ロードカナロアが差してきた時に抵抗するようなねばりを見せての着順だった。カレンチャンなき短距離戦線で、打倒ロードカナロアの夢を抱けるのはハクサンムーンしかいないのだ。

 ロードカナロアが第63回安田記念を制覇している間に、ハクサンムーンは第49回CBC賞を2着とまずまずの結果。そして、第13回アイビスサマーDにおいて横綱相撲で勝ち切る圧勝を見せる。ここでハクサンムーンは全盛期を迎え、トップスピードを持続する力にかけては非凡な馬であることを証明していた。そして、雌雄を決する第27回セントウルステークス、最後の直線でハクサンムーンロードカナロアの熾烈なデッドヒートになり、ハクサンムーンの逃げ切り勝ちとなった。ロードカナロアのファンは色々言い訳をしたいだけれども、この時だけはロードカナロアよりハクサンムーンの方が強かった、それだけのことなのだ。その証拠にハクサンムーンはスタートで少し出遅れたところを二の足を使って先頭にいったわけで、ここで無駄な足を使っていなかったらもっと着差を広げていたかもしれない。

 そして、いよいよ本番の第47回スプリンターズS、2番人気を得てロードカナロア打倒に燃えるハクサンムーンであった。レースは得意のダッシュ力で前に行ったが、最後はやっぱり世界のルォォォォォォォォォォォォォォォドカナロァァァァァァァァァァァァァァ↑にかわされ2着。負けるときの着差はいつもだいたい1馬身、この1馬身が素直にロードカナロアの実力の差だと認めるしかないが、されど1馬身程度の実力差であれば、ちょっとしたことでひっくり返るのが競馬の世界。だから、2013年のハクサンムーンは最強に手が届いていた可能性はあるのだ。

 

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 その年でロードカナロアは引退。ここからは彼の天下かと思っていたところ、すっかりズブいところが出てきてしまったので、それから引退までは微妙な成績だった。

 あと、この馬は馬場入場の際に旋回をはじめるという変わった癖の持ち主だったことが有名。今となっては旋回おもしろシーンの方が有名なのが少し歯がゆい、G1を一つでもとっていれば。

 

 

 

というわけで、なんやかんやと個人的な名馬を並べ立てていったのだけれど、いやあ、色んな名馬がいるんだなぁと納得して画面を閉じようとしている、そこの君。次は君の番だ。

さあ、君たちの名馬を教えてくれ。

 

*1:1999年のクラシック競争に出走した世代のこと。クラシック競争とは、3歳馬のための伝統あるレース(皐月賞桜花賞優駿牝馬東京優駿菊花賞)のこと。

*2:テンポイントの再来、弾丸シュート、人気の理由は無数にあるので、ここでは語れない。

*3:彼なしに日本競馬は語れない。言わずと知れた大種牡馬

*4:西の一等星。父トニービン牝馬クラシック二冠の名牝。

*5:4歳以上の馬のこと。

*6:古馬3冠に加えて、春のGⅠである「天皇賞・春」・「宝塚記念」を 同一年に全て勝利する事。

*7:競馬はその三段論法が通じないのが常なのだけれど

*8:ティンバーカントリー、母ベガ。のちにダート路線にいって活躍する。

*9:言わずと知れた名牝ウォッカの父。

*10:理由なき反抗とは言わないでくれ。若葉Sを7着の馬が来るとは思わんよな。

*11:バブルガムフェロー以来の3歳馬の天皇賞秋制覇や、引退の有馬記念を9馬身差で勝つやべーやつ。

*12:ロゴタイプの父。

*13:サッカーボーイ、母シュンサクヨシコ。やっぱりサッカーボーイマイラーじゃなくてステイヤーだったんだと夢を見られる。

*14:2ハロン(約400m)で割り切れない距離。

*15:今のところ、GⅡ最多勝記録。

*16:39年ぶりに牝馬宝塚記念を優勝。

*17:アメリカンオークスを制覇したジャパニーズスーパースター。

*18:みんな大好きキングヘイローの代表産駒。

*19:スペシャルウィーク、母ビワハイジ。親子でジャパンカップ制覇したやばい娘。